獣たちの逆襲
やはり、二度目の戦いともなると違う。
ゲラビンスク市街地の外縁部、労働者向けに用意された格安アパートの最上階でライフルのスコープを覗き込みながら、機甲鎧3機でゾンビズメイに近接戦闘を仕掛けるという正気の沙汰とは思えない作戦で、しかし善戦しているミカ、モニカ、リーファの3人の姿を見守る。
聖水や聖銀を利用した攻撃は、ほんの少しではあるけれどダメージを与えている。けれどもいくら苦手な物質を用意して攻撃しても、ゾンビズメイはすぐに傷口を再生させるばかりだ。ノーダメージというわけではないけれどもあのままではジリ貧、水面を剣で斬りつけているようなもの。あのペースで戦い続けていれば先に限界が来るのはこっちの方ね……。
ミカのお姉さんが一刻も早くやってくるのを祈りたいところだけど……。
14.5mm対物ライフル『アリゲーター』。私が扱えるライフルの中では最大級の得物で、そして同時に射撃訓練の場所に非常に悩まされている銃。
全長2m、使用弾薬は14.5mm弾、弾数5発……動作方式はボルトアクション式。
破壊力があり過ぎ、更に大き過ぎるが故に列車の中では射撃訓練が出来ず、誰か(主にミカ。優しいわよねあの子)に付き添ってもらって列車の外とか市街地の郊外まで行って射撃訓練をしなければならない……けれどもその命中精度と、使用弾薬のサイズから来る破壊力は圧倒的の一言で、飛竜だろうとこれがあれば叩き落せる。
まあ、さすがにゾンビズメイに対しては豆鉄砲でしょう……何も考えずに撃てば、だけど。
「―――」
呼吸を整え、スコープを覗き込んだ。
装填されているのは14.5mm徹甲弾―――それもただの弾丸ではなく、シスター・イルゼに祝福の祈祷を施してもらった聖銀、それを弾頭部の素材に用いた『14.5mm聖銀弾』。ボルトハンドルを少しだけ引いて薬室の中を見ると、薬室内にはずっしりとしたサイズの弾丸が収まっていて、白銀に輝く弾頭部にはエレナ教の経典として最高位のものとされている【エレナの戒律書】から引用された一節が刻まれている。
シスター・イルゼ曰く『アンデッドにはこれが効く』らしいけど……まあ、やってみますか。
呼吸を止めた。
いくら堅牢な外殻を持つ怪物でも、その外殻は全身を覆っているわけではない。肘や膝、肩に脚の付け根……屈折させる必要のある部位、すなわち関節だけはどうあっても脆弱にならざるを得ない。そうでなければ満足に動けなくなってしまうからだ。
いくら神々の手によって粘土から創り出され、血肉を得て、神話の時代から生きている伝説の邪竜であってもその法則からは逃れられないらしい。真っ白な外殻の繋ぎ目や関節からは、分かりやすく桜色の光が漏れていた。
肌で風を感じ、弾丸が受ける影響を狙撃の経験から算出。射撃訓練の機会は限られるとはいえ、ミカが付き添ってくれたおかげで何度も訓練を行う事は出来たし、このアリゲーターという対物ライフルの弾道のクセは身体で理解している。
耳から全ての音が消えた―――遠くから響く砲声も、邪竜の咆哮も、風の音も。
そして、自分の心臓の鼓動さえも。
聴覚から全てが消え、自分と相手だけの世界に入り込んだ。
引き金を引いたのは、その時だった。
深い集中の深海に潜行していった意識を、強烈な銃声とストック越しに伝わる重厚な反動が強制的に覚醒させる。現実に思考を引き戻された頃には、スコープのレティクルの向こうでミカの機甲鎧を踏み潰そうと脚を振り上げながら追っていたゾンビズメイの反対側の脚(右脚だ)から腐敗した体液が迸り、一瞬だけゾンビズメイの動きにストップがかかる。
すかさずボルトハンドルを引いて初弾の薬莢を排出、次弾を装填。スプリングの力でマガジンから押し上げられた14.5mm弾がボルトに押されて薬室へと装填、次弾の装填が終わる。
引き金を引いた。
ガォンッ、と大型のマズルブレーキが搭載された銃身が跳ね上がる。周囲の砂塵が衝撃波に舞い、銃口から迸る発射ガスの動きを可視化した。
ライフリングによって回転を与えられ、装薬の燃焼に押し出されて長大な銃身の中を加速、運動エネルギーのドレスアップを終えた14.5mm弾はそのまま真っ直ぐに駆け抜けると、巨大なゾンビズメイの右脚―――先ほど私の最初の一撃が直撃した部位へ、第二の牙を突き立てた。
ボルトハンドルを引き、排莢と装填を済ませ、三度目の引き金を引く。
撃針に雷管を殴打されて装薬が目覚め、14.5mm弾を薬室から一挙に押し出した。
14.5mm弾の恐ろしいところは、その威力もそうだけど、通常のライフル弾よりも重いので風の影響を受けにくい、という事だ。ミカたちがよく使う5.56mm弾や、パヴェルがしつこく愛用する7.62mm弾よりも遥かに大きく、そんな質量の大きな金属の物体がたっぷりの装薬で飛んでくるのだから、被弾する側からしたらたまったものではない。
生半可な鉄板なら貫き、何なら車両のエンジンブロックも易々と射抜いてしまうそれは、遠距離における死神の具現と言えた。
そしてそんな14.5mmの死神が、ゾンビズメイの右脚、その外殻の繋ぎ目に三度目の鎌を振り下ろす。
全く同じ場所に全く同じ角度から、全く同じ威力で全く同じ弾丸が3度も直撃すれば、さすがに推定全長121mの邪竜も苦痛は感じるらしい。苦しそうな声で鳴いた後、こっちを憎たらしそうに振り向いた。
さすがにやりすぎたかな、と身の丈以上のライフルを背負って走り出す。腰のベルトに繋いだフックを伸ばして、戦闘開始前に用意しておいたワイヤーに引っ掛けるや、そのまま足元のタイルを蹴って即席のジップラインを利用してその場を離れた。
ジィーッ、とワイヤーと金属製のフックが擦れる音が2秒ほど聞こえた直後だった。ヒュゴッ、と何かが……熱風のようなものがすぐ背後を駆け抜ける感触がしたのは。
至近距離でストーブの熱風を浴びたような熱気。振り向くと、先ほどまで狙撃に使っていたアパートの3階から上がまるで消しゴムを擦りつけられたノートのように消え去り、半円状の断面を覗かせていた。
ゾンビズメイの対消滅ブレス―――なるほど、触れた物質を一瞬で消滅させるそれは確かに脅威だけれど、私1人を殺すのに随分と大きなリスクを負ったわね?
首周りの外殻を解放し冷却に入るゾンビズメイ。
それを好機と見たらしく、明け方の空を旋回していたキラーエッグが高度を下げ、襲撃の構えを見せた。
頼んだわよ、クラリス。
カーチャさんの狙撃には感嘆させられます。
あの怪物は30mmチェーンガンどころか、対戦車ミサイルや対消滅爆弾にすら耐えた相手です。それらの攻撃に対し、14.5mm弾程度では豆鉄砲にすらなりはしないでしょう。
しかしそれを、外殻による十分な防御が得られない関節部分に―――それも全く同じ場所に3発も立て続けに命中させて怯ませたのです。
ゾンビズメイの注意を逸らし、ご主人様たちを支援する攪乱役として期待されていたカーチャさんの狙撃ですが、相手の脆弱な部位に正確な狙撃を捻じ込む事でダメージを与えてしまうその技量には感嘆せざるを得ませんし、本当に彼女が仲間になってくれてよかったと心の底から思います。
今度はクラリスの番です。
パヴェルさんみたいな綺麗な飛び方は出来ませんが、それでもかつてはテンプル騎士団で航空機操縦教育課程をクリアした身。相手に肉薄し、最大火力を叩き込んで離脱する創設時のテンプル騎士団仕込みの技は、未だ身体がしっかりと覚えていました。
メインローターの音に、ゾンビズメイが顔を上げます。
吼えるや、口から煙を噴き上げつつ身体を捻るゾンビズメイ。そのまま身体をぐるりと一回転させると、さながら大昔から大地に聳え立つ大樹のような尻尾を力任せに振り回して、キラーエッグの撃墜を試みてきました。
尻尾の先端部には大剣のように発達した外殻があり、尻尾そのものへの直撃も危険ですが、特にあのブレード状の先端部による攻撃にも気をつけなければなりません。
ぐんっ、と硬度を落としました。ごう、とキラーエッグのメインローターの真上を、巨大なゾンビズメイの尻尾が掠めていきます。あと少し硬度を落とすのが足りなければ今頃はメインローターを根元から持っていかれるか、もっと悪ければコクピットをあの圧倒的質量に潰されて、クラリスもただでは済まなかったでしょう。
尻尾をやり過ごすや高度を上げ、そのまま左旋回。
コクピットに搭載された照準器の向こうに、ゾンビズメイの首が映りました。
外殻が松ぼっくりのように開いて、周囲からは熱気と蒸気のようなものが漏れています。やはりあのブレスは圧倒的な威力を誇る分、身体に多大な負荷をかける攻撃のようです。連発出来ない大技であって助かりました……そうでなければ、クラリスたちも今頃やられていたでしょうから。
外殻が解放され無防備になっている部分へ、キラーエッグに搭載した30mmチェーンガンの掃射をお見舞いします。
もちろん弾頭部はシスター・イルゼに用意してもらった聖銀です。アンデッドに効果があるとされ、エレナ教に所属するエクソシストやアンデッド討伐の専門家である”聖騎士”たちは、その聖銀で鍛えられた剣を持っているのだとか。
そんな由緒正しいアンデッド討伐の武器は、砲弾に姿を変えてもなお効果抜群でした。
数発が外殻に当たってしまい跳弾しますが、しかし着弾した部位からは煙が上がり、一部はどろりと溶けてヨーグルトのように地面へと滴り落ちていくのが分かります。
が、外殻が解放され無防備になっている排熱器官へと飛び込んだ砲弾は、それ以上の効果をあげていました。
『ギャォォォォォォォォォォッ!!』
銅鑼を打ち鳴らしたような咆哮。それは相手を威嚇するためでも自らの存在を誇示するためのものでもなく、身体を苛む苦痛に耐えかねて発した絶叫でした。
30mm聖銀弾の掃射を受け、排熱器官が弾け飛びます。腐ったトマトみたいな色合いの肉片が弾け飛び、ゾンビズメイの外殻を赤黒く汚しました。
やはりそうです。あの排熱器官は弱点なのではないか、あそこにチェーンガンを撃ち込んだら絶対楽しいのではないかと思っていましたが、どうやらクラリスの読みは当たっていたようですね。
その調子でどんどん撃ち込みました。ゾンビズメイの周囲をぐるぐると旋回しながら、ひたすらチェーンガンを連射。30mm聖銀弾がマズルフラッシュの度に排熱器官へと飛び込んで、ゾンビズメイの首周りをズタズタに引き裂いていきました。
『ギャオォォォォォォォォォォンッ!!!』
ブチギレたのでしょう、咆哮を発したゾンビズメイが今度は逆回転で尻尾を振るってきますが、これも再びヘリの高度を下げて回避。尻尾は恐ろしい速度でキラーエッグの頭上を飛び越えていきますが、かすりもしません。見た目だけです。
最初はその防御力に苦戦させられましたが、しかしこれで戦うのは2回目。どこなら攻撃が通用するのかとか、どんな攻撃が繰り出されるのか、事前に集めた情報を元に分析すれば、過度に恐れるほどの相手ではないのです。
ただ、油断は禁物。これはまだ前哨戦に過ぎません。
いずれにせよ、アナスタシア様の到着を待たない事には……。
「むぅ~ッ」
苛立ったように腕を組み、先ほどから唸り声を発する範三。なんだか昔近所の家に居た大型犬を思い出す……なかなか散歩に連れて行ってもらえず、ストレスから唸ったり吼えたりと随分騒がしい犬で、表情も険しいものだった。今の範三はアレにそっくりだ。
列車の中、自室に籠って偵察ドローンやミカ達の機甲鎧に搭載されたカメラの映像を見ながら戦況を分析、無線機を通じて指示を出す俺と、3号車にある俺の工房でゲラビンスク中の教会から集めてきた銀に祝福の祈祷を施し聖銀を量産する事に大忙しのシスター・イルゼ。ルカも列車をいつでも移動させられるよう機関車に詰めているし、ノンナは列車に残った仲間たちの補助で、厨房で先ほどから戦闘糧食をせっせと用意している(事前にレシピは渡しておいた)。
みんな役目があってベストを尽くしているのに、範三だけあんなところに胡坐を掻いて腕を組み、唸っているのには理由がある。
今回の相手は、範三にとって相性が悪すぎるのだ。
刀でも辛うじて攻撃が通用したマガツノヅチとは異なり、今回の相手はそれよりも更に巨大で接近すらままならない。範三の得意とする剣術では、接近したとしても踏み潰されるのが関の山である。
なんでもかんでも極めてしまう万能選手ことパヴェルさん(つまり俺だ)とは異なり、範三は一芸に特化したタイプだ。できる事は限られるが、特定の分野では他の追随を決して許さない一点特化型の人材と言うべきか。
彼の場合、それは対人戦で最も効果を発揮する。
だからその、彼にはあまりこういう事は言いたくないが……。
「範三、唸ってても仕方ないよ?」
戦闘糧食のおにぎりを持ってきたノンナがそう言った。
「仕方ない、今回の相手は範三には相性が悪すぎるんだ」
適材適所って奴だよ、というニュアンスで言ったのだが、まあ子供の純粋さというのは時に残酷ですらある。ノンナは俺の言葉を、あまり言ってほしくない方向に解釈したようだ。
「そうだよね……今ばかりは範三は無能だもんね」
「がーん!」
なんだろ、”無能”という形に削り出されたでっかい石が範三の頭の上に落ちてきたんだが……昔のアニメとかでこういうギャグシーンよくあったよね、懐かしいわ。
「きゃうーん……」
「範三、サポートも立派な仕事だ。それにこの後力仕事が―――」
力仕事があるぞ、と言いかけたその時だ。
ゲラビンスク上空を旋回させていた偵察ドローンの映像に、ゲラビンスク目掛けて爆走する列車の姿が映った。
ズームアップして、ニヤリと笑う。
―――勝った。
ゲラビンスク駅へと速度を落とす事なく突っ込んできたのは、機関車にリガロフ家の家紋をこれ見よがしに掲げた装甲列車―――そう、ミカの姉ちゃんの部隊だった。




