大熊と猟犬の襲撃
「いいか、今すぐに動員可能な兵隊を集めろ。ホテルの周囲を警戒するんだ」
電話に向かって指示を出し、エフゲニーは息を吐いた。
オレグがしくじった事により、血盟旅団との開戦はもはや不可避と言っても良かった。元はと言えば彼のバカ息子が、暗殺任務で冒険者を使い潰し、依頼終了後、あるいは断った場合は口封じのために消して経費を安く抑えようとし、その全てに失敗したツケがコレだ。
確かに専門の暗殺ギルドや殺し屋に依頼すると、そう言った暗殺任務の報酬は割高になる。少しでも出費を抑えようと冒険者に仕事を任せ、終了後は口封じに消して報酬も回収できれば実質的な出費はゼロになる―――オレグはそうやって出費を抑えようとしたのだろうが、しかし今回は相手が悪かったと言わざるを得ない。
エフゲニーの元にも、血盟旅団の名とその活躍は届いていた。
あの征服竜ガノンバルドをギルド単独で討伐し、続けて東洋からやってきた未知のエンシェントドラゴンまで叩きのめした新興ギルド。それ以前にもアルミヤ半島を海賊の魔の手から解放するなど、目覚ましい活躍を見せている。
つまるところ、新興ギルドでありながら彼らは実戦経験豊富なプロの戦闘集団なのだ。トロゾフ・ファミリーにも金で引き込んだ傭兵崩れや元騎士団、その他の従軍経験者もいるが、現役で活躍を続ける冒険者ギルドに太刀打ちできるものか。
しかし、だからと言って降伏勧告を聞き入れる事も許されない。
今ここで降伏するという事は、今まで続けてきた事業を全て白紙にするという事だからだ。
冗談ではない―――この裏社会に、何世代にも渡って築き上げたトロゾフ一族の犯罪帝国を、あんなクソガキの降伏勧告一つで白紙にしてなるものか。
そんな事になれば、先代や先々代のボスたちに顔向けができなくなる。
敗者の烙印と共に生きていくくらいならば、誇り高く死を選ぶ。それがエフゲニーの選択であった。
来るなら来い、返り討ちにしてやる―――戦意を滲ませ腹を括るエフゲニーであったが、しかし彼の心を折る一撃が着弾したのは、その直後だった。
唐突に弾け飛ぶ窓ガラス。何の前触れもなくスローモーションになる視界の中、人間の腕ほどの大きさがある何かが、緩やかに回転しながら突入してくる。
それは紛れもなく、砲弾だった。
球体状の古めかしいものではなく、円筒状の本体の先端部から細い棒を生やしたような形状の、見た事もないタイプの砲弾。いったいどこから飛んできた、と思考を巡らせた頃にはその砲弾は側近の1人の首を直撃。運動エネルギーと質量だけでその肉体をティッシュの如く引き裂くと、勢いを全く衰えさせる事なく室内の壁に激突して炸裂した。
容赦なく吹き荒れる爆風と破片、そしてワイヤーの嵐。たまたま驚いた拍子に執務室の机の陰に転がったエフゲニーは本当に運が良かった。
執務室で待機していた他の部下たちは、窓から飛び込んできた一発の砲弾―――ヤタハーン砲塔に搭載されたウクライナ製120mm滑腔砲から発射された多目的対戦車榴弾、その洗礼をもろに受ける羽目になったのである。
飛散した破片で身体を撃ち抜かれ、内蔵されていたワイヤーで切断され、またその両者の牙を受けずとも爆風と衝撃波で内臓を潰され吹き飛ばされていく部下たち。
爆風で机諸共吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたエフゲニーが咳き込みながらも目にしたのは、まさに地獄だった。
つい数秒前まで、そこは見知った執務室だった筈だ。ここで指示を出せば部下たちが居のままに動き、エフゲニーの望む結果だけを提供してくれる―――そんな筈だった。いつもと何も変わらぬ、ホテル・ガラマ最上階のスイートルームだった筈だ。
しかし、それが今ではどうか。
原型を留めぬ死体がいたるところに転がり、破壊の痕跡だけが生々しく刻まれた地獄と化している。
「な、なん……」
何が起きた、とすら言えなかった。
言葉が出てこない―――頭には浮かんでいるのに、声帯が言う事を聞かない。
息を呑んだ。
オレグが身柄を拘束される事態に発展してからというもの、血盟旅団はガラマ駅から一歩も出ていない。
つまり今の砲撃は、ガラマ駅から行われたことになる。大砲の定義で言えば短距離での砲撃だが、しかしエフゲニーが恐怖したのはそこではない。
破壊力もそうだが―――あともう少し砲弾が右にズレていたら、その弾頭部が直撃したのは部下の首ではなく、エフゲニーの後頭部であった筈なのだ。
つまりは血盟旅団はエフゲニーを確実に殺しに来ている。
無駄な流血は望まないと言っておきながら、しかしそれを拒否し脅威となるならば確実に殺す。ミカエルのそんな狂気的な覚悟が垣間見え、エフゲニーは今しがた自らを襲った砲弾の破壊力以上に恐怖した。
「ボス、ご無事ですか!」
「ここは危険です、さあこちらへ!」
「あ、あ……」
慌てて部屋へ飛び込んできた部下たちの声と、割れた窓から入り込んでくる風の音。
恐怖のせいか、それとも目の前で起こった惨状を認められないのか―――その理由は彼自身にも分からない。
ただ確実に言えることは、自分たちはとんでもない相手に喧嘩を売ってしまったという事だけだった。
「くそ、何だ今のは?」
「何か爆発したぞ」
蜂の巣をつついたような騒ぎ、とはまさにこの事だろう。
トロゾフ・ファミリー本部、ホテル・ガラマ。その頂点に位置するスイートルームが爆発で吹き飛んだ様子は、地上からでも何となくだが確認できた。
ボスの身を案じるスーツ姿の戦闘員たちだったが、しかしその意識はすぐにホテルの最上階ではなく、どこからともなく聴こえてきた銃声へと向けられる。
レバーアクションライフルを手に入り口の警備に当たっていた戦闘員の1人が、それに合わせて崩れ落ちた。
「て、敵襲! 敵しゅ……」
パンッ、と銃声が響き、叫んでいた戦闘員の頭に風穴が開く。
狙撃を受けている―――敵の位置を探すよりも先に、それを察知した戦闘員たちは物陰へと飛び込んだ。ホテル入り口にある柱の陰に、あるいはロビーにあるテーブルを倒して即席の遮蔽物にしながら、いずれ突入してくるであろう血盟旅団の戦闘員たちを待ち受ける。
(さあ、来るなら来やがれ……鉛弾をぶち込んでやる)
安全装置を外し、荒くなる呼吸を整えながらアイアンサイトを覗き込む。
こんなに緊張したのは魔物退治の初陣の時以来か、とギャングの戦闘員の1人は現役の騎士だった頃を思い出す。手に汗が滲み、呼吸が乱れ、鼓動が高鳴る戦闘前の緊張感。懐かしいものだ、と過去の記憶に浸りながらも、しかし集中力は切らさない。
鈍色の空の下、やがて姿を現したのは真っ黒な修道服に身を包んだ、金髪の女性だった。大きなバストに目を奪われそうになるが、しかし今はそんな事に意識を割いている場合ではない。ここはトロゾフ・ファミリーの本拠地であり、宿泊客どころか従業員もいない。
ここが歴史あるトロゾフ・ファミリーの総本山である事は、ガラマの住民の誰もが知っている―――つまりここを訪れる部外者が居るとすれば、今に限って言えばそれは血盟旅団の1人であると言わざるを得ないわけだ。
故に、発砲に躊躇は無かった。
たとえ相手が修道女であっても、だ。
引き金を引くと同時に、機関部後端へと撃鉄が潜り込む。バンッ、と荒々しい銃声を響かせ、まるで蹴飛ばされたような反動を銃床越しに肩に伝えながら、他の戦闘員たちも放った弾丸と共にシスターへと鉛弾が飛んでいく。
発砲する以前から、しかし違和感があった。
彼女が血盟旅団の1人であるならば、戦い方にも精通していて然るべきである。
しかしそれならばなぜ、こんな遮蔽物もない場所をただ1人、歩いてこちらにやってくるのだろうか。せめて遮蔽物を用意するか、大型車両で強引に突入するなど、とにかく弾丸の雨に身を晒さない努力をするのが今の戦い方の基本であり、初歩の初歩である。
それをあからさまに無視して、あの女は何がしたいのか。
何か目論見があるのか―――その懸念は、直後に現実となった。
修道女―――シスター・イルゼへと向けて放たれた弾丸たち。
しかし着弾の寸前、弾丸たちが急に黄金の光に弾かれたのである。
「!?」
「なに―――」
「……Huh???」
ゆっくりと、彼女の周囲に黄金のリング状の光が浮き上がる。微妙にサイズと角度の異なる黄金の光の輪。それがゆっくりと回転しながら、シスター・イルゼとその周囲の空間を守っているのだ。
元来、彼女の信仰するエレナ教は多くの人々を守り、その命を救い死から遠ざけた伝説の治療魔術師、エレナを信仰の対象とした宗派だ。よってその光属性の魔術の多くが、防御や回復に特化したものとなっており、攻撃系魔術こそあれど相手に必要以上のダメージを与えず追い払うようなものばかりが揃っている。
宗教関係者曰く「最も慈悲深く、戦に向かぬ宗派」である。
しかし攻撃は出来ずとも、防御と回復に関しては右に出る者はいない―――いたとすれば、それは神話の時代の大英雄であろう。
一斉射撃の第一波を光の輪で防ぎ切った彼女の後方から、続けて朱色の袴姿のサムライと、チャイナドレスに身を包んだパンダの獣人―――範三とリーファが躍り出る。
その魔術は仲間にまで作用するようで、シスター・イルゼを中心に展開する黄金のリングに触れた2人の身体にも、イルゼのものと比較すると小さいものの、黄金のリングが宿った。
光属性魔術『守護の輪』。
自分を中心にあらゆる物理・属性攻撃をシャットアウト、または軽減する光の輪を展開し相手の攻撃から身を守る防御魔術、その高位のものだ。そしてそれは術者の適正や技量次第では、その効果を周囲にいる仲間にも付与する事が可能となる。
胸に下げたロザリオを握り締め、祈るような姿勢で魔術の発動を維持するシスター・イルゼ。
さながら神に祈りを捧げる乙女そのものに見えたが、しかしその眼前では本格的な殺し合いが繰り広げられつつあった。
突入しながら中国製SMG”JS9mm”を連射、レバーアクションライフルによる射撃を散発的に射かけてくるギャングの戦闘員たちを、マガジン内の弾丸を全て使い果たす勢いで制圧するリーファ。
相手が頭を下げ反撃すらままならぬその機に乗じ、満鉄刀を手にした範三が一気に踏み込んだ。
「!!」
「―――斬り捨て御免」
しっかりと両手で刀を握り、腕力と膂力で振り下ろす範三。
一撃の威力を重んじる薩摩式剣術―――その極致へと至ったのは極東からイーランドへと至った速河力也くらいのものであったが、しかし範三もまた道場の門弟、その中に名を連ねる剣士の1人である。
振り下ろした刀身はさながら、ジェット機のような風を引き裂く音を生じた。それは相手の肉体諸共切り裂かれる大気の断末魔さながらで、振り下ろした刀の一撃はギャング戦闘員の脳天から股下までを文字通り一刀両断にしていた。
刀身には返り血すら付着せず、湯気がうっすらと立ち昇る。
力也の刀がそうであったように、範三の刀もまた、微かな熱を帯びていた。
ふう、と息を吐く。
(1、2、3……ふん、随分と数を揃えたものだ)
今回の襲撃、範三としては実に好みに合致していた。
こちらから名乗りを上げて攻め込むのは、さながら道場破りにも似ている―――あるいは戦国乱世よりも遥か昔、源平合戦の時代の古き戦を思い起こさせるものだ。
やはりどうしても、名を伏せ息を潜めて敵を奇襲するというやり方は範三には似合わない。こうして正面から堂々と相手を撃ち破ってこそ、武人の誉れであろう。
吐いた息で刀身を微かに曇らせ、姿勢を低くしながら斬り込んだ。
「撃て、撃て!」
「コイツ刀で……!」
「なんでノヴォシアに倭国のサムライが居るんだ!?」
飛来する弾丸を満鉄刀で弾き、両断し、あるいは驚異的な動体視力で躱す。致命傷とはなり得ないものは敢えて受け、戦闘継続の支障となりそうなものだけを選別して弾きながら跳躍、空中で一回転した勢いを乗せ、ライフルを構える戦闘員に斬りかかる。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」
「!!」
ドン、と空気の弾ける音。
左右に別れた人体が、大量の鮮血を撒き散らしながら崩れ落ち、そのあまりにも綺麗すぎる断面を覗かせた。
湯気が立ち上り、血が煮え立つような悪臭が漂う。
さあ、次は誰か―――刀の切っ先を怯える戦闘員たちに向けながら睨む彼の隣では、さながらギャグマンガのような戦闘が繰り広げられていた。
「 ぶ へ あ ! 」
顔面に掌底をもろにうけ、パンダの肉球の痕をくっきりと刻まれた戦闘員が、後ろにいた仲間を巻き込んでそのまま壁際まで吹っ飛んでいく。
「この女ァ!」
背後からライフルを構えて現れた戦闘員にも、リーファは素早く反応した。放たれたレバーアクションライフルの40口径弾を首を傾けるだけで躱し、ヘビー級ボクサーのクロスカウンターの如く強烈な正拳突きを顔面に見舞う。
喰らった側はたまったものではない。パンダはかわいいだの何だの言われているが、しかしその正体は猛獣、熊の一種である。ただ寝ころんで笹を食べているだけのマスコットではないのだ。
ドパンッ、と殴られた人体が発するとは思えない破裂音と共に、殴られた戦闘員が吹っ飛んでいった。床にぶつかりバウンド、天井でゆっくり回転するファンに激突してさらにバウンドし床に激しく激突。それでもなお勢いを殺し切れずにゴロゴロと転がると、そのまま受付のカウンターに激突して動かなくなった。
顔面には殴られた痕がくっきりと刻まれている。
範三は毎度思うのだ―――「リーファ殿は銃を使わず徒手空拳で戦った方が強いのではないか」、と。
いずれにせよ、血盟旅団の誇る最高戦力、その2人を相手取る事となったトロゾフ・ファミリーの戦闘員たちは二番目の貧乏くじを引く事となったのである。
一番の貧乏くじは、紛れもなくチェレベンコ・ファミリーの方であろうから。




