бессмертный дракон(不死の竜)
『旧人類の記録によると、最初に対消滅エネルギーを目にした者は【あれは悪魔の光だ】と述べたという』
ノヴォシアの考古学者、リューリク・ノヴレンコ著『原初の火』より抜粋
その光は、傍から見れば母親の微笑みのように慈悲深いものに思えた。
柔和で、闇を照らす圧倒的な光量の光。さながら地平線の彼方から大地を照らし、全てのあまねく生命に恵みをもたらす太陽のような光だ。
しかしそれは違う。
徹底的な破壊の果てに全てを消し去り、リセットする悪魔の光―――決して人の子に恵みをもたらす存在ではない。それが与えるものがあるとすれば、それは平等な『死』のみであろう。
一度活性化した対消滅エネルギーの奔流は、さながら貪欲に全てを喰い尽くすアメーバのようだった。次から次に白いエネルギーが泡さながらに弾け、面積を押し広げていく。
それに触れてしまった物体が有機物だろうが無機物だろうが関係なかった。固体、液体、気体、ありとあらゆる存在を分け隔てなく瞬時に消滅させてしまう”悪魔の光”。周囲を浮遊する大気も、燃え盛る大地も、そして無関係であるかのように空を舞う雲でさえも呑み込み、消し去ってしまう獰猛なエネルギー波はゾンビズメイにさえも猛然と襲い掛かり、その全長121mの巨体を覆い尽くしてしまった。
その猛烈な閃光は、遥か彼方のゲラビンスク市街地に展開する騎士団の地上部隊にも、そして大規模疎開の命令により街を列車で、あるいは車や徒歩で離れ避難していく民間人たちにもはっきりと見えた。
ある者は白夜のようだと述べ、信仰深い老婆は天使の降臨だと十字を切り、無邪気な子供は太陽のようだと目を輝かせる。
荒れ狂う対消滅エネルギーの奔流を遮光フィルターのかかったメインカメラ越しに見つめながら、ミカエルは固唾を飲む。
これが―――これが、『世界で最も破壊力のある兵器』。
旧人類の遺した負の遺産、その代名詞と言ってもいいものであり、テンプル騎士団襲来の呼び水となってしまった存在。その威力は核兵器を超え、されど放射能による汚染を残さない、曰く『クリーンな大量破壊兵器』。
その第一弾がゾンビズメイを覆い尽くした。
ありとあらゆる物質を、その分子構造や性質に関係なく消滅させる対消滅エネルギーの乱流―――とてもではないが、生物が生きていられる環境などではない。いかに圧倒的再生能力を持っていようと、死体同然の状態から急速変異する能力を持っていようと、この一撃の前には伝説の竜も耐えられはしないだろう。
これが帝国の本気なのか、と目を見張った。
結局のところ、ゾンビズメイは帝国を怒らせたのだ。
そして同時に、恐怖した。
あのゾンビズメイは3つあったズメイの首の一つ、それがゾンビ化し変異を繰り返した成れの果てだ。いわば本体から切り離された部位の一つに過ぎず、その時点でこれほどの強さなのである。
未だ封じられている”本体”はいったいどれほどの強さなのか。そして万全な状態のそれを封印まで追いやった祖先たちは、いったいどれほどの実力者であったのか。
どれだけ科学技術が発展しようと、遥か昔……それこそ神話を作り上げた英雄豪傑たちの足元には決して及ぶことは無いのだろう。それはきっと、人類が宇宙開発に着手しようと、生活圏を宇宙に広げようと変わる事のない事実である筈だ。
膨張の一途を辿っていた対消滅エネルギーの閃光が、しかしやがて縮小に転じ始めた。緩やかにスピンを描きながら、球体状に形状がまとまった対消滅の白い閃光が縮小、徐々にその破壊の痕跡をミカエルや上空の特殊任務部隊の眼前に晒し始める。
大地はごっそりと抉れていた。
されど、クレーターやら隕石の落下した痕のような、荒々しい破壊の痕跡はない。まるで何の変哲もない大地の一部が、そのままの状態で半球状に削り取られてしまったかのような状態であり、あまりにも綺麗すぎる破壊の痕はさながらカルデラのようで―――ファンタジーな表現をするのであれば、巨人が調理のためにこしらえた大鍋のようにも見えた。
ゾンビズメイの姿は―――今のところは、見当たらない。
縮小し、やがて消えゆく白い閃光の球体。さすがのエンシェントドラゴンも対消滅エネルギーには敵わなかったのだ。外殻を消滅させられ、肉を、骨を、体液をも残さず消し飛ばされたゾンビズメイは、文字通りこの地上から肉片の一片たりとも残さず消え
純白の閃光が迸り、天を射抜いた。
ドン、と天が震えた。
星空の只中に、雪のように白い閃光が広がる。それは泡立った洗剤さながらに夜空で広がり、宙を漂う雲を呑み込んで消滅させていく。
瞬く間に炸裂、膨張したその閃光に、対消滅爆弾を投下した飛竜部隊は一瞬で呑み込まれた。
光が広がり、自動で機甲鎧の遮光フィルターが動作したタイミングで、ズン、と重々しい爆音がミカエルたちの、そして後方へ退避していた砲兵隊の腹の奥底を揺さぶった。
『ねえ嘘……あれって……』
『対消滅……エネルギー……』
呆然と言葉を紡ぐモニカとカーチャ。見たままの現実を受け入れられず、しかし何とか受け入れようとしている2人に対し、ミカエルは一足先に最悪な現実の到来を理解していた。
カルデラさながらにぽっかりと開いた大穴―――天空目掛けて対消滅エネルギーが放射されたのは、その大穴の底からだった。
対消滅爆弾が活性化させた対消滅エネルギーの暴走……では、ない。
穴の底に居る何者かが、天空を舞う飛竜部隊への報復のために放った一撃だった。
では、それは何なのか?
ミカエルの脳裏に答えが浮かんだところで、ドン、と大穴の縁に巨大な”手”が這い上がってくる。
表面を覆っていたであろう外殻は消し飛んでいて、筋肉繊維や骨格が剥き出しの状態だった。完全な再生は未だ為されておらず、かなり無理をしているのであろう、血管が千切れ腐敗した体液や膿が噴き出すのがここからでも見える。
ぬうっと穴の底から覗いたのは、同じく外殻が消滅し、筋肉繊維や骨格、腐敗し変色した肉や脂肪といった肉体の内側が剥き出しになった、グロテスクな巨竜の頭と首だった。頭部の左半分はすっかり消滅していて、不規則な歯並びとなった下あごの牙や変色し紫色になった脳味噌、緑色に変色した神経が外気に晒され、その巨体が揺れ動く度にぶるぶるとその柔らかそうな肉を揺らしている。
「馬鹿な……あれで死なないのか」
―――ゾンビズメイは、健在だった。
対消滅爆弾に全く効果がなかった、というわけではないらしい。人類最強の兵器の名は伊達ではなく、あれほどにまでこちらの攻撃を無効化、あるいはダメージを大幅に軽減させていた堅牢極まりない外殻を消滅させるに至った破壊力は、まさに切り札の座に恥じぬ威力と断じてよいだろう。
しかしそれですらも、今回ばかりは決め手に欠けた。
カルデラのような穴の底から這い上がるゾンビズメイ。その腹の部分は裂け、元々は首の一部でしかなかったその内側には肋骨をはじめ、胃や腸といった消化器官に心臓、肺といった臓器が生成され、同じく剥き出しになっていた。
だがそれも、すぐに再生が始まる。
表面を腐敗した表皮が覆い、その上を黒い―――いや、違う。雪のように白く淡い色合いの外殻が、ゆっくりと剥き出しになった中身を覆い尽くしていった。
先ほどまでの真っ黒な、そして外殻の繋ぎ目から紅い光を燻らせていた禍々しい姿とは打って変わって、その姿はまるで天が遣わした存在のように神々しいものであった。
外殻は純白で、よく見ると表面には淡い桜色の幾何学模様が浮かんでいる。外殻の繋ぎ目からは桜色の光が漏れ出ており、背中から突き出ていた深紅の結晶体も同じく桜色に変色していた。
そして特徴でもあった壊死した眼球……しかし今は、そこには桜色の輝きがある。白濁し、視力として機能していなかった視覚がここに来て復活したとでもいうのだろうか。
しかし問題はそこではない。
再生を終えた首周りの外殻が展開、蒸気と熱気を放出している。
そして先ほどの閃光を放ったのであろう巨大な口からは、微かに白い泡のような光が漏れていた。
「まさか……まさか、そんな」
ミカエルが抱いた予感は、見事に的中していた。
―――取り込んだのだ、対消滅エネルギーを。
全てを消滅させる対消滅エネルギー。既に肉体は死に絶え、腐りながらも動く屍と化していたゾンビズメイは、しかしそれでも微かな”生”を宿していた。
「死ねば終わり」という生命の原則を捻じ曲げてまで、彼の宿した微かな”生”は文字通り新たな生命として生きようと足掻いた―――その結果が何度も繰り返した変異とそれによる外敵への適応であり、今回の対消滅爆弾による攻撃も同じくそれに適応しただけの事である。
つまり帝国騎士団は、対消滅爆弾という最大のカードを切ったにもかかわらずゾンビズメイを殺す事が出来ず、むしろ変異を繰り返す怪物に対消滅エネルギーという新たな武器を提供しただけに終わるという、最悪の結果を招いたに過ぎなかったのだ。
《……ミカ》
「パヴェル……どうすればいい?」
無線機から聴こえてきたパヴェルの声に、ミカエルは弱気な声で縋った。
彼ならばなんとかしてくれる―――自分ではもう、何もできない。今までは仲間と力を合わせあらゆる困難を乗り越えてきたミカエルたちではあるが、今回ばかりは格が違い過ぎた。遥か昔、神々に原初の生命の1つとして粘土と神の血から作り上げられたというエンシェントドラゴンたちは、神話の時代を生き、そしてあらゆる英雄譚の中にその名を遺していった。ズメイもそのうちの1体であり、つまるところ彼らは英雄譚を、伝承を、そして神話そのものを相手に戦っていたようなものなのである。
いくら強力な兵器があろうと、いくら場数を踏んだ百戦錬磨の兵士であろうと、神々が自ら生み出した神話の怪物に勝てる道理はない。人間はどこまで行っても不完全な存在でしかなく、完全無欠な神が創り上げた太古の竜はまた完全なのだから。
だからパヴェルの投げかけた言葉は、ミカエルの期待をことごとく裏切るものであった。
《各員、作戦は失敗した。繰り返す、作戦は失敗。一旦後退しろ》
『失敗!?』
『待ってよ、あたしたちが負けたって事!?』
《そうだ、俺たちの負けだ》
パヴェルは現実を受け止め、苦い結果となったそれを飲み下すような声でぴしゃりと言った。
《今は勝てん、このまま戦っても犬死にするだけだ。一旦後退しろ、作戦を考える》
「……次は勝てるのか?」
《それは分からん……今、騎士団と対応を協議している》
「……了解、後退する」
今まで血盟旅団は勝利を重ねてきた。
どんな相手も現代兵器の火力と圧倒的性能で押し潰し、仲間たちと連携を取り合い、物量的な面での不利を何度も覆してきた。
しかし今回ばかりは、相手が悪すぎる。
血盟旅団にとって、それは初めての―――明確な敗北だった。
「ふむ……」
機甲鎧のカメラが撮影した映像を何度もPCの画面で再生しながら、パヴェルは腕を組んで唸り声を上げた。
このような怪物は今までに見た事がない。パヴェル自身、テンプル騎士団時代も―――そしてその前に傭兵ギルドを運営していた頃も、数々の怪物を相手にする機会には恵まれたものの、このような類の化け物は見た事がなかった。
死んだ身でありながら、しかし微かな生を宿し、外部の脅威に対し急激に変異、外敵への攻撃に対応する怪物。
このまま超兵器をどんどん投入していけばやがて通用する兵器は無くなってしまうのではないか。そんな最悪の結末を思い浮かべながら、パヴェルは氷の入った水を持ってきてくれたシスター・イルゼに問いかける。
「シスター、元エクソシストとしての見解は?」
「……明らかにこれはもう、アンデッドではないです」
アンデッドのカテゴリーからは外れる―――元エレナ教のエクソシスト、アンデッド討伐のスペシャリストでもあったシスター・イルゼの言葉に、パヴェルは目を細めた。
確かにそうだ。アンデッドとはスケルトンやゾンビといった、概ね”死”という概念を武器とする魔物の類の総称である。しかしこのゾンビズメイはもはや”生”を宿しており、ゾンビと名につくものの明らかにそれらとは異なる存在に昇華しているのは疑いようのない事実であった。
先ほどまでは聖水を充填した対戦車ミサイルが効果を発揮したが、今はどうか―――僅かにでも”生”を宿した存在に、悪魔を払い除ける聖水が通用するのか。
では、どのような兵器であれば効果的なのか……彼は頭を抱えた。
「そういやミカたちは?」
「先ほどスープとパンを食べてから、部屋に戻っています……疲れ切っているようです」
「まだ起きてるやつがいたら仮眠を摂らせろ。次は万全な状態で挑みたい」
「分かりました」
踵を返し、研究室を後にするシスター・イルゼ。
彼女が出ていったのを見計らい、パヴェルはウォッカの酒瓶を開けた。
飲まずにはいられない―――そう思うのはいつぶりか。
いずれにせよ、今は皆が最大の苦難にぶち当たっている状態だった。
ゾンビズメイの各形態
・第一形態
首だけの状態。蛇のように這って進み、外殻の繋ぎ目や古傷から生やした触手で獲物を捕らえ捕食する。あくまでも首だけの状態であり、消化器官も持たない状態であるのに食事が必要な理由は不明。
(※パヴェルの手帳には「食欲だけが今なお生きておりリミッターが外れている」、「喰らった獲物を取り込んで変異のための養分にしている」など、複数の説が殴り書きされているが、どれが正解なのかは依然として不明である)
・第二形態
首だけだった状態から脚を生やした新たな形態。後ろ足のみが新たに生成されており、アンバランスで立って歩く事が不可能であるため、両足で地面を蹴って地面を這うように進む。この両足は再生が不完全で肉が剥き出しの状態であり、砲兵隊はここを集中的に砲撃し時間を稼いだ。
なお、この形態からブレスを吐くようになる。
・第三形態
後ろ足に続き前足や尻尾、背中の棘などが新たに生成され、二足歩行ができるようになった形態。その姿は完全ではないにしろ、在りし日のズメイに非常に近い形態となっている。また身体の冷却能力も向上した事からブレスの冷却時間も短くなっており、変異に十分な養分を得たためなのか捕食用の触手もこの形態から一切生えなくなる。
対消滅爆弾の投入で消滅したかに見えたが……?
・第四形態(←今ここ)
対消滅爆弾の直撃を生き延び生存、そのエネルギーを体内に取り込んで更なる変異を遂げた形態。黒かった外殻は純白に染まり、背中の棘や外殻の繋ぎ目から漏れる光は桜色に変色。禍々しかった姿から打って変わって神々しい姿に変わった。
更には取り込んだ対消滅エネルギーをブレスとして吐き出す『対消滅ブレス』を新たに体得しており、その一撃で対消滅爆弾を投下した飛竜部隊を完全消滅させている。




