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とあるノマドの一日


 一面に広がるヒマワリ畑は壮観で、さながら大地が黄金に染まったかのよう。


 初夏の風の中で揺れるそれは、かつてイライナが地方の一つとしてノヴォシア帝国に併合される以前、未だ『イライナ公国』、そしてその前身となる『キリウ大公国』の時代から、ヒマワリはイライナという国家を象徴する存在であり、国花と認定されていたのだという。


 黄金の花弁を揺らす大輪はとても美しく、さながら黄金の絨毯が敷き詰められているようにも見える。


 しかしその黄金の花畑の中に1つだけ、白い何かが踊るのを俺は見逃さなかった。


 初夏の風の中に踊る純白のワンピース。頭には麦わら帽子をかぶった1人の女性が、花畑の中で佇んでいる。


 その顔に、見覚えがあった。


 あの時助けた、あの貴族の女性だ。ヴォジャノーイ討伐の際、撃ち漏らしたヴォジャノーイに襲われそうになっていた、あのライオンの獣人の女性。


 彼女が笑みを浮かべている。心の底から笑っているような、幸せそうな表情を浮かべながら。


 どういうわけか、俺は彼女に手を伸ばしていた。


 けれどもその手は、彼女に届く事はない。


 きっと、そして絶対に。

















 柔らかいベッドの上で目を覚ました。


 まだ頭が重い。が、身体の疲れはすっかり抜けているようだった。やはり堅い地面の上だったり、あるいは列車の乗客席で眠るよりよっぽど身体に良い。寝起きで分かるのだ、疲労が抜けているか否かというのが。


 やっぱり眠る環境は大切だ。冒険者は常に身体を使う仕事であり、毎日当たり前のように莫大なカロリーを消費するし莫大な疲労が蓄積する。自分の身体の管理ができないようでは、冒険者は務まらない。


 それにしても久々に良いベッドで眠った。この宿は当たりだな……それも一泊素泊まりで5500ライブルというお手頃価格、最近では10000ライブル超えの宿屋も多い中でこの低価格は本当にありがたい。


 洗面所で顔を洗い、歯を磨いて荷物をまとめた。荷物、と言っても愛用の大剣と非常用のダガー、それから投げナイフに各種アイテム、あとは仕事中に手に入れた食材を簡単に調理するための各種調味料と簡易調理器具くらいのものか。


 しかし……。


「……」


 あの時出会った貴族の女性の事を思い出す。


 綺麗な人だったな、と。


 きっと名門一族の女性なのだろう。交わした言葉は少なく、共に過ごした時間も同様ではあったが、けれどもちょっとした細かい仕草や言葉遣いを見たり聞いたりしていれば分かる。その辺の貴族とは違う、育ちの良さがそういった細かいところから垣間見えるものだ。


 はっきり言おう……ああいう清楚な人、割と好みのタイプだ。


 ただまあ俺には高嶺の花なのだろう。第一、こっちは平民出身の冒険者であるのに対して向こうは(たぶん)名門一族の令嬢か何か、身分が違い過ぎる。本来ならば俺が跪いて首を垂れるべきであって、ああやって話をしたりできるだけで大変な名誉なのだ。


 気持ちは分かるが諦めろ、ロイド・バスカヴィル。


 よく小説や映画、演劇の題材に身分違いの恋が取り上げられたりするが、大半の場合それは叶わず悲劇で終わるのだ……身の丈に合う恋をせよ、という教訓なのだろう。身の丈以上の物を手に入れようとすると破滅するぞ、という先人からの教えだ。


 とりあえず彼女の事は忘れよう……難しいけど。


 まあいい、さあ仕事だ。


 荷物をまとめてチェックアウト。宿屋の主に鍵を返却して外に出ると、早くもそこには大都市特有の喧騒があった。


 車の走る音に駅の方から漏れ聞こえてくるアナウンス。民謡をアレンジした発車メロディーも聞こえてきて、本当にこの世界が休む事は無いのだろうな、と痛感する。皆勤勉だ。きっとこの世界から喧騒が消える日があるとすれば、それは日曜日でも建国記念日でもなく人類の歴史が終わる時なのだろう。


 あくびを漏らしながら、駅前にある案内板で現在位置と目的地の位置を確認し、石畳でしっかりと舗装された道を歩いた。


 俺は冒険者、ノマドという流れ者だ。旅を続け、その日の飯にありつくためにはとにかく働かなければならない。そして働くためには冒険者管理局に行くのが手っ取り早い。


 あのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ率いる血盟旅団みたく、列車を移動拠点として使っているようなノマド連中は恵まれている方だ。鉄道関係者にコネでもあるか、それとも列車を購入できるほど資金に余裕があるような奴らは列車を使うが、ノマドの中でも3割程度に留まる(そこから列車に武装だの装甲だの搭載し装甲列車に作り変える奴は本当に一握りだ)。


 大半はこうやって在来線を使って移動するか、歩くかヒッチハイクでもするか……中には自転車で移動する根性のある奴もいるし、ツーリング感覚でバイクを使って旅をする物好きもいる。実に多種多様だが、俺は列車も車もバイクもなく、自転車もないごく普通、多数派のノマドだ。


 キリウの冒険者管理局に足を踏み入れると、いつも通りの喧騒が出迎えてくれた。

 

 併設されている酒場の方では朝っぱらからウォッカを飲んで酔いつぶれている冒険者の姿が見える。寒冷地なのだからとにかく強い酒が必要というのは理に適っているんだが、しかし今はもう春だ……もうじき初夏が訪れるというのに、酒瓶をなかなか手放せない冒険者の多いこと。


 喧嘩か、それとも冒険者同士(特に男同士)にありがちな力比べでも始まったのか、酔いの回った男たちの罵声やら怒声やら、囃し立てる声が聞こえてくるがちょっと待て。今まだ午前の9時ちょい前だぞ?


 まあ、でもノヴォシアよりはマシなのかもしれない……マズコフ・ラ・ドヌーの管理局はまだこんな感じだったけど、もっと北方の管理局はとにかくすごかった。酒場にヒグマを連れ込んで一緒に食事をしている冒険者(※信じられんと思うがマジだ)がいたし、酔いつぶれている夫を引っ叩いて連れ帰る妻(※信じられんと思うがこれもマジだ)がいたし、不倫現場となっていた酒場にチェーンソーの咆哮を高らかに響かせて踏み込んだ交際相手(※作り話だと思うだろ? 悪いがこれもマジだ)という修羅場も見てきた。


 なんというかその、覚えておいてほしい。マズコフ・ラ・ドヌー以北は魔境だ。非日常が彼等にとっては日常になっている……いやホント、タクシーに乗って信号待ちしてたら隣に大きなヒグマに跨ったおっさんがやってきて、笑顔で手を振られた時なんかどうリアクションを返せばいいのか分からず『Wow! That's a nice bear!(わあ、素敵な熊さんですね!)』と素で返してしまった。その後信号が青になるや追い越し車線をすっげえ速度でヒグマが爆走していったんだけどアレ交通法的にどうなんだろう……ノヴォシアではヒグマは車両扱いなんだろうか。


 まあ、そういう光景が日常的に見れて後半は慣れてしまったレベルのアレと比較すると、イライナはまだマイルドな方である。あれホント何だったんだろうか……。


 掲示板をチェックしてみるが、やはりというかなんというか、依頼書の数はザヴォリーダの管理局と比較するとそれほど多くは無かった。


 それもそのはず、大都市はその郊外を含めてとにかく治安が良く安全なのだ。国家の権力者が住む都市だから、そして多くの人口を抱える居住地であるから騎士団や憲兵隊が定期的に魔物の掃討作戦を実施するので、魔物の襲撃を受ける可能性は限りなく低い。


 住民からすればありがたい事この上ないだろう。余裕のある軍備と備蓄に厳重な警戒態勢、そして定期的な魔物の掃討作戦が実施されている事で命や財産を脅かされる事が無いのだ。辺境の村や集落なんかは毎日が死と隣り合わせで、武装して自分で家族や財産を守るか、金に余裕があるならば冒険者を雇って魔物の攻勢を何とか耐え凌ぐなんて事も当たり前である。


 それと比べれば、枕を高くして眠る事が出来、食料も豊富な都市部は理想的な居住地であるのだろう……そりゃあそうだ、誰も好き好んで捕食者が跋扈する地域には住みたくないだろうから。


 けれども、冒険者からすればそれは旨みの無い話。


 結局のところ、冒険者の生活は仕事があるからこそ成り立っている。そう、魔物の退治だとか輸送隊の護衛だとか、野盗討伐とか、そういうトラブルを抱える地域があるからこそ冒険者という仕事が成り立っているのであって、こういう安全が確保されている地域は冒険者にとってあまり旨味がある場所ではないのだ。


 そういう事情もあってノマドは危険地帯によく出向く。おかげでごく一部ではそういう危険地域に入り浸るノマドを『戦争屋』だなんて呼ぶそうだが……まあ、実戦経験も豊富になるので実力者も多いのは事実だ、実戦ほど戦士を育てるものはない。


 とりあえず依頼書を眺めてみるが、まあ平和なものだ。郊外でイライナハーブを採取してきてほしいという依頼が3件、キノコ採取が2件、怪我をして療養中の父の代わりに鹿を3頭仕留めて毛皮と肉を納品してほしいという依頼が1件、ヒグマ退治が2件……こっちは何だ、子供の世話? 待て、こりゃあベビーシッターの仕事じゃないのか?


 まあ、平和なのは良い事だ……たまには気晴らしに薬草採取でもいいかと思い、依頼書を掲示板から剥がして受付の方へと向かった。


 最近は剣を振るってばかりだったし、のんびり薬草採取でも楽しむか……サンドイッチと飲み物を持参して、な。
















 イライナハーブはその名の通り、イライナ地方の特産品だ。


 香りが強く、サラダの具材から郷土料理、炭酸飲料のフレーバーに至るまで使われているハーブの一種であるという。薬草としても大昔から重宝されていて、今では回復用のエリクサーの素材にも使われているのだとか。


 さて、そのイライナハーブを規定数採取して袋に収め、俺は帰路についていた。イライナ郊外は殆どが畑で、その外縁部に行くとやっと森が見えてくる。イライナハーブはそういう場所で採取できる植物なのだが、増殖のペースが異常だそうで、放っておくと森の植物から栄養を横取りして枯らしてしまう事もあるのだそうだ。


 これを食文化に用いるようになったのも、異常な速度での増殖に歯止めをかけるためだったのかもしれない。そう思うと異国の文化にも理解を示せるようになってくる……どの異文化にもちゃんとした理由が背景にあるのだ。


 依頼主はこれを何に使うんだろうな、と疑問が頭を過ったが、そういうのは詮索しないのがこの界隈でのルールでありマナーだ。


 それにしても、剣を振るわずに終わった依頼なんて何年ぶりだろうか。見習いの頃、師匠と一緒に森で採取関係の仕事をした時以来かもしれない。当時は魔物の討伐ばかりで、師匠からは「たまには採取系の仕事にも慣れておけ」と言われて薬草やらキノコの採取を行った事があったが、あの時余分に採取したキノコを使ったシチューがなかなか美味かった。師匠から作り方も教わったし、今度久しぶりに食材を集めて作ってみようか。


 思い出の味に想いを馳せながらキリウ市内へと入り、管理局へとイライナハーブの入った袋を提出。受付嬢が依頼書を参照し規定数に達している事を確認すると、報酬金の入った封筒を渡してくれた。


 報酬は9000ライブル……普段こなしている仕事と比較するととんでもなく安いが、これでも食費と宿泊費にはなるだろう。


 とりあえず一泊して、それから次の目的地を決めよう。


 ぐう、と腹の音が鳴る。こういう空腹の時に限って併設されている酒場の方からは美味そうな香りが漂ってくるもので、視線を酒場の方へと向けると大盛りのボルシチにでっかい鹿肉の塊、それから大量のパンにありついている冒険者のパーティーの姿が見え、ちょっと羨ましくなった。


 ただこういう酒場で出されるメニューは無難なものが多い傾向にある。異国からやってきたノマドも利用するので、どの文化圏の人間にも親しまれているような料理がラインナップに多く並ぶ事など珍しくないのだ。


 そういう料理もいいのだが、しかしこう、遠方の地まで旅してきたのならばそこでしか口にできない料理を堪能したくなるのが人の性というものである。


 なんか無いかな、と管理局を出てから街中を探し回っていみるが、やはりイライナの郷土料理を出す店が多い。店の前にある看板には聞いた事がない料理の名前もあって、ついふらふらとそっちに流れてしまう。


 ちょっとこう、カロリー高めのやつは無いだろうか。肉類だと嬉しい。


 鹿肉の香草焼き……香草にはイライナハーブを使用しているのか。


 今日はここにしようか、と思い店の中に入ろうとしていると、後ろの車道に1台の車が停まった。


 なんだか見覚えのある車だ。真っ白なセダンで、グリルは一族の家紋を模った物になっておりなかなかに洒落ている。流線型のシャーシに箱型の車体、大きなライト。純白の車体はクロームカラーのパーツで縁取られていて、さながら真珠のような美しさがあった。


 貴族のものなのだろうが、しかしここは高級住宅街でも何でもない。貴族がお出ましになるような場所ではないのだ……お忍びで来ているのだとしても、もっと目立たない車を使うとか何か手はあるだろとは思うのだが。


 しかし、車から降りてきた人物を見た途端に俺は息を呑んだ。


「あなたは……あの時の」


「お久しぶりですわ、冒険者さん」


 後部座席から降りてきた金髪の女性。


 間違いない―――あの時助けた、貴族の女性だった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] そうでしたか…エカテリーナ嬢の意中の相手になりそうなのはロイド氏でしたか。身分の違いさえなければ本当にお似合いなんですがねえ。まだ貴族階級というものが国家システムとして機能している時代では…
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