ガラマからの旅立ち
この光景を見たら、きっとリガロフ家の”母上”(もちろんミカエル君とは血のつながりも何もない、あくまでも赤の他人である)は卒倒するだろうな、と思いながらジャム入りの紅茶を口へと運ぶ。
列車の1号車、2階にある俺とクラリスの寝室。テーブルの傍らにある椅子の上には俺……ではなくアナスタシア姉さんが腰を下ろし、ミカエル君は姉の膝の上にちょこんと座っていた。というより、座らされていた。
何でこんな事になっているかというのは単純明快、姉がジャコウネコ吸いをしたいと言い出したからであるが……。
「すぅ~」
「……」
人の頭に顔を埋めて全力でジャコウネコ吸いをする姉上。一瞬、コレ実はウチの長女ではないんじゃないだろうかと真面目に疑ってしまったが、しかし窓に反射する室内の様子を見るに、どう頑張ってもこの人はアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァその人だった。
幼少の頃から才能に溢れ、そして努力を怠らず、帝国騎士団士官学校を首席で卒業し特殊部隊『ストレリツィ』の入隊試験を満点で合格するという凄まじい結果を残したリガロフ家の女傑。リガロフ家の次期家督継承者候補筆頭であり一族最強の女であるが、そんな彼女にこんな一面があるなどキャラ崩壊も凄まじいもんである。
「はぁ~ちゅき♪」
「……」
何だ今の声。
いつもの気が強そうで男勝りな姉上とは思えない萌えボイス。崖の上で雄々しく大地を睥睨する獅子のそれではなく、まるでおもちゃで遊んだり母ライオンに甘える仔ライオンみたいな感じの声が頭上から聞こえたんだけど聞かなかった事にしていい???
ついには人のケモミミに甘噛みまで始める姉上。きっとすっごく情けないくらいに緩んだ顔をしてるんだろうなぁ、と窓の方を見て見るとやっぱりそうだった。コレ本当にアナスタシア姉さんかと思うほど癒されているような顔をしているんだけど何この人。
「しかしミカ、お前も成長したな」
向かいの椅子に座り、ミカエル君の尻尾をモフモフしながら言うジノヴィおにーたま。雰囲気はいつも通りなんだがその真顔で尻尾触ったり吸ったりするのやめてくださるかしらお兄様? 草が生えますわよ?
「そ、それはどうも」
「お前のメイドから聞いたよ、相当な努力家だそうじゃないか。努力を重ねるのは良い事だ、それをやめない限り身に付いた技術はお前の一生の宝になる。大事にしろよ」
「はい、兄上」
尻尾触ったり肉球ぷにぷにしたりしながら言ってなければ立派な兄上なんだけどねぇ……。
なんで長女長男こんなキャラ崩壊激しいの???
現時点でまともなのマカールおにーたまとエカテリーナ姉さんだけになっちゃったよ???
希望の星は次女次男ですかそうですか……ちなみにミカエル君はまともな方なのだろうか。ちょっと気になるが、願わくばまともな方にカテゴライズされている事を願わずにはいられない。
ちらりと視線を部屋のドアに向けてみると、ドアの窓の向こうではクラリスが鼻血を垂れ流してメイド服のフリルを真っ赤に染めながら、スマホでシャッターを切りまくっているところだった。あんなに画像保存しまくって容量の方は大丈夫だろうか。
さて、長女長男にモフられたり吸われたりしているが、ガラマの街がどうなったか一応触れておこうと思う。
血盟旅団によるギャングへの報復及び殲滅作戦によって、ガラマの街を二分して支配していたトロゾフ・ファミリー、そしてチェレベンコ・ファミリーの両陣営は壊滅状態に追い込まれた。トロゾフ・ファミリーの首脳陣は軒並みストレリツィにより身柄を拘束されており、チェレベンコ・ファミリーの首脳は本部としていた雑居ビルと一緒に瓦礫の下敷きとなって全滅という恐ろしい結果となった……パヴェルお前容赦ないな?
さて、街を統治していたギャングが居なくなった事でガラマは統治する者が居なくなってしまったわけだが、さすがにアナスタシア姉さんも考え無しに今回のガラマ侵攻を決定したわけではない。既に騎士団本部から派遣されてきた”監督官”と呼ばれる役職の人物がガラマの旧市庁舎へと現地入りしており、再来月に議会でガラマを統治する担当の貴族が選任されるまでは監督官が統治者代行としてこの街を管理する事になるのだそうだ。
民衆から選挙で市長を選べばいいのではないか、と思うかもしれないが、それも意外と難しい話である。
確かに民主主義が浸透した前世の世界ではそれが当たり前だったのだが、こっちの世界では違う。こっちの世界では統治とは皇帝や王族、そしてその命を受けた貴族が行うものという認識が根強く、いきなり民衆中心の政治がどうとか選挙などといった民主主義的な仕組みを取り入れても「は? 俺らにそんな事出来るわけねーじゃん馬鹿じゃねーの?」という反応をされてしまうのである。
結局のところ、【民主主義が浸透できるレベルにまで人民の思想が成長していない】というのが実情だ。実際、『国民中心の政治だなんてとんでもない』『民は王に従うのが当たり前』という認識が強いのでまあ、それも仕方のない事だ。
未来では普遍的な政治思想を持ち込んでも、肝心な運用する側の人間が育っていなければ豚に真珠というわけである。
こっちの世界にやってきてから色々学んでいたミカエル君はその辺ちゃんと押さえてるからね。だから今回のガラマの暫定統治の決定についても異論は挟まなかったし、これが最善だろうなという結論に至ってるからねミカエル君は。
第一、こっちの世界じゃあ読み書きができる人間なんて国民全体の3割にも満たないのだ。子供の多くは親から最低限の読み書きを教わり、ある程度の年齢に達したら家の手伝いをしたり働いたりするのだが、それでも良い方で両親が読み書きが出来なければその子も文字が読めないし書けない状態で社会に漕ぎ出していく事になる。
だから民主主義はまだ早いな、とは思っていたところだ。社会の仕組みや経済どころか読み書きすらできない民衆が大半を占めている状態では、とても指導者を国民から選任できる状態とは思えないからだ。
ガラマの統治はそうなるとして、腐敗していたガラマ憲兵隊はどうなるのかというと、だ。
とりあえずガラマに駐留していた憲兵は全員モスコヴァに連行し不正があった人員を処罰、不正がなかった憲兵も一応再教育を行い別の勤務地へと飛ばす予定だという。
んでガラマの治安維持はモスコヴァの憲兵隊本部から派遣されてきた別の憲兵隊が行うとの事だ。モスコヴァはノヴォシアで最も治安の良い都市(そりゃあ首都だから当たり前だ)であり、憲兵隊も勤勉で不正は絶対に許さない、誠実な隊員が多いと聞いている。
それと今回の腐敗の件、憲兵の給与の実態がどうやら皇帝陛下の耳にも入ったようで、憲兵隊の予算アップと給与アップのための対策が早くも今月の帝国最高議会で議題にあがるのだそうだ。さすが皇帝陛下、アクションが早い。
とりあえずこれでガラマも安泰だろう。
「はぁ……」
「どうしたんです兄上」
「いや……俺明日まで休みなんだが、明後日から仕事あるから明日の夜にはキリウに戻らないといけないんだ……」
「あっ……」
すんすんとミカエル君の尻尾を吸っていた兄上のケモミミがまたぺたんと倒れた。気のせいか顔もしおしおになっているように見える。
それもそうだろう……屋敷にいる母上は姉上や兄上に結婚を催促しているようだが、それがとにかく度を超えてしつこいのだそうだ。なんでも毎日毎日、毎時間毎分毎秒365日年中無休で「結婚しろ」だの「お見合いの話があります」だの話を持ち掛けてくるのだ。しかも仕事で疲れている時に、である。
そりゃあストレスも溜まるというものだ。ホント家出して良かった。あとレギーナマッマの子で良かった。
本部の宿舎で生活している姉上は良いだろうが、実家暮らしのジノヴィ&マカールおにーたまとエカテリーナ姉さんも大変である。実家に戻るのが鬱になるってソレ相当やで……?
いやほんと、兄上や姉上には強く生きてほしいものである……。
《レンタルホーム1番線より、血盟旅団の列車が間もなく発車致します。お見送りの方は白線の内側まで下がってお待ちください》
チャイムと共に鳴り響く駅員の放送。出発の時刻まであと3分を切った。
多分あの信号が青に変わったら出るんだろうな、と思いながら視線を前に戻す。いつもは見送りの人もおらず閑散としているレンタルホームだが、今日ばかりは違った。
「いやー、閣下のところの末っ子さんですか。可愛いものですな」
「あー吸いたい」
「ケモミミぺろぺろしたい。そのまま媚薬盛って滅茶苦茶にしたい」
「メスガキみたいに煽ってもらいながらR-18な事したい」
「びりびり感電えっちしたい」
「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇(※自主規制)」
「〇〇〇〇〇、〇〇〇〇〇〇〇(※自主規制)」
姉上の付き添いで副官のヴォロディミル氏(イライナ出身らしい)や他の部下の人も来てくれているのだが、ヴォロディミル氏は誠実で真面目そうな人だから問題ないとして、他の部下がヤバい、目が怖い。ぎらりと光っているように見えるし欲望垂れ流しだし、最後の方なんかピー音で規制入ってたし何なのアレ。
「そういえばミカ」
「なんです兄上」
あ、そうだ、と何かを思い出したようにジノヴィ兄さんが言った。
「エカテリーナの事なんだが」
「ええ」
「なんだか最近その……男が出来たらしくてな」
「え、マジすか」
「ああ……とはいってもその男が何者なのかよくわからん。つい最近の事だし、本人に聞いても教えてくれなくてな」
教えてくれない、という事はなんだかアレな気がする……母上だったら絶対に反対するような身分の人なのだろうな、という気はする。
もし貴族でそれなりの身分の人物ならば、一刻も早く母上にその事を伝えるだろう。そうすることで母上からの結婚の催促を止められるからだ。
しかしそれをしないという事は、相手は母上的には結婚を絶対に認められない立場の人物という事に他ならない……いや、エカテリーナ姉さんには以前のイシュトヴァーンの一件があったから本当にそういうの心配になるんだが大丈夫だろうか。
教えてくれないという事はそういう事なのだろう。兄上や姉上と視線を交わすと、2人とも同じ結論に至っているようで首を縦に振った。
「まあ、一応お前の耳にも入れておくが他言無用だぞ」
「分かってますよ」
姉上の惚れた相手、か。誰なんだろうな。
願わくば今度こそまともな相手だと良いのだが。
「ともあれ、お前も身体に気をつけてな」
「はい姉上。ヴォロディミルさん、姉上をよろしくお願いします」
「お任せを、ミカエル殿」
この人きっと苦労人なんだろうなぁ、とヴォロディミル氏を見ながら思う。なにせあのアナスタシア姉さんの副官なのだ……毎日胃に穴が開くくらいのストレスに苛まれているに違いない。
どうか強く生きてほしいものだ。
重々しい汽笛の音がホームに響いた。出発の時間のようで、機関車の方でルカがこっちに手を振っている。
客車に乗り込み、ドアのところから手を振った。
ノヴォシアのヒットソングをアレンジしたチャイムと、見送りに来てくれた姉上や兄上、それからストレリツィの兵士たちに見送られて、血盟旅団の列車”チェルノボーグ”がゆっくりと動き始める。
ホームが右から左へと流れていき、姉上たちの姿もやがて見えなくなった。
ガラマのホームが見えなくなるまで手を振り、車内に引っ込んでドアを閉める。
やっぱりみんなも大変なのだ……自分だけが苦労をしているわけではない。
寝室に戻り、椅子に腰を下ろした。
ともあれ、俺たちの旅は続く。
線路が続く限り、ずっと。
第二十五章『旅路は東へ』 完
第二十六章『獣の剣士と獅子姫』へ続く




