手負いの獣、手負いの邪竜
生まれて初めて、父親に感謝した。
醜い見栄のためだけに、4900億ライブルもの大金を使い込んでまで購入した28cm攻城砲。特殊砲弾を装填したその初撃は観測班の正確無比な観測もあって見事に命中、ゾンビズメイという神話の怪物、その左肩に大きな傷を穿った。
それはエンシェントドラゴンの外殻を純粋な物理的攻撃力で叩き割る程で、人類の科学力がやっと、神の領域に一歩足を踏み下ろした瞬間でもあった。
この高揚感は何だろうか。
巨大な、大重量の鉄塊と火薬が織りなす戦場の軌跡。巨大な攻城砲の一撃が、伝承の中で畏れられていた伝説の怪物に一矢報いた―――その事に、身体中が歓喜に打ち震えていた。
「砲撃……こっ、効果あり! 効果認む!!」
望遠鏡を覗き込んでいた観測要員が、嬉しそうに叫んだ。
首に下げていた双眼鏡を手に、ゾンビズメイの様子を見る。左肩の外殻が割れたのは28㎝攻城砲の破壊力によるものだ。しかしそこから先は、ミカの見立て通りとなっている。
外殻が割れた部位を中心に他の外殻も剥がれ落ち、腐敗した赤黒い体液やピンク色の肉が、まるでフライパンの上のバターの如く、あるいは熱々のお粥の上に乗ったバターの塊のように溶けて、崩れて、壊れていく。
やがてそれは肩だけでなく左の前脚へ、そして脇腹へと伝播していった。脇腹の外殻も剥がれ、溶け、中から巨大な肋骨と、どくどくと脈打つ臓物の類がグロテスクな光沢と共に顔を出す。
ゾンビズメイは苦しそうに尻尾を振り回し、天に向かって吼えていた。
「やったか……!?」
「いや、まだだ!」
砲弾の格納庫の方から、タンクトップ姿のパヴェルが叫びながら駆け寄ってきた。
もう一度双眼鏡を覗き込む。確かにゾンビズメイは苦痛の咆哮を発しながら尻尾を振り回し、周囲の建物を手当たり次第に破壊している……いや、なおも接近戦を続けるミカたちを追い払おうとしているのだろうか。
左肩から左前脚を含む脇腹へとかけての広い範囲をごっそりもぎ取られたゾンビズメイだが、しかしまだ死んでなどいない。辛うじて原形を留めながらも、なおも現世にしがみつこうとしているかのように足掻き続けている。
「泉の水が一発じゃ足りなかったんだ……!」
「パヴェル、私の流儀を教えてやる」
「あ?」
腕を組み、ニッ、と快活な笑みを浮かべながら言ってやった。
「”泣きを入れたらもう一発”だ! 死ぬまで叩き込むぞ!」
「アイ・マム! 次弾装填、弾種同じ!」
「砲身旋回、12時方向!」
パヴェルの野太い声を聴くや、砲手たちが操作盤のスイッチを弾いた。油圧式の旋回装置が再起動、攻城砲を再び列車の進行方向へと向かって旋回させ始める。
装填の度に砲の方向を初期位置へと戻さなければ、砲弾や装薬の装填は出来ないのだ……クレーンの旋回角度が制限を受けたり、砲弾の角度が悪くて砲尾へ砲弾を装填できなくなってしまうためである。
だから砲撃が終わったら砲身を初期位置へと旋回させ、改めて砲弾と装薬を装填しなければならない。破壊力はあるが、それのために支払った代償は大きいのだ。
再装填までの間、何とか持ちこたえてくれよミカ……!
衝突警報のセンサー感度が高すぎるのも考え物だな、と思う。
先ほどからひっきりなしに、機甲鎧のコクピット内で衝突警報のブザーが鳴り続けている。T-84系列の戦車の砲塔を模した胴体の上、以前までであれば頭部パーツがあった場所に搭載されたRWSとセンサーターレットがそれぞれ迎撃と驚異の検出を行っているのだが、警報の発令は主にセンサーターレットが拾った情報を元にしている。
左腕から脇腹までをごっそり消し飛ばされたゾンビズメイが暴れる度に、その身体からは腐敗した体液や肉片、内臓の一部と思われる気色悪い物体が滴り落ち、奴の足元はちょっとした血の海になっている。先ほどから衝突警報が鳴り響いているのはそれが原因だった。
幸い、流れ出た血がすっかり腐敗しているせいなのかは分からないが、【竜の血】に変質する様子はないようだ……そこは安心していいだろう。
竜の血は高濃度の呪いだ。エンシェントドラゴン、その中でも特に古い個体であればあるほどそれを宿し易く、エンシェントドラゴンが死の間際などに発する強烈な怨念が、身体の内を巡る血を呪いの塊に変え、触れた物体全てに決して解除できぬ呪いを与えるという。
ヴァシリーの祖先も大昔にアラル山脈でそれを浴び、結果として彼は魔物の身体に獣人の魂を宿した歪な存在として生を受けた。
大英雄イリヤーがズメイを封印した際に発生したものが今のところ世界最大級のものと記録されており、それに冒されたアラル山脈の一角は未だに焼け跡となっているのだそうだ……そしてその竜の血に浸かり、もがき苦しみながらも大地の精霊に頼み込んでノヴォシアの地にそれを封じたのが、盟友のニキーティチであるというのはよく知られている話である。
こんな怪物の相手をするだけでも大変だというのに、おまけに竜の血まで発生する事になればゲラビンスクの壊滅は確定だ。それどころか、この地には少なくとも何千年規模で人が済めず、植物も育たず、異形の魔物が跋扈する地になるだろう。
そうならない事だけは安心できた。
機体をバックジャンプさせつつブローニングM2を掃射。歩兵にとってはクソデカ機関銃でも、機甲鎧にとってはカービンサイズのそれを構え、ゾンビズメイの無防備になっている部位―――左脇腹、そこから覗く内臓へと叩き込む。
12.7mm弾の聖銀弾頭を受け、ゾンビズメイが怯んだ。
やはりそうだ。いくら堅牢な外殻で攻撃を弾く事が出来ても、いや、だからこそその内側は脆弱なのだ。
しかもそれだけじゃない。
《ミカ、そいつ再生してない!》
「やっぱりか!」
狙撃で支援してくれているカーチャの声を聴くよりも前から薄々感じてはいたが、やっぱりそうだ。
生まれ変わりの泉の水を使った特殊砲弾で破壊された左腕周りと左脇腹の大きな傷口。今までダメージを与えた部位はすぐに再生し元通りになっていたのだが、特殊砲弾を受けた場所だけはどうあっても再生できないらしい。
一応、身体は再生しようとしているようで、断面では外殻や肉の切れ端が再生しようともぞもぞ動いたり、断面から筋肉繊維を伸ばそうとしている様子が覗える。だがしかし、見えない何かに押さえつけられているかのようにそれはすぐに巻き戻り、生々しくグロテスクな傷口を外気に晒し続ける羽目になっている。
おそらくそれも生まれ変わりの泉の作用なのだ。本来あるべき姿から逸脱して変質した存在を、本来の姿に―――生命のあるべき姿へと巻き戻す。それが泉の作用に違いない。
その作用に邪魔をされ、ゾンビズメイは傷口の再生を阻害されているのだ。
しかし再生を阻害されているのは、あくまでも特殊砲弾で撃たれた部位だけ。それ以外の部位は普通に再生するので、いくら12.7mm聖銀弾で露出した内臓を撃っても、穴だらけになった内臓はすぐに修復し元通りになってしまう。
リーファの対戦車ミサイルとモニカの30mmチェーンガンの攻撃が、露出した内臓や肋骨にめり込んだ。30mm聖銀弾が内臓を吹き飛ばし、聖水を充填した特殊対戦車ミサイルが肋骨を根元からへし折る。吹っ飛んだ内臓の切れ端や肋骨の破片がゲラビンスク市街地外縁部にある建物を直撃し、派手に倒壊させた。
28㎝攻城砲の砲撃が通用した事に鼓舞されたのだろう、それまでは半ばヤケクソ気味に砲撃していたノヴォシア騎士団砲兵隊も息を吹き返す。ゲラビンスクや各地の駐屯地からかき集めてきたと思われるライフル砲や臼砲がひっきりなしに火を吹いて、瞬く間にゾンビズメイの巨体が無数の砲弾に殴りつけられていった。
大口径の臼砲の砲弾が上から落下。一発は脳天を直撃してゾンビズメイの脳を激しく揺らし、もう一発はよりにもよって抉られた左脇腹へ斜め上から潜り込んだ。ズボリと内臓の中に潜り込んだ臼砲の砲弾が炸裂、ぶくりと膨れ上がったゾンビズメイの腹が裂け、そこから内臓やら体液がまるで決壊したダムみたいに溢れ出る。
『ギャオォォォォォォォォォォンッ!!!』
「やべっ……!」
苦し紛れの反撃か、それとも竜の意地か。
腹を裂かれ、内臓を再生させながらも苦痛の叫びをあげるゾンビズメイの口腔に白い泡のような光が燈ったかと思いきや、それは瞬く間に膨れ上がり、一筋の白い閃光となって解き放たれた。
咄嗟に機体を右へと大きく跳躍させたが、しかしメインモニターにはあの白い泡みたいなエネルギー波が迫っていて―――!
《ミカ!!》
モニカの悲痛な叫びは、しかし機体各所から発せられた警報と激しい振動、そして鉄パイプ同士を打ち鳴らすような金属の軋む音に掻き消される。
一瞬、モニターからあの白いエネルギー波が溢れ出たように見えた。左半身に確かな熱を感じ、あまりにもの眩しい光に眼球が焼け爛れるような錯覚を覚える。吸い込む息も熱風のようで、このまま深呼吸していれば肺が茹で上がってしまいそうだった。
そしてすべてが去った後、理解する。
「……!」
コクピットの内壁、その左側が―――泡が弾けたような跡を残して、ごっそりと消し飛んでいた。
モニターを見るまでもない。コクピットの左側の内壁が消失、そこから機体の装甲の断面や外の景色がしっかりと覗いている。
辛うじて回避に成功したものの、左腕と胴体の一部を対消滅ブレスに持っていかれたらしい。幸いにして機体の駆動系やパワーパック周りは健在だったが、しかしそれよりもだ。
「嘘……だよな」
今しがた、危うく消滅するところだった対消滅ブレス。
それは俺の居た場所を通過してゲラビンスク市街地にまで達しており、それだけでは飽き足らず遥か後方のアラル山脈の麓にまで達していた。大地には熱線が迸ったような、あるいは割れたかのような巨大な轍が深々と刻まれ、その内側では白い対消滅エネルギーの光が未だに燻っている。
その一撃で市街地は見事に南北に両断されており、空から見ればその破壊の痕跡がより克明に見える事だろう。
弱点ができたとはいえ、コイツが弱くなったわけではないのだ。その事を痛感させられるが、しかしすぐに朗報が無線機からノイズ越しに飛び込んでくる。
《各員へ通達、特殊砲弾の第二射まであと10秒》
「来るぞ!」
無線機で味方への生存報告代わりに告げ、悲鳴と火花を上げる機体を後方へ下がらせた。頭上ではクラリスの操るキラーエッグが突撃を敢行、高度を下げてゾンビズメイの尻尾薙ぎ払いを間一髪で回避し、チェーンガンを叩き込んで鮮やかに離脱していった。
そこで、ゾンビズメイが攻城砲の存在に気付いた。
駅から少し離れた線路上、固定用ジャッキを下ろし砲口をゾンビズメイに向けたまま制止する、虎の子の28㎝攻城砲。威嚇するように吼えるゾンビズメイではあったが、しかし先ほど怒りに任せてブレスを放っていたのが仇になった。まだ首周りの外殻は解放されたままであり、身体の冷却が追い付いていないのだ。
かといって突進するにしても距離があり、仮にもっと近距離であったとしても先ほどの負傷で思うように動けない状態では、どの道砲撃を阻止するのは難しいだろう。
遅きに失した―――つまりはそういう事だった。
認められるか、とでも言わんばかりに咆哮するゾンビズメイ。そんな彼の絶叫をあざ笑うかのように、攻城砲が火を吹く。
装薬の爆発的な燃焼により、28cm特殊砲弾が押し出されたのだ。砲身内部、丹念に刻まれたライフリングにより回転を与えられた砲弾が急加速、ダメージを受けさらに動きが緩慢になったゾンビズメイ目掛けて一直線に砲弾が突き進んでいく。
チェックメイト―――誰もが勝利を確信した。
俺もそうだ。
でも、そう簡単にくたばるようでは伝説の竜とは呼ばれない。
『ギャォォォォォォォォォォォ!!!』
「!?」
咆哮するゾンビズメイの眼前―――何もない空間に、唐突に桜色の光を発する光の輪が3つ、砲弾を遮るように生まれたのである。
迫りくる砲弾は、しかしその光の輪に塞き止められ、着弾と同時に強烈な火花とスパークを発した。砲弾はなおも砲手たちの、そしてみんなの期待に応えようとぶつかり続けるも、唐突に目の前に立ち塞がった光の輪に抑え込まれ、段々と運動エネルギーを使い果たしていく。
やがてベクトルにずれが生じたのか、ガァンッ、と戦車の装甲を砲弾が跳弾するような激しい金属音を響かせ―――あろうことか、28cm砲弾が跳弾、ゲラビンスク市街地にある教会の尖塔をぶちぬいて、そのままどこかへと飛んでいってしまったのである。
《魔力……防壁……?》
モニカの声だった。
魔力防壁―――強烈な魔力を前面に展開、それを使って攻撃を防ぐという技術ではあるが、消費する魔力量が膨大であるせいでヒトの身では発動すらできず、机上の空論と言われている代物である。
それを……それを、あの死にかけの怪物が?
この土壇場で?
第二の砲弾を弾いたゾンビズメイが、勝ち誇ったかのようにブレスの発射準備を始める。
狙いは俺たちではなく―――攻城砲だった。
「まずい! 姉上、パヴェル! 今すぐそこから逃げ―――」
最後まで言う時間なんて与えられない。
警告を言い終えるよりも先に、ゾンビズメイの口から白い光が放たれた。




