『人類をナメるな』
ゲラビンスク上空を、輪を思わせる陣形の飛竜部隊が複数通過していった。
変わった陣形だな、とゲラビンスク市街地で迎撃準備を整える地上部隊の兵士たちは明け方の空を見上げる。
地平線の彼方、ゆっくりと昇り始めた太陽の光に照らされたその飛竜たちには巨大なワイヤーが繋がれ、その先には短い信管のようなものを全身にびっしりと突き立てたような球体状の物体―――対消滅爆弾が吊るされている。
「馬鹿が、学習しないのか」
ゲラビンスク市街地の武器庫から運び出されたばかりの臼砲へ、クレーンを使って装薬と砲弾の装填作業を行っていた装填手たちは、空を見上げて悪態をついた。
対消滅爆弾は、接近中の大怪獣―――ゾンビズメイにダメージを与える事には成功したものの、しかし瞬時に傷口を再生したゾンビズメイは対消滅エネルギーすらも吸収。更なる変異を遂げ、より一層強力な怪物として第二、第三防衛ライン守備隊を蹂躙したのである。
もはや騎士団に打つ手はなかった。
投入可能なありったけの戦力を、とにかくゾンビズメイの侵攻ルート上に展開させて飽和攻撃。更には対消滅爆弾の無制限使用でゾンビズメイを撃滅するという、兵力と労力、それから物資の備蓄だけを無駄に浪費するかのような帝室の作戦に、兵士たちの士気は下がるばかりだった。
ドムンッ、とどこからか遠雷のような轟音が響いた。
在来線の線路を利用して展開したゲラビンスク守備隊が保有する列車砲、そのうちの1門が砲撃を開始したのだ。
ゲラビンスクは大砲の製造で帝国の軍事基盤を支えてきた伝統ある都市だ。巡洋艦や装甲艦の主砲、更には戦艦の副砲や速射砲の製造もこの街で行っており、中にはその予備砲身を転用して開発された列車砲も数多く存在する。
かつてのズメイ襲来の折、2人の大英雄が到着するまで神話の怪物を食い止め続けた『ゲラビンスクの血戦』、その主役となった大砲と、その使い手たる砲兵隊の練度は伊達ではないのだ。
ノヴォシア帝国騎士団が誇る列車砲、その主砲である20㎝砲が豪快に火を吹く。
最初の1門の砲撃に呼応するかのように、他の線路に展開した列車砲群も続けて砲撃を開始。ゲラビンスクは瞬く間に戦時下の如き喧騒に覆われ始めた。
既に市民は避難済みであり、民間人を巻き込む心配はない。が、ここを突破されゾンビズメイが内地へなおも侵攻を続ける事になれば、死者のリストに軍人ばかりではなく民間人の名前も加わる事になるだろう。
兵士たちにも家族がいる。誰もが家族をこの戦いに巻き込むまいと必死だったが、しかし迫りくるゾンビズメイの威容は、彼等の心を折るには十分だった。
じりじりと接近してくるゾンビズメイの周囲に、唐突に巨大な爆炎が生じる。先ほどの列車砲から放たれた砲弾だ。可能ならばダメージを与え、そうじゃなくとも足止めを企図した砲撃なのであろうが、しかし5割が狙いを外して地面にクレーターを穿つ結果となり、残りの半数は命中こそしたものの、炸裂した砲弾の爆炎がゾンビズメイの外殻表面をなぞるだけで大したダメージを与えられない。
列車砲たちの全力砲撃をものともせずに前進してくるゾンビズメイ。あんなのに勝てるのか、と多くの砲手や装填手たちが息を呑んだところに、指揮官の怒声が響き渡る。
「総員、対ショック体勢!」
命令が下るや、全員が一斉に遮光ゴーグルを装着した。
上空を舞う3つの輪形陣―――飛竜隊が運んでいた対消滅爆弾が立て続けに3つ、ゾンビズメイ目掛けて投下されたのである。
1つ使用するだけでも皇帝の承認が必要となる帝国の切り札、対消滅爆弾。それを3つも投下するという普通では考えられない運用は、後にも先にも今回だけであって欲しいものだ、というのが砲兵隊の願いであった。
信管が一斉に起動し、投下された対消滅爆弾が設定された高度で起爆する。ガシュ、と信管が爆弾の内部に一斉に引っ込んだかと思いきや、爆弾内部に充填されていた不活化状態の対消滅エネルギーが一気に活性化。大量の酸素を吹き込まれた烈火の如く燃え広がるや、爆弾の外装を突き破って外へと一斉に溢れ出したのである。
さながら太陽のように発光する純白の”泡”を思わせる対消滅エネルギーは瞬く間に絡み合い、拡散し、ゆっくりと歩みを進めるゾンビズメイの頭上から覆いかぶさった。
その周囲では対消滅エネルギーの作用を受けた現象が発生していた。対消滅エネルギーに触れてしまった大気が相次いで消失し、周囲の風の流れが大きく変わる。地面に落着した対消滅エネルギーに浸食された地面が削れ、欠け、吹き飛び、さながら沸騰したかのように弾けて消え去っていく。
ゲラビンスクの郊外に、巨大なカルデラが出現するのに時間はかからなかった。
綺麗な半円状に削り取られた巨大な穴。そんな大穴を穿つほどの大爆発を受け、生存していられる生物など存在しない。
―――相手が普通の生物であれば。
ずん、と巨大な前足が大穴の縁を掴んだ。
その純白の外殻の表面には、傷一つついていない。
「ほらみろ……一度使った手が通用するものか」
砲兵隊の指揮官―――パステルナーク大尉は対消滅爆弾3つの直撃を受けてもなお、最初の一撃とは違い傷一つないゾンビズメイの姿を望遠鏡越しに見つめながら、とことん後手に回っている帝室の対応に苛立ちを隠せなかった。
対消滅エネルギーを取り込んだ今のゾンビズメイに、もはや対消滅爆弾による攻撃は通用するまい。溶岩に火をつけようと、流れる溶岩流に火のついたマッチ棒を何本も投げ込むのと同じだ。
それはむしろ、ゾンビズメイにエネルギー源を与えるに等しい愚行である。
それを止める権限も発言力も、一介の砲兵隊指揮官でしかないパステルナーク大尉には存在しないのだが。
次の瞬間、ゾンビズメイが煩わしそうに空を睨んだ。
ペイロードを対消滅爆弾の運搬に費やした飛竜隊には満足な武器もない。爆弾の投下を終えたからには迅速に作戦展開地域を離脱する事とされていたが、しかしあの飛竜隊はまだ不慣れなようで、退却しようにももたついているのが地上から見えた。
そんな彼らが、地上から放たれた対消滅ブレスの奔流に呑み込まれたのはその直後の事だった。ごう、と突風が薙ぐかのような重々しい音。太陽を直視したかの如き閃光が虚空を駆け抜け飛竜隊を呑み込んでから、やっと空気を切り裂くような甲高い音と衝撃波が、砲兵隊の位置にも送り届けられた。
「飛竜部隊、全滅です……」
「……参ったな」
パステルナーク大尉の顔には、乾いた笑みが浮かんでいた。
「明日は妻との結婚記念日なんだ」
どうやら、最愛の妻との結婚した日を祝うささやかな夫婦のイベントはもう訪れる事はないらしい。
しかし、彼とて騎士団の指揮官だ。いつかはこうなる事であると、軍人の妻であるならば覚悟はしている事だろう。だからいつ最後の別れになってしまってもいいように、妻のやりたい事は何でもさせてきたし、後悔するような生き方は決してしなかった。妻に発する一言一言が遺言のつもりで、彼は今まで過ごしてきた。
今こそが腹を括る時だ―――ゾンビズメイを睨み、彼は目の前で十字を切った。
「カノン砲、砲撃用意」
「砲撃用意!」
「距離5300、弾種徹甲」
「弾種徹甲!」
「照準誤差修正。仰角プラス2度、左1度」
「照準誤差修正、仰角プラス2度、左1度!」
「別命あるまで弾種同じ」
「別命あるまで弾種おなぁじ!」
撃ち方はじめ、と命じようとしたその時だった。
バババババ、と空から響く轟音に、砲兵隊の多くが顔を上げる。
ゾンビズメイに空爆を仕掛けるべく爆装して編隊を組む飛竜隊。それらよりも高い高度を舞う黒いオタマジャクシのような、奇抜な飛行物体が視界に映る。
(何だアレは)
騎士団の新兵器かと思ったが、違う。
一番最初のゾンビズメイとの戦闘の折、空を飛んでいるのを見た兵器だ。
アレは確か、血盟旅団の―――。
そこまで思い至ったところで、市街地の道路からバリケードを飛び越えて爆走する3機の機械の鎧のような兵器が前に出た。
黒い塗装と特徴的なマーキング―――間違いない。
「血盟旅団……!」
また参戦してくれるのか、とパステルナーク大尉は目を見開いた。
今回の戦いには他にも冒険者ギルドが参加しているが、多くは不参加を表明し遠隔地へと逃げ延びてしまった。結局のところ命あっての物種であり、いくら金を積まれようと神話の時代から生きている怪物を相手にするのでは割に合わない―――リスクと報酬を天秤にかけて物事を考える冒険者では、そういう結論に至ってしまうのも仕方がない事だろう。
つまるところ、この街に残った冒険者はどいつもこいつも命知らずの大馬鹿野郎という事になる。
そしてその中でも最大級の大馬鹿野郎が、あの血盟旅団だった。
一度ならず二度までも怪物相手に戦おうとは、彼等に怖いものは存在しないのだろうか―――そう思うパステルナーク大尉の視界に、市街地の外縁部にあるアパートの一室で点滅する光が存在を主張し始める。
それが発光信号である事に、彼はすぐ気付いた。
【切リ札到着マデ、シバシ奮戦サレタシ】
切り札―――血盟旅団には、あの怪物を止める切り札があるというのだろうか。
もしそうなのだとしたら、やっと希望が見えてきた。
結局のところ、明けない夜はない。
だから晴れない絶望もまたないのだ。
やっぱり、怖いものだ。
脚部に搭載されたオフロードタイヤを用いた高速走行モードで機械鎧を走らせながら、手を通したグローブ型コントローラーが微かに震える。
相手は神話の時代から生きている伝説の竜にして、リガロフ家の祖先たるイリヤーが、盟友ニキーティチと2人がかりでも討伐するまでは至らず封印するのが精一杯だったエンシェントドラゴン、ズメイ。
その首の一つとはいえ、それだけでもこれほどの威圧感とは。
伝説とはやはり後世にまで語り継がれる程の強さがあってこそ成り立つものだ―――邪竜伝説に嘘偽りなし、か。
すっ、と震えが止まった。
転生前、空手を習っていた頃はよく格上の相手と戦わされたものだ。通っていた道場には同年代の子がいなくて、組手の練習相手はいつだって年上の先輩ばかりだった。
格上と戦わされることには慣れている。
ならばここはひとつ―――伝説の邪竜の胸を借りるとしようか。
「姉上が到着するまでの時間稼ぎだ! 全員死ぬなよ!!」
《了解ネ!》
《アンタもね、ミカ!》
リーファとモニカの返事を聞き届け、3機の機甲鎧が散開。一網打尽にされないよう分散し距離を取る。
右手にマウントしたブローニングM2を発砲。急ごしらえで用意した、弾頭に銀(※シスター・イルゼの手により祝福の祈祷を施してある”聖銀”だ)を使用した弾丸だ。
案の定外殻に着弾するや火花を散らして弾かれたが、しかし微かにゾンビズメイは身を震わせた。深刻なダメージではなく、掠り傷にすらなっていないが、それでも微かな”生”を宿した怪物とはいえ一時的にはアンデッドと化していた存在だ―――何かしら、忌避するものがあるのだろう。
ギロリ、とゾンビズメイの顔がこちらを向いた。やはり苦手なものを叩きつけてきた敵には警戒心を露にするようだが、おかげで足も止まったし注意が全部こっちを向いた。
すかさず右に展開したモニカが、パワードメイル用に改造した30mmチェーンガンを構えた。備え付けの機関銃みたく、防盾が備え付けられたそれを腰だめで構え、セミオートで放つ。
もちろん30mm弾も弾頭は聖銀で製造されている。12.7mm弾より威力もあり、質量も大きく、されどゾンビズメイ相手には威力不足でしかない。
『ギャオォォォォォォォォォォンッ!』
苛立ったのだろう、ゾンビズメイが吼えた。
ちょこまかと動き回る機甲鎧を踏み潰そうと、左足を大きく持ち上げるゾンビズメイ。
だが。
《―――這麼龐大的身軀、僅靠一條腿能支撐得動嗎?(そんな大きな身体、脚一本だけで支え切れるかしら?)》
ネイティブのジョンファ語と共に、リーファの乗る機甲鎧3号機が両肩にマウントされたロケット弾を一斉に放った。
カチューシャ用のロケット弾に炸薬ではなく、聖水や水銀を充填した対アンデッド用弾頭だ。無誘導ロケット弾であるため命中精度は絶望的で、おおよその範囲にバラ蒔き制圧するのに使うのが本来の用途ではあるが、しかしこれほどの巨体の敵に、これほどの至近距離で撃てば関係はない。
発射されたロケット弾はほぼ全弾、ゾンビズメイの右足―――その膝の辺りに着弾して、爆発の代わりに聖水や水銀をぶちまけた。
じゅう、と酸で焼けるかのような音と煙が噴き上がり、ゾンビズメイが苦痛の咆哮を発する。
なるほど、これは希望が見えてきた―――生を宿しアンデッドの分類から外れかけた以上、もう聖水の類は通用しないのではないかというシスター・イルゼの見立てだが、今回ばかりは良い方向へと外れたらしい。
確かに竜は食物連鎖の頂点で、そこに座すのは人類ではない。
だが―――食物連鎖における格上の相手に”挑もう”とするのは、唯一人類だけだ。
その悪足掻きで、俺たち人類は今の地位を手に入れたのだ。
だから―――!
「―――人類ナメんなよ、クソッタレ」




