ゾンビズメイ
ノヴォシア帝国 ノヴォシア地方
帝都モスコヴァ
モスコヴァ宮殿
ズメイ、という名前はノヴォシア人たちの記憶に強く、そして色濃く刻まれている。
かつて旧人類の統治していた時代に大暴れし、ノヴォシア帝国に深い爪痕を残していった邪竜。その正体はあらゆる生命の起源、神々の手により作り出されたという黎明期のエンシェントドラゴン―――その中でも特に邪悪で恐ろしく、そして強力であったとされている竜、ズメイ。
ノヴォシア語及びベラシア語では『ズメイ』、イライナ語では『ズミー』と呼ばれるその名を、この世界の人類は忘れた事など一度もない。
一度尾を薙げば大地が抉れ、脚を踏み締めれば山は崩れ、翼を広げれば空は裂け、そして火を吹けばあらゆる都市は灰燼に帰したと言い伝えられている。
当時の帝国が派遣した騎士団の討伐隊もまるで歯が立たず、当時は奴隷階級であった獣人の中でも特に腕の立つ戦士であったイリヤーと、彼が旅の最中に出会った盟友ニキーティチ……その英雄たちが2人がかりで挑み、しかし討伐は出来ず封印するのがやっとであったとされる。
それほどまでにズメイは強力な存在で、だからこそ普段は騎士団出動を予算の面から渋る財務大臣も金に糸目をつけないと確約したし、そして敵を侮る傲慢な態度が目立つ大貴族の面々も重々しい雰囲気の中、鋭い眼光で会議に臨んでいた。
臨時で開かれた本日の帝国最高議会、その議題は他でもない―――ゲラビンスク郊外に突如として出現、第107観測所を壊滅させたズメイ、そのゾンビ化した首の1つに対する騎士団の出動計画並びに緊急予算編成である。
「しかし……よもやズメイが蘇るとは」
「一体誰だ、封印を解いたのは」
「いや、封印というのは時が経てば経つほど効果が弱まっていくもの。首の封印が解けたのはもしや……」
周囲に並ぶ大貴族たちのざわめきの中、大会議場の中心にあって他の大貴族たちよりも高い位置に特等席を用意されている1人の女性―――皇帝陛下、『カリーナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ』は提出された資料を、シベリウスの永久凍土の如く冷たい瞳で凝視していた。
ズメイ、その名は今までに何度も耳にした。
古い時代、ノヴォシア帝国に爪痕を残した強大な邪竜。そしてそれに挑んだ大英雄イリヤーとニキーティチの英雄譚は当時の幼かった彼女の心を躍らせ、しかし同時に恐れさせた。最も恐ろしかったのが、大英雄が2人がかりで挑んでも討伐ではなく封印が精一杯であったという怪物が、未だ存命中であるという事であった。
もしそれが復活したら、ノヴォシアは次こそ破滅へと至るであろう。もうこの帝国には、あの邪竜に挑んで打ち勝てるような大英雄イリヤーは存在しないのだから。
そしてそれが現実になってしまった―――嫌な事に限って現実になるものである。
溜息を1つこぼし、皇帝カリーナは傍らに控えていた騎士団の高官を手招きした。
「はい、陛下」
「……”例の兵器”を準備せよ」
「……しかしアレは帝国の」
「切り札、と言いたいのであろう?」
こんな状況になっても未だ切り札を出し惜しみしようとする騎士団の体勢に辟易しながら、少しばかり後押しする。
「その切り札、今使わずしていつ使う? 帝国存亡が間近に迫っているのだぞ?」
「……はっ、偉大なる皇帝陛下の仰せのままに」
頭を深々と下げた高官を一瞥し、皇帝カリーナは透き通るようなライトブルーの瞳を細めた。
帝国の切り札―――しかし出し惜しみしていい局面ではないのだ。
あくまでも出現したのはズメイ本体ではなく、大昔にイリヤーとニキーティチの両名がかの竜とアラル山脈にて死闘を演じた際、渾身の一撃でやっと斬り落とした3つの首のうちの1つ、それがゾンビ化したものであるという。
しかしそれでもエンシェントドラゴンである事に変わりはない。
さらに、出し惜しみが許されない理由はもう一つあった。
それがもう一枚の報告書に記載されている。
曰く、『ブレスを吐き、身体の冷却のために外殻を解放して放熱、そのまま沈黙していたズメイの首に脚が生え、そのまま大地を削るように這いながら移動を開始した』というのである。
もしその首に再生能力があって、段々と”本来の姿”に戻ろうとしているのだとしたら―――最終的に肉体の腐敗は再生せずとも、完全な形態へと再生を果たしてしまう恐れもあるのだ。
そうなってしまえばどうなるか。
完全再生を果たした”ゾンビズメイ”と、そしてやがては封印から目覚めるであろうズメイの本体、その2体を人類は相手にしなければならなくなるのだ。
破滅の芽は早めに摘み取らなければならない―――そのためにも、出し惜しみしている暇はないのだ。
「クズネツォフ将軍」
「……はい、陛下」
腰にサーベルを提げ、会議の進行をもどかしそうに見守っていた帝国騎士団の上級大将―――クズネツォフ将軍を呼ぶなり、皇帝カリーナは言った。
「皇帝の権限で、”対消滅爆弾”の無制限使用を許可した」
「ありがたき幸せ」
対消滅爆弾―――獣人たちの創造主、旧人類たちが見出したとされる、”この世界で最も破壊力のある兵器”。
そして彼女たちは知らぬ事であるが、その原料となる『対消滅エネルギー』の存在が、130年前のテンプル騎士団襲来、そして旧人類滅亡の呼び水となったのである。
その破滅の力が、ついに実戦投入される日が来たのだ。
「―――消せ、かの邪竜を」
帝国が本気を出した瞬間だった。
「帝国最高議会にて非常事態宣言の発令が宣言された」
やっとか、と思いながら耐火性のあるツナギへと着替え、ヘッドギアを片手に機甲鎧の上部にあるハッチからコクピットに滑り込む。
キーを捻りエンジンをかけると、コクピットの中が一気に明るくなった。暗闇の中で沈黙していた計器類に光が燈り、機体の背面に搭載されたガソリンエンジンが唸りをあげる。
「既に予備役の動員も始まっているらしくてな。帝都から派遣された部隊もこっちに急行中だそうだ」
「ソイツは良かった。んで、騎士団から作戦については何か聞いてるか?」
第107観測所の一件での報酬は既に受け取っているが、それに続けて騎士団から追加の依頼を受けている。予想通りだとは思うが……内容はズバリ、”ゾンビズメイ”討伐作戦への参加、だ。
もちろん快諾した。提示された報酬が破格の1800万ライブルという破格の金額だったという事もある(観測所の調査で750万ライブルである)が、それ以上に乗り掛かった舟なのだから最後まで付き合いたい、という思いもあった。
血盟旅団としては、この祖国存亡の危機に投入可能な全戦力を投入するつもりである。
頭上のパネルにあるスイッチを端から順番に弾き、機体の戦闘システムに異常がない事を確認したところで、ヘッドギアを装着した。被弾時の衝撃から頭を保護するため、という目的でパヴェルが用意してくれたものだが、しかしあんな化け物相手に被弾して頭を守る余裕なんてあるのだろうか……喰らったら即死しそうであるのだが。
メインモニターに機外の映像が映し出されると、パヴェルは整備用のキャットウォークから退避しながら説明を続けた。
《俺たちの仕事は騎士団砲兵隊と一緒にゲラビンスク郊外の”ムガラグ街道”付近に布陣、切り札が到着するまで接近中の”ゾンビズメイ”に対し遅滞戦闘を実施せよ……だそうだ》
「つまるところ捨て駒か。随分と景気が良いねぇ」
《そう言うな、怪獣映画に出演できてると思えばいいさ》
「それやられ役じゃねーかよ」
勘弁してくれ……やられ役でオーディション受けた覚えはねーぞ。
天井からルカの操作するクレーンが、TOWの4連装ランチャーを2基も俺の機甲鎧1号機に搭載。戦闘ヘリに搭載するものを改造した代物だ。これで合計8発の対戦車ミサイルを携行する事になり、現代の基準で言えば絶大な攻撃力を持つと言えるだろうが……相手はあのズメイ、火力不足感が否めないのは気のせいではない筈だ。
メインアームは対戦車ミサイルガン積みのしわ寄せを受け、ブローニングM2を改造した機甲鎧用のライフル1丁のみ。
グローブ型コントローラーに手を通し、機体の両腕がこちらの操縦に追従するかを確認。特に深刻なラグもない事を確認し、ウェポンラックからブローニングM2を拝借、機体を前進させる。
このパヴェルがアップデートした新型機甲鎧『PM-01A”デュラハン”』には、脚部を二脚か四脚のどちらかかから選択できるという特徴がある。以前は四脚でテストを行ったが、今回は機動力を重視して二脚タイプを選択していた。
しかし、帝国の”切り札”ねぇ……さすがに今回ばかりは皇帝陛下もマジになったと見える。ズメイの首だけがゾンビ化して暴れ回っているならばまだしも、それが脚を生やして都市部へ進撃を開始したとなっては只事では済まない。対策を打たねば、ただでさえ陰りが見え始めているツァーリの統治が音を立てて崩れかねず、危険である。
それに―――おそらくは一番危惧しているのが、あのままズメイが再生を続けていったらどうなるか、という事だ。
パヴェルも同じ見解に行き着いている事だが……もしあのまま、脚だけではなく前足や翼、尻尾にあと2つの頭まで再生すれば、あの首だけになったズメイの残りカスみたいな化け物は正真正銘の『もう1体のズメイ』と成り果てる可能性があるのだ。
それだけは絶対に防がなければならない。
首だけの状態になりながらも周囲の生命体を積極的に捕食していたのは、今になって思えば再生に必要な生命エネルギーの吸収が目的だったのではないかと思えてくる。
つまり、ゲラビンスクへと向かっているあのズメイの目的は……。
「……クソッタレめ」
何としても防がなければ。
かつてウチの祖先が成し遂げたように、今度は俺たちがあの竜を食い止めるのだ。
暗闇に明るい光が生れ落ちる。
照明弾だ。帝国騎士団本部や近隣の空軍基地から緊急出撃してきた飛竜隊が、上空で照明弾を投下しているのだ。
さながら小さな太陽のような眩い光。落下傘で空気抵抗を受けながら夜空を漂うマグネシウムの燃える光が照らし出すのは、やはり異形の怪物だった。
「化け物め……」
緊急展開した帝国騎士団先遣隊の指揮官は、望遠鏡のズーム倍率を微調整しながらそう呟く。
レンズの向こうに見えるのは、確かに異形の怪物だった。
ぎょろりとした双眸は真っ白に濁っており、すっかり壊死して視力が失われているようだ。眉間から伸びるブレード状の角も半ばほどからへし折れているし、真っ黒な外殻にはいたるところに割れたような傷跡があって、そこからは腐敗した肉が覗いている。
ドラゴンのゾンビというのは珍しくない。実際、イライナ地方原産の飛竜である『ズミール』(※イライナ語で『ズメイの仔』を意味する)の死体処理を怠りゾンビ化した、という事例も実際にはあるのだ。
しかし、このサイズの化け物がゾンビ化するなど前代未聞もいいところである。それも千切れた首の状態からゾンビ化し身体を徐々に再生、ついには後ろ足を生成して地面を這うように移動するとあっては、再生がそこだけで終わるとも思えない。
騎士団本部より『ゾンビズメイ』と正式に命名された怪物が、腹を地面に押し付けた状態で突進してくる。腐った筋肉繊維が剥き出しの後ろ脚を蹴り、身体をぐいぐいと強引に正面へ推し進めるような格好で突っ込んでくるのは滑稽だったが、しかし時間が経てばやがては歩行するようになるだろうし、更に時間と栄養を与えればどうなるか……かつての悪夢、最悪の竜の襲来を眼前で再現される事にもなりかねない。
そうなる前に、この怪物は消さなければ。
自分たちの任務はここでの遅滞戦闘だ。可能な限りゾンビズメイを足止めし、帝都モスコヴァからこちらに向かっているという”切り札”の到着まで持ちこたえる。その”切り札”さえ到着すればあとはこっちのものである、と基地司令は豪語していたが……果たしてそれが通用するのか。
ドッ、と夜の平原の向こうで、こちらに突っ込んでくるゾンビズメイの周囲に紅い炎が生じた。ゾンビズメイの上空を飛翔する飛竜隊が照明弾に代わり、火焔爆弾を投下し始めたのだ。大きな火炎瓶と言ってもいいそれはゾンビ相手には効果を発揮するが、しかしゾンビズメイはそれすらも意に介さない。いくつ爆弾を投下されようが、周囲が火の海になろうがお構いなしに進撃。展開する砲兵隊へと接近してくる。
「砲撃用意!」
冷や汗を拭い去り、大きな声で自分を奮い立たせるように命じると、背後でライフル砲の準備をしていた砲手たちの復唱が夜の平原に響いた。
聞いた話では、あの血盟旅団の攻撃すら受け付けなかったと聞いている。彼らの持つ先進的な兵器群ですら決定打とはなり得なかったとなると、この37mmライフル砲でどうこうできる相手ではないのは明白だった。
伝説に挑む勇者たち、などと祭り上げられたが、結局のところは捨て駒であり人身御供なのだ。勝ち目の無い戦い、その最前線へと駆り出され、切り札が到着するまでのやられ役を演じよというのが皇帝陛下の御心であるらしい。
肉の壁が御所望であるというならば、やってやろうではないか―――指揮官は腹を括っていた。
どの道、誰かがやらねばならん事だ。それがたまたま、自分のところに鉢が回ってきた。恨むのであればただいたずらに犠牲を強いる作戦を立案した騎士団司令部と、それからこの運の無さであろう。
呪詛はヴァルハラへ持っていこうと心に誓い、指揮官は手にしたサーベルを勢いよく振り下ろした。
「Огонь!!(撃てぇ!!)」
獣人VSゾンビズメイ、決戦の火蓋が切って落とされた。




