邪竜に一発喰らわせる
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1889年 6月18日 午前5時00分
ノヴォシア帝国イライナ地方(旧イライナ公国)
エルソン州 エルソン駅
駅員や鉄道の運転手という職業は、鉄道網がとくに発達しているノヴォシア帝国においては花形とも言える職業である。
しかしそれ故に業務内容は苛酷で、24時間体制での交代勤務が当たり前だ。夜行列車やダイヤの合間を縫って在来線を利用しレンタルホームへとやってくる冒険者たちの誘導を行わなければならず、タイムスケジュールの管理には細心の注意を払わなければならない。
エルソン駅のホームを歩きながら、駅員はちらりと頭上の時刻表を見上げた。
5時35分に快速列車が、その10分後に各駅停車の列車がやってくる。同時刻にノヴォシア方面からアレーサ行きの特急もやってくるため、そちらの対応は別の駅員に任せる事になりそうだ。
交代時間まであと3時間、何と長い事か。
早く詰所に戻って安物のコーヒーにありつきたいものだ―――雑味だらけのあの味をミルクとなけなしの砂糖で誤魔化した、うんざりするほど口にしたコーヒーの味を思い出しつつ踵を返したその時だ。
《間もなく、5番線をゲラビンスク行き臨時列車が通過します。危険ですので白い線の内側までお下がりください》
早朝という事もあり、アルミヤ半島方面へのアクセスにも利用される大都市エルソンの駅とはいえ、ホームには人影は殆どない。いるのは労働者が数名程度で、皆くたびれたようにベンチに座っている程度である。
そんな閑散としたホームに虚しく響いた、通過列車への注意を促す放送。はて、こんな時間に臨時列車なんてダイヤにあっただろうか―――眠気でぼんやりしつつある頭を軽く叩いた駅員は、視線をアレーサ方面からの列車がやってくる線路へと向けた。
藍色に染まった空の下、どこまでも続く線路を照らすライトの光。それを辿った先から猛然と走ってくるのは、簡易的な装甲に覆われた大型機関車だった。
がっちりとした装甲で覆われた煙室扉には機関車の型番と製造番号が記載されたプレートに加え、何かの家紋のようなレリーフも設置されているのが分かる。
貴族の自家用列車だろうか。
珍しい事ではないのだ。列車1編成と一家お抱えの機関士を持つほど裕福な貴族であれば、こうして自家用列車を在来線の線路に走らせる事などよくあるものだ。
そしてそういう列車が走るという事は、直前になるまで駅員や鉄道管理局へは知らされない。強引にダイヤに臨時列車を捻じ込まれスケジュールを修正する事になる駅員たちの苦労は、当然のことながら裕福な資産を抱えた高貴な方々の与り知らぬ事である。
今回もそういう類か、と駅員は呆れた顔であくびをした。ダイヤが大きく乱れなければいいな、と貴族の道楽に付き合わされる自分たちの苦労を胸中に嘆いた彼であったが、しかしやがてホームへと飛び込むや最高速度でそのまま突っ切っていった列車は、単なる貴族の自家用列車などではなかった。
機関車も炭水車も、そして連結されている車両も装甲で覆われていた。銃弾を弾き、砲弾の破片から乗員を完全に防護するほどの、列車という代物だからこそ許される莫大なペイロードいっぱいに搭載された重装甲。明らかにそれは貴族が道楽目的に走らせるものではなく、戦争に向かう兵器のそれだ。
車両の後方には、傍から見れば貨物車両に見える車両も連結されていた。しかし露天式の貨車の上で伏せているのは荷物の詰まったコンテナなどではなく、長大な円筒状の物体―――そう、砲身だ。28㎝はあろうかという口径の攻城砲が、その装薬や砲弾の満載された貨物車両共々連結され、その重装備に見合わぬ速度で機関車によって牽引、瞬く間にエルソン駅の5番線を通過していったのである。
見間違いか、と駅員は思った。
あんな装備ではまるで、これから戦争でも始まるようではないか。
しかもあの機関車にあった家紋は、キリウの公爵家であるリガロフ家の―――。
《―――お客様にお知らせします。国家非常事態宣言が帝国最高議会より発令されました。これにより、ノヴォシア方面行き、及びノヴォシア鉄道管理局所属の列車は運行見合わせとなります。ご不便をおかけして大変申し訳ございません、代替の移動手段のご案内を―――》
「え……」
国家非常事態宣言―――それはつまり、帝国が他国からの侵略行為に晒されているか、それとも国家レベルの災害が発生したか、あるいはそれに匹敵するレベルの危機が迫っている時にのみ発令される、最高レベルの警報である。
では、さっきの列車は……!
駅員は顔が青くなっていくのをはっきりと感じた。
まったく、両親の散財癖には全くもって呆れ返る。
指揮官用に設けられた個室で、座席のアームレストで頬杖を突きながらそう思った。通常の列車と違って窓の類は無く、外の景色は伺えない。その閉塞感もそうだが、一般の列車と違って軍用列車というのは快適性を度外視する。あくまでも移動のための乗り物ではなく戦うための兵器なのだ、とこの揺れの激しさを感じる度に思い知らされるが、それも私の苛立ちを更に勢いづかせる原因になっていた。
リガロフ家の権力再興がどうだのと息巻いているくせに、この装甲列車を用意するのにいったいどれくらいの資金をつぎ込んだのかは、父上の部屋の金庫を物色(鍵がなくて開けられなかったので己の拳で粉砕した)して出てきた領収書を見て把握した。そして卒倒しそうになった。
うん、本当にあの無能なクソ親父を家から追い出して正解だと思う。我ながらナイス判断である。
なんだ4900億ライブルって……。
完全防護の機関車に兵員輸送車両、更には28㎝攻城砲と砲弾がセットでついて4900億ライブルというお買い得価格。そんなものに札束をつぎ込んだあのリガロフ家の恥部(直球)を札束で思いっきりぶん殴ってやりたい気持ちだが、しかしスクラップにして売却しようと思っていたリガロフ家の恥晒し(直喩)の負の遺産がよもやこんなところで役に立とうとは。
「……」
「緊張しているのですか、中将閣下?」
「たわけ、このアナスタシアともあろう者が緊張などするわけにゃいだろう」
ヴォロディミルに言われて少し癪に障ったが、タイミングが悪い事に大事なところで噛んだ。
「……」
「緊張……してますよね?」
「してにゃい」
また噛んだ。
だがまあ、正直言うと今回の相手はヤバい奴だとは思っている。
あらゆる伝承に登場し邪竜として知られている伝説の竜、ズメイ。その首の1つが復活してゾンビ化、それどころか変異を繰り返しながらゲラビンスクに迫り、あろう事か対消滅爆弾の一撃にも耐えてなおも進撃中なのだそうだ。
今の姿は変異を繰り返した事により、在りし日のズメイそのものと言ってもいい状態にまで変異しているのだそうだ……その外殻はあらゆる攻撃を受け付けず、ミカ率いる血盟旅団も奮戦しているが進撃を食い止められず、防衛ラインは後退の一途を辿っているらしい。
対消滅爆弾の無制限使用が皇帝直々に許可されたそうだが……対消滅エネルギーを取り込んだという化け物にどれだけ叩き込んでも結果は変わらないだろう。一撃で消し去るどころか、相手を強化する結果になってしまったのだ。
虎の子の28㎝攻城砲を持ち込んだはいいが、果たしてこれが通用するかどうか……はっきり言って望み薄だが、騎士団本部から『つべこべ言わず全戦力連れて来い(要約)』と言われたのだから仕方ない。
「しかしこれはいよいよ祖国存亡の危機ですかな」
いつの間に淹れてきたのか、紅茶のカップを差し出しながらヴォロディミルは言った。
「そうなったら混乱に乗じてイライナを独立させるさ」
「その例の怪獣がイライナに攻め込んできた場合は?」
紅茶を一口。程よい甘さ加減のジャムとイチゴのフルーティな香りが紅茶の風味と実によく調和している。ヴォロディミルとクラリス、この2人以外の者に紅茶を淹れさせるとバランスがアカン事になるのでいつもヴォロディミルにお願いしたいものだがこいつも仕事があるしそう上手くはいかないのだ……残念。
そういやイーランドではブランデーを入れるそうだな、と聞きかじった情報を思い出しながら、椅子の背もたれに身体を預けた。
「―――その時は、頭を掻いて誤魔化すさ」
そんなジョークを言った瞬間だった。
列車が前方へ大きく揺れる。足元から響いてくる耳を劈く金属音と急激なGの掛かり具合から、列車が急停止したのだという事を悟った。
さて、ティーカップの中身はと言うと、何の前触れもなく列車が急停止したものだから揺れに揺れ、中身は全部近くに居たヴォロディミルにぶちまけられていた。
顔中紅茶まみれになったヴォロディミルが、前髪からポタポタと紅茶の雫を垂らしながら、何か抗議するべきか否か思い悩んでいるような顔でこっちを見てくる。
「ごめんね」
「いいよ」
やめろ、その顔やめろ。こんな時に限って真顔やめろ貴様、私の腹筋を殺すつもりか。
彼にハンカチを手渡して個室を飛び出す。装甲列車のハッチを開けて外に出て、護身用のリボルバーを片手に列車の進行方向を睨んだ。
動物か、レールが外れていたか、それとも落石か何かか……。
しかし暗闇の中、列車を急停止させた犯人の正体はそのいずれとも異なっていた。
機関車のライトが照らす暗闇の向こう、ぼんやりと浮かび上がるのは人影だ。闇に紛れ、あるいは同化して目立たず事を済ませるのを企図したのだろう、真っ黒なフードのついたコートに身を包んでいるのが分かる。防具の類は一切なく、しかしかといってただの通行人にも見えない(第一今は午前5時である)。
おそらくだが、暗殺者の類なのだろう。
傍から見れば丸腰だが、あのコートの中に暗器の類を隠しているのかもしれない。
しかもよく見ると、背中には……あれ、何か小さな人影を背負ってるんだが。
ひょこ、とフードの陰から顔を出したのは灰色の髪と小さなケモミミを持った獣人の幼子だ。狼系の獣人なのだろう、口の中に生えている牙はまだ幼いというのに肉を噛み切れそうなほど鋭い。
「何者だ」
「―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの使いで来た」
「ミカの?」
アイツ、いったいどんな広い人脈を築いたのだ?
念のため銃口を向けたままにしておくが、相手も別に気にしていないようだった。そのままこっちに歩いてくるや、私に地図を手渡す。
「―――ゲラビンスクに来る前に、アルミヤ半島の付け根にある場所に向かってほしい、と。地図に印をつけてある」
「……」
渡された地図を広げると、確かにアルミヤ半島の付け根―――『腐海』と呼ばれるピンク色の海が広がる地域のほど近い場所に印がつけてあり、傍らにはこんな文言が添えられていた。
『фонтан перевтілення(生まれ変わりの泉)』、と。
生まれ変わりの泉―――伝承には聞いた事がある。その泉で沐浴した者は姿形が本来のあるべき姿に戻る、と。
伝承だけの存在だと思っていたが、よもや実在したとは……。
「なるほど、了解した。ミカにはその旨を伝え―――」
既に、先ほどの人影―――幼子を背負った女の暗殺者の姿はなかった。明け方の空の下、少しばかり冷たい風に揺れる草原だけがあった。
「……閣下?」
「ヴォロディミル、進路変更だ」
「は?」
彼の方を振り返り、笑みを浮かべる。
なるほど、ミカの奴め考えたな。よくこんな手段を思いついたものだ……誰かの入れ知恵か、それとも自力で思いついた事か。
「―――進路をアルミヤに! 急げ!」
「―――なるほど考えたな。”生まれ変わりの泉”か」
格納庫で腕を組みながら、ツナギ姿のパヴェルが言った。
生まれ変わりの泉―――俺にとってはヴァシリーの一件で苦い思い出のある場所ではあるが、しかしそれがこんなところで役に立つとは思いもしなかった。
過去とは、実に意外な形で現在に結びつくものである。
「ゾンビズメイは元々、ズメイの首の内の1つに過ぎない。それがゾンビ化し変異して大暴れしている……」
機甲鎧格納庫に置かれた作業台の上にゾンビズメイの空撮写真を貼り付けた画用紙を広げ、それに鉛筆で文字や図解を書き込みながら、それを覗き込むパヴェルやクラリス、リーファに範三、モニカ、カーチャ、イルゼたちに説明していく。
「真っ向からの火力勝負では勝てず、対消滅爆弾も通用しないとなればもうこれしかない……この泉の水を奴にお見舞いし、ただの死んだ首に戻す」
そう、これこそが夢の中で亡き友人―――ズメイに運命を狂わされたヴァシリーが教えてくれた、あのゾンビズメイを打ち倒すための方程式だった。
火力で打ち勝てないならば奇跡の力を借り、奴をリセットしてしまえばいい。
あるべき姿、というのが何を定義しているのかについては不安要素もある。もしかしたら完全体のズメイに戻ってしまう可能性もあるが、しかし本体は封印されているとはいえ存命中であり、そうなるとこの首は切り離されて死んだ状態の部位であったのだから、生命の在り様を捻じ曲げまくって生存しているゾンビズメイのあるべき姿とはすなわち”死”であるのだろう。
まるであの世に居るヴァシリーがこう言っているようだった。
『仇を取ってくれ』と。
『俺の無念を晴らしてくれ』と。
ああ、いいよ。俺ら友達だもんな。
友達の願いは、聞き届けねば。
やってやろう、ヴァシリー。
俺とお前で―――神話の化け物に、思い切り一発喰らわせてやろう。
「―――現在、姉上が装甲列車でこっちに向かっている。が、パヴェルの知り合いに頼んで泉の水をありったけ持ってくるように頼んでおいた。後はそれが到着次第、泉の水を充填した砲弾を装備して奴に叩き込めば」
「ゲームセット、ですわね」
「そういうこと―――コールド勝ち間違いなしだ」
問題は水の到着がいつになるかという事と、弾頭への充填がゾンビズメイ侵攻に間に合うかという事だ……時間との勝負になる。
「それまでの間、俺たちは騎士団や他の冒険者ギルドと共に遅滞戦闘を行う。少しでも時間を稼いで、姉上が到着してくれれば俺たちの勝ちだ」
やってやろうぜ、という意志を込めて、仲間たちの顔を見渡した。
「今回の仕事は今まで以上に危険なものになる―――各員の奮闘を期待する」




