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不穏


 ゲラビンスクから装甲車を走らせること30分。鬱蒼と生い茂る森が遠くに見える草原の一角に、やがて人工物が見えてくる。


 『Впереди находится обсерватория 107. Запретить вход посторонним лицам(これより先、第107観測所。関係者以外の立ち入りを禁ずる)』と記載された看板と錆び付いたフェンス。それをシスター・イルゼの運転するコザック-2装甲車は、魔物への体当たりや障害物の破砕を想定して装着したスパイク付きのグリルガードで豪快にぶち破ってそのまま突き進んでいった。


 カーラジオからは陽気なポップスが流れてくる。ノヴォシアで今話題の歌手なのだそうだ……名前はよく分からないしイライナでも聞いた事がない歌声だが、曲調はなかなか好みだった。


 スマホのアプリでそろそろ作戦展開地域が近い事を確認、カーラジオのスイッチを切って警戒態勢に入った。


 血盟旅団仕様のコザック-2にはブローニングM2が銃座に2丁、連装の状態で搭載されている。銃座には既にモニカが陣取っていて、装甲車の頭上にはクラリスが操縦するキラーエッグ(30mmチェーンガン搭載)が展開、空から監視の目を光らせている。


「クラリス、何か見えるか」


 無線機に向かって問いかけると、クラリスからの応答があった。


《―――観測所の防壁が崩れています》


 やはり何かの襲撃があったのだ、と息を呑む。装甲車の車内の空気が一気に重くなり、鳩尾に冷たい感触が走った。手のひらにもじんわりと汗が浮かび、鼓動が少しだけ早くなる。


 第107観測所は”ミニ要塞”とも言うべき拠点だ。魔物の襲撃に備え周囲にはコンクリート製の分厚い防壁があり、最新鋭の37mmライフル砲6門に水冷式重機関銃5門、兵員30名、それに加え発光信号用のライトと腕木通信テレグラフ用の木造アーム、伝書鳩に伝令用のバイクや軍用車までもを備えた、この手の観測所にしては情報伝達と兵員の生存性を重視した構造や配置となっている事が、騎士団側からの情報開示で明らかになっている。


 万一魔物の襲撃があったとしても、守備隊が敵を食い止めている間に腕木通信テレグラフなり発光信号なり、伝令を走らせて近隣の拠点に情報を伝達する事が可能で、騎士団が大部隊を差し向けるまでの間も何とか持ちこたえる事が出来るだけの兵力がそこには詰めている。


 しかしそれが、味方に情報を伝達する間もなく全滅したとはどういう事か。


 敵が魔物ではなく敵国の人間で、情報伝達手段を殺して兵員を皆殺しにしていったというならばまだ理解できる。隠密行動のプロを相手にする事になるから厄介だな、とは思っていた。


 だがしかし、仮にそうだったとしても不可解な点は残る。


 敵国の工作部隊や共産党の連中だったのだとしたら、なぜここを狙ったのか。


 第107観測所は先ほども述べた通り重武装の砦のような場所だが、あくまでもそれは国内を跋扈する魔物を監視・対処するための拠点であって戦時中の防衛拠点ではなく、仮に防衛拠点として転用する事はできるだろうが、戦略上の要衝とは言えない場所に位置している(魔物の監視と市街地への通報、可能であれば魔物による侵攻に対しての遅滞戦闘が目的だから戦時中の戦略性は度外視される事も多いのだ)。


 おまけに第107観測所は他の観測所と比較して魔物の侵攻ルート上にある事から重装備で、万一陥落すればその情報は素早く騎士団に伝達される。つまり自分たちの襲撃をこちらに知らせるようなもので、戦略的にも戦術的にも、攻めるメリットも無ければ陥落させるメリットもない、まさに百害あって一利なしというような拠点なのだ。


 だが―――それが人間ではなく魔物の仕業だという事が、たった今証明された。


 スマホのアプリを起動し、カメラ映像をキラーエッグとリンク。ノイズ交じりではあるが、上空から見た第107観測所の映像がスマホの画面に表示される。


 確かにコンクリートの防壁は崩落していた。


 あの防壁の厚さは5m、高さは10mにも及ぶ。一部は中をくり抜いてトーチカと化しているとはいえ、それでも生半可な攻撃で打ち破れるものではない。


 それがどうだ。


 まるで積み木を崩したかのように、北側の防壁が見事に倒壊、内側にコンクリート片を派手にぶちまけているのである。よほど強い力が加わったのだろう、弾け飛んだとみられるコンクリート片の一部が観測所の建物にめり込んだり、その一角を吹き飛ばしているようで、さながら空爆を受けたかのような悲惨な状態となっていた。


 それだけではない。


「シスター」


「これは……何でしょう、何かが這った後のような……?」


 コザック-2を停車させ、クラリスのヘリを先行させている間に、シスター・イルゼにも映像を見せた。画面をタップして映像を拡大、倒壊した防壁の周囲を確認する。


 地面には巨大な何かが這ったような跡が見える。足を使うタイプの魔物であれば足跡が残るのが道理というものだが、しかしここに残っているのは巨大なわだちの如く地面に刻まれた、何かが這ったような跡だ。


 さながら神話に登場する大蛇が這い回ったような大きさだが……何だこれは。


「……パヴェル」


《見てるよ》


 ノイズ交じりに、列車で映像を見ているであろうパヴェルが応えた。


《該当するデータがないか、照会作業をしてる》


「こんなサイズの魔物がいるのか?」


《……いや》


 目を細めながら、改めて大地に穿たれた跡を見た。


 轍の深さは推定で2m程度。場所によってはさらに深くなっている場所もあるようで、幅に至っては推定5~8mはある。


 ガノンバルドの大型個体は130mにも達したという事例を見た事があるが、しかし……ガノンバルドは這っては移動しない。アイツには強靭な合計8つの足(前足6本、後ろ足2本、内前足2本は退化しかけで極めて小さい)がある。ガノンバルドはそれで大地を踏み締め力強く移動するのだ。


 マガツノヅチでもない……あれはそもそも地上には決して降りてこない。体内に特殊なガスを溜め込んで、はるか上空を気流に乗って悠々と移動するから地上を這って移動するなんて事は有り得ない。


《―――どのデータとも不一致だ》


「だろうな」


《気をつけろ、新種かもしれんぞ》


「新種、ねぇ……」


 新種の生物との遭遇か。そういうのはいつぞやのモニカゼミの時だけにして欲しいもんだ。


「ねえミカ、今アンタ失礼な事考えなかった?」


「いや別に?」


 カジュアルに心の中読んでくるのやめてもろて。


《ご主人様、あれを》


 クラリスに促され、スマホの映像を確認する。


 観測所の敷地内に入った轍には、何やら血のようなものが滲んでいた。コンクリート片と共に散らばっているのは何かの肉片だろうか?


 それだけではない、敷地内には地面を掘り起こしたような跡も確認できる。観測所を襲撃した”何か”はあそこで穴を掘り、地中へと逃れたのだろうか?


《撃ちますか》


「……発砲許可」


《了解、撃ちます》


 パパパッ、とキラーエッグに搭載されていた30mmチェーンガンが吼えた。


 装甲車の主砲としても搭載される事のあるそれの榴弾が、観測所の敷地内にある掘り起こされたような跡に着弾。小さな爆発を起こし地面を抉る。地中に潜んでいるかもしれない”何か”を炙り出すための威嚇射撃のつもりで許可を出したが、しかし爆音の残響が消え失せても画面に変化は起こらなかった。


 もうここにはいないのか?


「どうします、ミカエルさん?」


「とにかく調査しない事にはな……」


 いつまでもここでスマホを眺めているわけにはいかないし。


「前進しよう。予定通り降車地点で俺と範三とリーファが降車、以後はドローンで偵察してから観測所に突入する。シスターとモニカは装甲車で待機、何かあったら迎えに来てくれ」


「分かりました」


 では行きましょう、とアクセルを踏み込むシスター・イルゼ。


 コザック-2の突き進む先に、陥落した観測所の尖塔が不気味に佇んでいた。


















 バックパックからドローンを取り出し、スイッチを入れて空へと解き放つ。


 パヴェルが自作したドローンは、X字形に伸びた四肢に搭載されたローターを驚くほど静かに回転(彼曰く『それぞれのローターの回転音を隣接するローターの回転音と逆の位相となるように調整しているので、それぞれのローターが音を打ち消し合うのだ』だそうだ。うん変態)させ、そのまま列車内に残っているパヴェルの操縦に従って観測所へと進んでいった。


 スマホで映像を確認しながら、俺、リーファ、範三の3人もゆっくりと進んでいく。


 俺はキャリコM960Aを、リーファはJS9mmを、そして範三は日本軍が誇るSMG『一〇〇式機関短銃』を着剣した状態で装備している。全員弾薬は余分に持ってきているので、よっぽど大規模な戦闘にでもならない限りは弾切れになる事はないだろう。


 とはいえ相手は謎の巨大生物、下手をすれば新種の可能性すらあるとなれば、拳銃弾を使用するSMGではどれだけ弾数があっても心許ない。まあ、場合によっては一旦退却して装備を整え反転攻勢という事も可能なので、そこまで難しく考える必要もないだろう。


 観測所壊滅の原因さえ判明すれば儲けものだ。可能であれば生存者も救出するように、という注文もあるが……この状況で生存者がいる事を期待するのはちょっとな、という本心もある。


 キャリコを構えながら、倒壊したコンクリート壁のところから観測所の敷地内に入った。


「何だこの臭い……腐臭か?」


 すんすん、と鼻をピクつかせながら範三が呟いた。


 確かにそうだ、腐敗した肉の臭いがする。しかし観測所が音信不通になったのは3日前。気温や湿度などの条件にもよるが、そんな短期間で犠牲者の死体は腐敗するものだろうか?


 敷地内を見てみた。いたるところに生々しい血痕が残っていて、侵入してきた謎の敵との激戦があった事を覗わせる。


 孤立無援の中、未知の敵との戦いを繰り広げ、最期のその瞬間まで職務を全うした騎士団の将兵たちには哀悼の意を表したいところではあるが……しかし……。


「……遺体がないな」


 敷地内を見渡しながらそう言った。


 観測所の敷地内には巨大な何かに押し潰されたと思われる軍用車やバイクの残骸があり、俺の足元にも水冷式機関銃の残骸らしきもの(多分冷却水タンクだ)が転がっている。この事からもここで激しい戦闘があり、周囲の血痕もあって犠牲者も出たであろう事は想像がつくが……しかし、遺体が見当たらない。


 血痕はあるが、死体がないのだ。


 侵入してきた”何か”が喰らったのだろうか?


 残骸をスマホで撮影しパヴェルに画像を送っていると、リーファが地面にしゃがみ込み、微かに湿った地面にこびりついていた小さな肉片をピンセットで拾い上げているところだった。よほど臭いが酷いのか、片手で鼻を押さえて顔をしかめている。


 それをガラスの容器に入れ、バックパックに入れて持ってきた回収用ドローンに持たせて空へと飛ばした。あれには長時間稼働可能な燃費優先型の魔力バッテリーが搭載され、更には列車へ帰投するようプログラムが組まれており、空へと飛び立ったら一目散に列車へと向かうような仕組みになっている。


 現場で発見したサンプルなどを列車でパヴェルが素早く分析するための装備で、サンプルは4つまで持たせることが可能だった。リーファが飛ばした回収用ドローンには既に4つのサンプルが持たされていたらしい(血の滲んだ土とかも入れたのだろうか?)。


 さて、先行したドローンが屋内の調査を完了するまで俺たちはここを調べよう。事前に観測所の間取りは全部頭に入れてあるので、いざ突入となった時でも迷う事はないだろう。


 それにしても……。


「でかい穴でござるな」


 猛烈な腐臭の中、巨大な轍を見下ろす範三が言った。


 クラリスのキラーエッグからの映像でもかなりの大きさである事が覗えたが、実物はそれ以上に巨大だった。深さはおよそ2m、反対側までは狭いところでも5m、最大で8mほど(目測なので実際はもっとあるかもしれない)。巨大な蛇のような生物が地面を這ったような跡だが、しかしこうしてみると巨大な落とし穴だ。勾配もなかなかのもので、更には地面も今朝降った雨のせいでぬかるんでいるので、登るのには難儀しそうである。


 しかしこんな巨大な魔物はこの国に居ただろうか?


 新種、といっても必ず原種や近縁種が存在するはずだ。あるいは外来種か……。


 まあいい、その辺はパヴェルの分析結果を待つとしよう。



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