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特効薬転売ヤー撲滅計画


《これより転売ヤー捕獲作戦を実行する》


 端末から聞こえてくる、いつにも増して殺意の込められたパヴェルの声。それこそ平常心を保ってこそいるが、その隙間からどす黒い殺意が滲んでいるというか、漏れているというか、放水開始3秒前のダムというか。


 まあ、それは俺も同じだ。前世の世界に居た頃、欲しい商品が転売されて枕を濡らした夜は一度や二度ではない。きっと会社の寮にある俺の枕からは涙の味がする事だろう。


 それはいい、別にどうだっていいのだ。社会人の涙が滲んだ枕にいったい何の金銭的価値があるというのか。問題はそんな事よりも今この街で起こっている事である。


 入荷してもすぐ薬局から姿を消す特効薬。ザリンツィク市内の薬局が開店すると同時に、特効薬を全て買い占めていく人物たち。まだ実際に高額転売されているところを見たわけではなく、この時点では単なる買い占めだけだが、それだけでも多くの人に迷惑が出ている。スラムに住んでいる人たちだって頑張れば手が届く良心的な価格の特効薬……それが本来必要な人の手に渡っていないのは、異常事態以外の何物でもない。


 転売されているかどうかも含め、その実態の調査を行う必要がある。


 目的はあくまでも買い占めの実態の調査。可能であれば買い占めた奴を尾行してアジトの場所を突き止め、そこへ突入して現場を押さえたいところだが……。


 今回の調査に際し、俺、クラリス、モニカの3人で散開して当たる事にした。さすがに3人一緒に行動していると効率が悪すぎる。


「まだ転売ヤーと決まったわけじゃないぞ」


《そうだが、やってる事は奴らと同じだ》


「そりゃそうだ」


 薬局の向かいにある雑貨店の脇、建物と建物の間に挟まれた薄暗い路地の中で、薬局の開店を待つ。あそこの店主の話はきっちりと記憶していた。特効薬の入荷は二日後だ、と。同じ日に特効薬の再入荷を予定している店舗はここを含めて6つ。そのうちの3店舗を見張るわけだから、可能性としては50%……くらいはあると祈りたい。


 そう思いながら、ズボンのホルスターに分解された状態で収まっている黒い筒に視線を落とした。


 黒い筒―――しかしそれには引き金のようなパーツがあり、銃であることが分かる。だが、握るためのグリップはどこにもない。


 弾倉マガジンを兼ねるグリップは取り外し、反対側のポケットに収めてある。これならば一見すると短めの鉄パイプにも見えるかもしれない。少なくとも、一目見て「アイツ銃持ってる!」とはならないような、奇妙な外見だった。


 『ウェルロッド』と名付けられた、イギリス製の特殊拳銃である。


 開発されたのは第二次世界大戦中。採用されこそしたものの一般部隊向けの代物ではなく、工作員やら特殊部隊やらと、まあアレだ、公にできないヤバい部署に支給された拳銃である。


 サプレッサーに直接グリップと引き金を取り付けたような奇抜な外見のこれは、動作方式も奇抜だった。なんと拳銃なのにボルトアクション式なのである。引き金を引くだけでお手軽にパスパスできるわけではなく、一発撃つ度に後部を捻って後方へ引き排莢、押し戻して捻る事で再装填、という手順を踏まなければならない。


 なんでこんなめんどくさい方式になったのか……それは消音性を少しでも高めるためだ。まさかサプレッサー付けるだけで敵に気付かれないレベルで静かになる、なーんて思ってないよな? そんなことないよ? 弾薬とか銃にもよるけど、バンバンがプスプスになるだけで普通に気付かれるからね?


 問題は銃声だけじゃない。拳銃とかだと、発砲する際にスライドが後退するわけなんだが、そのスライドが後退する音ですら敵に気付かれる要因となり得る。


 そのためのボルトアクションなのだ。発砲の際に動く部品を限界まで減らすという執念にも似た徹底した設計により、当時の拳銃としては破格の消音性を獲得するに至っている。大英帝国だっていつも紅茶キメて変な兵器ばっかり作ってるわけじゃないのだ。


 というわけで、コイツに入っているのは通常の弾薬……ではなく、非殺傷ノーキル用の麻酔弾。麻酔弾専用設計にパヴェルが作り直した、本人曰く『ウェルロッド・パヴェルスペシャル』だか何だか。


 消音性はオリジナルより更に高められており、聞こえてくる音は軽く息を吹く程度。麻酔弾に充填されている麻酔薬は安心安定のジギタリスとイライナハーブ、あとはパヴェルの”隠し味”を少々。おかげで即効性があるのだとか。


 消音性を高めるためにサプレッサーがやや大型化してしまい、拳銃……? ってなりそうな程度のサイズになったが、そこは長所を限界まで伸ばした対価なのだと割り切ろう。


 ちなみにパヴェル曰く「麻酔薬じゃなくてノビチョクを充填すると暗殺拳銃になるよ☆」との事。良い子の皆は絶対に真似しちゃダメだぞ! 悪い大人も絶対にやっちゃダメだからな!


 スペックを確認しつつ、店の向かいで見張る事20分。さっき盛大に水たまりを踏み抜いたせいでブーツが悲惨な事になっており、ミカエル君のキュートな足の指が寒さのせいでポロリしそう……などと考えていると、怪しげな男が1人、薬局のシャッターの前をうろうろし始めたのが見え、これは当たりを引いたかもしれないと思う。


 厚着をしているが、ここから見る限りではバッファローの獣人のようだ。ウシャンカには大きな穴が空いていて、そこから大魔王様みたいな角が覗いている。動物として見れば「あ、バッファローだ!」ってなるが、こうして獣人として見てみるとラスボス感がヤバいのは気のせいではないだろう。黒いマントとか羽織ったらもうマジでそれである。RPGのラスボス役に抜擢されそうだよ。やったね!


 目が合わないように、見張っている事を悟られないように暗闇に潜みながら待つ事10分。微かに薬局のシャッターが揺れたかと思いきや、ガラガラと硬質な音を響かせながら店のシャッターが開き、中からコツメカワウソの店主が顔を出した。


「いらっしゃい。何かお求めで?」


「赤化病の特効薬が欲しい」


「おいくつです?」


「全部だ、ある分だけくれ」


 バッファロー氏(仮名)がそういうと、コツメカワウソの店主は困惑したような顔がした。店としては利益が出るから良いのかもしれないが、それだけで商売というのはやっていけない。必要とする顧客の元へ必要な商品を届ける、それがあきないの本質であり本来あるべき姿だ。


 ここで困惑したという事は、あの店主はそれを理解している人なのだろう。


「困るよお客さん、みんな困ってるんだ」


 そう言って断ろうとする店主だったが、それがバッファロー氏の逆鱗に触れたようで、次の瞬間にはでっかい手が店主の胸倉をがっちりと掴み上げていた。


「うわっ!」


「なんだとてめえ、俺には薬を売れねえってか!?」


「や、やめっ……!」


「こちとら大家族なんだよ! ガキがみんな苦しんでるんだ、文句あるか!?」


「わ、分かった、分かりました! 売ります、売りますから!」


 そこまで言い、やっと店主は解放された。ぶるぶると震えながら商品棚の方に行き、入荷したばかりの特効薬の瓶を全部持ってくる店主。バッファロー氏はそれを受け取って満足そうに笑みを浮かべると、代金を払って薬の瓶を持参したダッフルバッグの中へと放り込んでいく。


「邪魔したな」


「……」


 悔しそうな顔を押し殺し、踵を返して去っていくバッファロー氏を見送る店主。少しでも買い占めに抗おうとした勇気は称賛するが、なんだか可哀想な気もする。


 実際に心苦しいのだろう。昨日だって俺もこの店を訪れたけど、特効薬は品切れです、と告げる店主の表情は悲しみと悔しさが入り混じったものだった。あの顔は、なかなか忘れられない。


 さっき売店で買ってきたオレンジ味のキャンディを口の中に放り込み、ポケットから端末を取り出した。電源ボタンを短く押してスリープモードを解除、メールをタップしメンバー全員に短くメールを送信する。


【犯人発見、尾行中】


 折角だし写真も送るか、とカメラをタップし倍率を調整、大通り越しに撮影。一枚目を撮ったがたまたま車道を通過したセダンに遮られたので(一般通過セダンやめろ)、めげずに二度目の撮影。今度は犯人の横顔と現場から逃走する様子がきっちりと収められていて、我ながらなかなかの出来だと思う。


 それもついでにメンバー全員に送信。するとすぐにパヴェルから【ナイスナイス】と短い返信が返ってきた。


 さて、後は尾行だ。こいつらのアジトを突き止め、少し探りを入れさせてもらおう。転売しているようだったらまあ色々やるし、やってなかったとしても買い占めの理由を突き止めた後に色々と制裁してやる。


 一応、ノヴォシア国内では薬品の転売は合法……というか、法整備されてない。日本では規制されているが、ノヴォシアでは法整備されていない、つまり無法地帯と化しているのだ。”やっちゃダメなわけじゃないけどやっていいわけでもない”という曖昧な状態なのである。


 せめて法を犯してればなぁ。マカール(お兄ちゃま)に通報してキリウからここまで来てもらうところだったのに。


 ちぇっ、と小さく呟き、バッファロー氏から距離を取りながら歩道を歩いた。普通、こういう尾行はチームを組んでやるものだ。単独だと単純に見失ってしまう恐れがあるし、万一尾行がバレていて反撃を受けた際に対処が難しくなる。


 しかもこちとら素人だ。盗みと銃を撃つことに慣れていても、尾行なんてやったことがない。いや、17歳で尾行の経験があったらそいつは絶対健全な育ち方をしていない。親はスパイか何かですか?


 口の中のキャンディが小さくなってきたところで、バッファロー氏は反対側の路地に入った。さーて、ここからは運動の時間だ。


 目の前にある電柱を素早くよじ登り、電線の上を走って車道を横断。本当、この世界が電気が普及しているレベルの社会で良かったと思う。おかげで大通りを横断する手段には困らない。


 電線を伝って建物の上へ。視界の悪い路地裏でも、ここからなら丸見えだ。乱雑に積み上げられた腐りかけの木箱を蹴飛ばし、ゴミ箱から溢れたゴミを容赦なく踏みつけながらずんずんと進んで行くバッファロー氏。特効薬の入ったダッフルバッグは随分と重そうだ。


 目的が転売じゃなかったら何が目的なのかは分からんが、転売目的だったらさぞ莫大な利益を得ている事だろう。この街には、蔓延する恐ろしい疫病から逃れるために特効薬を欲している人があまりにも多すぎる。正規ルートからの供給が完全に遮断されれば、人によっては転売にも飛びつくかもしれない。


 それがどれだけ法外な値段であっても、だ。この時点で賃金の安い労働者や、そもそも収入の無いスラムの貧民たちは切り捨てられる。


 貴族向けの商売でもしているのか……などと推測している間に、バッファロー氏は路地の奥にあった建物へと入って行った。


「……」


 壁には色褪せた広告のポスター。ドレス姿の女性が、酒の入った瓶を片手に微笑みかけているイラストが描かれている。他にも掠れた文字で”酒場”とかいう単語が見えたので、おそらくここは昔に閉店となった酒場なのだろう。


 営業を再開する気配もなく、今となっては転売ヤーの拠点か……いや、まだ転売ヤーと決まったわけじゃあない。


 今すぐ踏み込みたいところだが、中の様子もチェックしておきたい。他にも仲間がいるかもしれないし、奴らが金を持ってるかどうかも把握しておきたいところだ。


 向かい側にある建物をちらりと見た。出入口が腐食しかけの板で塞がれたアパートのような建物で、窓は割れ、そこから覗く部屋の中の様子もかなり荒れている。


 セーフハウスとして使わせてもらおうか……ちょっとターゲットの拠点に近すぎるような気もするが。


 とりあえず、転売ヤーの拠点の場所と外観を端末で撮影し、それをメールで全員に送信。仲間との状況共有は素早く正確に、だ。













『おー、大分溜まってきたなあ』


『これなら30万ライブルはするな』


『せっかくだ、もっと値段を吊り上げようぜ』


『前回は26万ライブルだったんだ、今度は倍にしても良いだろ』


『ああ、どうせ客は貴族連中なんだ。金ならいくらでも積むだろうからな』


 聞こえてくるのはなんともまあ、下衆な連中の会話だった。


 こういう連中には憤りを覚える。口では転売行為を正当化した綺麗事ばかりほざくが、本心はこれだ。安く買い、高く売る。そうして利益を他者から貪る連中なのだ。それは向こうの世界でもこっちの世界でも変わらないらしい。


 しかも奴らが転売しているのは疫病の特効薬。下手しなくても人命にかかわる、ザリンツィク市民にとっては命綱とも言える貴重品である。それを転売するなど、人として終わっている。ありゃあ金を貪るだけのケダモノだ。服を着て二足歩行している以外に俺たちとの共通点の無いケダモノなのだ。


 パヴェルが突入させた潜入型ドローン、それから送られてくる映像を端末の動画再生モードでチェックしながら、俺は無意識のうちに拳を握り締めていた。


「思ったより酷い連中じゃないの」


 カチッ、カチッ、とMP5のマガジンに9mmゴム弾を装填しながら、モニカが苛立ったように言う。隣で例のクソデカボルトカッターを砥石で研いでるクラリスも同じような表情で頷くが、それでまさかぎっちょんするつもりじゃないよね? 違うよね?


 転売ヤーの連中の拠点からクッソ狭い路地を挟んだ向かい側、誰も入居する者のいなくなった労働者向けの格安アパート、その一室をセーフハウスとしながら、特効薬転売ヤー撃滅計画の作戦を練る。


『偵察の結果だが、転売ヤー共は7名。いずれも共通点は見受けられんが……リーダー格の男はなんか臭うな』


「分かる、3日くらい風呂に入ってないような臭いだ」


「プンプンですわ」


「くっさ」


『そっちの臭うじゃないんだわ?』


 珍しくパヴェルがツッコんだ。


『なーんかねえ……ブラックな社会を渡り歩いてるような感じがするのよねえ』


 そう言いながら、ドローンで撮影した映像を一時停止してズームアップしたものをメールに添付して送りつけてくるパヴェル。ファイルを開くと、狼の獣人の男性が写っていた。傍から見たら怖いお兄ちゃんといった感じの風貌だが、よく見ると首筋に刺青のようなものがかすかに写り込んでいるのが分かる。


 目つきも、歩き方も、確かに他の仲間とは何かが違うような、得体の知れない雰囲気を纏っていたが……パヴェルにはその明確な答えが見えているらしい。


『とりあえず生け捕りにして、連れてこい』


「列車までか?」


『いや、拷問部屋を用意した』


「拷問部屋」


 いつぞやのパヴェルの尋問を思い出す。そう、あのクルーエル・ハウンドのリーダーを尋問した時の事だ。白兵戦用の、スパイクマシマシのいかにも痛そうな棍棒をあんなことに使うなんて、いくら何でも非人道的すぎる。世界中の人権団体から非難が殺到してもおかしくないレベルだ。非人道的行為に定評のあるナチスやソ連もドン引きである。


 だってお前、情報吐かせてメス堕ちさせてからボコボコにするってお前……。


「まさか棍棒使うんじゃあるまいな」


『安心しろ、今度のは電気が流れる』


「電気が流れる」


 進化してて草。


 まあいい、俺もやってやるさ。


 人の命を軽視し利益だけを貪る愚か者共―――天誅だ。



※日本における許可の無い薬品の転売行為は規制されています。ご注意ください。

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