帰郷の旅路と母の怒り
ゴウン、とキラーエッグを乗せた格納庫の床が重々しくせり上がり、キャノピーの向こうにウルファ駅の周囲に広がる工場の煙突の群れが広がる。
一旦ヘリから降りてから思い切り背伸び……をしてもメインローターには届かないので、クラリスが用意してくれた脚立を使って上に登り、折り畳まれていたメインローターを手順通りに展開した。
列車で旅をしている関係上、兵器の収納には常に細心の注意を払っているし採用する兵器も格納庫のスペースと相談して吟味している。だからこういうコンパクトで、尚且つメインローターを折り畳めるリトルバードやキラーエッグは貴重な航空戦力と言えるだろう。
メインローターすべての展開を終え、指差呼称で作業に漏れがないかを確認。こういう作業ではどうしてもついて回るのがヒューマンエラーである。ロックのし忘れだとか、パーツの固定が甘かったとか、そんなクッソつまらない理由で墜落死なんてしたら笑えない。墓石に『作業確認不足で死亡』なんて刻まれたらそれこそ末代まで続く恥である。
確認を終えてから脚立を離陸誘導にあがってきたルカに預け、ヘリの副操縦士席へと身体を預けた。シートベルトを装着する俺の隣では、メイド服姿のクラリスが手慣れた様子でカチカチとスイッチを弾いたり、計器類のチェックをしているところだった。
「キラーエッグ、離陸準備完了。オールグリーン」
《了解。キラーエッグ、離陸を許可する》
無線のやり取りを聞いていたルカが離陸OKの合図をこちらに送ると、クラリスは彼に向かって親指を立てるなりヘリを離陸させた。バババババ、とクッソ喧しい音を立てながら、スタブウイングに数々の重火器……ではなく、パイロンすべてに増槽を搭載したキラーエッグが列車の格納庫から飛び立った。
ウルファからキリウまでの距離は約753㎞……なんとも苛酷な旅路である。キラーエッグの航続距離を軽く超えた距離だが、スタブウイングの全パイロン及びキャビンに予備の燃料タンクをガン乗せという力業で、とりあえず片道分の燃料は確保してある……だがまあ、帰りの事は一切考えていない。最悪車だろうと夜行列車だろうと、何だろうと利用して戻ってくるさ。
姉上も「今すぐキリウまで戻ってこい」なんて無茶な事を言うが、それも仕方のない事だ。
何せ、リガロフ家の次女であり誰にでも優しかったあのエカテリーナ姉さんが、昨晩を境に姿を消したというのである。
その捜索にお前たちも協力しろ、と言われれば断る事も出来まい。
エカテリーナ姉さんはとにかく誰にでも分け隔てなく優しく接してくれた。当時、忌み子だの何だのと陰口を叩かれ、存在しない子として扱われていた俺にすら優しくしてくれたし、勉強も教えてくれた。絵本だって読んでくれたし、お菓子をこっそり分けてくれもした。
あんなクソのような環境で、歪まずに育つ事が出来たのは母さんや姉上のおかげだと言っても過言ではない。その恩が、イシュトヴァーンの一件でチャラになったなんて俺もクラリスも思ってはいないのだ。
いったいなぜ姉上が姿を消したのか?
いったい姉上の身に何があったのか?
アナスタシア姉さんも珍しく混乱していたようだが(それはそうだ、溺愛していた妹が失踪したのだから)、いくつか情報を教えてくれた。
エカテリーナ姉さんは姿を消す数日前から、こっそり屋敷を抜け出しては”誰か”と会っていたらしい。実家暮らしのマカールおにーたま曰く『その日を境に姉上の笑顔が増えた』のだそうだ。
ジノヴィ兄さんが言っていた『エカテリーナに男が出来たらしい』という情報と照らし合わせて考えてみると、今回の一件の全貌、その輪郭が朧げにではあるが見えてくる。おそらくエカテリーナ姉さんは男に会いに行っていたのだ……家族や使用人に内緒で。
なぜ、誰にも言わなかったのか?
それはきっと、母上に交際を反対されるような身分の相手だったからに他ならない。姉上もリガロフ家の女、かつて盟友ニキーティチと共に3つの頭を持つ邪悪なエンシェントドラゴン、ズメイを打ち破り封印、イライナを守り抜いた救国の英雄イリヤーの血を引く末裔なのである。
没落したとはいえ由緒正しい名門貴族、公爵家の娘だ。それが身分が下の男と付き合ったなどと知れ渡れば一族の名に傷がつく―――あのクソBBAの思考回路は簡単に読める。
それを避けるため、姉上はこっそり逢瀬を重ねていたのだろう。
そして姿を消した―――考えられる可能性は2つある。
1つは以前のハンガリアの一件、イシュトヴァーンのようにエカテリーナ姉さんを利用しようとしていて、何らかの計画のために彼女を拉致したという可能性。黒魔術の信奉者なのか、それともテンプル騎士団が俺を屈服させるために姉上を人質にとったのか、それは分からない。
そしてもう1つは、姉上が望んで屋敷を抜け出したという可能性。
映画や小説の題材としてよく取り上げられる身分違いの恋。片や貴族、片や平民であるが故に許されない恋というのは古くから存在しており、そしてそのほろ苦いラブストーリーの大半は悲劇で終わる。
姉上もそうだった可能性がある―――この恋が叶わぬのならばどこにでも逃げてしまおう、と相手との駆け落ちを試みた可能性が。
結局のところ、あのクソBBAは姉上を追い詰め過ぎたのだ。
《―――ミカ、クラリス、少し昔話をしてやろう》
無線機からパヴェルの声が聴こえた。
通信途絶まではまだ、時間がある。
《……昔、とある転生者がいた。初期装備にリボルバーとパイルバンカーを選んじまうような大馬鹿野郎さ。ソイツは人生初の異世界転生を果たした後、とある理由から騎士団の少女と知り合った》
まるで学生時代の卒業アルバムを見ながら思い出を語るような、そんな口調だった。
《ソイツは騎士団の少女と仲良くなった。だが、その女騎士には許婚が居たのさ。当然、それ以上の交際は許されない。けれどもソイツは束縛を嫌い、自由を渇望する彼女の望みを叶えてやることにした。その女騎士を連れ、隣国まで逃げたんだ》
「……随分とまあ、大胆な事するんだな」
《そうだな。んで結局その許婚は怒り狂い、2人に向かって幾度も追手を差し向けたが全てを退けられ、無事に隣国まで逃げおおせた2人はそこで傭兵家業を始めた……結局、商売道具になるのは自分の鍛え上げた肉体、そしてその戦闘力だけだったという事だ。そうして2人は仲間を集め、みんなで仲良く暮らしましたとさ》
「ハッピーエンドか、珍しいな」
《だろ、ハッピーエンドで終わるこの手の話は少数派だからな……》
実際そうだ。この手の話はバッドエンドで終わる。
2人の仲は引き裂かれて離れ離れになってしまったり、あるいは天国、または来世で結ばれる事を誓い合って心中してしまったり……目を覆いたくなる話が多い。
《覚えておけよミカ、これは教訓だ……”愛する者のために戦おうとする戦士は、手負いの獣よりも遥かに恐ろしい”》
「え?」
《そのままの意味だ。いずれにせよ気をつけろ、今回の一件は只事じゃないぞ》
彼の警告―――いや、教訓はまるで、自分がその場に居合わせたような発言だった。彼の前職、テンプル騎士団時代にそんな任務があったのだろうか。それともあれは自分の経験談だったのか、あるいはその手の相手に痛い目を見せられたのか。
しかしそんな詮索も長くは続かない。
「間もなく通信可能限界ですわ」
《……まあ、とにかく気をつけて行ってこい。無事の帰還を祈る》
ノイズ交じりの彼の声に礼を返すと、それっきり列車との通信はノイズばかりを発するようになった。
「……通信可能範囲を超えました」
「……そうかい」
血盟旅団の無線は簡単な仕組みだ。列車に無線の親機があり、所属団員はその子機を使って無線のやり取りを行う。衛星を介していないので親機の範囲外に出ると通信はできなくなる……こんな具合だ。だから遠出する時は列車との通信ができなくなる。
いつでもどこでも味方と通信ができるなんていうのは、自前の人工衛星を持っているお金持ちの軍隊の特権というわけだ。
工業都市郊外の村落を越え、間もなく眼下にヴォルガ川が見えた。
ガラマやマズコフ・ラ・ドヌーの人たちは元気にしてるだろうか。通ってきた街の人たちの身を案じながら、一方で姉の心配もする。
仮に相手と駆け落ちしたというならば、それは良い。姉の望む恋、姉の望む生き方……俺はそれを応援しようと思う。
しかしもし、この一件にテンプル騎士団が絡んでいて、姉上にもあんなことをしようとしているというのならば。
―――俺は、天使ではいられなくなるかもしれない。
没落したとはいえ、リガロフ家には金がある。
最近では戦闘人形も買い揃えたし、屋敷を警備する兵士たちには高価なレバーアクションライフルやリボルバー拳銃も支給した。単発での射撃しかできず、装填時間も長いフリントロック式のマスケットはもう既に過去のものだ。
そして兵士の人数も増員し、私兵部隊の規模は大きくなった。それこそ、小、中規模の国家が相手であれば善戦できるほどの戦力と言っても良く、まさにリガロフ家の財力があればこその軍備であろう。
しかし今のオリガには、それら全てがブリキの兵隊にしか見えない。
「なぜ、なぜ……どうして」
なぜ、これだけの人数を総動員した上に、憲兵隊とも連携しているというのにエカテリーナを見つけられないのか?
憲兵だけではない。ジノヴィを介し、リガロフ家の息のかかった法務省の人員もエカテリーナ捜索に回してもらっているというのに、上がってくる報告は疎らな目撃情報ばかりだ。ベラシア方面行きの列車に乗っただの、ボリストポリへと向かう峠道でカップルを乗せたオープンカーを見ただの、アレーサ方面の列車に金髪の育ちが良さそうな美女が乗っていた、というあてにもならない情報ばかり。
誤認情報に振り回され、怒りの余り拳を机に叩きつけた回数はもう既に両手でも数えきれないほどだ。
迸る怒りに我慢ならず、オリガは電話をひったくるように取っていた。
《はい、こちらキリウ憲兵隊本部―――》
「ちょっと、エカテリーナの件はどうなっているのかしら!?」
《これはこれはリガロヴァ様。現在憲兵隊の精鋭が全力で捜索を―――》
「その割には全く成果が出ていないのではなくて!? はあ、もういいです。マカールはどこ!?」
《は、はあ、リガロフ大佐でしたら捜索の陣頭指揮を執っておられますが……》
「あの子に伝えて頂戴、”是が非でもエカテリーナを連れ戻しなさい”とね!」
《は、はい、かしこまりました》
ガチャン、と受話器を叩きつけるほどの勢いで置き、椅子に背を預けながらオリガは腕を組んだ。
彼女は憤っている―――リガロフ家の実態にも、そして不甲斐ない夫にもだ。
元々彼女はノヴォシア地方の貴族の娘だった。お見合いで相手となるステファンを紹介された時、背はそれほど高くはなかったが今ほど太っているわけでもなく、優し気な笑みと人柄、それからイライナの大英雄イリヤーの末裔という血筋に惹かれ、単身イライナの地へと嫁いできた経緯がある。
しかし実際に嫁いでみればどうか。一族は没落し、英雄の末裔とは思えぬ扱いを受け戸惑う毎日。しまいには彼女がお腹にマカールを宿したばかりの頃、迸る性欲に耐えかねた夫が屋敷のメイドに手を出し、あろう事かそのメイドとの間に忌み子たるミカエルをもうけてしまう始末。
こんなだらしない夫では一族がダメになる―――ならば自分が頑張らねばと奮闘し、何とかエカテリーナをハンガリアの貴族、バートリー家へ嫁がせることに成功するも相手が黒魔術の信者であったことまでは見抜けず失敗。4人の子供たちのいずれもが未婚という状況に陥っている。
ハンガリアの一件ですっかり自信を失ってしまった夫は部屋に籠りっきりだ。食事とトイレ、それから入浴の時に廊下ですれ違う時くらいしかその姿を見ておらず、言葉も交わしていない(ストレスからか白髪が増えたようだ)。
そして今回の一件―――彼女も堪忍袋の緒が切れた。
エカテリーナ失踪の原因、それは噂話として彼女の耳にも入っていた冒険者の仕業と見て間違いないだろう。その冒険者がエカテリーナをたぶらかし、連れ出した―――そうに違いない。
(私のエカテリーナにそんな事を吹き込むなんて……)
全く以て、万死に値する。
だからオリガは私兵部隊にこう命じていた。
『エカテリーナを連れ戻す事。ただし彼女と一緒にいるであろう冒険者は射殺して構わない』と。




