掃除人、襲来
火をつけた葉巻を口から離し、静かに煙を吐き出した。
人生には適量のアルコールとニコチンが必要だ、と俺は信じている。そうじゃなきゃ味気ない毎日が延々と続くだけだ。いつ死ぬかも分からぬ、明日生きている保証もない毎日が。
”前の職場”に居た頃から抱いている持論を思い浮かべながら、メス堕ちするまで尋問した転売ヤー共から入手した情報を整理する。当たり前だが、情報の整理は情報収集の過程で必要になる。ごちゃごちゃした情報をそのまま伝えるだけではダメで、必要な情報と不要な情報を取捨選択し、相手が最も欲している情報にフォーカスして掘り下げていく。まあ要するに、”聞いた事をそのまま伝える”じゃあ駄目で、そこからさらにひと手間かけるのが当たり前という事だ。
作戦用の端末の画面をタッチし、アプリを開く。
今までの尋問で分かっている事は、今回の転売行為がこいつらのみで動いているわけではなく、上部に何らかの組織が存在し、この転売ヤー共はその組織の指示で動いていたという事。前回の売り上げは既に組織に全額収め、組織からの分配待ちだったのだそうだ。だからこいつらを締め上げても、財布の中身以上の金額は期待できない。
そして更に、尋問でフォーカスを当てたのはその”組織”について。
組織からの指令は基本的に連絡役の人員を介して伝えられるのだそうだが、その司令は手紙として送られてきたり、電話で命令を受けたりと指示のされ方は様々だったらしい。
手紙と言っても郵便局を介した正規ルートでの郵送ではなく、アジトのロッカーにいつの間にか張り付けてあったりとか、そういうものなのだそうだ。電話で聴く声も変声魔術を使ったもので、男の声なのか女の声なのかもはっきりしないのだとか。
ボスどころか、連絡役とも直接会っているわけではない……行き詰ったなとは思うが、収穫が全くないわけでもない。
というか、むしろヤバい事実を探り合当てたという確信がある。
「人の心が無い」
短くなった葉巻の火を消し、携帯灰皿に押し込みながら呟いた。
その声は転売ヤーの首謀者である狼の獣人と、彼の腹心らしいバッファローの獣人にも聞こえていたようで、2人は今更ながらに申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
「赤化病の発生源は工場からの廃棄物。公式にはそうなっているが、事実は異なる。そうだな?」
「……」
俯きながら黙ってしまう狼の獣人。何か喋れや、と威嚇するつもりで棍棒に手を伸ばすと、転売ヤー共はまるで親からの虐待に怯える子供のように、びくりと身体を震わせながらこっちを見た。
ここまで来るともうこっちのものである。飴と鞭とはよく言ったものだ……相手を徹底的に追い詰め、絶望させたところで希望をちらつかせる。こうするだけで人間というのはいとも簡単に飛びついてくるものだ。前の職場で尋問を担当していた時も、このやり方で多くの情報を引き出したのを思い出す。やはり、このやり方は間違っていないらしい。
みんな覚えちゃったもんなあ、電気の快楽。
「本当はなんだ? 言ってみろ」
「……貴族の連中だ。貴族の連中が病原菌を街中に撒いたんだ」
「何故そんな事を?」
「それは……」
狼の獣人の前でそっとしゃがみ、笑みを浮かべながら右手で彼の顎をそっと持ち上げた。怯え切った彼の目と目が合い、黒い瞳の中に悪魔の姿が映る。
そろそろ頃合いか。長年の経験からそう判断し、”飴”をちらつかせてやる。
「喋ってくれ。俺たちはその情報を必要としている」
「……」
「安心しろ。確かに組織からすりゃあお前らはヘマをした不要な駒に成り下がる。が、話してくれれば身柄の安全は保障する。こう見えて色んな所に顔が利くんだ」
「……本当か」
「ああ、本当だとも。希望するなら家族の安全も保障しよう。別の土地で名を変え、今までの経歴をすっきり消し去って別の人間として生きるんだ。そのための手引きをしてやる」
今までの俺だったらこれは全部ウソだった事だろう。やる気も無い言葉を並べ立て、相手の警戒心を完全に解かせて情報を引き出す―――今までならそうだ、前の職場にいた頃だったらそうしている。
けれども今はまあ、ミカエルの命令でそういうのは禁じられてるからな。
感謝しろよ、我らがミカちゃんの慈悲に。
「さあ、選べ。組織の尻尾を掴ませた罰として暗殺に怯える日々を送るか、転売からすっかり足を洗って太陽の下で堂々と生きるか」
「……貴族の連中、ザリンツィクの人口の口減らしを図ろうとしてた」
口を割ったのは、狼の獣人だった。
その事は他の転売ヤーたちは知らなかったようで、ぎょっとしたような目つきでリーダーの方を凝視する。単なる金儲けのチャンスだと思い込み、彼についてきただけの一般人―――少なくとも、この狼の獣人以外はそうなのだろう。バッファローの奴は多少そういう事情を知っている様子だが。
それにしても、なんとおぞましい事か。
街の口減らしのためにウイルスをばら撒き、街中に疫病を蔓延させるとは。
一歩間違えばその感染はザリンツィクだけに留まらず、イライナ地方、西方の”ベラシア地方”、そして北方の”ノヴォシア地方”にも広がる―――ノヴォシア帝国領内で、疫病が蔓延する事になる。
「何故だ」
「今年の夏は例年よりも気温が低かった。そのせいで農作物の収穫量はかなり少なく、今のままでは多くの労働者がひしめくザリンツィクが食料不足に陥るのは明白だったんだ」
「それで口減らしを?」
「……貴族の連中の話が本当なら、そういう事になる」
「そしてお前らは蔓延する疫病と、法整備不足に目を付けた。特効薬を買い占めて高額転売すりゃあ儲かる……確かにそうだな」
「……」
「正直、お前らはクソ野郎だ。この場でぶち殺されても文句は言えないぞ、人の命を文字通り食い物にしたんだからな」
「……ああ」
「だが約束は約束だ。お前らの身柄の安全は保障する」
テーブルの上にあるマグカップを持ち合上げ、紅茶を口の中に含みながら手帳を手に取った。ページを破いてペンを走らせ、そこにある住所を書き込んでいく。
「これを」
「?」
「この住所に向かえ。そこに俺たちの仲間が居る。事情は話してあるから、”パヴェル”という名前を出せば対応してくれる筈だ」
説明を済ませてからナイフを取り出した。転売ヤーの連中の手足を縛っていたロープ(クラリスの奴、番線でぎっちり縛ってて可哀想だからロープに変えてやった)を切断、彼らをとりあえず自由にしてやる。
確かにこいつらのやった事は最悪で、人間としては文句なしに最底辺と言っていい。だが薬品の転売はノヴォシアでは規制されておらず、こいつらを法で裁くことはできない。違法行為だったら憲兵隊に、特にミカの兄貴の所に突き出しているところだが、今回はそうもいかん。
まあ、さすがに今回の一件で懲りただろう。棍棒で〇〇〇〇〇された挙句電気まで流されたのだ、更に命まで危険に晒されたとなれば二度と転売に手を染める事はあるまい。
え、もし次やったらどうするかって? その時はアレだ、もっと太い棍棒でメス堕ちさせる。以上。
「本当にすまない」
「申し訳ないと思ってるなら、この一件で足を洗うんだな。良いから早く行け、外に車を用意してある」
まったく、俺も甘くなっちまったもんだ……リーダーが甘いと俺も変わるのかね?
今まで自分のやり方を貫き通してきたつもりだが、意外とリーダーの影響を受けやすいのかもしれん。そう思いながら、一目散に逃げていく転売ヤーたちを見送る。アパートの部屋から飛び出し、階段を駆け下りて、外に止めてあるトラックに乗り込む転売ヤーたち。
奴らの飼い主は尻尾を掴む原因を作ったあの連中を消しにかかるだろう。道中で消されるか、それとも無事に辿り着いて教団に保護されるか……そこからは奴らの運次第だ。
さーて、俺も帰るか。
テーブルの上に置いてあるマグカップを持ち上げ、紅茶を一気飲みしようとしたところで―――”異変”に気付いた。
「ん」
さっきまで湯気を上げていた、ジャム入りの紅茶。
温かかったそれが―――マグカップの中で、すっかり凍り付いているのだ。
そんな馬鹿な。いくらノヴォシアの冬が過酷だとは言え、熱々の紅茶をたった3分で凍り付かせるほどの寒さではない筈。
これは一体……?
口から吐き出す息が白くなる。そういえば、部屋の中の温度が何だか下がっているような……窓はしっかり閉めているし、壁に穴があるわけでもない。これは一体なんだ?
「……」
自前の端末を取り出し、画面をタップして武器を召喚。長年使ってきたPL-15拳銃をホルスターごと召喚し、取り出してから安全装置を解除する。
たった今、確かに聞いた―――ガチャ、ガチャ、と廊下から聞こえてくる足音が。
まるで金属の鎧に身を包んだ騎士の歩く音にも思える、重々しい金属音。
ここは廃アパートだ、住人が住まなくなって久しい場所である。わざわざこんなところに足を運ぶのは建物の解体業者か、人目のつかないところにアジトを構えようとする裏社会の連中……普通であればそうだろう。
しかし今に限っては、それ以外の理由もある。
むしろ今回はそれが目的であろう。
裏社会に潜む組織、その尻尾が掴まれかかっているとなれば、その痕跡を消しにかかるのは当たり前。実際、俺も前の職場ではそうだった。ボスの命令を受け、汚れ仕事をこなした回数は一度や二度ではない。
要人暗殺、証拠抹消……まあ、そういう仕事だ。
そして今、そういう連中の標的に俺がされている。
頭で考えるよりも先に身体が動いた。咄嗟に後方の窓ガラスを蹴破り、飛び散るガラス片と共に1階へと豪快に飛び降りる。
何故そうしたのかは分からなかった。時折、頭の中に直感が奔るのだ。このままここに居ては危ないとか、敵に狙われているとか、そういった理屈では説明できない直感が身体を突き動かし、その結果何度も生き延びてきた。
今回も例外ではなかったらしい。ブーツで雪の降り積もった地面を踏み締めると同時に、先ほどまで尋問に使っていたアパートの一室の中で緋色の閃光が迸ったかと思いきや、次の瞬間にはそれが限界まで膨れ上がり、爆ぜた。
爆弾でも放り込んだか、魔術でも使ったか―――とにかく命拾いした、それは確かだ。
燃え盛る部屋の中、跡形もなく吹き飛んだベランダだった場所までやってきた人影が、冷たくこちらを見下ろす。
「……」
厚着のコートに大きめのフード、イライナではよくある防寒着だが、フードの中の顔ははっきりとは見えない。見間違いでなければ古めかしい騎士の鎧を身に纏い、その上にコートを羽織っているようにも見える。
矢から主を守るために用意された甲冑のバイザーからは、血のように紅い不気味な光が漏れていた。
応戦―――する必要はない。今必要なのはこの情報を、尋問で得られたこの情報をミカたちに届ける事だ。ザリンツィクで流行する赤化病、その裏に潜む貴族たちの陰謀と何らかの組織。この真相を彼らに何とかして伝えなければ。
車道に出た。ライトを照らしながら走ってきたクーペにクラクションを鳴らされるが、お構いなしにクーペへと駆け寄る。
「馬鹿野郎、何してるんだ!」
窓を開けて猛抗議するドライバーだったが、そんなことは関係ない。今はとにかく足が欲しい。
運転席に乗る中年男性の胸倉を掴み、そのまま車から引き摺り下ろした。
「うわ、何をするんだ!?」
「悪いがこの車を借りるぞ」
「ふざけるな! おい、返せ!!」
罵声を聞き流しながら思い切りアクセルを踏み込んだ。後輪が雪を巻き込んでほんの少しばかりスリップ。車体に不快な横揺れが発生したが、クーペは期待通りに急加速してくれた。
バックミラーの向こうでは、走り去るクーペのテールランプ目掛けて何かを叫ぶ車の持ち主の姿が小さく映る。申し訳ないが、後はどこかに乗り捨てているであろう車を探してくれ。
次の瞬間、道路に例の追手が姿を現した。
雪道を60km/hで走り去るクーペを発見すると、そいつはとても人間とは思えない足の速さで車の後を追いかけてきやがった。短距離走のランナーのような―――いや、違う。獲物を見つけた肉食獣のようなスピードだ。盛大に雪を巻き上げながら、黒いコートに身を包んだ謎の襲撃者が車の後を追ってくる。
目の前にある信号機が赤に変わるが、律義に信号が変わるのを待っている場合ではない。横からぶつけられませんように、ドライバーの皆さんごめんなさいと強く思いながら、アクセルを踏み込み十字路に突入する。
クラクションの嵐が巻き起こったが、幸いな事に横から激突されることも無く、無事に十字路を通過できた。
さて、どうするか。
さすがにこのまま列車には戻れない。せめてあの追手を振り切ってからだ。さもないとミカたちに危害が及ぶ。
戦い慣れているクラリスならまだしも、経験の浅いモニカとミカは危険だ。こっちの世界でやっと見つけた仲間なのだ、アイツらだけでも何とか守ってやりたいという思いが俺の中にはあった。
ヒュンッ、と空気を切り裂く音と共に、フロントガラスが砕け散った。ガラスの破片と冷たい風が車内に流れ込んできて、ハンドルから離した左手で顔を覆う。
一体何が、と考えるまでもない。銃撃だ。
この弾速と命中精度、そしてバックミラーに映る、クーペとの距離を詰めつつある襲撃者との距離。黒色火薬を使ったマスケットなんかじゃない、こいつは無煙火薬を使った現代の銃だ。
ちらりとミラーを確認。いつの間にか、襲撃者の手にはAKらしき銃器が握られている。
―――転生者か?
そんな予感が頭を過った。
転生者―――この世界に居るのは、俺だけではない。それはミカエルという男の存在が証明している。自分以外にも転生者がこの世界に居てもおかしくはないのだ。
まさか追手の正体は転生者だと?
「……そうかい」
―――”現役”の頃を思い出す。
ハンドルを切り、半ばドリフトするように左折。居住区を離れ、工業地区をそのまま直進。工場から出ようとするトラックに何度かぶつかりそうになりながらも直進し、廃工場の入り口を封鎖するフェンスを豪快に薙ぎ倒す。
ランプが割れ、フロントバンパーは欠け、グリルやボンネットには盛大に傷が付く。車好きであればブチギレ確定であるほどの損傷だが、走行に支障は無い。
そのままドリフト、雪の降り積もった地面にタイヤの跡を刻みながらブレーキを踏み込み、ここまで逃がしてくれたクーペの運転席からそっと降りた。
さきほど薙ぎ倒してきたフェンスを飛び越え、黒服の襲撃者が姿を現す。
廃工場の敷地内―――人気が無ければ退路も無い、しかし遮蔽物ならばたっぷりある。
袋のネズミ、とでも言いたいのか、襲撃者はゆっくりとAK-74Mを構えた。
そっと息を吐き、身体から余分な力を抜く。
もし、俺を追い込んだつもりだというのであれば―――それは誤りだ。
追い詰められたのはそっちの方、その事にまだ襲撃者は気付いていない。
PL-15を片手に、コートのポケットに入っているウォッカの瓶を取り出した。中身を全部飲み干してからポケットの中にそれを放り込み、襲撃者を睨む。
空を覆う雪雲の切れ目から、白銀の三日月が顔を出した。
それと同時に発砲、襲撃者の胸板に9mmパラベラム弾が着弾し、人体からは決して発しえないような硬質な音―――それこそ、装甲車が銃弾を弾くような跳弾の音を響かせる。
が、そんなことは分かっている。今の一撃で倒せるほどの相手じゃない、という事は想定済みだ。
雪に覆われた地面を蹴り、急加速。襲撃者はすぐさまAKを向けてフルオートで発砲するが、銃口の向きも、引き金を引く指の動きも見え見えだ。スライディングでドラム缶の影に滑り込み、そこから跳躍。廃材の山を盾にしながら移動し、廃工場の中へと潜り込む。
もう二度と動く事の無くなったベルトコンベアの上を飛び越えながら、笑みを浮かべた。
狩られるのは俺じゃない、お前の方だ。




