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砲嵐白夜


 ライフル砲が旧人類の遺跡から発掘されたのは、つい最近の事だ。


 従来の、黒色火薬の急激な燃焼と爆発に耐えうる金属製の筒に過ぎなかった大砲に対し、ライフル砲は弾速に優れ、また砲身内部に刻まれたライフリングの恩恵もあって、これまでの大砲では決して到達しえなかった命中精度を獲得するに至ったのである。


 それは今までの大砲をあっという間に過去のものとした、革新的な兵器であった。


 とはいえその実用化にはそれなりの期間と資金が費やされた。今までの獣人たちの工業力では砲身内部に正確なライフリングを刻むのが困難であり、完成したとしても不正確なライフリングのために弾道が不安定になったり、そうでなくとも倍以上のコストがかかってしまう事など珍しくはなく、しばらくは旧来の大砲が砲戦の主役になるであろうとまで言われていたのである。


 しかし問題点を洗い出し、量産体制が整った事でまとまった数の配備が推し進められた最新鋭のライフル砲はノヴォシアの新たな矛として戦場で猛威を振るい、砲戦においては他の列強諸国に先んじる結果となった。


 だがそれは、()()()()()()()()()()()


 相手が邪竜ズメイ(ズミー)、その首の一つともなれば効果の程はたかが知れている。


 無数の照明弾が白夜の如く平原を照らし出す。


 ゲラビンスク市街地へと続くムガラグ街道に布陣した、帝国騎士団砲兵隊が投入したのは合計50門の37mmライフル砲。周囲には総勢300名のライフルマンと擲弾兵も展開しているが、敵の戦列歩兵を食い止めるならばまだしも、怪獣の如き巨大生物を足止めするには心許ない戦力だった。


 発射された37mm徹甲弾が、ゾンビズメイの外殻を打ち据える。


 外殻の隙間や古傷から生えた触手は、徹甲弾の直撃にまるで引き千切られるように吹き飛んだ。だがしかし、砲弾の集中豪雨を浴びているにもかかわらず、ゾンビズメイの進撃速度は衰えない。死んだ魚の目のように白濁し、視力も失われた眼球でどこか明後日の方向をぼんやりと見つめながら、腹を地面にこすりつけ、生えたばかりの両足で不器用に地面を蹴りながら、ずりずりと大地に巨大な轍を刻んで進撃を続ける。


 砲撃の効果は全くと言っていいほどなかった。


「着弾……されど効果ナシ」


「……クソ」


 砲兵隊の指揮官は悪態をつきながら、サーベルを握る手に力を込めた。


 分かっている事だった。37㎜ライフル砲は優秀な野砲ではあるが、あのサイズの竜と戦う事は想定していない。


 しかしより巨大な砲ともなると運搬は困難になるし、何より無駄な出費を嫌う財務省が予算を下ろしてはくれない。それに近年ではこのレベルの魔物や竜による襲撃はめっきり無く、それならば維持に費用ばかりがかかる大型砲はさっさと退役させて財布に優しいライフル砲に統一すべし、と騎士団本部が決定したせいで、今の彼らの手元には37mm砲くらいしか残されていなかった。


 歩兵の火力支援も、敵陣地への砲撃も、どれもこれもが37mm砲に一本化されてしまっているのである。


(クソッタレの上層部め……死んだら砲兵隊一同、枕元に化けて出てやる)


 上層部への呪詛を心の中に滲ませながら、「次弾装填!」と声を張り上げた。


 じりじりと寄ってくる巨大生物―――怪獣のようなそれに、しかし心を折られかけながらも逃げ出さない彼の部下たちは称賛に値するであろう。


 震えた手で閉鎖機のレバーを操作、黒色火薬特有の刺激臭を纏った薬莢を排出し、内部の汚れを確認(黒色火薬は多くの汚れを生じるのだ)、まだ砲撃が可能であると判断した装填手たちが両手を震わせながらも37mm徹甲弾を装填。閉鎖機を閉鎖し砲撃準備を終える。


 指揮官は望遠鏡を覗き込み、その焦点をゾンビズメイの脚に合わせた。


 確かに外殻は堅い―――が、しかしそれも完全ではないらしい。


 首から生えた後ろ足の部分。そこは再生が完全ではないのか、他の部位とは違って外殻に覆われているわけではない。腐敗した赤黒い筋肉繊維が、しかし生きている生物のように伸縮を繰り返しながら、全長60mの巨体を前へ前へと押し出している。


 そこを狙わない手はない。


「次弾、ゾンビズメイの右足を撃て!」


「照準誤差修正! 左3度、俯角1度!」


 測距儀を携行した観測員からの指示を受け、装填を終えたライフル砲の砲手たちが指示通りに照準を調整する。ぎりぎりと音を立てながら合計50門のライフル砲が旋回、砲身をやや下げゾンビズメイの脚へと狙いを定める。


「―――Огонь!!(撃てぇ!!)」


 サーベルが振り下ろされると共に、50門の37mmライフル砲が一斉に火を吹く。


 狙いの逸れた数発が地面にめり込むか、ゾンビズメイの外殻を直撃してしまい跳弾、あるいは弾頭部を砕かれてしまうという憂き目に遭ったものの、少なくとも30発程度の砲弾は期待通りの場所に―――ゾンビズメイの右足に牙を突き立ててくれた。


 案の定、予想通りだった。


 確かにあれだけの巨体を動かすほどの筋肉が集まった部位だ。その密度も質量も、通常の生物では考えられないレベルであろう。外殻で覆われていないとはいえ、それでも生半可な貫通力ではダメージすら与えられない筈だ。


 しかしこちらは最新鋭の37mmライフル砲で編成された砲兵隊であり、それを扱う砲手たちも国内での魔物との戦いや列強国との小競り合いで実戦を経験、中には勲章を授与された砲手もいる。


 ゾンビズメイからすれば、蟻に噛まれた程度のものであろう。


 だがほぼ同じ部位に、30発もの徹甲弾が撃ち込まれればどうなるか。


 肉の中に深々と、そして立て続けに30発の徹甲弾がめり込んだ。腐敗した肉片と赤黒い血飛沫が噴き上がり、やっと今になってあのゾンビズメイが苦しそうに首をもたげ、口を大きく開けて咆哮を発する。


『ギャオォォォォォォォォォォンッ!!!』


「効いてる……き、効いてますっ!」


「まだまだァ! 泣きを入れたらもう一発だ!!」


「装填! 弾種・諸元同じ!」


「弾種・諸元おなぁじ!!」


 希望の光が見えた。


 そうだ、ここであの()()を倒す必要はない。文字通り足止めをすればいい……帝都から向かっているという切り札が戦場に到着するまで足止めする事が出来れば、この戦争は彼らの勝ちなのだ。


「Огонь!!(撃てぇ!!)」


 ライフル砲群が一斉に火を吹く。


 37mmライフル砲が鬨の声を上げた瞬間だった。薬室から十分なエネルギーを受け取り、燃焼ガスに押し出された砲弾が、ライフリングにより回転を与えられた状態で砲口から躍り出る。先ほどと同一の諸元で放たれた砲撃だ、今度も外れようがない。


 抗う意志を宿しながら放たれた37mm徹甲弾の弾雨が、予想外のダメージにもがき苦しむゾンビズメイに容赦のない洗礼を浴びせた。腐敗した肉片が吹き飛び、膿や赤黒い血が飛び散り、長い首を大蛇のようにくねらせ呻き声を上げていたゾンビズメイが一際大きな咆哮を発した。


 救いを求めるような声にも聞こえたが、しかしそんなものは訪れない。


 数多の人々を蹂躙し、数多くの命を奪い、破壊の限りを尽くした邪竜に救いなど与えてやるものか。砲兵たちの意思は一つだった。この竜をここで倒せなくとも、せめて可能な限りの苦痛は与える。散っていった仲間や先人たちの無念をここで晴らし、雄々しく戦ってこの世を去った英霊たちへの手向けとするのだ―――。


 黒色火薬の煙が濛々と立ち昇り、その爆発的エネルギーに押し出された徹甲弾のスコールが、先ほどと同一の諸元でゾンビズメイに牙を剥いた。


 無害な存在、無力な敵勢力……ゾンビズメイに人間のような自我がもしあったならば、きっと彼らをそう見下していたであろう。


 しかし、忘れてはいけない。


 食物連鎖という上下関係がはっきりした世界の構造の中で、唯一人類だけが―――上位存在に抗おうとするのだという事を。


 そしてその悪足掻きで、多くの格上を打ち倒してきたという事を。


 獣に牙があるように、羽虫にもまた牙はあるのだ。


 ドドドッ、とゾンビズメイの右足に、一斉砲撃の第二波がまとめて突き刺さる。


 赤黒い血飛沫と、腐敗しきった膿のような体液が噴き上がった。さながら海を泳ぐ巨大なクジラに銛をぶち当てたかのようで、辺り一面が降り注ぐ血肉で瞬く間に真っ赤に染まる。

 

 しかし今度は、先ほどとは違った。


 ボギュ、と何かが折れる音を、指揮官は……そして一部の砲兵たちもまたはっきりと耳にした。


 同一の諸元、されど先ほど狙いを外した一部の砲は砲手の経験を元に微調整を行い発射したため、先ほどの一斉射と比較すると今回の命中弾は多く、そして命中弾が着弾した面積も狭かった。


 それが結果として、ゾンビズメイに予想外の痛手を与える事となったのだ。


 人間でいうところの太腿に集中砲火を浴びたゾンビズメイの右脚。それに食い込んだ砲弾の一部が分厚い筋肉繊維を穿ち、その内にある骨にまで達したのである。


 地面を蹴り、踏ん張るようにして巨体を推し進めていたゾンビズメイの右脚から、目に見えて力が抜けるのを見た。いかに強靭な筋肉を持っていようと、どれだけ発達した脚力を秘めていようと、その筋肉の中にあって歩行を支える大黒柱たる骨が折れてしまってはどうする事も出来ない。


 前に進もうともがくゾンビズメイであるが、しかし脚は動かない。


「好機です!」


「各砲、各個に撃ち方はじめ!」


「各個撃ち方!」


「各個撃ち方ァ!」


 絶望の中で見えた光こそ、人を躍進させるものはない。


 もしかしたら勝てるかもしれない。


 もしかしたら行けるかもしれない。


 どこまでも続く暗黒の絶望の中、一片の星明りのように瞬いた希望の光。それに鼓舞された砲兵たちの手からはもう、先ほどのような震えは消えていた。


 流れるような動きで薬莢を排出、ブラシを砲内に挿入して燃えカスを排出し、次弾を素早く装填していく砲兵たち。現代の戦闘においては縁の下の力持ちであり、騎兵と比べると華がない地味な存在とされる彼等であるが、しかし今だけに限って言えば間違いなく彼等こそが主役であった。


 それはまさに、ズメイ(ズミー)襲来時の伝説として今なお騎士団に語り継がれる伝説―――大英雄イリヤーとその盟友ニキーティチが戦場に到着するまで、当時の騎士団砲兵がズメイ(ズミー)相手に奮戦したという『ゲラビンスクの血戦』、まさに今がその再演であった。


 装填を終えた砲から矢継ぎ早に火を吹く。狙いはもちろん、ゾンビズメイの再生途中の右足だった。


 千切れた筋肉繊維が触手のようにうねり、体液が噴水のように噴き上がる。筋肉繊維同士が絡み合い、骨の断面から漏れ出た骨髄が瘡蓋のように塞がって新たな骨を形成し、その周囲を更なる筋肉が包み込んでいく。


 しかし再生を終えた傷口を、更に撃ち込まれた37mm砲の徹甲弾が容赦なく引き千切っていった。


 再生すれども、またすぐに新たな傷を刻まれてしまうものだから、ゾンビズメイも苛立ったように咆哮を発した。


 骨にまで達した傷も再生を始めるが、しかし砲兵隊のベテランの砲手たちはそれを見逃さない。すぐさま先ほどと同一の諸元で砲撃し、再生途中の傷口に塩を塗り込むが如く、徹甲弾を強引に捻じ込んでいく。


 再生が遅々として進まず、ゾンビズメイの脚が完全に止まった。


 だがしかし、これもいつまで続くか。


 訓練の成果を実戦で遺憾なく発揮する砲手たちの技量に感嘆させられながらも、指揮官は焦燥感に駆られていた。


 先ほどから随伴した補給部隊がゲラビンスクとムガラグ街道を往復し、非常事態宣言の発令により戦時下体制でフル稼働する工場から出来立てほやほやの砲弾を運搬してくるが、しかしいつ消費量に供給量が追い付かなくなるか……。


 金の切れ目が縁の切れ目という言葉があるが、今に限って言えば『砲弾の切れ目が命の切れ目』である。


 文字通り命を削ってあの大怪獣を食い止めているようなものだ。


 上空で照明弾を投下し続ける飛竜部隊も、指を咥えて見ているだけではない。


 照明弾や火焔爆弾の他に通常の爆弾を装備した飛竜隊が、砲兵隊の砲撃を手助けするように飛竜から爆弾を投下し始めたのである。


 中には上空からほぼ逆落としの急降下を敢行、その勢いを乗せて飛竜の鞍に括りつけた爆弾を投下し、それを見事に再生中の傷口に直撃させる度胸のある竜騎士ドラグーンの姿もあった。


 だが、しかし。


 加減を知らぬ決死の反撃が、むしろズメイ(ズミー)の逆鱗に触れてしまったのであろう。


『ゴォォォォォォォォォォッ!!!』


 天を撃ち抜き、大地を割らんが如きズメイ(ズミー)の咆哮。


 伝承に伝わる伝説の邪竜、在りし日のそれに違わぬ咆哮を発したズメイ(ズミー)の口に、赤黒い光が燈る。


 ブレスだ。


「いかん……!」


 報告によれば、首だけの状態でもその一撃は大地に巨大な焼け跡を残し、山の斜面を大きく削って地形を変えてしまったほどだという―――そんなものを薙ぎ払われたら、おしまいだ。


「撃ち方止め、総員退避!!」


 急げ、と叫ぶが、しかしかの邪竜の口腔には既に禍々しい光が充填されていて―――。





 それが膨れ、溢れた。





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