インターバル
生きた心地がしない、という言葉はまさにこういう時に使うべきなのだろう。
チェーンガンを撃ち尽くしたクラリスのキラーエッグと、俺たちの窮地を救ってくれたパヴェルたちのIT-1が列車に収納されていくのを見守りながら、よく今回も生き延びる事が出来たものだと自分の悪運の強さに呆れを通り越した複雑な感情を抱く。
第107観測所の一件―――只事ではないという予感はしていたが、しかし現実はいつも悪い事に限ってこちらの予想の斜め上を行くものである。よもや観測所壊滅の原因が変異種だとか新種の魔物だなんて事は無く、伝説の中の伝説、エンシェントドラゴンのズメイ、その首の1つであっただなんて誰が信用するだろうか。
こちらの記録した映像と写真(ちゃんとこっちの技術水準にある映像再生装置でも再生できるようパヴェルが加工してくれたものだ)もクライアントに提出し、報酬もきっちり総額750万ライブル支払ってもらえた。しかしそんな事も気にならなくなるほどの強大な脅威がすぐそこに控えているからなのだろう、大金貰えたやったー、なんて気は全くしなかった。
「うわー、酷くやられてる……!」
「悪いなルカ、大至急整備頼む」
もっふもふの髪を揺らしながら「これ直すの……!?」と困惑するルカに苦笑いしつつ、しかし装甲の右側を融解させられ、軽度のところでも焼き付けを起こした無残な姿のIT-1を見て、よくパヴェルとカーチャも無事で済んだものだと思わされる。
ズメイの放ったブレス攻撃、それに掠っただけであの有様なのだそうだ……直撃していたらどうなっていたかは想像に難くないだろう。
ゲラビンスクに戻ってきてから、俺たちはまず最初にパヴェルやクラリスたちと別れ、生存者を駐屯地に連れて行ってから騎士団に身柄を引き渡し、報酬の受け取りと事情聴取を受けた。
それにしたって騎士団の士官の頭の固さといったら、金剛石のようだった。今回の事件の原因がズメイだと何度説明しても信用してくれず、こちらが命懸けで撮影した映像を見ても「作り物だろう」の一点張り。思い切りジャコウネコパンチしてやりたくなったが、最終的に生存者たちの半ば罵声に近い決死の説得と、戦死者名簿を突きつけられてあの頭のクッソ固い士官も現実と認識したようで、それ以降は駐屯地内が文字通り蜂の巣を突いたような騒ぎになっていたのは実に滑稽だった。
先ほどからゲラビンスク市内が騒がしいのはそれが原因だろう。
市民は東部へと疎開を開始、騎士団本部はとりあえずゲラビンスクに増援部隊の派遣を決定し、非常事態宣言を発令するか否かが皇帝陛下主催の帝国最高議会で採択されているところだそうだ。採択されればノヴォシア帝国は”戦時中”扱いとなり、兵員の合法的な追加動員が可能となる。
ズメイの復活及び襲来とは、ノヴォシア、イライナ、ベラシア三大地方の人間にとってはそれほどまでに大事だった。かつて破壊の限りを尽くし、今となってはあらゆる伝承で後世へと伝えられているその邪竜を忘れたなどと、帝国の人間であれば口が裂けても言えない筈だ。
もちろん血盟旅団にも今回のズメイ討伐及びゲラビンスク市街地の防衛の依頼が打診されており、仲間たちと協議を行ったうえで既に返事を返している。騎士団にも、そして帝国にとっても色よい返事を、だ。
一旦食堂車へと戻り、カウンターのところに用意されていた非常食(パヴェルお手製の高カロリークッキー)の袋をいくつか拝借し、駆け足でヘリ格納庫へと向かう。格納庫内では既にクラリスがチェーンガンの取り外し作業と、機体各所への増槽搭載作業を進めており、いつぞやのキラーエッグ(燃料タンクガン積み仕様)へと変貌を遂げていた。
幸い大きな損傷もなかったキラーエッグはすぐに飛び立てる状態となっている。
「準備は?」
「いつでも」
そう返すクラリスに高カロリークッキーを渡し、格納庫の隅にある制御室へと足を運ぶ。以前にノンナやルカに教えてもらった手順通りにコンソールを操作、ずらりと並ぶスイッチを順番に弾いてから壁面のレバーを倒すと、非常灯の点滅と共にエレベーターを兼ねる床がせり上がり始める。
制御室を飛び出してエレベーターに飛び乗り、キラーエッグの助手席へと乗り込んだ。
これから俺たちは、第107観測所の近辺で活動を停止していると思われるズメイの監視任務に向かう事になる。
ドローンを飛ばすにしても電波の圏外となる事、そしてヘリであればその機動力で確実に逃げ切れる事から、有人機による監視が選択されたというわけだ。
正直、またあの化け物のところに戻るなど正気の沙汰とは思えないが、しかし人工衛星もなく前世の世界のようにどこでも無人機を飛ばす事が出来ない以上、こういったアナログな手段に頼らざるを得ないのもまた事実だった。
「キラーエッグ、発進します」
《了解……気をつけろよ》
「了解」
折り畳んでいたメインローターの展開を終えたクラリスが操縦席に腰を下ろし、計器類を素早くチェック。さすがテンプル騎士団時代にキラーエッグの操縦教育課程を終えていただけあって手馴れているが、もう少し優しい操縦を心がけてほしいものである(とはいえキラーエッグは操縦がなかなか難しく、パヴェルみたく綺麗に飛行・離着陸を行う方が異常なのだそうだ)。
ふわり、とキラーエッグが舞い上がる。
猛烈な浮遊感の中、胸の奥底には不安が沈殿していくのが自分でも分かった。
かつてリガロフ家の始祖、大英雄イリヤーとその盟友ニキーティチが2人がかりでも殺す事は出来ず、封印するのがやっとだったという黎明期のエンシェントドラゴン、ズメイ。
ノヴォシア、イライナ、ベラシアに深すぎる爪痕を遺したその化け物に、果たして俺たちは打ち勝つことができるのか?
遥か昔の英雄豪傑と同じ試練を、今の俺たちは課されている。
人は、過ちを繰り返す。
だから歴史は何度も繰り返されるのだ―――人間の愚行を戒める言葉も、そしてそれを守る事が出来ず同じ過ちを繰り返す事例を何度も目にしてきたが、しかしこればかりは人類に非はないと明言できる。
残酷な現実の9割は人間の愚行が呼び寄せるものだが、ごく稀に1割くらいは、向こうから人類に駆け寄ってくるものである。
そして今、俺たちが課されている試練はその1割の方だった。
「……本当に首だけだ」
助手席に搭載されたパネルには、暗闇の中で佇むズメイの様子が暗視モードで映し出されている。機首の下部に搭載されたカメラからの映像だ。
確かにその怪物は、首だけだった。
全長50~60m程度の大きさの首。しかし書籍によればズメイの全長は概ね280mにも達するとされており、首だけでも90mはあるとされている事から、あれほどの威容でも半ばほどから斬り落とされた首でしかないという事になる。
願わくば、本体とは戦いたくないものだ……永遠に封印していてほしいものである。
さて、監視を始めてから3時間。今のところ、ズメイに動きはない。IT-1に掠めただけで戦闘不能となる損傷を与え、それどころか遥か地平線の彼方にある山を削り取る程のブレスを放ったズメイ。
首を覆う漆黒の外殻は松ぼっくりさながらに展開していて、相変わらず放熱を続けているようだ。とはいえ冷却は随分と進んでいるようで、奴から逃げる際に見た時と比較すると、解放された外殻から溢れ出る蒸気の量は明らかに減っていた。
「ところで、変な話ですわよね」
「何が?」
「あのズメイですわ。聞く話によると、駐屯地の兵士を喰らっていたとか」
「ああ」
機体の安定を維持しながら、俺が出発前に渡した高カロリークッキーを食べていたクラリスが疑問を口にした。
「胃袋を始めとした消化器官がないのに、どうして喰らう必要があるのでしょう?」
「それについては諸説あるんだ」
幼少の頃から、リガロフ家にはとにかくいろんな本があった。ノヴォシア帝国中の童話から伝承、魔物の図鑑に至るまで。とにかくあの屋敷は図書館さながらで、おかげで軟禁状態にあり時間を持て余していたミカエル君は色んな知識を身に着ける事が出来た。
そしてその知識の中には、ゾンビに関する知識も含まれている。
「といいますと?」
「ゾンビ化しても、ごくゆっくりとではあるけど代謝の継続が確認されているんだ」
腐敗し、魂が抜け、ただの”肉の抜け殻”と化したゾンビたち。歩く死体も同然な彼等であるが、それを捕獲し徹底的に研究した大学教授の研究によると、肉体が朽ち果てゾンビ化した後も代謝が確認されたというのだ。
つまりゾンビたちもある程度のカロリー摂取、つまりは栄養を必要としているのである(長期間の飢餓に苛まれたゾンビの中にミイラ同然の個体がいるらしいが、その原因はこれではないかとされている)。
「ではゾンビ化した後も食事は必要と?」
「そういう説もある……まあ、他にも単純に腐敗した影響で脳の食欲に関するリミッターが外れてるだけっていう説もあるから、一概にこの説が正しいとは言えないのが現状だけど」
「つまりクラリスのような存在だと!?」
「おう元気いいなお前」
すっげー脱力した感じのツッコミを返すと、俺にも彼女にも笑みが浮かんだ。
緊張が続いたものだから、こういうちょっとした笑いは本当に癒しになる。極限状態の中にある兵士がジョークとか、ちょっとしたおふざけを好む理由がよく分かるというものだ。笑顔は本当に大事である。
さて、ゾンビの食事に関する話になったが、確かに消化器官も無いのに喰った肉はどこに行っているのだろうか……まさか首だけになった今、体内で変異が起こり消化器官に相当する臓器が生成されているとかそんなグロテスクな事になっているのではないか。もしそうならグロの極みである、やめてほしい。できる事ならばR-15の範囲に留めてほしい。
「にしても、随分と効率の悪いブレス攻撃ですわね。こんな長時間の放熱が必要になるなんて……」
普通では考えられませんわ、とクラリスは言った。
確かにそうだ。通常の飛竜などはブレスこそ吐くが、こんな長時間の冷却時間は必要としない。あのガノンバルドですら即座に攻撃を続行していたのだ。よもや伝説のエンシェントドラゴンだけがこんな冷却時間を必要とする、などという事はないだろう。
「おそらくだが、ブレスも強弱ができるんだろう」
「ではあれは最大出力だったという事ですか?」
「……まあ、俺も本人じゃないから分からないけど多分そうじゃないかな」
とはいえ、確かにこんな冷却時間が必要になるのは異常である。首だけになった影響か、それともゾンビ化しているが故に熱に弱くなったか……その両方か。
ドラゴン系全般に言える事だが、特に炎ブレス系を吐き出す連中の身体冷却メカニズムは『血流、あるいはその他の体液との熱交換』となっているのが一般的だ。身体中を巡る血液やその他の体液が冷却液としての機能を兼ねており、それを巡らせることでブレスの熱を急冷するというわけである。
ただしブレスを吐きすぎて熱量が冷却能力を上回り始めると、さすがのドラゴンたちも身体に異常をきたす。例えば血液の蒸発量が多くなりすぎてしまい出血多量の時のような症状になってしまったり、血液中の水分が多く抜けてしまい血液濃度が急上昇、そのまま身体中に血栓を作り出す原因になって後遺症に苦しむ(中には原子炉みたくメルトダウンを起こし生命機能を停止した竜もいるらしい)など、その事例は数多い。
つまるところ、ドラゴンたちもブレスを吐く時は命懸けなのである。
まあ、あのズメイのように外殻を開いたりして外気に冷却を助けてもらう種も存在するが。
とはいえ、こうしてここで大人しくしてくれる分にはこっちも助かる。
今頃、ゲラビンスクでは急ピッチで迎撃準備と民間人の大規模疎開が行われている筈だ。非常事態宣言が採択され、各種体制が戦時中へと移行すれば騎士団も人員の追加動員が可能となり、時間が経てばたつほどこちらが有利になっていく。
更には観測所での初戦で得られたデータもある。ズメイとはいえどもその防御力は決して完全ではなく、口の中など外殻に覆われていない部位への攻撃ではダメージを与えられた事、そしてゾンビ化しているが故に聖水(そしておそらく銀や聖歌、教会の鐘など一般のアンデッドが嫌う要素)も効果があるという事も判明しており、シスター・イルゼの働きかけで宗派の垣根を越え、あらゆる教会からそういった物資が集められているともいう。
とにかく迎撃準備さえ整ってくれればそれでいい。
強大な相手ではあるが、しかし決して勝てない存在では
バキッ、と何かが折れるような音がはっきりと聞こえた。
「……は?」
目の前のパネル、暗視モードのカメラが撮影している映像に変化があった。
地面に横になったまま微動だにしないズメイの首。その後端、かつて大英雄たちに切断された古傷が覗く付近の部位……その辺りを覆う外殻が、内側から飛び出した何かによって突き破られていたのである。
自らの外殻を突き破って生じたのは、ぬらりとした粘液を纏う腐った肉の塊。
それは俺の見間違えなどでなければ―――。
「―――脚だ」
そう、脚だ。
首だけになったズメイ。その首の後端から、巨大な脚が生えたのである。
外殻にすら覆われておらず、腐った肉が剥き出しになった脚。それが痙攣しながらも動き出したかと思いきや、ズメイはゆっくりと、胴体と化した首を地面にこすりつけながら前へと進み始めた。
目的地はおそらく―――最寄りの大都市、ゲラビンスク。
「そんな……馬鹿な」
「ご主人様、緊急連絡を!」
言われるまでもなく、スマホの通話アプリをタップし連絡先の中からパヴェルを選択していた。
数回の呼び出し音の後、パヴェルが電話に出る。
『もしもし、どうした?』
「パヴェル、面倒な事になった」
『なにがあった』
「ズメイが……ズメイが動き出した」




