破滅の一撃
その光景を目にしていた者の全てが、絶望感を覚えた。
征服竜ガノンバルド―――人類にとっての強敵で、自然界が生んだ文字通りの征服者。討伐には多大な犠牲を覚悟しなければならないほど強力な竜が、ゾンビズメイの放った閃光の中に消えていったのだ。
その威力たるやガノンバルドの外殻を融解させてしまうほどで、もう既にそこにガノンバルドが存在したという痕跡は何も残っていない。深紅の三日月が浮かぶ夜空に、濛々と巨大なキノコ雲が立ち上り、一瞬のうちに閃光へと消えたガノンバルドの墓標となっている。
それに向かって、ゾンビズメイは吼えた。
数十、数百もの銅鑼を一斉に鳴らしたかのような、腹の奥底に響く重々しい叫び。それは自らを封印した人類に対する怨念か、それとも伝説の邪竜の復活を宣言する雄叫びか。
いずれにせよ、帝国騎士団が投入した切り札が一瞬にして殺されてしまった以上、もう打つ手はない。ありったけの兵士を動員し、大国との全面戦争に匹敵するほどの損害を覚悟して戦わなければ、あの巨竜はもう止められないのだ。もうこの世界にはズメイを止めた大英雄イリヤーは居ないのだから。
(終わりだ……何もかも)
首の外殻を展開して放熱に入るゾンビズメイを呆然と見つめながら、砲兵隊の指揮官は辛うじて崩れ落ちそうになるのを堪えた。
もうあの竜に弱点はない。それどころか、先ほどまでの砲兵隊との戦闘では全く本気を出していなかった事がガノンバルドとの戦いで明らかになった。あんな底の知れない強さの怪物を、どうやって葬れと言うのか。
既に陣地転換は済んでいる。砲撃準備もそろそろ終わる筈だ。
しかし、先ほどまでの使命感と愛国心に燃えていた兵士たちの目は曇っていた。
それはそうだろう―――自信満々に投入した切り札が瞬殺されれば、絶望もするというものだ。
ブレスの余波だけで発火し、さながら罪人を焼く地獄の炎のように燃え盛る大地に背を向けて、ゾンビズメイが砲兵隊の方を睨んだ。
来るぞ、と副官が冷や汗を浮かべながら言ったその時だった。
「で、伝令! 伝令ッ!」
バイクのエンジン音を高らかに、丸いライトと丸みを帯びた燃料タンクが特徴的なバイクのサイドカーに乗ってきた兵士(伝令なのだろう)が大慌てで指揮官の元へと駆け寄るや、敬礼しながら用件を告げた。
「皇帝陛下は”対消滅爆弾の無制限使用を承認した”との事です!」
その報告で、周囲がざわついた。
対消滅爆弾。
旧人類が最高機密としていた『対消滅エネルギー』、それをふんだんに用いた大量破壊兵器だ。獣人たちが旧人類に代わって長い間保管、秘匿してきた最も破壊力のある兵器であり、彼ら獣人は知らぬ事ではあるがテンプル騎士団に目をつけられる原因となった代物である。
それの”無制限使用”―――つまり、いくら使っても構わないという事。
「既に第一陣は作戦地域上空へと向かっており、間もなく投下されるとの事! 近隣で活動中の全部隊は直ちに作戦展開地域より離脱、遮蔽物に隠れ爆発に備えよとの事です!」
「馬鹿な……!」
皇帝陛下は何を考えている、と指揮官は憤りを隠せなかった。
このムガラグ街道はゲラビンスク市街地へと続く道だ。とはいえ距離は離れており、ここで起爆させたとしても市街地への被害はない。仮にあったとしても、市街地は既に大規模疎開が済んでおり後詰の部隊以外はほぼ無人である。
だが。
砲兵隊の飽和攻撃に、血盟旅団の用いた未知の兵器による攻撃、そしてガノンバルドを投入しても勝てなかった相手に―――果たして対消滅爆弾が通用するのか?
最高の兵器、その無制限使用が承認されたとはいえ、それで倒せる相手なのか―――そう思ってしまうほど、ゾンビズメイは強大極まりない存在であった。
だがしかし、今はそれに賭けるしかない。
死ぬならばベストを尽くしてからだ。そうでなければ先に散っていった先人たちに鼻で笑われてしまう。
「了解した。中尉、照明を使って血盟旅団の連中に発光信号を。彼らまで死なせるな」
「はっ!」
「他の者は直ちに退避! 急げ!」
血盟旅団は砲兵隊よりも前に展開、ゾンビズメイを迎え撃つ構えを見せている。
今投下されてしまえば、彼らまで巻き込まれてしまうだろう。
そうはさせてなるものか、と砲兵隊の指揮官は決意を固めていた。
勇敢な者から死ぬなどバカげているし、なによりあのギルドの団長たるミカエルは、庶子とはいえ大英雄イリヤーの血脈の末席に名を連ねる子孫の1人だ。
もしかしたら、ミカエルこそがあの邪竜を打倒する希望になるかもしれない。
何の根拠もないが、今はその小さな希望に縋るしかなかった。
底の無い海で人が漂流物に掴まるように、底の見えぬ絶望の中においてヒトは何かに縋りたくなるものなのだ。
はっきり言わせてもらうと、勝ち目はないと思っている。
首の辺りの外殻を松ぼっくりみたいに開いて冷却モードに入ったゾンビズメイを見上げながら、そう思った。
やはりあのブレスは多大な負荷をかけるらしい。展開した外殻はバーナーで長時間炙られた鉄板みたいに赤く焼けていて、首の周囲は生じる熱気で陽炎が発生している。時折開いた外殻の隙間から吹き出す蒸気は体液との熱交換で生じたものなのだろう。
ズン、ズン、と足音を響かせながら、ゾンビズメイがゆっくりと動き出す。
さすがにダッシュはしなかった。いや、出来ないのだろう。あんなにも身体に負荷をかけるブレスを撃った後だし、先ほどと比べると身体も随分と大きくなっている。俊敏な動きは出来ず、どっしりとした動きしかできないというのは救いだが、しかしあの防御力は何とかならないものか。
それだけではない―――最初にブレスを撃った後、何時間も放熱のために身動き一つ取れなかったゾンビズメイ。しかし今はどうか。ブレスを放ってからまだ2、3分くらいしか経過していないというのに、冷却を続けながらゆっくりと動き出している。
もしこれが更に変異を進めていったら、あの威力のブレスを連発できるなんて悪夢のような状態に進化しかねない。完全な姿に戻らなくとも、そうなったらおしまいだ。
《ミカ、発光信号!》
「?」
機体のカメラを旋回させ、後方を確認した。
陣地転換を終えた砲兵隊の方からだ。明らかに、俺たちに向けられて発光信号が送られている。
砲兵たちがセットしたばかりのライフル砲を牽引してまた後退し始めている事に違和感を感じながらも、発光信号の解読を始めた。
そしてその決まったパターンで点滅を繰り返す光から内容を解読していくにつれて、背筋に冷たい棘が刺さっていく感覚を覚える。
―――【直チニ退避サレタシ。対消滅爆弾投下ノ時近シ】
「……嘘だろ」
いったい何の冗談か。
騎士団を挙げてのジョーク……などではない。
「全機直ちに作戦展開地域より退避!」
《!?》
《一体何が!?》
「急げ、対消滅爆弾が投下される!」
クソッタレ、マジで何の冗談だ?
対消滅爆弾―――旧人類が発見、兵器として軍事転用したという”対消滅エネルギー”を炸薬の代わりに利用した超兵器。その破壊力は『この世界で最も威力のある大量破壊兵器』と例えられるほどで、パヴェルの試算ではその破壊力は核兵器以上(パヴェル曰く『放射能を残さないクリーンな核兵器』)とされている。
ノヴォシア帝国は―――帝国騎士団は、そしてなにより最高司令官たる皇帝陛下はこの化け物を早期に仕留めるため、対消滅爆弾の使用にゴーサインを出しやがったのだ。
全知全能なる皇帝陛下、その聡明さには敬服いたしますクソッタレ。
とにかく、一刻も早くこの場を離れなければならない。そうしなければ俺たちも対消滅爆弾に巻き込まれ、文字通り『完全消滅』する事になる。
2人が離脱に入ったところで、ゾンビズメイがこっちに向かって吼えた。が、応戦している暇はない。そんな事をしている時間があったらとにかく遠くへ、一歩でも先へと退かなくてはならない。そうでなければ皆が消える。消え失せる。
《作戦展開地域上空、14体の飛竜を確認。巨大な何かを空輸してやがる》
「クソッタレ騎士団が対消滅爆弾を使うってさ!」
《……そいつは笑えねぇ、急げ!》
言わなくてもやってる!
頭上を見上げる余裕すらない。
とにかく先へ、とにかく前へ。
砲兵隊が先ほどまで展開していた、転換後の陣地を越えて泥濘を機甲鎧の脚で踏み締めた直後だった。
背後で、直視できないほど眩い光が弾け―――それがゾンビズメイを呑み込んだのは。
『Достижение неба над районом проведения операций(作戦展開地域上空に到達)』
巨大な爆弾を総勢14体の飛竜を投入し運搬していた”特殊任務部隊”の隊長が、顔を覆うペストマスクのような竜騎士マスクの下でそう告げた。
雲の切れ目の向こうには、燃え盛る大地と巨大なクレーターが見える。さながら地獄のゲートが開き、そこから罪人を焼く炎と無数の亡者が溢れかえっているかのような、そんな光景だ。何度も映画館で白黒の映画を見たが、そういうものを題材にした安っぽいB級映画もそれなりに見たものだ。しかし実際、それが現実になると何とも笑えない。
ドリンクを片手に笑っていられる日常がどれだけ平和だったのか、殊更意識させられるというものだ。
そして今から、彼等はその悪夢の発生源を断つ。
封印された最初期のエンシェントドラゴンにして伝説の邪竜『ズメイ』、その首の1つがゾンビ化し復活して変異したという怪物―――『ゾンビズメイ』。
長年、人類の上に君臨する食物連鎖の王は竜であった。
だからこそ、竜殺しとは騎士にとって最高の栄誉であり続けたのだ。
遥か昔、お伽噺の中の英雄豪傑がそうであったように、彼等もこれからそれに続くのだろう。違うのは手に携えているのは神が鍛えた伝説の剣でも精霊の加護が宿る魔法の杖でも何でもなく、旧人類が混沌から見出した爆弾と、その内に秘めた破滅のエネルギーであるのだが。
飛竜の背、鞍に固定された照準器を覗き込んだ。十字架を思わせるレティクルの向こうに、漆黒の外殻と、その繋ぎ目から溶岩のように紅く燻る光を放つ巨大な竜の姿が見える。背中からは深紅の結晶が棘のように幾重にも生えていて、その姿は伝承の中のズメイのようでもあり、はるか太古の時代を生きていたという恐竜のようでもあった。
いずれにせよ、この世界のどの竜とも当てはまらない姿をしているのは確かだ。まるで神々が、暇潰しにあらゆる絶滅した生物の身体的特徴を組み合わせた生物を生み出したかのような混沌の化身が、照準器の向こうで天に向かって吼えている。
その双眸は、死んだ魚のように白濁していた。
『Теперь все члены будут выполнять свои обязанности(各員、これより任務を遂行する)』
『За Отечество, за славу, за великого Императора(祖国のために、栄光のために、偉大なる皇帝陛下のために)』
『За 5 секунд до сброса бомбы(爆弾投下5秒前)』
『Все, готовьтесь к вспышкам и толчкам(各員、閃光と衝撃に備えよ)』
マスクの遮光フィルターを下ろし、部隊長は手元にあるボックスのキーを捻った。
事前に渡された、特殊な加工を施されたキー。それによってのみ開く金属製の箱の中に、爆弾を固定している金具を切り離すスイッチがある。
露になったそれに指を添え、部隊長は息を吐いた。
『―――Боже, защити нашу Родину(神よ、祖国を守り給え)』
スイッチを弾いた。
バギンッ、と固定具が外れた。
球体状の物体にびっしりと、さながらウニのようにプラグを取り付けたような形状の爆弾―――対消滅爆弾が固定具から外され、空の中へと落ちていく。
14体もの飛竜によって運搬されてきたそれは、気流をその身に受けようとも動じず、ただ重力だけを味方にして雲を割き、大地へと落ちていった。
かつて130年前、異世界よりテンプル騎士団を呼び寄せるきっかけとなった滅びの力。
旧人類の元より簒奪され、テンプル騎士団により異世界の戦争に使用され、屍の山を幾重にも築いた凶悪兵器と彼らが聞いたら、一体何を思うのだろうか?
ゾンビズメイの威容が迫ってきたところで、自由落下を続ける爆弾に変化が生じた。
球体状の爆弾本体にびっしりと取り付けられていたプラグのようなものが、一斉に内側へと押し込まれたのである。
それは撃鉄のようなものだった。
それで内部にある信管を、360度全方位から一斉に打撃しない限り爆弾は起爆しない―――意図せぬ起爆を回避するための安全装置である。
その直後、ムガラグ街道上空で白い光が弾けた。
爆弾を内側から食い破るように、純白の”泡”のようなエネルギーが溢れ出たのである。
爆弾内部で不活化されていた対消滅エネルギーが、信管の動作により活性化された結果であった。それは自らの殻すらも瞬く間に食い散らかすや、獲物を見つけたアメーバの如くゾンビズメイの頭上より覆いかぶさり、そのまま周囲へと広がっていった。
雲が、大地が、そして大気までもが―――白い泡、対消滅エネルギーに触れたありとあらゆる物質が削り取られ、消滅していく。
破滅の力の具現が実に130年ぶりに目を覚まし、破壊の限りを尽くした瞬間であった。
対消滅爆弾
・直系
37m
・重量
103t
・動作方式
全方位同期信管式
旧人類が発見した『対消滅エネルギー』、それを兵器転用し実用化した最終兵器。”触れたものを物体や性質に関係なく消滅させる”効果を持つ対消滅エネルギーを広範囲に拡散、広範囲の物体を完全消滅させる。
核兵器と異なり放射能を撒き散らす事もなく有害物質も生じず、更に小改造を施す事で動力エネルギーとしても転用できる有用性からテンプル騎士団に目をつけられ、今から130年前に来襲したテンプル騎士団により奪取、彼らの手により大々的に運用された。
製法自体はノヴォシアに残っており、現在運用されているのは旧人類のレシピから当時の代物を再現した兵器群であるとされている。
※備考
『異世界で復讐者が現代兵器を使うとこうなる(こうなるシリーズ第三部)』にてテンプル騎士団が大々的に使用していた兵器や動力機関に【対消滅榴弾】、【対消滅機関】といった代物があるが、その出所はノヴォシアから奪い取ってきたものである事が、近年開示されたテンプル騎士団側の作戦記録により明らかになっている。




