精鋭参戦
走馬灯を見る機会は、結果として与えられなかった。
死の直前、これまでの人生を幻覚でも見ているかのように振り返るという現象―――騎士として軍服を身に纏い戦場に立つ以上は、いつかは自分も死ぬことになるのであろう。勇敢な先人たちが果敢に戦い、そして戦場に命を散らしていったように。
そうなるのは真っ平御免であるが、しかし不謹慎ではあるものの走馬灯を見てみたい、少し興味がある、という気持ちも心の片隅にあった。
しかしそれも、叶わない。
ゾンビズメイの口腔、大きく開かれ最奥が露になったそこへと、ヒュン、と空気を切り裂く音を立てながら一発の砲弾のようなものが真正面から飛び込んだのである。
口腔に充填されていたエネルギーの塊に触れ、砲弾のようなものが炸裂する。あんな高熱の塊に炸薬をたっぷりと充填した砲弾を叩き込まれれば、文字通り自らの火力で苦しむ事になるであろう。
ブレス攻撃で全てを焼き尽くそうとしていたゾンビズメイ。しかし口腔から躍り出たのは自らの熱線などではなく―――砲兵隊の兵士たちや指揮官は知らぬ事だが、『TOW』と呼ばれる対戦車ミサイルの炸裂で生じた火柱がブレス代わりに迸った。
『ゴォォォォォォォォォォ!!!』
大きく首を持ち上げ、口の中を焼き尽くされたゾンビズメイが苦しそうに咆哮する。
いったい誰が、と指揮官は周囲を見渡した。
自分の部下たちが放った攻撃―――では、ない。今しがた退避命令を出していたし、そうでなくとも各々が退避に入ろうとしていたから、ライフル砲の操作を継続していた肝の据わった砲兵など存在しない筈である。
どこからの攻撃なのか、何者なのか―――それを察するよりも先に、怯んだゾンビズメイの頭部へと、先ほどと同じ攻撃が続けざまに叩き込まれる。
第二、第三の鉄槌がゾンビズメイの顔面を殴打し炸裂。爆発の中で生じたメタルジェットが外殻を射抜かんと牙を突き立てるが、しかし不完全とはいえ相手はエンシェントドラゴン。腐っても伝説の邪竜、その切れ端なのだ。
しかしいかに大砲の直撃を完全に防ぎ、あらゆる魔術から自らを完全に守りきり、英雄豪傑の一撃をも受け付けない堅牢極まりない外殻を以てしても、衝撃までは殺せない。
貫通こそできなかったが、立て続けに叩き込まれた対戦車ミサイル着弾の衝撃がゾンビズメイの頭蓋骨を超え、内に収まる腐敗した脳味噌を激しく揺らす。
ブレスを暴発させられた上に軽度の脳震盪まで引き起こされたゾンビズメイ。
迫りくる大怪獣に一矢報いたのは、戦場に高速接近してくる3機の『機械の鎧』であった。
「あれは……?」
最初は帝都から移送されてきた例の切り札か、と指揮官は思った。帝都モスコヴァには、広大なノヴォシア帝国の最先端技術が集まる。だからあれも帝都で開発された最新鋭の兵器なのではないか、と思い至ってしまうのも軍人であれば仕方のない事なのかもしれない。
しかし望遠鏡で確認してみると、違うという事がすぐに分かった。
先頭を行く1機の手には重機関銃のようなものが握られており、しかし水冷用のタンクらしきものは装着されておらず、すらりとした銃身が剥き出しになっている。空冷式なのだろうか。
背中には4つの筒を束ねたような武器が左右に1基ずつ搭載されており、そのうちの1つからは煙がたなびいている。先ほどゾンビズメイを怯ませたのはあの武装なのだろう。
そして機体の肩には、何やらマーキングがあった。
口に剣を咥え、翼を広げる飛竜のエンブレム。そしてその下には日の丸のマーキング。
「あれは……」
―――血盟旅団。
昨年活動を開始したばかりの新興ギルドでありながら、ガノンバルド討伐やマガツノヅチ討伐、イライナ地方からの共産主義者の放逐にアルミヤ半島の解放など、打ち立てた偉業の数々は新興ギルドのそれではない。
そのギルドを率いるのは、実力者として名高い『雷獣のミカエル』。
「まさか……彼らも戦場に……?」
駆り出されたというのか。
この神話そのものを相手にするような、熾烈極まりない戦いの場に。
勝機の見えぬ絶望の戦い、その只中に。
とんだ命知らずだと言いたかったが、しかし今ばかりは彼らがこれ以上ないほど頼もしく思えた。
「こちらは血盟旅団、団長のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」
通信を機外スピーカーに切り替えて放送しながら、帝国が正式に『ゾンビズメイ』と呼称する事となった化け物にブローニングM2重機関銃を射かける。
お前の相手はこっちだ、と物理で語り掛けながら前進。こちらに釘付けになっている砲兵隊を尻目に放送を続ける。
「騎士団砲兵隊に告ぐ。ここは我々が引き受ける。今のうちに陣地転換を」
こういう時、自走砲の利便性というものを痛感させられる。
戦車と自走砲は似通った見た目をしているが、目的や誕生の経緯は大きく異なる。自走砲をざっくり説明すると、今までは地面に設置したりトラックで牽引して運搬していたような榴弾砲の類にエンジンと履帯などを搭載し自力での移動能力を持たせたものだ。
戦車と違って真っ向から敵と殴り合うのではなく、効果的な砲撃と素早い陣地転換を行うための進化と言える。
しかしこの世界ではまだ自走砲という概念は存在せず、野砲や歩兵砲の類はトラックで運搬するか、あるいは分解して荷馬車に乗せて現地まで運んで組み立てるか……いずれにせよ、現代の基準で考えると恐ろしく使い勝手の悪い兵器となっている。
陣地転換完了までに一体どれだけかかるのか、あまり考えたくはなかったが、しかし今は全力を尽くすしかない。ここであの化け物を食い止められなければ、俺たちもあの業火に焼き尽くされるだけだ。
クソッタレめ、せっかく姉上の計らいでリガロフ家の三男として認められたのだ……庶子からグレードアップしたばかりだというのに、こんなところで死んでたまるか。
執拗なブローニングM2のジャブをさすがに煩わしいと感じたのだろう。ゾンビズメイのぎょろりとした眼がこっちを向いた。さながら死んだ魚のように眼球はすっかり白濁していて、まるで壊死しているかのようだ。実際に視力があるのかどうか疑わしいところではあるが―――しかし奴は右へと移動を始めた俺を眼で追っている。
ということは、視力はあるのだろう。せめて超近眼である事を祈りたいものだが。
左手でコンソールを殴りつけるように弾き、左肩のランチャーをスタンバイ。
照準を合わせながら、奴の右足に注目した。
ゾンビズメイは首だけの状態から脚を生やし、這いずるように移動を開始したのは俺が観測している。そして同時に、その脚がまだ外殻に覆われておらず筋肉繊維が剥き出しになっている事も把握済みだ。
砲兵隊の指揮官も無能ではなかったらしい。外殻に弾かれるならばと砲火を右足に集中させていたようで、腐敗し赤黒く、あるいは紫っぽく変色した剥き出しの筋肉繊維には痛々しい砲弾の穿った傷跡と、それを塞ごうと必死に蠢く腐敗した筋肉繊維の束が見えた。
照準をそこに合わせ、引き金を引く。
ボシュ、とTOWが発射された。
同じように後続の機甲鎧―――モニカの駆る2号機と、カーチャの駆る予備の3号機も俺の意図を察したようで、同じように第二のTOWを発射する。
機甲鎧の頭部の代わりに搭載されたレーザー照射用の小型ターレットが旋回、レーザーをゾンビズメイの右足、再生途中の傷口へと照射し続ける。不可視のレーザーの導きを受けた合計3発のミサイルが軌道を微妙に変更、そのままこちらに吼えようとするゾンビズメイの古傷に、その弾頭を打ち付けた。
ドチュ、と肉の潰れる音。腐敗し赤ワインみたいな色になった血と、ビールみたいに黄色い膿が傷口から吹き上がる。
『ギャオォォォォォォォォォォ!!』
ゾンビズメイが咆哮した。
さすがに古傷を穿られれば痛いのだろう、苦しいのだろう。しかしそれはあまりにも小さすぎ、決して致命傷と呼べるものではないという事は分かる。
確かに痛いのだろうが、ゾンビズメイのサイズ的に考えるとタンスの角に小指をぶつけたようなもの。痛みはあるだろうが命に別条のあるような傷ではない。
だがしかし、こちらにも考えはある。
一番最初の交戦で、ゾンビズメイの弱点は把握しているのだ。
傷口を直撃したミサイルは、しかし炸裂する事は無かった。弾頭部を腐敗した筋肉繊維にめり込ませたまま、さながら不発弾のように静止している。
次の瞬間だった。
不発かと思われたミサイルの弾頭部が、パパパンッ、と炸裂音と共に爆ぜる。ごく少量の炸薬で弾けた弾頭部から溢れ出たのは全てを焼き尽くす爆風でも、戦車の装甲を穿つメタルジェットでもなかった。
可能な限り充填した水―――多くのアンデッドが弱点とし忌み嫌う、聖水である。
聖水はアンデッド系の魔物の弱点であると同時に、古くから魔除けのお守りとして親しまれてきた。小瓶いっぱいに聖水を入れ、枕元に置くことで多くの災いから人々を守るのだ。
今では水道の水に教会で行われる祝福の祈祷を施す事でその水は聖水へと生まれ変わるが、飲料水には適さぬ水を薬品で消毒した水道水よりも、長い年月をかけて大自然が濾過した湧き水や清潔な井戸の水の方がより効き目があるとされている。
シスター・イルゼの働きかけにより集める事に成功した聖水―――それが、TOWの弾頭部から溢れ出た水の正体であった。
そしてそれを苦手とするのは、このゾンビズメイも同じだった。
さながら酸を落としたかのように、ジュウ、と溶けるような音を発しながら、聖水の降りかかった場所から真っ白な煙が立ち上ったのである。
『ギャオォォォォォォォォォォ!!!!』
《効いてるわミカ!》
「よし……っ!」
コイツの弱点が聖水である事は、パヴェルが身体を張って教えてくれた。
いかに強力な竜、その切れ端といえども、死から蘇るという生命の在り方を捻じ曲げた成れの果てたるアンデッドになってしまった以上は、この弱点からは逃れられないのである。
しかも外殻の上からでも通用した聖水充填型ミサイルを、外殻に覆われておらず筋肉が剥き出しの状態の脚に叩き込んだのだからたまらない。降りかかった聖水が筋肉繊維の融解を急激に促進し、ゾンビズメイの右足が凄まじい速度で溶けていく。
苦痛の咆哮を発し暴れ回るゾンビズメイであったが、しかしどれだけ叫んでも苦痛から解放される事は無かった。
やがて骨まで溶かされ、煙を上げる右足が本体から切り離される。ごろり、とさながら解体されたばかりの肉牛の肉塊の如く地面に転がったゾンビズメイの右足が、真っ白な煙の中で形を失い完全に溶けるまで、そう時間はかからなかった。
片足を失い、身体を大きく揺らしながらのたうち回るゾンビズメイ。
これならば切り札とやらが到着する前に討伐できるのではないか。こんなにも聖水に異様な脆さを見せるならば、あるいは……!
が、しかし。
その程度で殺せる相手ならば、伝承に名を遺してなどいない。
今度は左足だ、と照準をゾンビズメイの左足に合わせたその時だった。
バキュ、と外殻が砕けるような音が響いた。
真っ黒な外殻が夜空に舞い上がり、さながらフレシェット弾のように打ち上げられる。上空を飛行しながら爆弾を投下したり、視界確保のために照明弾を投下していた飛竜隊のうち何名かがその外殻の直撃を受け、夜空に血の華を咲かせ、肉体を寸断された状態で大地に墜落していった。
割れたのはゾンビズメイの外殻―――その背中を覆う部分だった。
「……は?」
ゾンビズメイの身体を突き破り、巨大な物体が屹立する。
それは―――深紅の結晶だった。
鮮血を固めたような、あるいは精巧に削りだしたルビーの塊にも見える、紅の結晶。美しく、同時に禍々しくもあるそれが腐敗した血に塗れ、うっすらと深紅のスパークを発しながら、ゾンビズメイの背中から”生えて”いるのだ。
伝承にあった本物のズメイの背にも、あのような結晶体が備わっていたというが……まさか。
続けて今度は側面の外殻が弾け、内側から肉の塊が濁流のように溢れ出た。
巻き込まれないように後方へと退避する俺たちの目の前で、その肉の塊は凄まじい速度で前足を形成。剥き出しだった前足が、あっという間に黒い外殻に覆われていく。
先ほど溶断した右足も同様だった。聖水で焼ける断面から、そのダメージを呑み込んでしまうほどの暴力的な量の肉塊が溢れ出し、瞬く間に後ろ足も外殻とセットで再生させていく。
ビキビキッ、と首回りの外殻にも亀裂が生じたかと思いきや、亀裂を生めるように外殻がどんどん再生していった。
―――首が伸びている。
それだけではない―――断面だけが、大英雄に切断された首の断面を生々しく見せつけていた古傷からも肉塊が溢れ出すや、それは3秒もしない間に長大な、目測で100m以上はある巨大な尻尾を生成してしまう。
凄まじい速度での再生だった。
砲兵隊の決死の反撃と、俺たちの聖水を用いた攻撃。もしかしたら滅ぼされるかもしれないという危機感が、ゾンビズメイの本能を刺激してしまったのだろう。
本体よりもやや小さく、翼もなく、首は一つだけだが―――首だけだったゾンビズメイは、在りし日の邪竜に近い姿に”変異”したのである。
『ギャオォォォォォォォォォォンッ!!!』
「おいおい、こりゃあ……」
《ちょっと……反則じゃないの?》
殺せるのか、こんな化け物を。
心が折れそうになったその時だった。
陣地転換の途中だった砲兵隊が、北西の空を指差しながら何やら声を上げているのを機外収音システムが拾い上げた。
視線をそちらに向けると、そこには信じられないものが見えた。
「……は?」
《いや、ちょ……え?》
《何よアレ》
空に浮かぶ、血のように紅い三日月。
それを背景に、総勢10体の飛竜が巨大なワイヤーで、これまた巨大な何かを吊るして運んでいる姿が浮かび上がる。
やがて、吊るされていたそれが地上へと投下された。その圧倒的質量と重量をもろにうけることになった地面が爆ぜ、巨大な土煙が噴き上がる。
さながら爆心地のようなそこから巨大な剛腕を突き出し、大地にその足跡を刻んだのは―――退化しかけの前足を含めて8本もの脚を持ち、同じく世界中で猛威を振るった怪物だ。
そう―――”征服竜ガノンバルド”である。
しかも、ただのガノンバルドではない。
身体の各所に、帝国騎士団所属を意味する金属製の甲冑や防具が装着されているのだ。
《ガノンバルドって……調教は出来ない筈じゃ……》
そう、モニカが言うのも無理はない。
征服竜として知られる外来種、ガノンバルドは決して人には懐かない。卵から孵化したばかりの幼体の時点でも凶暴で、調教担当者を食い殺した事例もある程だ。
しかしあのガノンバルドは……まさか本当に、調教に成功した個体だというのか?
まさかアレが、帝国騎士団の切り札……!?
『グォォォォォォォォォォォォォンッ!!!』
『ギャオォォォォォォォォォォォンッ!!!』
ガノンバルドの咆哮に呼応するように、変異を終えたばかりのゾンビズメイも咆哮を発する。
血のように紅い三日月の下―――巨竜同士が激突した。
次回、大怪獣バトルが始まります(は?)




