獅子姫との再会
母上の事が心配になる。
車の後部座席に座りながら溜息をついた。一族のため、そして再び大貴族の座に返り咲くためとはいえ、お見合いの話を持ってくるのは正直聞いてるこちらも大変だし、お兄様やマカールも精神的に疲れているのだから自重してほしい……だって昨晩なんか、お兄様もマカールもしおしおライオンになってたもの。あれじゃあ2人が可哀想だわ。
……なんて母上に直談判しても多分聞いてはくれないでしょう。あの人の頭の中は権力を得る事、再びリガロフ家に権力を取り戻すための手段でいっぱい。お腹を痛めて生んだ自分の子供たちの事なんて、たぶんこれっぽちも考えていないと思うの(頑張って探せば少しは残ってると祈りたいけど……)。
「今日もお疲れ様です、お嬢様」
「はぁ……いつも突き合わせてごめんなさいね、爺や」
「いえいえ、私はお嬢様の執事ですから。どこまでもお付き合い致しますよ、シベリウスの雪原だろうと、砂漠だろうとどこまでも」
バックミラー越しに笑みを浮かべる爺や。昔と変わらない柔和なあの笑みは、父上の笑顔よりもよく見た顔だ。家庭教師が課した課題に合格して好成績を残しても、父上と母上は褒めてはくれなかった。むしろ「このくらいで来て当たり前」だと要求をどんどん吊り上げてきて、やっているこっちは達成感がなかった。
けれども爺やだけはいつも褒めてくれたし、頭を撫でてくれた。
いつからだろうか、私にとっては血の繋がりがある父上よりも爺やの方が父親のように感じられるようになったのは。
たぶんそれは未来永劫変わらないのだと思う。
父上が要求を吊り上げてくるのも分かる。自分の代では無理でも、私たちの世代で一族を再び栄冠の座へ引き戻してほしいという願いを込めているというのも理解できる。
けれども―――父上は考えが至らなかったのかしら。
どうして邪悪な竜であるズメイを盟友ニキーティチと共に封印し、祖国を救った大英雄―――今もなおその英雄譚が語られ続ける程の我らが祖先とその一族が、どうして没落の道を辿っているのか。
結局のところ、戦時中の英雄は祭り上げるべき存在であっても、それが平和な世の中に移り変われば不要な存在になる。むしろ、圧倒的な力を持ち民衆からの支持を得ている英雄の存在は、祖国の権力者からは脅威と映るのが世の常。
だから私は考える。大英雄イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフとその一族の没落は当時の皇帝が仕組んだものであったのではないか、と。
もしもそれが事実ならば、父上や母上がどれだけ努力を続けたところで一族の立ち位置は変わらないのではないか―――空いた時間に祖先の事や当時の帝国の政治体制について調べたりするんだけど、調べる度にそう思えてくる。
これだけの努力が徒労に終わるなんて考えたくもないけれど……。
はあ、と息を吐く。
今日もお見合いの話があった。相手は隣町、ボリストポリの貴族の息子。お見合い用の写真ではキリっとした青年といった感じで剣術に秀で、語学にも精通した人だという事前情報だったんだけど、実際に会ってみると全然違う人だった。
太り気味だし語学も精通しているというよりはまだ勉強中、剣術も幼少期の剣術大会で優勝した程度という、事前情報とはあまりにもかけ離れたもので、とりあえずお茶をご一緒したのだけど……うん。
最近、母上が持ってくるお見合いの情報の精度が落ちているような気がする。この前なんかジノヴィお兄様がしおしおライオンになりながらも重い腰を上げて(お兄様頑張って)お見合いに行ったらしいのだけど、事前情報では『金髪碧眼の美女で現役の騎士団指揮官』と記載されていたにもかかわらず、もっとしおしおライオンになって帰ってきた兄上の話では「なんか部屋の奥から丸い壺に手足が生えたような人がやってきた」、「お見合いの筈なのに婚姻届けをテーブルの上に置かれて怖くなった」、「騎士団指揮官(※昨年除隊済み)」という証言があって、さすがにそこまで事実の食い違いがあった事に母上も驚きを隠せないようだった。
母上、最近なりふり構わずお見合いの話を持ってきているのでは……?
父上がお見合いの話を持ってきてくれていた頃は情報も正確だった。まあ、以前のハンガリアの一件は父上も予想外だったのだろうけど……でもね、あの人の名誉のために一応言っておくけれど、父上が持ってきてくれるお見合いの話の事前情報はいつも正確だったのよ?
私も帰ったら母上に少しクレームを入れようと思う……それに今回のお見合い相手、事業成績が悪化して別の企業に事業を買い取られそうになっている事も隠していたのだから、そういう面でも一族のプラスにはならないと思う。
最近はこんな事ばかり……本当に疲れてしまう。
私も旅に出ようかしら、ミカみたいに。
そう思いながらふと窓の外を見たその時だった。
「えっ」
「どうかいたしましたかお嬢様?」
「ごめんなさい爺や、車を停めて」
「は、はい」
路肩に車を停めてもらうや、私はシートベルトを外し、爺やに「急用ができたから先に屋敷に戻って」とだけ告げ、車の外へと飛び出した。
キリウの街中、宿屋や飲食店が立ち並ぶ大通りの一角。仕事帰りの労働者や冒険者、遠方からイライナを訪れた旅行者などで賑わう雑踏の中に、見覚えのある後ろ姿があったのを私は見逃さなかった。
ピンと立ったドーベルマンの耳に引き締まった体格、それから背中に背負った大剣。
間違いない―――あの時、私を救ってくださったあの冒険者の人だ。
ザヴォリーダからの帰路でヴォジャノーイに襲われた際、颯爽と現れて助けてくれただけでなく、スタックした車の脱出まで手を貸してくださった冒険者様。
あの時、名前を聞く事を忘れそのまま別れてしまったあの人が―――二度と出会う事はないだろう、と心の中で諦めていたあの人が、そこにいたのだ。
もちろん人違いかもしれないけれど、でも一度火がついてしまった心はもう止まらない。どんなに制止しても、どんなブレーキがあったとしてもこの急流のような感情が止まる事は無いのだ。
駆け寄ると、こちらを振り向いたその人と目が合った。
彼も私を見るなりびっくりした様子で目を丸くしていて、私と同じ思いでいる事が分かる。
「あなたは……あの時の」
「お久しぶりですわ、冒険者さん」
お久しぶり、なんて言っちゃったけど、何を言ってるのかしら私は……昨日の事なのに。
「奇遇ですね、ここでまた出会うとは」
「ええ、そうですわね」
ちょっとだけ、笑みがこぼれた。
夢のようだった。また会いたいなと思っていた彼に、こんなところで出会えたのだから。もう二度と会えないだろうと思っていた相手との再会、こんなに嬉しい事は他にないと思う。
「そういえばお名前を伺っていませんでしたわ。私はエカテリーナ。エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァといいますの」
名を名乗ると、相手もハッとしたような顔になった。
「そういえばそうでした……これは大変失礼を。私はロイド・バスカヴィル、イーランド出身の冒険者です」
「まあ、イーランドから? 北海を渡るのは大変だったでしょう?」
「ええ、寒かったですし、何より魔物の数が凄かったですからね」
魔物の数、とは言ったけれど、正確には違うだろうというのは分かった。
北海はノヴォシア帝国と聖イーランド帝国で制海権を争っている海域。だから双方とも海軍を展開して常に睨み合っていて、時折小競り合いが生じる事もある。
だから海域の通過は非情に危険で、両国の王室や帝室は当該海域の通過は控えるよう通知を出しているの。だから貨物船や客船は北海を大きく迂回してノヴォシアまでやってくるか、あるいは海峡を通過して黒海経由でイライナの港町アレーサへ向かわなければならない。
ただイーランドからの海路となると、北海を通過した方が早いのも事実……どの道、苛酷な旅路であったことは想像に難くない。
「ところでエカテリーナさん?」
「エカテリーナで結構ですわ」
「い、いや、しかし……貴族の女性を呼び捨てというのはちょっと、色々拙いのでは」
「うふふ、今は公務ではなく私用でここにいるわけですし、お忍び同然ですわ♪」
「
とはいっても、服装はちょっと立派だけど。
「ええと……え、エカテリーナ?」
「はい、ロイドさん?」
「立ち話も何ですし、どこかお店にでも入りませんか?」
「あら、そうですわね。それじゃあこのお店なんかいかがかしら?」
「え゛」
ニコニコしながら指差したのは、彼がまじまじと看板に記載されたメニュー表を見ていた飲食店だった。看板には少し大きめの白黒写真で鹿肉の香草焼きが掲載されている。このお店の看板メニューなのかしら。
香草……ああ、イライナハーブを使ってるのね。確かに悪くないかも。
「い、いえいえ、しかしここ冒険者とか労働者向けのお店ですし……!」
「たまにはこういうお店にも入ってみたいなぁって、駄目かしら?」
「……いえ、その、貴女がそう言うのなら」
「うふふっ、嬉しいですわ。そうだ、旅の話も聞かせてくださる? 私、イライナから外に出た事がなくて」
「ええ、構いませんよ。私の話でよろしければ」
「楽しみですわ。さ、参りましょうかロイドさん?」
そう言い、彼と一緒にお店に入った。
なんだか夢みたい。
「へえ、ではロイドさんは見習いの頃から冒険者を?」
「ええ。自由に世界を旅しながら強くなりたいと思いまして。故郷に残してきた両親には申し訳なく思っていますが……」
他愛もない話でも、エカテリーナ(呼び捨てにはしてるけど多分この人俺より1つか2つくらい歳上だよコレ)は楽しそうに、興味津々と言った感じで聞いてくれた。
しかし、彼女とこんなところでまた出会うとは。
こっちはノマド、各地を転々としながら仕事をする冒険者だ。基本的に拠点を持たないから、旅の最中に出会った人とはあまり再会するなんて事は無いのだが……これは何かの運命なのだろうか。
しかしさっきから話をしているが、変な事は話していないだろうか。綺麗な女の人とこうして、こんなに長く、しかも個室で(カウンター席とかテーブル席も空いていたのになんで個室にしてしまったのだろうか)話をした経験もないので、さっきから心臓がひたすらバクバク言っている。
言葉を選んだつもりになりながら、しかし俺もなんだかんだで楽しんでいた。
できればずっとこうしてたいな、という思いもある。が、もちろんそれは叶わぬ願いだ。俺は冒険者で彼女は貴族、身分も住む世界も違い過ぎる。
イーランドでの話をしているうちに、料理が運ばれてきた。
大きな皿に乗った鹿肉の香草焼き。分厚い肉を豪快に焼いたもので、写真で見たよりもサイズが大きい。コレ数人で切り分けながら食べるやつなんじゃないかと思ったが、運んできたウェイトレス曰く「こちら1人分になります」だそうだ……マジか。
「あらあら、美味しそうですわね」
「ええ、ちょっと大きい気もしますが……まあ、いただきましょうか」
「そうしましょう♪」
ナイフとフォークを持ち、肉にナイフを入れた。
「そういえば、私の弟も冒険者ですの」
「へえ、弟さんも」
「ええ。屋敷を出てからは活躍を続けているみたいで、昨年にはもう異名付きの冒険者になりましたのよ。”雷獣”って」
ナイフが止まった。
……ん、ちょっと待って。
じわ、とすこし汗が滲む。
雷獣……うん、聞いた事のある異名だ。雷獣と言えば思い当たるのはアイツ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。ハクビシンの獣人で雷属性魔術の使い手、冒険者ギルド『血盟旅団』の団長。そしてマズコフ・ラ・ドヌー闘技場でこの俺を打ち破った実力者。
いや、まさか……でもミカエルも出身地はイライナだったし……。
……待て。
彼女のファミリーネームは”リガロヴァ”。ノヴォシアやイライナでは性別によって姓が変化したりする事があるのだと聞いている。
リガロヴァ……『リガロフ』?
「……もしかして、弟さんってミカエルって名前では?」
「まあ、ウチのミカをご存じですの?」
や っ ぱ り か 。
いや、そう言われてみれば確かにミカエルと似ているところがある。目元なんか特にそうだ、優しそうな雰囲気はほぼそのままではないか。
というかミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフって……え、待って。アイツ男? オスだったの?
なぜこんな考えもしないところで別のピースとピースが繋がり合ってしまうのか。運命というか、何というか……。
世界って広いように見えて、実は意外と狭いのかもしれない……そう思わずにはいられない。




