姉上の計画
ブロロロ、と寂し気なエンジンの音が聴こえてくる。
窓の向こう、踏み台に乗って外を見下ろしてみると、黒塗りのセダンを先頭に数台のセダンやトラックが屋敷を離れていくのが見えた。
父上と母上、それからあの2人の側についた使用人や私兵たちを乗せた車列だ。これから父上と母上はキリウを離れ、姉上が極秘裏に支払った資金で建てられたというヴィリウの別荘に住む事になる。
先ほど、両親も家督を姉上に譲り渡す事に合意する書類に署名し、それをキリウ議会へと届け出た。これで名実共にリガロフ家の新たな当主は父であるステファン・スピリドノヴィッチ・リガロフから長女アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァへと継承され、屋敷も彼女のものとなる。
それにしても滑稽だった。あんなに権威にしがみつき、人を見下していた傲慢な人間が震える手で書類の署名していくのは。やっぱり嫌いな人間から全てを奪い去り、尊厳を踏み躙ってやるのは最高なのだ。人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものである。
もちろん喜んでいるのはミカエル君だけではない。
「Fooooooooooooo↑!!」
「Yahhhhhhhhhhhhh↑!!」
父上も母上もいなくなり、やけにすっきりした執務室の中。屋敷の新たな主を迎え入れて間もない部屋の中で奇声を発しながら絨毯の上をゴロゴロと転がったり、迸る喜びを全身で表現したかのような奇抜なダンスを踊るのは長男のジノヴィと次男のマカール。あの2人、そんなに両親嫌いだったんだな……と、特に凄まじいキャラ崩壊を起こしているジノヴィおにーたまをメインで見つめながら思う。
「シャァアァァァァァァッ! 出てけ、二度と帰ってくんなっ! 二度とそのレーズンみたいな面見せんじゃねえぞクソババア! ヒャハハハハハハハハハハッ!!」
「ガオーン! ガオォォォォォォォン!!」
両手で窓の外に中指を立てながら積年の恨みを言語化するジノヴィおにーたまと、可愛らしい声でついに遠吠えを始めてしまうマカールおにーたま。特に我が家の長男のキャラ崩壊はもう少し続きそうである。
ホント、一瞬誰だあの人ってなる。だって暗殺者と戦ってる時だって澄ました顔で王笏を振るい、氷の魔術をぶっ放して颯爽と帰ってきたからねあの人……。
ちなみに今、そのジノヴィおにーたまはとんでもねえ顔芸を披露している。文字でしか表現できないのが非常に悔やまれる。
さて、そんな兄上たちの反応を見守るアナスタシア姉さんはと言うと……。
「うんうん、みんな元気だな」
こっちもこっちで頭のネジが外れてるとしか言いようがないリアクションだった。
腕を組み、我が子の成長を見守る親みたいな感じでほんわかした笑みを浮かべていて満足そうだ。何なのウチの姉弟、まともなのはエカテリーナ姉さんだけか。
「ところでロイドさん、これで邪魔者はいなくなりましたわ。結婚式はいつにいたしましょう?」
「あ、ああ……そうですね、それも考えないと」
イヤこっちもこっちでなかなかアレじゃね? もう恋愛に関しては肉食獣じゃね? トドメを刺しにかかってね?
あれ? もしかしてリガロフ姉弟にまともな人いない?
「これで一件落着ですわねご主人様」
「ソーデスネー」
いやまあ、これで邪魔者はいなくなったというのはマジだ。
今、キリウの屋敷にはアナスタシア派の使用人や私兵たちが残っている。とはいえ全体の4割は両親についたので人数は一気に減ってしまい、新たに募集をかけたりスカウトしなければならなくなるが……。
「ところで姉上」
「なんだミカ」
ひょいっ、と踏み台の上から姉上に持ち上げられ、そのまま机の方へとお持ち帰りされるミカエル君。何をするつもりかと思っているうちに姉上は椅子へと腰を下ろし、ミカエル君を膝の上に座らせてそのままジャコウネコ吸いを始めた。
いやいや、そんな自然な流れで人を吸わないでもろて。
ケモミミの辺りをすんすんハスハス吸われながら、姉上に問う。
「姉上ってモスコヴァ勤務でしたよね? 家督を継承したのは良いですが、これからどうするおつもりで?」
「こんな事もあろうかと転属願を出しておいた」
「転属願」
「ああ、ストレリツィのイライナ支部にな」
さて、ここでストレリツィについて少し触れておこう。
帝国騎士団特殊部隊ストレリツィとは、ノヴォシア帝国騎士団が保有する特殊部隊であり同国の歩兵部隊における切り札である。特殊部隊、と呼ばれているがその実態は”汚れ仕事にも従事する最精鋭部隊”といった感じであり、前世の世界の特殊部隊と比較すると実際の運用は大きく異なる。
そのストレリツィだが、これまでは帝国騎士団本部直属の最精鋭部隊という扱いで、主に首都モスコヴァに配置されていた。というか、ストレリツィの配備先はそこ意外になく、そこから皇帝陛下からの出撃許可を経て出撃する流れだったのだそうだ(つまりいつぞやのノヴォシア共産党討伐の際のアレは帝室からの許可を受けたものであったらしい)。
帝国の最高戦力という事もあって、常に皇帝陛下の手の届くところにある、という事だ。
だからイライナ支部なんて部署はない……筈である。
「……イライナ支部?」
「うむ、騎士団本部に進言し私が新設させた」
「……マジ?」
「マジだ」
ふがふがと、人のケモミミの先っぽの毛を吸ったり甘噛みしたりしながら答える姉上。ちょっとそろそろ自重してくれませんか、ロイド氏がこっちをみて引いてるんですが。
「西方諸国の脅威に備えるために必要だと上官を説得して新設したのだ……いやあ苦労した、実に苦労した」
「は、はあ……」
ぶっちゃけ、姉上の政治手腕はかなり高い方だと思う。
ノヴォシア帝国は他民族国家という一面も持つわけだが、中でもイライナ人はノヴォシア人に下に見られている節がある。連中曰く「土いじりしか能の無い農民」、「帝国に食料を献上する農民たち」だそうだ。
事実、帝国の食料自給率の8割をイライナ地方が担っている。
そんな差別を受ける側の出身でありながら、帝国騎士団上層部まで上り詰めたどころか、特殊部隊の司令官という地位に収まったのだ。両親の猛烈なプッシュもあっただろうが、そこから先は姉上の政治手腕によるものであろう。
反対派は結果を出して黙らせてきた女傑、それがアナスタシアという女である。
「ん、つまりは実家から出勤できる距離という事ですか姉上」
「そういう事になるもふぅ」
「ひゃんっ」
いかん、いきなりケモミミの内側まで吸われたもんだから変な声出た。
ちなみにクラリスはと言うと、澄ました顔で「私、仕事のできるメイドですよ」感を出しているが、しかしその手にはパヴェルお手製のスマホがあり、ひっきりなしにシャッターを切りまくっている。
「ああすまん、ミカの匂いが良いものでつい」
「そうですか」
「このもふもふの質感にバニラの香りは反則だろうお前。クラリスが夢中になるのも理解できるというものだもふぅ」
「ひぃん」
クラリス曰く「ミカエル君の体臭はバニラの香り」だそうだ……なんで?
全てを諦めた顔で姉上に好き勝手吸われ続けること5分ほど。ソファの辺りでエカテリーナ姉さんと結婚についていろいろ話していたロイドが、唐突に立ち上がった。
「……アナスタシアさん」
「お姉様でいいぞ」
「え」
「いやほら、もう実質義理の弟みたいなもんだし……」
クッソ気が早くて草。
「……お姉様?」
「何だねロイド君」
「―――貴女は何を企んでいるのです?」
彼の質問で、室内の空気が変わった。
姉上もジャコウネコ吸いをやめ、窓際の方で変なダンスを踊ったり兄弟2人で組体操をしていたジノヴィ&マカールもこちらに視線を向けてぴたりと固まる。いやマカールおにーたま、何で空中でぴたりと静止してるんですか。
「……そうだな、お前たちにも話しておこう」
そう言い、ミカエル君を膝の上から降ろしてクラリスに預ける姉上。今度はクラリスに抱っこされたんですけどまさかこの状態で話を聞けと?
「晴れて屋敷も家督も私のものとなったが、これはまだ計画の第一段階に過ぎない」
計画の第一段階……まだ終わりではない、と言う事だ。
言われてみれば、姉上の準備はとにかく入念だった。両親にバレないようヴィリウに別荘を建て、実家から通勤するためなのか、わざわざ新しい部署まで新設してキリウに戻ってきた。それも家督を奪うという計画を実行に移すタイミングを見越して、だ。
果たしてこれは偶然か?
それも新設した部署は帝国騎士団特殊部隊ストレリツィ、そのイライナ支部。
上官が新設を渋ったという理由も、両国の歴史と世論を鑑みれば頷けるものがある。
何度か説明したが、一応もう一度述べておく。
かつてイライナは”イライナ公国”という独立国で、ノヴォシア帝国との戦争に敗北、その全土を国土として併合された歴史を持つ。それ以降はイライナ地方となり、各地の地名などに公国時代の名残が見られる程度となってしまったが、今もなお帝国からの独立を望む声は根強い。
それもそうである。ノヴォシアは今まで、イライナに負担を強いるような政策ばかりを行ってきた。過去の戦争に対する懲罰のつもりなのかもしれないが……反帝国の声をより高める要因にもなっており、今では堂々と街中に公国時代の国旗を掲げたり、イライナ語で会話したりというのが当たり前になっている。
特に帝国が、農業中心の政策から他国の産業革命に遅れてはならぬと息巻き、強引に工業重視の政策に転換した際、イライナには多大な負担が強いられた。あまりにも強引すぎる政策の転換は各地での飢餓を招き、その不足分をイライナに抽出するよう求めてきたのである。
有事の際にはイライナを頼るくせに、普段は「土いじりしか能の無い農民」と蔑まれればさすがにイライナ人もキレるというものだ。事実、今ではノヴォシア人の事を「威張り散らし胡坐をかくだけの穀潰し」とまで罵っている。
両国の関係は極めて険悪と言っていい。ノヴォシア側からすればいつ反乱や独立運動が広まってもおかしくない火薬庫同然の地域であり、しかし帝国の食料自給率の半分以上をイライナに頼ってる以上は独立を易々と許すわけにはいかない……今はそんな状況である。
さて、それを踏まえたうえで考えてほしい。
いつ反旗を翻すかも分からぬ地域に、帝国の切り札たる特殊部隊ストレリツィの支部を新設する事がどれだけのリスクを抱える事になるか、という事を。
それもその司令官はイライナ出身で大英雄イリヤーの子孫、文武両道の女傑ともなれば、その人望がどれだけ厚いかは想像に難くない。
一応は「西方諸国の脅威に備えるための抑止力」という名目だそうだが、騎士団上層部の目にはこう映っている筈だ……「イライナ独立のための前準備」と。
姉上の言う”計画の第一段階”―――その全貌は、何となくだが想像がつく。
まったく、本当にこの人はあの両親の子なのだろうか。
「―――新しい部署まで新設してイライナに戻ってきた理由も、今回の件とは無関係ではありませんね」
「鋭いな、貴様」
「貴女は……いったい何を考えているのです?」
血のように紅い夕陽が差し込む窓を背に、姉上は口元を歪めた。
「イライナの独立―――イライナ公国の復活だよ」
イライナ公国の復活―――。
多くのイライナ人の宿願であり、併合以来叶わなかった夢。
やはりそうだ。姉上の目的は、今思えば最初から……。
「家督を奪い権力も得たし、新部署も新設し兵も集めた。そしてノヴォシア地方で帝国の実情もこの目で見てきた」
優し気な笑みを浮かべ、姉上は椅子に背中を預けた。
「来た、見た―――あとは勝つだけだよ」
来た、見た、勝った―――この人ならば本当に成し遂げてしまいそうな、そんな気がしてしまう。
なるほど、これがアナスタシアという女なのだ。圧倒的な力と、不変の決意でそれを現実にするばかりか、後に続く者たちを鼓舞し前に進ませてしまう、生まれながらにしての将軍。
「姉上、まさか武装蜂起を?」
恐る恐るエカテリーナ姉さんが問うと、アナスタシア姉さんは首を横に振った。
「いいや、まだだ。まだ早い」
まだ計画の第一段階だ。足場を固めた状態に過ぎない。
「ミカ」
「はい、姉上」
「世界中を旅しているお前に任せたい事がある」
「何なりと」
返事を返すと、姉上は一瞬だけ嬉しそうに笑みを浮かべた。
「―――旅の片手間で構わない、”キリウ大公”の子孫を探し出してほしい」
キリウ大公。
かつてイライナ公国が、未だ”キリウ大公国”と呼ばれていた頃にそれを統治していた一族。しかしノヴォシアとの戦争で敗北した際、当時まだ幼かった継承者はノヴォシア側へと連れ去られ、それ以降は消息不明だというが……。
「発見した暁には何とかしてイライナへ連れ戻してくれ」
「そしてその子孫を祭り上げ、ゆくゆくはイライナ公国の指導者とする……と」
「その通り。話が早くて助かる」
なるほど、ならば責任重大だな……。
いくら姉上が権力を握り、そして自らが手塩にかけて育てた優秀な兵士たちを引き抜いてイライナ側へ連れてきたとしても、まだ武装蜂起には早い。やるならば軍部の掌握と民衆の支持を得なければならない。
しかし、民衆はイライナ独立を切望しているので下地は出来上がっている。後はキリウ大公の子孫を正当な後継者として祭り上げれば、それが起爆剤となって独立の機運は一気に高まるだろう。
それだけではない。
今のノヴォシア帝国は”壊れかけの帝国”だ。国内でも無神論者たるウロボロスのテロに、国家転覆を狙うノヴォシア共産党の脅威がある。
このままでは沈みゆく泥船諸共、イライナも落ちていくだろう。
姉上はそれを防ごうとしているのだ。
もしイライナが独立を宣言し武装蜂起をすれば、帝国は鎮圧のため軍を差し向けるだろうが……皇帝が晒した無防備な脇腹を、共産党やテロ組織が黙って見ているとは思えない。
どう頑張ってもノヴォシアは、イライナを含め三正面作戦を強いられる事になる。イライナとの戦力差は圧倒的だが、しかしいかに大国といえども3つの敵を同時に相手にするのは困難極まるであろう。
今こそが独立の絶好の機会なのだ。
「……俺は賛同します、姉上」
ジノヴィ兄さんが言うと、他の姉弟たちもそれに続く。
「私もついていきますわ」
「俺も。イライナ独立は宿願なんでね」
「……私もあなたに大きな恩がある。協力させていただきましょう」
エカテリーナ姉さんにマカール兄さん、それから今回の一件ででっかい借りを作ったロイドも賛同すると、姉上の視線がこっちを向いた。
お前はどうなんだ―――そう問いかけている。
「……もちろん、全力で支持します」
「それはよかった」
その方が面白そうだ。
それに、アレーサには母と、まだ幼い妹がいる。
何というか、妹が……サリーが生きるべき未来は、より良いものであって欲しい。
それが俺の、イライナ独立という姉の計画に託す願いだ。
「Золотий вік на землі Елейни(イライナの地に、黄金の時代を)」




