ミカエルの宣告
「や、やあ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ君……は、ははは」
「お元気そうで何よりだ」
エフゲニーにトカレフを向けたまま、部屋の中にあった来客用のソファに腰を下ろした。
部屋に置かれているラジオからは音楽が聞こえてくる。呑気なものだ、下で部下たちが戦い殺されているというのに……あるいは劣勢で追い詰められ、精神を少しでも落ち着かせるために音楽に癒しを求めたか。
まあ、そんな事はクソほどどうでもいい。
「な、何が望みだ? 金か? それとも私の命か?」
「まさか」
ソファに背中を預けながら、いつも通りの口調でさらりと答えてやった。
「我々は冒険者ギルド、必要以上の流血は望んでおらんのです」
あなた方と違ってね、と付け加えると、微かにエフゲニーの眉が揺れた。少し煽っただけでこれとは、余程腹に据えかねていると見える。それもまあそうだろう、歴史あるギャングが自分の代で潰えるかもしれないのだ―――しかもその原因が自分のバカ息子で、そのバカ息子が喧嘩を売った相手に滅ぼされるともなれば猶更だろう。
薄氷を踏む思いでギャング組織を運営し、トラブルには細心の注意を払っていただろうに、よりにもよって組織壊滅の原因が自分の息子だなどと末代まで続く恥であろう。そんな理不尽な現実に腹が立つのもまあ分かる。これがまだ自分のヘマのせいであったなあらば、彼ももう少し頭を冷やして物事を考えられただろうに。
「では……何を望む?」
「ひとまずはそうですね、誠意を見せてもらいましょうか」
「なに?」
パヴェルだったらここで葉巻に火をつけてるだろうな……そんな光景が脳裏に浮かぶが、ミカエル君は未成年なのでお酒は飲めないし煙草も吸えない。飲めるのは甘いジュースやお茶くらいだし、ミカエル君はどっちかというと吸う側ではなく吸われる側だ。
まあそんな事はどうでもいい。
「直ちに部下全員に武装解除と投降を呼びかけてください。そうすればすべてが終わります」
「……ば、馬鹿な事を言うな。我々に平伏しろというのか」
「まあそうですね」
そうなります、と続けると、エフゲニーは拳を握り締めた。
「つまるところ、あなた方は負けたのです」
「なんだと」
「見てわかりませんか」
トカレフを向けたまま、くい、と顎で窓の外を指し示した。
ガラマの街は今日に限って騒がしい。遠くではチェレベンコ・ファミリーの本部も謎の倒壊を起こして相手方の組織は壊滅、そしてトロゾフ・ファミリーもご覧の通りアジトを襲撃され部下の大半が殺害、ボスもこの通りトカレフを突きつけられてチェックメイトというわけだ。この状況を見てまだ負けていないという奴がいたら、ソイツはとっとと精神科にでも行くべきだろう。診察券は出しておくので名乗り出るように。
「これだけの騒ぎになっても、憲兵隊が動かないのは……何故だと思います?」
そう、彼等の敗北を悟らせるに十分な要素はもう一つある。
この街の憲兵隊はギャング連中と癒着しているのだ。
市民からの通報があっても見て見ぬふりをする―――目の前でギャングに労働者が暴行を受けていても、白昼堂々強盗事件が起こっても、我関せずの態度を貫くのだ。その見返りとしてギャングから賄賂を受け取り彼らの犯罪行為を黙認する。
結局のところ、憲兵隊も金に困っているのだ。
マカールおにーたまから聞いた事がある―――憲兵隊の給与は、階級にもよるが概ね手取りは20~30万ライブルが相場。定年で退職する事が出来た者にはなけなしの退職金と金メッキの懐中時計、それから安物のハムとソーセージ、チーズの盛り合わせが贈られるという。
しかし憲兵隊も命懸けの仕事だ。犯罪者の摘発から始まり、魔物の退治に駆り出されたりする事もあるし、戦時中になれば国内の治安維持部隊として、そして戦況が悪化してくれば順軍事組織として戦線に投入されるという規定になっている。
そんな命懸けの仕事が、毎月20~30万ライブルの手取りでやっていけるかと言われたらNoだ。そんな職場、俺だったら真っ先に転職を考えるし、そうじゃなくても稼げる方法を探すかストライキでも起こすだろう。あるいは同じように不正に手を染めるか。
しかもノヴォシア地方はイライナ地方とは違って食料に困る事も多々あり、食料の値段が高騰する事も多い。そんな時にその程度の手取りであれば、下手をすれば飢え死にする可能性だってあるのだ。
苛酷極まりない境遇にいるからこそ、彼等は不正に手を染めた。
ガラマ憲兵隊にとってギャングは共生相手、サメの傍らでおこぼれを貰うコバンザメのようなものなのだ。そんなギャングが壊滅の危機に瀕しているとなれば、見切りをつけるか、あるいは救いの手を差し伸べるかの二択を選ぶであろう。
見切りをつけたのならばそれで良し、救いの手を差し伸べるのならばまあ諸共にぶちのめすだけだが……しかし多分、今頃ウチの姉貴が本部に踏み込んでいる筈だ。どう転んでも憲兵隊は動けない。
警察組織からの支援がない事に今気付いたのだろう。エフゲニーの顔が真っ青になっていくさまは、実に滑稽だった。
「そ、そんな、まさか」
「その通りです、残念ながらね」
いずれにせよ、憲兵隊はここには来ない。
孤立無援の状態なのだ。
「ボス」
いつもと変わらぬ声音で呼ぶと、窓の外を見て絶望していたエフゲニーは微かに震えながらこちらを振り向いた。
「あなたは賢い人だ。これが最後のチャンスです、お間違えなきよう」
「なん……だと……このクソガキ……!」
「降伏してください。そうすれば少なくとも、命を無駄にせずに済む」
「……黙って聞いていれば、人を散々コケにしやがってぇッ!」
やはりか。
我慢ならなかったのだろう。
今まで積み上げてきた栄光を潰されるのが。
自分の犯罪帝国が崩れていくのが。
たった数名の外敵に、全てを壊されていくのが。
気持ちはまあ、分からんでもない。
―――だが。
この一件―――先に引き金を引いたのは、お前たちだ。
激昂し、口から唾を飛ばしながら叫んだエフゲニーが腰のホルスターからリボルバーを引き抜く。黄金のメッキとゴテゴテに凝った彫刻、成金特有の見栄の張りっぷり。典型的な『馬鹿の銃』だ。
やはりこうなるか、と呆れながら溜息をつき―――ドスを利かせた声で宣告した。
「―――平伏しろッ!」
唐突に、部屋の窓に穴が開いた。
窓の向こう、ホテル・ガラマの向こう側にあるビルの屋上から放たれ真っ直ぐに飛び込んできたそれが、黄金のリボルバーを引き抜き今まさに引き金を引こうとしていたエフゲニーの右足、アキレス腱を的確に撃ち抜く。
「―――!?!?」
がくん、とエフゲニーが身体を揺らした。
アキレス腱を撃ち抜かれたのだ、立っていられるわけがない。案の定俺を撃つどころの話ではなくなったようで、エフゲニーは唐突な狙撃と右足から駆け上がってくる激痛に目を見開きながら、血のように紅い絨毯が敷かれた床の上に転がった。
「がぁぁぁぁぁっ!!」
彼が傷口を手で押さえている間に、皺の浮かぶ手から零れ落ちたリボルバーを部屋の隅へと蹴飛ばした。
ホントに見事なもんだな、と窓の外に視線を向ける。
ハクビシンは夜行性の動物なので暗闇をある程度は見透かす事が出来る―――そんなハクビシン獣人のミカエル君だからこそ、大通りを挟んだ向かいのビルの屋上に潜んでステアー・スカウトを構えるカーチャの姿が朧げにではあるが見えた。
範三やシスター・イルゼたちの突入時、狙撃で支援していた彼女は俺の現場到着に合わせ狙撃ポイントを変更、エフゲニーが隠れ潜んでいた部屋を狙撃できる絶好の位置でステアー・スカウトを構え、狙撃のタイミングをずっと待っていたのである。
しかも驚くべき事だが、狙撃による支援から先は作戦時に指示していなかった事だ。全てカーチャが自分で判断し、最善を尽くした結果である。
彼女があそこで狙撃のタイミングを待っている事に気付かなければ、俺がこの老害を撃っていたところだが……。
彼女にウインクで礼を伝え、片足を押さえて床に転がっているエフゲニーの前でしゃがみ込んだ。
「―――これはあんた達親子が始めた戦争だ」
「ぐ、ぐぅ……っ!」
「あんたらに最初から選択肢なんて無いんだよ」
そう告げた頃には、部屋の外からどたどたと足音が聞こえてきた。
仲間たちかな、と思ったがなんか違う。範三ならばともかく、リーファやシスター・イルゼにしては足音が重いし、範三とかパヴェル級の重そうな足音が複数聞こえてくるのだ。仲間じゃないな、ギャングの増援か?
そう思ってトカレフを構えるが、しかし派手に吹き飛んだドアのところから部屋の中に飛び込んできたのはギャングでも、血盟旅団の仲間でもなかった。
「ミカ?」
「ふぇ? あ、兄上?」
エフゲニーの部屋へと突入してきたのは、どういうわけか帝国騎士団特殊部隊『ストレリツィ』の兵士3名を引き連れたジノヴィおにーたま―――ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフその人だった。
ストレリツィの隊員ならばまだ分かる。俺は姉上に電話したので、現場に踏み込むとしたら姉上や部下の兵士たちである事は確定だからだ。本部から彼らが出向く事は想像に難くないが、しかしなぜ兄上が彼等と一緒に?
兄上の所属はストレリツィではなく法務省。貴族などの富裕層、権力者の犯罪の摘発を行う憲兵の上位組織の所属だ(なんで警察組織を憲兵と法務省の二重構造にしているかは未だ謎である)。
「どうして兄上がここに?」
「今日は非番でな」
「……あー」
いや、これだけで事情を察する事が出来るのホント草生える。
大方アレだろう、母上が嫌になったのだろう。事ある毎にお見合いだの何だのと話を吹っ掛けてくるものだから、仕事で疲れ切っている兄上たちや姉上たちはかなりのストレスを抱えているのだそうだ……いやホント誰かあの人何とかするべきでは?
そういう家庭環境が嫌になり、休暇を利用して姉上のところに転がり込んだ……そんなところか。残念なイケメンと言いたいところだが、極度のストレスに晒されているならば仕方がない。幼少の頃から才能に溢れていたクールな兄上にも嫌な事はあるし、苦しむ事だってきっとあるのだ。
そんな彼に遅れて部屋の中に入ってきたアナスタシア姉さんは俺を見るなりスマイルを浮かべたが、しかし仕事中だからなのだろう、いきなり人を抱き上げてジャコウネコ吸いをするという暴挙に出る事はなく、凛とした雰囲気を維持したまま部屋の中に入ってくるや手錠を取り出した。
「エフゲニー・コンドラートヴィッチ・トロゾフ。武器及び麻薬の密造密売、人身売買、殺人その他諸々の罪で逮捕する」
ガチャ、と手錠をはめられたエフゲニーは恨めしそうにこっちを睨んできた。何か呪詛の一つでも言いたいのだろうが、激痛がそれを許さないのだろう。言葉を絞り出そうとするたびに口ごもる様子を見せ、そのままストレリツィの隊員たちに無理矢理起こされ連行されていった。
「……戦闘は」
「もう終わっている」
ジノヴィおにーたまがクールな声でそう言うが、しかしその手はもう既にミカエル君の長い尻尾へと伸びており、勝手に人の尻尾をもふもふしている。何だアンタもそうか、そうなのか。末っ子に癒しを求めてるのかこの残念なイケメンは。
そして反対側では姉上が人の肉球をぷにぷにし始める始末。ハクビシンの肉球ってネコ科の動物とだいぶ違う筈なんだが、いいのかコレで。木登りに適した肉球なんだがそれでいいのか。
「……はぁ、終わってしまった」
唐突に頭を抱え、がっかりしたような声でジノヴィおにーたまが言う。
きっと今回の事件で前線に出られると思いやってきたのだろう―――母上から受けているストレス発散の場をギャング摘発に求めるという、実際に文字に起こしてみるととんでもねー話ではあるが、彼にしてみれば日頃の鬱憤を(ギャングとか汚職憲兵に)ぶつける絶好の機会だったのだろう。
まるで大型連休が終わり翌日から仕事が控えている社会人のようなテンションになってしまう長男を、1つ年上の長女がそっと励ました。
「まあ、その……強く生きろ」
「がぉーん……」
ライオンさんかな?
なんだろ、今の兄上は冷酷な法の番人というよりは、まるで雨の中母猫を探して泣きわめく仔猫のような、あるいは群れからはぐれ怯える仔ライオンのような、そんな弱々しさがある。いつものクールで百獣の王の如き貫禄がある兄上はいずこへ……?
もしかして俺、兄上の弱い一面見るのこれが人生初では?
えーなんか意外……やっぱりおにーたまは残念なイケメンだった模様です。




