姉、突入
「あの、中佐」
「なんだね大尉」
電話の受話器を片手に、困惑したような顔で上官を呼ぶ憲兵隊の大尉に、ガラマ憲兵隊の指揮を執る中佐はめんどくさそうな顔で応じた。
2つのギャングの抗争は、この街では日常茶飯事だ。毎日のように銃声が鳴り響き、人気のない路地を覗いてみれば身元不明の死体が転がっている事など当たり前。犯罪発生率100%、毎日がクライムデーという地獄のような治安と化したのは、彼の采配によるものである。
賄賂を支払う限り、ギャングの悪事には目を瞑る―――その暗黙の了解があるからこそ、憲兵隊はこの街ではお飾り同然だ。目の前で労働者がギャング数名に暴行を受けていても見て見ぬふりをし、性犯罪の被害届は受理したふりをしてそのままシュレッダーに直行。上辺だけのパトロールでお茶を濁し、税金で賄われている給料で安酒を呷る。ガラマ憲兵隊とはそんな有様で、もはや彼らに治安の維持を期待する住人などどこにもいない。
結局のところ、元が取れないのだと中佐は考える。
命懸けで治安維持活動や犯罪者の摘発、魔物の討伐を行い、月の手取りは役職にもよるがおよそ20~25万ライブル。危険な仕事であるが故に殉職率も多く、殉職すれば家族に手当てが支払われ、運よく定年を迎えたとしても支払われるのはなけなしの退職金と金メッキの懐中時計、安物のハムやソーセージ、チーズの盛り合わせ。
ラジオでは憲兵募集のCMで『正義感こそが我らの糧、臣民の安寧こそが我らの報酬』だなどと綺麗事を並べているが、結局のところ給与と勤務内容が割に合わないのが実情だ。
正義感だけでは飯は食っていけないのである―――農作物が豊富なイライナ地方ならばまだしも、寒冷な気候に瘦せた土地が6割を占め、峻険な山脈が連なるノヴォシア地方では食料も高騰しやすく、こんな安月給では何とか生きていくだけで精一杯である。
そんな事情もあって、憲兵の身でありながら悪事に手を出してしまう者が後を絶たないのだ。このガラマ憲兵隊もそういう類の俗物の吹き溜まりであり、帝国憲兵の腐敗を象徴する場所でもある。
だから中佐も正義感などとうに捨てた。正義感に燃え、自分こそが帝国の安寧を守り腐敗を正すのだと誓っていたあの頃は遠い昔の話である。
今となっては執務室の椅子に座り、贅肉で肥え太った腹を揺らしながら金の臭いを嗅ぎつけるだけの俗物に成り下がっている。理想と現実の乖離の結果と言えば聞こえは良いだろうが……つくづく現実とは非情なのだと、その事を思う度に彼も痛感している。
受話器を手に困惑する大尉。報告を促しても言葉に詰まり、なんと言うべきか戸惑っている副官に痺れを切らした中佐は、ブルドッグのような顔に皺を浮かべ、半ば奪うように受話器を受け取った。
「もしもし、こちらはガラマ憲兵本部」
《―――ああ、これはこれは、ジュビコフ中佐。初めましてだな》
「誰だ」
《失礼―――こちらは帝国騎士団特殊部隊”ストレリツィ”、指揮官のアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ中将だ》
「ちゅ―――中将閣下?」
本人が目の前にいるわけでもないというのに、ジュビコフ中佐は無意識のうちに背筋を伸ばして返答していた。
帝国騎士団特殊部隊『ストレリツィ』―――ノヴォシア帝国騎士団最強、最精鋭部隊にして帝国の切り札。戦時中はその圧倒的戦闘力で戦線をこじ開け、どんな劣勢でも覆してみせる戦争狂の集団であり、平時ともなれば各地の裏で暗躍し諜報活動から要人暗殺などの汚れ仕事さえもこなす暗部の一面も併せ持つ部署。
敵からも、そして味方からも恐れられる彼らの権限は強大で、腐敗した憲兵の摘発もその任務の内に入っている。無論、腐敗した憲兵だけではなくその上位組織たる法務省に対する”粛清の権利”も持っているのである。味方でありながら恐れを抱くのは、つまりはそういう事であろう。
そしてその指揮官に就任したのは、イライナ地方最大の都市キリウ出身のアナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ―――士官学校を首席で卒業、『この世の地獄』『悪魔すら泣きを見る』とまで言われるストレリツィの入隊試験において、創設以来唯一となる満点での合格という結果を叩き出した若き女帝である。
芯は真っ直ぐで正義感が強く、部下からの信頼も厚い。その反面上官たちからしてみれば扱い辛い人材である事この上なく、彼女の存在を疎む高官も多いと聞いているが、そういった上層部からの圧力や嫌がらせの総てに対し結果を出して黙らせているというのだから驚きだ。
電話の相手は、そんな彼女だった。
「こ、これはこれは中将閣下……あは、あはは、そ、そそそそその、本日はどういったご用件で?」
《ジュビコフ中佐。ガラマ憲兵隊には反社会的勢力との癒着の容疑がかかっている》
「そ、そんな馬鹿な。何かの間違いです」
《その割にはギャング連中の摘発が進んでいないようだな?》
「はぁ、申し訳ありません閣下。何分ギャング連中が手強いものでして」
《まあいい、既に令状は手元にある……皇帝陛下の署名付きのものが、な》
「なっ……!?」
《これから捜索に入る、腹を括り、首を洗って待て》
「ま、待ってください閣下! そんな事は決して―――」
《心せよ、帝国を―――皇帝陛下を欺いた罪は、重いぞ》
ガチャ、と電話が切れた。
よもやストレリツィに目をつけられるとは―――それも帝都に駐留するストレリツィの中でも最精鋭、歴代最強と言われるアナスタシアの部隊に。
どうやって言い訳しようか、どうやって癒着の証拠を処分しようか。
証拠を消すにも、逃げ出すにも、時間は残されていなかった。
執務室の窓の向こうには、既に憲兵隊本部の正面ゲートを半ば突き破るようにして乗りつけてきたセダンやトラックが停車しており、荷台からは銃剣付きのマスケットやサーベル、それからリボルバーを装備したストレリツィの隊員たちがぞろぞろと降車し始めていたのである。
裏口も同様だった。同じように、大きな盾を装備した隊員たちが裏口をがっちりと固めており、空を飛ぶ以外に逃れる術はない状態だった。
「中佐、どうすれば……!」
「終わりだ……何もかも」
「そんな―――」
冗談じゃない、という副官の言葉を遮ったのは、入り口のドアを殴りつける音とアナスタシアの張り上げた大声だった。
「開けろ、ストレリツィだ! 反社会的勢力との癒着の容疑がかかっている、開けろ!」
ドンドン、と扉を荒っぽく殴りつけても、中からは時折ぱたぱたと慌てた様子の足音が聞こえてくるばかりだ。扉を開けようとする気配すらなく、溜息をついて一歩後ろに下がる。
くいっ、と副官のヴォロディミルが部下に顎で扉を指し示すと、指示された部下の1人が半ば殴りつけるように、それこそ扉を殴り壊そうとしているかのようにガンガンぶっ叩きながら罵声を張り上げる。
「はよ開けろや! ぶち殺すぞコラ!!」
そこから始まったのは扉を殴りつける音のドラムと、本当にお前騎士団より小説家にでもなった方がいいのではないかと思ってしまうほどの語彙力で流れるように溢れ出る罵声の数々だった。具体的になんと言っているかここで述べると伏字だらけになったり青少年の健全育成だったりとかで拙い事になるので察してほしいところである(マジで述べたら伏字か黒海苔のオンパレード、つまるところ規制不可避なのだ)。
それでも扉は固く閉ざされたままだ。
「……すいません閣下、駄目ッス」
「分かった、後は私が」
仕方がないな、と溜息をついた。
扉が開かないから捜索は断念、というわけにはいかない。コイツらを摘発し腐敗を正すため、ミカからのタレコミを聞いてからすぐモスコヴァ大宮殿まで行って皇帝陛下から直々に署名付きの令状を賜ってきたのだ。たかがドアの1つが開かないからという理由で引き返したらストレリツィの名折れだし、それ以前に陛下のご期待に背く事になる。
さて、ここでストレリツィの―――私の預かる『第一特殊任務大隊』のモットーを教えて差し上げよう。
―――【パワーこそ最強】、これである。
結局のところ、どんな固く閉ざされた城壁だろうと何だろうと、規格外のパワーでこじ開けてしまえばいいのだ。相手が硬いならそれ以上の力で殴ればいい、相手が速いならそれ以上の速さで思い切り殴ればいい。パワーこそが正義、パワーこそが最強たる所以である。他の事は知らん。
ふう、と息を吐き、扉に手をかけた。
そのまま腕力を総動員、全体重を前にかけてそのまま押し込んでいく。
ギギギ、と扉の軋む音。続けて金属の断裂する音が連なり、負荷に耐えかねた蝶番の破片がどこかへとすっ飛んでいった。
毎日の努力の賜物だ。毎朝4時に起床し大剣の素振り5万回、腕立て伏せ、スクワットそれぞれ500回。気分次第でランニング5km……それを終えてから部下たちに合流、訓練をこなしてから執務を行うのが私のルーティーンだ。
そしてそれは外が大雨だろうと大雪だろうと、死者が出るレベルのクソデカ吹雪だろうと竜巻だろうと、地球最後の日だろうと欠かさずに繰り返してきた。おかげで筋肉も体力もついたしヒグマと殴り合えるだけのパワーも得た。今の私に足りないものを挙げろと言われたらそれは生涯の伴侶くらいのものだろう。
え、そんな筋肉ゴリラ女だから男が寄って来ないのではないかって? ほう、良い度胸だ貴様。前に出ろ。
「Влада – найсильнішааааааааааааааа!!(パワーこそ最強ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!)」
渾身の力を込めて扉を押し込むと、ガラマ憲兵隊本部の入り口を固く閉ざしていた大きな扉が建物の中へと目掛けて吹き飛んでいった。
突風に吹き飛ばされたトタン屋根みたくぶっ飛んだ扉に、中で待機していた憲兵(迎え撃つ気だったのか手にはピストルがある)の顔面を直撃、合計3名の憲兵がコメディ映画みたいに吹っ飛んでいった。
「突入、突入だ!」
ここぞとばかりに声を張り上げるのはヴォロディミル……ではなく、つい1時間前まではがおがおしか喋らなかったジノヴィだった。なんだお前楽しそうだな?
指を鳴らしながら、私もスマイルを浮かべ彼の後に続く。
いつもならば私が先頭なのだが、今日ばかりはアイツに先頭を譲ってやろう。なに、いいストレス発散になるだろう。
「ま、待ってくれ! ここは憲兵隊本部―――」
「じゃかあしい!!」
「ぴらふっ」
ばちーん、と止めに入った憲兵にジノヴィのライオンビンタが炸裂。ライオンもネコ科なので実質猫パンチなのだがそんな事はどうでもいい。とりあえず殴り飛ばされ頬にライオンの肉球の痕をくっきりと刻まれた憲兵を助け起こしてやり、私も階段を上って中佐の執務室へ。
「閣下」
「何だヴォロディミル」
「そのー……楽しそうですね、弟さん」
「うむ、ストレス発散には身体を動かすのが一番だ」
「それはそうですが……」
「何だ」
「いえ、その、弟さんはけっこうクールな人だと伺っておりましたので」
「……クールだろアレ」
「そ、そうですねー」
クールだよジノヴィは。
邪魔な憲兵を殴り飛ばし、ドロップキックで吹き飛ばし、巴投げで投げ飛ばしたりプロレス技(待ってお前どこでそんな技を)をキメたりしても奴はクールだ。何故ならこの私の弟だからな。
執務室のドアを蹴破るジノヴィ。彼に続いて中に入ると、そこにはこちらにフリントロックピストルを向けるジュビコフ中佐とその副官の姿があった。
「……中佐、これは何の真似だ?」
「こ、こんな小娘に……こんな小娘なんかに……!」
血迷ったか、老害め。
組織の腐敗の原因だけでも万死に値するが、罪状に公務執行妨害も加わればどんな刑が下される事か。そこまで考えたところで、後ろに控えていたヴォロディミルが支給されたばかりのリボルバーを素早く引き抜き、西部劇のガンマンのような見事な早撃ちを披露してくれた。
ガガァンッ、と銃声が連なって聞こえるほどの2連射。腰だめで放ったにもかかわらずその射撃は正確にジュビコフ中佐と副官のピストルだけを弾き飛ばし、腐敗の元凶である2名を瞬く間に丸腰にしてしまう。
その間に、副官にジノヴィが飛びかかった。
全体重を乗せたジャンピング猫パンチが副官の顔面に炸裂。パキュ、と鼻の折れる音を響かせながら、副官が「ぽとふっ!?」と変な悲鳴を上げながら吹っ飛んでいったんだが何ださっきからこの悲鳴は?
まあいい、後は親玉を片付けよう。
「ひ、ひぃっ」
ジノヴィと私でテーブルを挟み、左右からジュビコフ中佐を挟み込む形で急襲。
そのまま腕を思い切り振るい、2人で中佐の首を前後から挟み込む形での姉弟ラリアットが見事に炸裂。さすがに中佐は悲鳴を上げる余裕すらなく、白目を剥いて泡を吹きながら倒れていった。
倒れた中佐の脈をすぐにヴォロディミルが確認し、まだ息がある事を視線で訴えてくる。
よし、殺さずに済んだか。加減したから当然だが。
「姉上」
「なんだ」
ふう、と息を吐いたジノヴィの顔は、まるで最初からストレスなど無かったかのように晴れやかだった。
「―――暴力って、ファンタスティック☆」
……弟の事が真面目に心配になる姉であった。




