小さな英雄、大きな覚悟
猛烈な閃光が、私から五感を奪った。
純白の閃光が視覚を奪い、甲高い轟音が聴覚を殺し、加熱された金属が溶ける悪臭が嗅覚を潰す。
何が起こったのかは辛うじて把握している―――ゾンビズメイという化け物が、こちらに向かってブレスを放ったのだ。
皇帝陛下が許可した対消滅爆弾の無制限使用。しかしそれが仇となり、ゾンビズメイは対消滅エネルギーを吸収。更なる変異を遂げたばかりか、対消滅エネルギーを我が物として振るう事が出来るようになってしまった。
そんな怪物に一矢報いた攻城砲を、あのゾンビズメイは最大の脅威と認識したらしい。ミカ達や砲兵隊の砲撃を一切無視し、こちらに向かいブレスを放ってきた。
これは死ぬな、と思った。
自分の事だというのに、しかも命が危険にさらされているというのに、えらく客観的で淡々とした感覚だった。まるで赤の他人に、私の与り知らぬところで起こっている事を俯瞰しているような、そんな感覚だ。
私が死んだらどうなるだろうか。遺した弟妹たちは泣いてくれるだろうか―――そんな事が頭の片隅に思い浮かんだが、しかし視界を埋め尽くした純白の閃光はやがて晴れ、轟音の中に散逸してしまいそうだった私の意識は回復の兆しを見せる。
どうやら死神とやらにとことん嫌われているらしい。あるいは、まだその時ではないと見逃されたか。いずれにせよ目前にまで迫ったかに見えた『死』はすぐさま遠ざかり、キーン、と甲高い音が耳の中に張り付き続ける中で目を開けた。
まだチカチカする。あんな光量を網膜に浴びたのだ、視力に悪影響が無ければ良いのだが……朦朧とする意識と平衡感覚に翻弄されながらも、しかし段々と周囲の解像度が上がっていく。
私の上に、誰かが覆いかぶさっていた。
がっちりとした体格で、騎士団の軍服に身を包んだライオンの獣人の男性だった。
「ヴォロディミル……?」
そう、副官のヴォロディミルだった。
ぽた、と頬に血の雫が滴り落ちる。
きつく結んだ彼の唇の端から、血が滴り落ちていた。見てみるとヴォロディミルの背中には様々な大きさの破片が深々と突き刺さっており、さながらハリネズミのような有様だ。
あのブレス攻撃に被弾した際に飛散した破片から、咄嗟に私の上に覆いかぶさって庇ってくれたというのか……貴様は……!?
「あ、ああ……良かった、ご無事ですね」
歯を食いしばりながらも、安堵したような笑みを浮かべるヴォロディミル。
「お前……なんて事を……!」
この大馬鹿野郎、と怒鳴りつけてやりたかった。
民が居てこそ国が成り立つように、兵があってこそ将が成り立つのだ。だから危険は私が率先して引き受けてきたし、戦場への一番槍も、そして戦場から最後に去る殿の役目も私が引き受けてきた。全ては兵たちを徒に死なせないため、1人でも多く故郷へ帰してやるために。
だから私など守らなくていいのだ。私でなくとも、優秀な人材は山ほどいる。私の代わりはいくらでもあるのだ。そんな替えの効く機械の部品を身体を張って守るなど、そんな馬鹿気た事があっていい筈がない。
「閣下……あなたは……生きて……」
「え、衛生兵! 誰か、彼の手当てを―――」
周囲を見渡した。
そこには、傷だらけの兵士たちが居た。破片が身体に突き刺さり、あるいは残骸の下敷きになって助けを求めている者たち。衛生兵は既に負傷者の手当てを開始しているが、助かる見込みのない兵士は見捨てている状態だった。
仕方のない事だ……普通の医者であれば重症患者を優先するが、軍隊では逆だ。治す事でまた使える兵士を優先して治さなければならない。
「生きてる、生きてるぞ!」
パヴェルの声が聞こえた。
随分と悪運の強い男だ。彼と、そして彼が連れてきた東洋のサムライ(ハンゾーとかいう名前だったか)は無傷だった。あの2人は弾薬の格納庫に居たから難を逃れたのだろう。
だが、列車砲に詰めていた装填手や砲手たちは殆ど全滅と言ってよかった。
ブレスの直撃を受けたのは、列車砲だった。
砲撃を終えた直後の列車砲を直撃したブレスは、砲身や機関部を砲手たち諸共消し飛ばし、そのまま前方の兵員輸送車と炭水車、機関車を装甲ごと抉って市街地を直撃。進路上の建造物をことごとく消滅させながら地平線の彼方へと去っていったのだ。
「イルゼ、こっちだ!」
「はい、すぐに!」
パヴェルに誘導され、修道服姿の獣人女性がこっちに走ってやってくるや、虫の息となっているヴォロディミルに治療魔術をかけ始める。そっと差し出した彼女の両手を起点に、ヴォロディミルの周囲に黄金の光の輪が浮かび上がり始めた。
ゆっくりとではあるが、彼の傷が塞がり始める。突き刺さっていた破片も少しずつ、再生していく身体に押し出される形で抜け始めた。彼の呼吸が段々と、おちついたものに変わっていくのが分かる。
「閣下……あなたは……イライナの希望……」
「分かった、喋るな……傷に障るぞ」
「どうか、勝利を……勝利を掴んでください……我らは気高いあなたに惹かれて……ともに歩むと……」
その言葉を最後に、ヴォロディミルは目を閉じた。
まさか死んだのか、と慌てて彼の首筋に手を当てた。
脈はある。良かった、彼はまだ―――私の副官はまだ、死んでいない。気を失っているだけだ。
「……パヴェル、損害状況を知らせろ」
「……列車砲は全損、砲撃要員の7割が死亡ってところか」
悔しさを滲ませながら告げる彼の視線は、列車砲へと向けられていた。
もはや、残っているのは攻城砲の土台の部分だけだ。辛うじて旋回用のシャフトも残っているが、だから何だというのか。
「特殊砲弾は」
「無事だ。だが残弾1……そしてそれを発射するための攻城砲はもうない」
絶望的だった。
いくら砲弾があっても、それを撃ち出すための発射装置たる攻城砲がなければどうにもならない。飛竜に持たせて投下させるという選択肢もあるが、健在な飛竜があとどれくらい残っているというのか。そしてその中で空対地爆撃の訓練を受けた飛竜と乗り手たる竜騎士は何名いるのか。
決定打はある。切り札は手元にある。だが、それを発揮するための手段がない……!
もう終わりだ、という言葉が心の奥底で響いた。
仮にこれを撃ち出せたとしても、さっきの砲撃の結果は見た筈だ。ゾンビズメイは最初の一撃で深手を負ったものの、即座にそれに対する手段を学習し瞬時に習得、砲撃を防御して見せたではないか―――これを発射したところで、結果は見えているのではないか。
何か、何か手はないか。
敗北など認めない。あの化け物に負ける日があるとすれば、それは人類が陥落する日だ。この世界をあの化け物に明け渡した瞬間となるだろう。
そこで、人類史は途絶える。
先人たちが築き上げてきたヒトの営みは、潰える。
それだけは避けなければならない……絶対に。
しかしどうしろというのか。
あの怪物を仕留めるための切り札はもうない……打つ手がないのだ。
辛うじて奴の再生を封じた部位に攻撃を集中させれば討伐の見込みはあるが、しかしどれだけダメージを与えればあの怪物は死ぬのだろうか。そしてそのために必要な戦力と見込まれる損害はどの程度か。
少なくとも、この場に居る全員の命と引き換えに討伐……とはならない事は確かだった。
やはり、もう終わりなのか。
一度この国を蹂躙した怪物。その残滓に、人類は再び頭を垂れる事になるというのか。
このアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ、人生で初めての敗北かもしれない―――頭の中に絶望が拡散し、その中に沈んでいこうとしていたその時だった。
『―――諦めるな!』
威勢のいい声と共に、まるで機械の鎧のような兵器が重々しい音を立てながら、私たちの傍らへと走ってやってきた。傍から見れば各地の伝承に残る首無し騎士のようで、しかしその左腕は肩の付け根からごっそりと消失している。先ほどのブレス攻撃に巻き込まれたのだろうか、断面には泡が弾けたかのような、対消滅エネルギー特有の破壊の痕跡があった。
そこから顔を覗かせているのはミカエルだった。ツナギのようなスーツ姿で、あの兵器を操縦するためと思われる操縦桿を握っている。
コクピットを解放するのももどかしかったのだろう、機外へ直通の大穴が開いた破孔から飛び出すや、ミカは跪いた状態で停止した機械の鎧が背負っているエンジンの方に足を進め、整備用のハッチを開けて中からケーブルを引き抜いた。
「お、おいミカ……お前何やってる?」
何をするつもりなのか、薄々勘付いているような声でパヴェルが問う。
次の瞬間、ミカは目を疑うような行動に出た。
ゴム製の被覆に覆われ、中からは銅線が覗く機体の電力伝達ケーブル。バチバチと青白いスパークを発するそれを―――あろう事か、自分の身体に押し付けたのである。
「う゛ぁっ!!」
「ミカ! 貴様何を―――」
慌てて止めようとする私を制したのは、隣に居るパヴェルだった。
あの兵器がどんな代物かは分からないが、あの巨体を動かすだけの戦力ともなれば相当なものになる。それを身体に受けるなど……極限状況下で我が家の末っ子がついにおかしくなったか、と私はこの時ばかりは真面目にミカの精神状態を案じていた。
強烈な電流を受け、青白いスパークの中で感電するミカ。そんな彼女を見つめながら、パヴェルは目を見開く。
「何故止める!?」
「ミカの奴、やる気だ」
「何を!?」
「電力を魔力に変換して取り込んでいるんだ」
電力を魔力に……?
そんな理論、聞いた事がない。
が、発想は分かる。魔力をあらゆる属性に変換して使用しているならば、その逆……すなわち対応する属性を身体に取り込む事で逆に魔力に変換、その魔力量を急増させることができるのではないか、と。
だがしかし、聞いた事がなければ成功例もない。確かにミカは雷属性、その理屈で行けば電撃を浴びる事で魔力を緊急補充する事も出来るが……。
ぐっ、とミカが感電しながらも手を突き出した。
ぐんっ、と弾薬を積載していた貨車が揺れる。ブレスの余波で焦げ目がついた車両から、あろうことか見えざる手で鷲掴みにされているかのように、ふわりと一発の砲弾が浮かび上がるや、そのまま空中を浮遊してミカの目の前まで運ばれてきた。
砲弾には紅いラインが―――特殊砲弾と通常弾を識別するための目印がある。
ゾンビズメイ討伐のために用意し、残った最後の一発だった。
「ミカお前、まさか……!」
雷属性魔術の特性は、大きく分けて『電撃』と『磁力』に大別される。他にも細かな分類があるが、この2つが中核と言っていい。
そしてミカが得意とするのは磁力操作だ。今までの共闘でも弾丸を受け流したり、剣戟の軌道をずらしたり、浮遊させた鉄板の上に乗って足場にしたりと多種多様な使い方を見せてくれた。
今、ミカが何を考えているのか理解した。
砲弾を撃ち出そうとしているのだ―――ありったけの電力で。
しかし、ミカは元々魔力量に恵まれた子ではない。属性適性もまたそれ相応で、C程度だ。可もなく不可もなくといった塩梅であり、砲弾を電力で射出するなどミカの魔力量と適正ではどうあっても夢物語でしかない。仮にあの兵器の電力を取り込んだとしても、到底足りるものではないのだ。
大きなプールをバケツ一杯の水で満たす事が出来ないのと同じだ。それをやるならもっと、莫大な量の電力が……。
「おいお前ら、動ける奴は急いでありったけの非常発電機を持ってこい! 車のエンジンでもバッテリーでもいい、とにかく電気に関連するものなら何でもだ!」
パヴェルが唾を飛ばしながら叫ぶと、感電しながらも砲弾を浮遊させているミカの事を心配そうに見つめていた兵士たちの生き残りが、大慌てで瓦礫の中や無事な車両の中から非常用の発電機を取りに走り始める。
ミカの魔力量が大きく膨れ上がっていた。適正C相当の魔術師が発する魔力などではない―――これはもう、適正Bクラスの魔術師に匹敵するレベルではないか。
「あれは……」
錯覚か、それとも幻か。
荒れ狂う電撃の中、歯を食いしばりながらも魔力のコントロールをするミカの前髪―――黒い頭髪の中に浮かぶ特徴的な白い前髪や眉毛、睫毛といった部分が一瞬だけ、黄金に光ったような気がした。
部分的にではあるが、それは獅子の鬣のようで……。
「……ご先祖様?」
実家にある、大英雄イリヤーの肖像画。
今のミカの姿は、大剣を肩に担ぎながら竜の頭を踏み締めるその威容を思わせた。
ああ、だからこそなのだろう。
庶子だの卑しい害獣の子だの忌み子だの言われて育ってきたミカ。
しかしこの子もまた―――英雄の血脈、その末席に名を連ねる1人なのだ。
身体中がはち切れそうだ。
全身の筋肉が、血管が、臓器が、細胞が、そしてそれらの内に宿る魂が悲鳴を上げているような、そんな感覚を覚えた。
身体中の中で炎が燃えているような……マグマを飲まされたような錯覚。
けれども身体中の魔力量が急激に膨れ上がっていくのは分かった。視線を巡らせると、パヴェルや範三、それから生き残ったストレリツィの隊員たちが、拾ってきた非常用発電機や乗り捨てられた車から外してきたバッテリーを繋いで、俺に電力を送ってくれているのだ。
肉体の許容量を遥かに超過した電撃を、しかし溢れすぎないよう丹念に魔力に変換し、それをまた磁力に変換して体外へと放出、浮遊する砲弾に力をかける―――簡単そうではあるが複雑極まりない工程を、身体中を焼き尽くすかのような激痛に耐えながら行わなければならない。
狂ってるな、と我ながら思った。
俺、何してるんだろう。
二度目の人生……異世界転生を果たし、女神さまからチート能力を貰い、ベリーイージーモードの二度目の人生で無双してハーレムでも作るのが相場なのではないか。
しかし生まれた環境は貴族の庶子、チート能力と言えば現代兵器を召喚する能力だけで、周囲は才人に強敵だらけという異世界転生難易度エキスパート。ドM向けの難易度ではないだろうか。
そんな残酷極まりない世界の中で、こうして身体を張っている……なぜ?
そんなもの、考えるまでもない。
仲間を守りたいからだ。
みんなを守りたいからだ。
ここまで俺を支え、助けてくれたみんなへの恩義に報いるために。
そしてみんなと生きていくこの世界と、後に続くみんなの未来のために。
神話の英雄だって、最初から英雄だったわけじゃない。
自分なりにベストを尽くして、誰かのために力を振り絞って戦って、その結果が英雄として祭り上げられるに至っただけの事。
ならば俺もベストを尽くそう。できる事は何でもしよう。
力を出さず、後悔しながら死にたくはない。それだけは絶対に許さない。
だから―――だから俺は全力で戦うのだ。
世界がどんなに残酷でも、運命がどんなに苛酷でも。
俺は……俺たちは抗ってみせる。
それこそが人間だ。
人間のあるべき姿だ。
レールガン(人力)




