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リガロフ三重奏 ~氷、泥濘、磁力乱舞~


 3時間前


 キリウ リガロフ家の屋敷




「―――しかしアンタもなかなか悪い人ですな。オリガ・ルキーニシュナ・リガロヴァ様?」


 来客用のソファに背を預けながら、しかし瀟洒しょうしゃな調度品が所狭しと並ぶ来客室に相応しいとは決して言えぬ格好の男はそう言いながらオリガの背中を見つめた。


 私服の上に黒色の革製防具(防御力のためというよりもホルダーを増設し、アイテム類を素早く使用する事を主眼に置いたタイプのものだ)を身に纏い、腰の弾帯にライフル用の弾丸を連ねた男は、明らかにリガロフ家の人間でも、そして屋敷を警備する私兵部隊の者でもない。


 オリガも薄々勘付いていた―――今回のエカテリーナ脱走の件、その真相はやはり男である、と。


 貴族として生まれた彼女が、あろう事か決して許されぬ身分の者と恋に落ちてしまった―――しかし貴族と冒険者、違い過ぎる身分の恋など到底許されるものではなく、それが実を結ぶ可能性は限りなくゼロに近いと断言できる。


 叶わぬ恋と貴族としての身分。エカテリーナという女の胸中で天秤が傾いたのがどちらか、それは今の状況を見れば明らかであろう。


 逃げたのだ、彼女は。


 貴族としての責務を放り出し、ただ一人の男と、それも冒険者の男と添い遂げるために。


 そんな事は決して許されない。仮にも彼女は栄えあるリガロフ家の次女であり、その身体には遥か昔、イライナを救った救国の英雄、イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフの血が流れている。


 つまるところ高貴な存在なのだ。


 ならばこそ、没落し名ばかりの公爵家となった一族を再興する事こそが義務―――いや、そうして当たり前なのである。その義務を放棄し、あまつさえ冒険者の男と共に駆け落ちするとは何事か。


 憤る一方で、しかしいオリガの怒りは愛娘にではなく、彼女を連れて逃げた冒険者の男へと向けられていた。


 エカテリーナは誰にでも優しく聡明な娘だ。そんな彼女が道を違える筈がない。きっと、彼女の優しさにつけ込んだ男が愛娘を誑かしたのであろう、そうに違いない―――いや、()()()()()()()()()()()()()。自分たちの次の世代、優れた4人の子供たちが選択を誤るなどあり得ない。あの4人の子供たちは完全無欠であり、リガロフ家を没落の縁から引き上げる希望の光でなければならないのだから。


 いずれにせよ、エカテリーナにこのような真似をさせた男が原因であるに違いない。それさえ取り除けば、娘はまた()()()に戻るであろう。母の言う事に耳を傾け、生まれながらにして背負った義務に背を向けず向き合う聡明な娘に。


 だからこれは、そのための投資なのだ。


 視線を向けると、傍らに控えていた執事がブリーフケースを拾い上げ、それをソファに座る男に差し出した。


 中身を検めても、と視線で訴える彼にまた視線で肯定の意を返すと、男は静かにブリーフケースを開けた。


「……300万ライブルあります」


 中身の札束を見て、男の口元は微かに歪んだ。


「エカテリーナを連れ戻し、彼女を誑かした男を闇に葬りなさい」


「……万一、()()()()()()()に遭遇した場合は」


「障害は排除して構いません」


「……了解した」


 パタン、とブリーフケースの蓋を閉じ、それを受け取った男は部屋を後にする。


 静かになった応接室の中、オリガは片手で頭を抱えた。


 















 楽な仕事だった筈だ。


 貴族の家出娘を連れ戻す―――そしてそんな彼女を誑かし、連れ出した悪い男を始末する。暗殺アサシンギルドを経営してそれなりに長いが、こんなにも後味の悪い仕事は久しぶりだ。そしてそれしきの事に300万ライブルもの大金をつぎ込む頭の悪い依頼主クライアントも。


 『子は親を選べない』というが、まさにその通りだ。子供が幸福の中で育つか、それとも常に不憫が付き纏うかは親次第であり、つまるところリガロフ家の子供たちに関してはこれ以上ないほどの()()()を引き当てた事になる。


 そんな彼女たちに同情こそするが、しかし彼らとて仕事でやっている。遠慮など微塵も不要であり、淡々と仕事をこなせばよい。いつもと同じように、だ。


 そうなる筈だった―――最初の内は。


 男と一緒に家出をした貴族の娘を連れ戻し、そしてその男をキリウの闇に葬るだけの簡単なお仕事。それだけで300万ライブルももらえるのだから、こんなに美味しい仕事はないだろう。そしてそれだけの事に300万という大金をつぎ込む頭の悪い依頼主クライアントもそうそういない。


 が、しかし。


 歯車は唐突に狂い始めた。


「ば、馬鹿な」


 凍り付き、あるいは身体中を真っ白な霜で覆われて、白い冷気を発しながら倒れた仲間たちを見ながら、暗殺者アサシンの1人は息を呑んだ。額から頬を伝う汗もまた、真冬のシベリウスにも匹敵するほどの冷気の中で瞬く間に凍り付き、皮膚をその極低温で苛み始める。


 狙撃用の銃を構える暗殺者アサシンたち、3方向に別れたその一隊の前に立ちはだかったのは1人の人影だ。白を基調とし、所々に蒼いアクセントを散りばめたその制服は、貴族どころか大貴族に対する捜査権や逮捕権を有する憲兵隊の上位組織たる法務省のものであろう。


 権力者にも物怖じせず、法に照らし合わせ粛々と懲罰を執行する帝国の法の番人たち―――”法務官”。


 権力に屈さず、誘惑をも断ち切る強靭な精神力に加え、高貴な家の出身である事が求められる法務省は、万人が望んでその制服を身に纏えるわけではない。努力や才能、それから生まれた家柄も大きく関わってくる組織だ。


 なぜ、その法務官がここにいるのか?


 そしてなぜ、法務官が仕事の邪魔をするというのか?


 彼等には、その答えを知る術はない―――。


「―――なるほど、暗殺アサシンギルドか」


 自身に銃を向ける暗殺者アサシンたちを見渡すなり、法務官の制服に身を包んだ金髪の美青年―――ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフは冷酷な声で小さく断じた。


 表情にこそ出さなかったが、内心で彼は呆れ果てていた。ウチの親はいったいどこまで愚かなのであろうか、と。


 暗殺アサシンギルドの運営は違法であり、依頼を受けそれを実行するのもまた違法だ。そしてそんな存在自体がブラックな彼らに仕事を持ち掛け誰かの殺害を依頼するのもまた違法であり、この時点でジノヴィには目の前にいる暗殺者アサシンたちと、そんな連中に仕事を持ち掛けたであろう両親を法的に裁く権利がある。


 貴族の子が冒険者と結ばれるなど言語道断、そう言いたい気持ちは分からなくもない。貴族と彼らは住む世界が違うのだ。夜空に太陽が浮かぶ事が無いように、冒険者と貴族が結ばれる事は有り得ない。


 しかしそれならばあくまでも自分たちの持つ戦力で対処すればいいだけの話であり、そうじゃなくとも元はと言えばエカテリーナに家出を決意させるに至ったのは母親の締め付けが原因だ。連日のようにお見合いの話を持ち掛け、我が子の意志を尊重しようともしない。我が子を我が子とも思わぬ親に、何も疑わずついて行く子など世界のどこに居ようか。


 結局のところこうなったのは当然であり、なるべくしてなった事だ。日頃の行いが招いた結果なのだ。


 そろそろ本格的にお灸を据えてやるべきではないか―――姉に進言する内容を頭の中でまとめながら、ジノヴィは無造作に手にした王笏を振るった。


 大英雄イリヤーが魔術の使用の際に振るったとされる英雄の秘宝のひとつ、『イリヤーの王笏』。賢者の石を一切使用していない代物でありながら、魔術用の触媒としては驚異の魔力損失率0.18%となる逸品である。


 レプリカなどではなく、正真正銘、大英雄イリヤーが振るったそれは、英雄の血脈に連なる1人であるジノヴィにその力の行使を許していた。


 地面を這うように白い冷気が荒れ狂う。それは暗殺者アサシンたちの手足に絡みつくや、その足を、そして手にした小銃を瞬く間に凍てつかせた。


 慌てて数名が引き金を引こうとするが、しかしその指はすっかり凍り付いて動かない。辛うじて動かせたとしても、この世界では最先端の技術となるローリングブロック式の単発小銃、その撃発メカニズムはすっかり凍り付き、物言わぬ金属と化してしまっている。


「安心しろ、命までは奪わん」


 瞬く間に無力化した暗殺者アサシンたちに、ジノヴィは冷淡に告げた。


「貴様らを裁くのは帝国の法だ。俺じゃあない」

















 無数の弾雨が、しかし唐突に隆起した巨大な岩塊に阻まれて跳弾の音を発した事に、暗殺者アサシンたちは目を見開いた。


 必中の間合い―――これならば当たる、仕留められると確信を持って放った弾丸たちは、だがしかし一発たりとも彼らの前に立ちはだかる憲兵に傷をつける事は無かった。


 なんと素早い魔術の発動か。


 通常、魔術の発動にはどうあってもタイムラグが生じる。体内の魔力を変換し放射する関係上、その変換に時間を要するためだ。熟練者であっても1秒と少しはどうしてもかかってしまうのが相場であり、どうあっても弾丸に勝る速さで使用できるものなどではない。


 しかし事実、それは遮られた。


 目の前に隆起した、巨大な岩塊によって。


 ―――土属性魔術。


 地味でありながら、しかし最も脅威となる属性である。


 結局、人の子である以上は地に足をつけて生きねばならず、土属性魔術の使い手となる事はすなわち、その大地の力を味方につけるという事なのだから。


暗殺者アサシンだよな、コイツら……)


 やれやれ、と岩塊の上で肩をすくめながら、スモールサイズのライオンの獣人―――マカール・ステファノヴィッチ・リガロフは両親の、特に母親の愚行に呆れ果てていた。


 ミカエルの時もそうだったと聞いている。彼女が家を出てボリストポリで冒険者登録を行った直後、父が依頼した暗殺者アサシンギルドがボリストポリでミカエルを襲撃した、と。


 両親揃って違法行為に手を出すとは。それも犯罪を取り締まる側の存在である憲兵隊指揮官、マカールと、その兄であり貴族に対する捜査権及び逮捕権を有する上位組織、法務省の法務官たるジノヴィの目の前でよくもまあそんな事が出来たものだと、逆に感心してしまうほどだ。


 存在自体が違法となるギルドの構成員たちが、更に憲兵たる自分に武器を向ける―――公務執行妨害で逮捕するなり、正当防衛を主張し皆殺しにするなりすればいい、それはマカールの裁量次第だ。


 結果としてマカールは、憲兵としての矜持を優先した。


 岩塊の上で斧を掲げ、それを大地に向かって振り下ろしたのである。


 黄金に輝く斧―――イリヤーの秘宝の一つ、『イリヤーの斧』。


 白兵戦用の武器であり、同時に魔術の触媒としても機能するそれは、主と認めたマカールの要求を即座に現実のものとした。


 銃を向け、あるいは弾丸を再装填しての狙撃を試みる暗殺者アサシンたちの足元が急激に粘度の高い泥濘と化したかと思いきや、底なし沼さながらに彼らの身体を地中へと呑み込み始めたのである。


「う、うわっ!?」


「くそ、なんだこれは!?」


「う、動けない……いや沈む……ッ!?」


 瞬く間に膝まで、そして腰までを泥沼に呑まれた彼らに、もう反撃の意思など残っていなかった。このままでは足元に生じた底なし沼に呑まれ、溺死し、イライナの土の肥やしとなるのは必定だ。そんな状況でも冷静に銃を構え、術者たるマカールを狙撃できるだけの度胸がある者など彼らの中にはいなかった。


 ライフルを投げ捨て這い出ようともがくが、しかしイライナ地方特有の粘度が高く、そしてずっしりと重い泥はそれを許さない。水分を吸った衣服もそれを手伝い、ずぶずぶと彼らを地面の中へと呑み込んでいった。


 マカール自身、特に魔術に秀でているとか、そういった才能に恵まれた類の人間ではない。幼少の頃から、優秀な兄姉の背を見上げるばかりだったマカールはむしろコンプレックスの塊で、だからこそ努力を重ねた。


 その結果が魔術の高速発動という、アナスタシアやジノヴィですら習得しえていない彼だけの武器の習得に繋がったのである。


 矮小な獅子にも、しかし牙はあるのだ。


「安心しろ、殺しはしない」


 岩塊の上から、泥の中でみっともなくもがく暗殺者アサシンたちを睥睨しマカールは言う。


「ただまあ……そのまま沈めるか助けるか、それはお前らの態度次第だな」

















 暗黒の夜空から、一筋の稲妻が舞い降りた。


 電撃の直撃を受け、身体からうっすらと煙を発し、微かにスパークを纏いながら崩れ落ちていく暗殺者アサシンの1人。空気の焦げる臭いと早々の仲間の脱落に、簡単な仕事だと思い込んでいた暗殺者アサシンたちの心はいとも容易く折れかかっていた。


「くそ、撃て! 撃て!」


 パンパンッ、と、ロイド・バスカヴィルというエカテリーナを誑かした男に向けて放たれる筈だった弾丸が、しかし月夜に浮かぶスクラップに、そしてそれを踏み締め上に立つ小さな人影に向けて放たれる。


 いったい何が起きているのか、彼等には理解できなかった。


 地中に埋まっていた鉄屑―――この辺りに打ち捨てられ、泥濘に埋まり、そのまま朽ち果てた自動車の残骸。それが唐突に地面から隆起したかと思いきや、不可視の剛腕に掴まれているかの如く宙に浮かんでいるのである。


 彼らの目には、それは英霊たちの奇跡の再現たる魔術ではなく―――遥か昔、『魔女』と呼ばれ異端の烙印を押された存在が使用していた()()のそれにも見えた。


 しかし実際のところ、それは単なる磁力魔術に過ぎない。魔力を放射し磁力として、周囲に強力な磁界を生成しそれを利用して金属を宙に浮かせているだけだ。


 弾丸は魔力の使用者たるミカエルどころか、宙に浮く車の残骸にすら当たらなかった。彼らの周囲を包み込む磁界に捕らえられたライフル弾たちは、磁界の表面を滑るように受け流されてしまい、明後日の方向へと逸らされてしまう。


「馬鹿な」


「あ、当たらない……?」


 暗殺者アサシンの1人は昔、このような話を聞いた。


 かつて巨大な権力を手にしたとある王を諫めるため、天界から1人の天使が遣わされた。


 しかし権力に溺れた王は神の使いたる天使にも牙を剥き、兵に命じて天使を矢で射させたという。


 だが兵の放った矢は一発たりとも天使に当たる事は無く、人の愚かな行いに呆れ果てた天使はその手を振るい、大地へ裁きのいかずちを降り注がせた。


 放った弾丸は一発たりとも、三日月を背に浮かぶ小さな人影―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフには当たらない。


 さながら神話の一幕を再現したような状況に、彼等の脳裏に嫌な予感が襲来する。


 そしてそれは現実となった。


 いつのまにか、ミカエルの手にあった小銃―――AK-19。


 5.56mmNATO弾を使用するAK-12の派生モデルの一つ、それが反撃と言わんばかりに頭上から火を噴いたのである。


 天使の雷の代わりに降り注いだ5.56mm弾は、暗殺者アサシンたちの命を奪う事は無かった。いずれも彼等の足や腕といった命に別状のない部位ばかりを撃ち抜いて、7名の暗殺者アサシンたちを瞬く間に戦闘不能へと追いやってしまったのである。


 地上で呻き声を発しながらのたうち回る彼らを見下ろして、ミカエルは思う。


 本当に救いようのない連中だ、と。


 そしてこうも思った―――『アタリの母を引いた自分は幸せ者だ』、と。



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― 新着の感想 ―
[良い点] いや本当、法務官と憲兵大佐っていう法の番人のちいを実力と努力で勝ち取った兄貴たち。頼もしいですよねえ…ついこの前、毒親のせいでガオガオ言っていたのと同じ人達なんでしょうか。本当にw ミカエ…
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