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イライナの泥濘の中で


『お前に冒険者なんて無理だ。危なすぎる』


 冒険者になりたい、と将来の夢を語った時、故郷の村で靴職人をしていた父はこう言ったのを今でもよく覚えている。お前に冒険者は無理だ、と。


 夢を見る少年期に、自らが抱いた夢を真っ向から否定される―――しかし負けず嫌いで、一度決めた事はあまり曲げたくない性分故なのだろう。ならば猶更なってやろう、という気持ちがその日を境に燃え上がった。


 どんな地獄を見てもいい。血反吐を吐き、死肉の散らばる戦地でのたうち回る毎日であったとしても、抱いた夢は夢に過ぎなかったとしても、俺は冒険者になりたい。そう願うようになった。


 そこにきっと、求めている自由があるだろうから。


『お願いよ、冒険者なんてやめて、お父さんの仕事を継いでちょうだい』


 買ったばかりの剣を背負い、故郷の村を出る前に母がそう言って呼び止めようとしていたのを思い出す。


 けれども―――大好きだった母の言葉も、枷にはならなかった。

















《それでは次のニュースです。聖イーランド帝国海軍が倭国に対し戦艦の追加供与を発表した件について、ノヴォシア国防相は『極東海域の安定を脅かす危険な試みであり、帝国として断固抗議する』と声明を発表。艦隊増強法案も帝国最高議会にて可決され、バルチック艦隊、極東艦隊、北海艦隊が軍備増強により―――》


 ラジオから流れてくる音声で目が覚めた。


 標準ノヴォシア語で喋るアナウンサーの声。いつからだろうか……祖国の言葉ではなく、異国の言葉が自分のもっとも使う言葉になってしまったのは。


 音量を小さくしていたラジオのスイッチを切り、窓の外に視線を向けた。


《Скоро ви приїдете на станцію Заволіда. Пасажири, які прямують до Ареси або Віліу, повинні пересідати тут. Після Заволиди потяг зупиниться на Ганипро. Ми розраховуємо прибути до столиці Кіріу за 7 годин(間もなくザヴォリーダ、ザヴォリーダ駅に到着します。アレーサ方面行き、ヴィリウ方面行きはお乗り換えです。ザヴォリーダの次はガニプロに停車いたします。首都キリウへの到着は7時間後を見込んでおります)》


 標準ノヴォシア語と語感は似ているが全く異なる言語―――イライナ語の音声が頭上のスピーカーから聴こえてきた。


 もうそろそろザヴォリーダか、と息を吐き、肩を鳴らしながら荷物をまとめた。傍らに置いていた剣も背負い、座席を発って降車用のドアの方へと向かう。


 元々、ノヴォシア帝国は周辺諸国を併合した事によって今の国土を持つに至ったのだそうだ。


 その際に併合されたのは2ヵ国―――元より親密な関係にあり、併合をすんなりと受け入れたベラシアと、最後のその瞬間まで激しい抵抗を続けたという当時のイライナ公国。


 今では言語もノヴォシア語で統一され、公国の名残は地名や歴史的建造物に見るばかりとなったイライナではあるが、併合から長い年月が経った今でも独立を望む声は依然として根強く、今では帝国からの命令に反しイライナ地方内では実質的にイライナ語が公用語として用いられており、またキリウを”首都キリウ”と表現するなど、強引な併合を推し進めたノヴォシアに中指を立てるような状況となっている。


 イライナ語のアナウンスの後には、申し訳程度にノヴォシア語のアナウンスも流れているようだった。


 列車が減速し、駅の巨大なホームへと滑り込んでいった。駅の向こう側には広大なガニプロ川が広がっている。国が変わっても、広大な川の流れが変わる事は無いのだろう。


《Приїхали на станцію Заволіда. Будьте обережні, щоб нічого не залишити(ザヴォリーダ、ザヴォリーダです。お忘れ物にご注意ください)》


 綺麗な場所だな、というのが最初の感想だった。


 ホームの石畳は雪のように真っ白で、駅のホームの頭上は巨大なグラスドームで覆われている。自重で崩落するのを防ぐためなのだろう、グラスドームの中には鉄骨らしき補強用フレームが入っていて、こうしてホームから頭上を見上げると雄大な大空を背景にイライナ公国の象徴である三又槍が浮かび上がるようになっていて、なかなか洒落ている。 


 駅の改札口で冒険者バッジを提示、改札を通過して駅の外に出た。


「……」


 春だというのに、この大地の風はまだ少し肌寒い。


 とはいえいたるところで雪解けは始まっていて、冬季封鎖で文字通り凍結していた都市間の人や物資の往来は復活しつつあった。


 祖国イーランドでは考えられない……確かに向こうも寒いが、しかし雪が降った程度で人々の往来が完全にストップするなど絶対にありえないのだ。それがノヴォシア帝国ではどうか。雪がまるで壁のように降り積もり、気温も全てを凍てつかせるレベルに下降して多くの人々を凍えさせる。


 何を思ってこんな場所に住もうと思ったのだろう、とノヴォシアに定住した大昔の人々に問いかけてみたい。


 駅前を歩いて冒険者管理局へと向かう。


 やはりここの喧騒は万国共通だった。ノヴォシア帝国の冒険者たち特有のオフシーズン、あの苛酷な冬が明けたからなのだろう。管理局に併設されている酒場の方からは仕事帰りの冒険者たちの声が聞こえてくる。


 酒杯片手に自分の武勇伝を語るベテランの冒険者に、酔いが回って(ちょっと待てまだ昼間だぞ)他の冒険者との力比べに興じるおバカたち。そんな彼らを周囲の他の冒険者が「いいぞやれやれー!」と囃し立てる。


 イーランドでもこんな感じだったな……などと祖国の事を思い出しながら、掲示板の方へ真っ直ぐに向かった。既に掲示されている依頼書の中から良い感じの仕事を選び、それを掲示板から剥がしてカウンターへと向かう。


「すいません、この依頼を受けたいのですが」


「はい、かしこまりました。こちらはCランクの依頼となっていますが、念のためバッジの提示をお願いします」


 言われた通り冒険者バッジを提示、自分がBランク冒険者である事を証明すると、受付嬢をやっているハクビシンの獣人の彼女は少し驚いたような顔になった。


「ええと、その……ロイド・バスカヴィルさんでよろしいですね?」


「ええ、はい」


 少しイーランド訛りの残る標準ノヴォシア語(イライナ人の皆さんには悪いがイライナ語は分からんのだ)で返すと、彼女は片手で口元を押さえながら目を見開いた。


 ハクビシン獣人特有……というよりジャコウネコ科獣人の特徴でもあるあのくりくりとした丸い目を見ていると彼女を思い出す。マズコフ・ラ・ドヌー闘技場で戦い僅差で敗れたイライナ出身の冒険者、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを。


 彼女は元気だろうか。今はどの辺に居るのか……また何か機会があったら手合わせを願いたいものだと思っていると、受付嬢が握手を求めてきた。


「私、ファンなんです!」


「は、はあ」


「後でサイン貰っても良いですか!?」


「え、ええ、構いませんよ」


「やった!!!!!」


 今の音圧、推定150㏈。


 うーん耳、耳が死ぬ。


「ごほん、失礼しました。それではこちらの依頼の受注が確定しました、お気をつけて行ってらっしゃいませ」


「ありがとう」


 彼女に礼を言い、カウンターを離れる。


 さて、と……仕事に取り掛かる前に、その辺の売店にでも寄ってアイテムを買いそろえておこう。


 仲間に治療魔術師ヒーラーがいるならばまだしも、単独での仕事となれば回復はアイテム頼みになってしまうからな……。

















 イライナ地方には”ヴォジャノーイ”と呼ばれる固有の魔物が生息している。


 図鑑で読んだところによるとソイツは蛙のような姿をしていて、二足歩行で歩くのだそうだ。肉食性で大きな口を持ち、家畜の牛や羊、そして人間すらもその餌食にして繁殖してしまうという。


 踏み締めたブーツが、柔らかい泥濘に微かに沈んだ。


 一歩一歩、踏み出すだけで足が重くなっていく。イライナの土は柔らかく、それでいてブーツに付着しやすいのだ。おかげでもう俺の両脚は泥団子が付着したみたいになっていて、体重が倍くらいになったんじゃないかと思ってしまうほどの重さになっている。


 ヴォジャノーイの幼体はオタマジャクシのような姿をしており、成体と同じく獰猛な肉食性。泥の中を自由自在に泳ぎ回ってはピラニアの如く獲物に襲い掛かり、骨すら残さずに喰らい尽くしてしまうというのだから恐ろしい。


 しかしそんな恐ろしい魔物とされているヴォジャノーイではあるが、成体の脚、その筋肉は珍味として重宝されているのだそうだ。鶏肉のようにさっぱりとしていて、重厚な旨みもある食材なんだとか。


 イライナ南部では伝統的な食材で、その味はわざわざ北方からこれを食べにやってくる美食家も現れる程らしい。そんなに美味いならば一度は口にしてみたいものだが……。


 さて、今日の仕事はそのヴォジャノーイの殲滅―――というより、連中のコロニーを1つ潰す事が目標となる。


 近隣の村で子供がヴォジャノーイに食い殺される事件が頻発しているらしく、憲兵隊が調査したところ村の近隣にある泥沼の畔にヴォジャノーイのコロニーが形成されていた事が判明したのだそうだ……しかもそのコロニーのリーダーはヴォジャノーイの中でも長い年月を生きた女王であり、そういった繁殖の中心となる個体は『ルサールカ』と呼ばれるのだそうだ。


 目的はコロニーの撃滅、及びルサールカの討伐。


 息を吐き、背負っていた大剣の柄に手をかけた。


 ―――空気が変わった。


 匂いがどうのこうのとか、空気の流れがどうといったわけではない。ただ、明らかに敵意を向けられているという感じがした。


 そっと愛用の大剣を抜き、上段の高さに構えながら一歩を踏み出して―――そのまま全体重を乗せ、切っ先を真下へと突き下ろした。


『ピギャッ!!』


 ボッ、と切っ先が泥濘の中にめり込む。しかし泥をかき分ける感触の中、確かに他の何かを刺し貫いたような手応えも確かに感じた。柔らかい肉と硬い骨のようなものを切っ先が穿つ感覚。そのまま大剣を引き抜くや、串刺しになったオタマジャクシのような黒くぬめった表皮で覆われた魔物の死体が一緒に泥の中から引き抜かれる。


 ヴォジャノーイの幼体だ。やはり、図鑑に掲載されていたイラストと同じ姿をしている。


 足元から忍び寄って俺を喰らうつもりだったのだろうが、幼体であるが故に狩りの基本が出来ていない。そんな殺気を振り撒いているようでは、永遠に獲物にはありつけないだろう。


 ぶんっ、と大剣を振るい、付着した泥と串刺しになっていた幼体を払い落とした。


 それが合図だったかのように、周囲の泥が一斉に盛り上がった。


『ヴォロロロロロロロ!!』


「ほう……なるほど」


 待ち伏せは不可能と判断したのか、それとも子供を殺され怒り狂ったのかは定かではない。泥濘の中から姿を現したのは、緑の斑模様の表皮で覆われた二足歩行のような蛙の化け物たちだ。


 ヴォジャノーイの成体である。


 なるほど、なかなか凶悪そうな顔をしている。目元はヒキガエルみたいで眠そうな顔に見えるが、しかし大きな口の中にはナイフのように鋭利な牙がずらりと並んでいて、口そのものも成人男性を丸呑みにしてしまえそうなほどの大きさがある。子供相手ならば一口だろう。


「―――蛙諸君、出迎えご苦労!」


 両手で柄を握り、渾身の力を込めて大剣を振るった。


 ぶんっ、と左下へ振り下ろすコースで振るわれた一撃が、飛びかかってきたヴォジャノーイを捉える。堅牢な外殻を持っていないからなのだろう、手応えは随分と軽かった。刃が表皮にめり込んだ感覚を覚えた頃には既に刀身は骨を断ち、反対側から血と泥にまみれた刀身を覗かせている。


 そのまま振り抜いて一刀両断、背後から迫ってきたヴォジャノーイの眉間に剣の切っ先を突き入れて仕留め、引き抜く勢いを乗せ後方から迫るヴォジャノーイの風船みたいな腹を右から左上へと斬り上げる。


 紫色やピンク色の臓物をぶちまけ、鮮血が泥濘に禍々しい斑模様を刻む。


 寸断された死体や臓物と泥が攪拌され、辺り一面は何とも生臭い異臭に覆われ始めた。仕事前に食事をしてこなくて本当に良かった、とつくづく思う。俺はドーベルマンの獣人なので鼻が利くのだ……だから悪臭はちょっとね、うん。


 5体、6体……いや10体くらいは斬ったか。とにかくそれくらいの数のヴォジャノーイを物言わぬ屍に変えてやったところで、先ほどまで獲物を喰らわんと殺気立っていたカエル共が急に及び腰になった。


 一筋縄ではいかないと判断し慎重になったのか、あるいは……。


「!」


 唐突に、泥沼の表面が盛り上がった。


 木の根や枯草、それからどこかの誰かが捨てていった泥まみれのバケツをかき分けながら、巨大な蛙のような化け物が姿を現す。


 推定身長3m―――先ほどまで斬り捨ててきた蛙共より一回りも二回りも巨大な身体に、より大きな口。斑模様はより細かくなっており、眠そうな顔ではあるがしかし、そこに収まる眼はぎょろりとしている。


 泥濘の主、ルサールカ―――ヴォジャノーイたちの親玉だ。


 なるほど、子供たちの危機を察知して飛び出してきたか。


 まあいい……排除対象だ、狩らせてもらうぞ。





 

 

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