来りて取れ
さて、捕虜の扱いにも厳格な規定があるのはご存じだろうか。
捕虜の虐待や処刑、非人道的な扱いは戦争犯罪に繋がるので、人道に配慮し寛大な処遇をしなければならない……そんな規定が国際条約で定められている。
もちろんそういった条約に俺たち血盟旅団は批准していないし、そもそも民間の冒険者ギルドでしかないのでそんな規定クソほども守る必要はない(第一こっちの世界にジュネーヴ条約があるかどうかも怪しい)。
それを理由にパヴェルはやりたい放題なのだが、一応俺も悪魔ではない。むしろ天使である。相手がこちらに対し敵意を抱き、尚且つ仲間やギルドの財産に損害を与えようとしている場合は別だが、無抵抗の相手を虐待したり拷問したり、不当に虐げるような行為は慎んでいる。
クラリスを連れ、スーツの赤ネクタイを直しながら食堂車の下にある倉庫を訪れた。扉の前でAK-102を抱えて警備していたルカに「すまん、開けてくれ」と頼むと、彼は鍵の束を取り出してから扉の鍵を開け、道を譲ってくれた。
「気をつけてね、さっきまで怒鳴ってたから」
「はいよ」
倉庫の中に足を踏み入れた。
食堂車のある2号車は、進行方向から見て2階に食堂、1階にシャワールームがあり、その後ろ半分が食料などを収めておくための倉庫になっている(防水壁で仕切られており通り抜けは出来ない)。旅の最中に使う食材や日用品はここに保管しておくことになっており、中はいつでもジャガイモの土の臭いが充満している。
その空いたスペースが、よく捕虜を拘束しておくための牢獄として使用されているのだ。
この前までニシンの燻製が保管されていたスペースには、パヴェルお手製の手錠に足枷のコンボで手足を拘束されたオレグの姿があった。パヴェルには「極力拷問は控えるように」と注文していたのだが、扉の開く音を聞くだけで怯える素振りを見せている辺り、パヴェルの奴もまあ随分と人道的に配慮した尋問で留めてくれているようだ。
彼ではなく俺だという事に気付くと、怯えた仔ウサギのようだったオレグの目つきが鋭くなった。
「……何をしに気やがった」
「強がるな」
パイプ椅子に座らされているオレグの前に立ち、表情を変えずに淡々と告げた。
「一応礼儀だ、教えておいてやる……これから俺たちは、アンタの親父のファミリーとチェレベンコ・ファミリーを潰す。両方だ」
ギャング殲滅作戦を教えてやると、敵意を剥き出しにしていたオレグの顔から血の気が引いていくのが分かった。真っ青になった顔で目を泳がせながら、「そ、そんな事出来っこない」と声を震わせる。
「たかが10人足らずの冒険者ギルドに何ができる」
「そのたかが10人足らずの冒険者ギルドにお前は負けた。そして今度は親父と、チェレベンコ・ファミリーが負ける」
「そ、そんなことしてみろ。ガラマは俺たちギャングの庇護の下に経済を回しているんだ。トロゾフ・ファミリーどころかチェレベンコ・ファミリーまで潰したらどうなるか……!」
「そりゃあそうだろうな、お前の懸念通りだろうよ」
さらりと答えてやると、オレグは唇を震わせた。
「お、お、お前っ! ガラマを―――焼け野原にするつもりか!?」
「……”Палаючі поля”? Перестань жартувати, негідник(”焼け野原”? 笑わせるなよ悪党風情が)」
すっかり怯え、感情を剥き出しにして叫ぶオレグ。そんな彼の顔を真正面から覗き込みながら、慣れ親しんだネイティブのイライナ語で言ってやった。
強引な併合を受けたイライナでは公用語は標準ノヴォシア語と定められているが、それに抗うようにイライナ語を話す者は多い。一方のノヴォシアは自分たちの言語をイライナ人に押し付けている立場だから、「イライナ人はノヴォシア語とイライナ語の両方を話せる」一方で、ノヴォシア人は「イライナ語が分からない」という事態に発展しているのだ。
コイツにイライナ語が通じているかは分からないが、まあいい。併合した他国の人間に言語と負担を押し付け胡坐を掻いてきたツケだ。せいぜい困惑すればいい。
「Скільки б не горіли поля, можна просто знову посіяти насіння. Тоді квіти оживуть(どれだけ野が焼けようとも、また種を蒔けばいい。そうすれば大地に草花が蘇る)」
「な、なんだお前……な、何を言ってる……?」
「Але люди, які будуть насолоджуватися цим, - це робітники, яких ви гнобили. Лише слабкі люди, які були вами використані(だがそれを享受するのはお前たちに虐げられてきた労働者だけだ。お前たちが搾取してきた弱き者たちだけだ)」
駅前の飲食店に並んでいた、目の死んだ労働者たちの姿を思い出す。
他の街ではまだ、労働基準法が順守されている。最低賃金のラインが定められ、休暇取得日数にも規定を設け、国家の動力源となる労働者の心身をケアする法が施行されて久しい。
しかしこの街に限って言えばギャングの箱庭、帝国版図にあって帝国の法が適用されない治外法権だ。おそらく労働基準法は適用せず、賃金も限界まで引き下げ、労働者たちを酷使しているのだろう。あの死んだ目を見れば分かる―――明日への希望すら見出す事が出来ず、ただ今を生きる事で精一杯の追い詰められた人間の目だ。
もしこの街がギャングの言う”揺り籠”だというのなら、そんなものは一度燃やすべきだ。燃やして焼け野原にし、また種を蒔く―――そうすればきっと今度は、皆が望む姿に芽吹くだろうから。
「Ваші утиски закінчуються тут. Я не дозволю вам сіяти насіння на полях(お前たちによる抑圧もここまでだ。お前らギャング連中には野に蒔く種すらくれてやらん)」
そこまで言い切り、踵を返した。
とりあえずオレグの身柄はこのまま拘束し、姉上が現場に到着したらその身柄を引き渡す。後は連中と癒着し今の惨状を作り上げた憲兵連中共々、帝国の法に則って裁いてくれるだろう。
「Якщо ви думаєте, що жителі Елейни – фермери, які не вміють нічого робити, окрім як возитися з ґрунтом, ви помиляєтеся(イライナの民が土いじりしかできない農民だと思っているなら、それは間違いだ)」
元々、イライナ人は誇り高い。
家族と土地、財産を守るためであれば侵略者に毅然と立ち向かう、そういう民族である。
「……何が”天使”だ」
ぼそり、とオレグが言った。
「……すべてを焼き尽くす悪魔じゃあないか」
振り向き、怒りをあらわにしながら殴りかかろうとするクラリスを手で制して、俺はそのまま倉庫の外に出た。クラリスも外に出てくるのを待って鍵をかけ、ルカに「そんじゃ、後は頼んだよ」と言ってから武器庫へと向かう。
連結部を飛び越えて3号車に渡ったところで、クラリスが階段を上がりながら口を開いた。
「ご主人様」
「何だい」
「なぜ、あいつに言い返さないのです」
さっきの事だろう。
オレグが俺を”悪魔”と呼んだ―――その事が気に入らないのだ、クラリスは。
「ご主人様はそんなおぞましいお方ではございません。弱者のため、誰よりも心を痛めていらっしゃる―――」
「だからだよ、クラリス」
「……え」
「―――誰かにとって俺が天使なら、他の誰かにとっては悪魔なんだ」
正義と悪、白と黒。
そんなものはその人間が置かれた立場で簡単にひっくり返るのだ。正義と悪なんて不変の定義なんかではない。あらゆる条件で、あらゆる思想で、あらゆる立場で頻繁に変わるかりそめの立場でしかないのである。
「でもまあ、ギャングに悪魔って呼ばれたんだから、天使だってお墨付きを貰ったようなもんだと思うよ」
だからそんな肩に力を入れるなよ、とクラリスを諭すと、彼女はやっとそこになって身体の力を抜いた。それどころかメガネの奥の紅い瞳を丸くして驚いているような……?
「クラリス?」
「ああ、いえ……ご主人様も成長なされたのですね。クラリスは嬉しいですわ」
「クラリス……」
「本当……お父上に似なくて良かった」
「 う ん マ ジ そ れ な 」
母方遺伝子バンザイ。コピペ遺伝バンザイ。見てるかいアンドリーお祖父ちゃん、俺成長したよ。
武器庫でPPSh-41とトカレフTT-33、それから十分な量の弾薬をポケットやら腰のポーチに詰め込んで、手榴弾もいくつか用意してから列車の外に出た。
外は曇っている。どんよりとした鈍色の雲の下、やけに高い建物が駅のホームからでも見えた。それはさながら大昔の人類が、天にまで届く塔を立てようとして神々の怒りを買った曰く付き物件ことバベルの塔を思わせる。
あれがホテル・ガラマ。トロゾフ・ファミリーが買い取り、客と従業員を全員追い出してギャングの拠点とした連中の総本山だ。
レンタルホームの電話ボックスに入り、財布から取り出した10ライブル硬貨をコイン投入口にぶち込んだ。ツー、ツー、という音を聞きながらダイヤルを回し、ホテル・ガラマを呼び出す。
さあて、ボスのエフゲニー氏はいらっしゃるだろうか。
《誰だ》
「血盟旅団団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。ボスのエフゲニー氏と話がしたい」
威圧的な声に少しビビりそう……にはならなかった。こういう相手と何度も対面しているからなのだろう、ミカエル君も肝が据わってきたようだ。慣れって怖いね。
眉ひとつ動かさずに要求を突きつけると、相手は少し困惑したようだった。受話器の向こうで小さく他の人員とやり取りするような声が聞こえ、そのまま待たされること30秒ほど。やがて年齢を重ねた男性の声が聞こえてきた。
こうして電話越しに話をするのは二度目か、エフゲニー・コンドラートヴィッチ・トロゾフ。
《君か、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ》
「ボス、我々はこれよりあなた方の拠点を総攻撃します」
淡々と、こちらの襲撃を予告した。
まさかいきなり手の内を明かしてくるとも思っていなかったのだろう。受話器の向こうのエフゲニーが微かに息を詰まらせたのが分かった。
《正気か? このトロゾフ・ファミリーと一戦交えると?》
「ええ、そのための準備もある」
電話ボックスの外にいるクラリスに視線を送ると、クラリスは頷いてから火砲車の方に手で合図を送った。
客車の後方に連結されている火砲車―――120mm滑腔砲を搭載したヤタハーン砲塔がそのまま移植された、血盟旅団の列車における火力の要。その最強の矛がぐるりと旋回するや、主砲の照準をホテル・ガラマへと向けた。
砲塔内にはモニカがいる。彼女が主砲への装填と発砲を担当する手はずになっているのだ。
《そんな事をしてどうなる? ここの憲兵は我々の―――》
「そう思い、既に騎士団にいる姉に手を回しました。やがて帝国騎士団特殊部隊”ストレリツィ”がガラマに来るでしょう……腐敗を正すために」
《……!》
ストレリツィ、という名前を聞いただけでエフゲニーが恐れた。
帝国騎士団特殊部隊、ストレリツィ―――大規模を誇るノヴォシア帝国騎士団、その中でも最精鋭と謳われる帝国の切り札。兵卒1人で1個中隊に匹敵する戦力があるとまで言われており、何より所属する兵士は死を恐れない。炎が燃え盛り屍散らばる地獄のような戦場へ、我先にと飛び込んでいくようなイカれ野郎共だ。
そしてその指揮を執るのがリガロフ家最恐の長女、アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ。
「憲兵はもうあなた方を守ってはくれません。そして今、我々は大砲の照準を今まさにホテル・ガラマへと向けている。突入の準備もあります。断言しますが、あなた方に勝ち目はない」
《……脅しのつもりか》
「いえ、降伏勧告です」
悪人は皆殺しにしろ、とは言わない。そういう連中を裁くための法は既に存在するのだ。だから俺たちはそういう悪人を見つけても身柄の拘束にとどめ、後の裁きは法に任せればいい。
手を下すのはやむを得ない場合のみだ。
「我々も無駄な流血は望まない。一応は二度、この勧告を行います。これが一度目です」
二度目はこちらの勝利が確実となった段階で行うつもりだ。もっとも、ここで折れてくれるようならば無駄な無力行使はしないで済むし、流血もないだろう。
まあ、それが出来たら苦労はしないし、世界はもっと平和だと思うのだが。
《―――Не облизывай меня, проклятый ребенок(なめるなよ、クソガキめ)》
「……」
返答は流暢なノヴォシア語での罵声だった。
《Вы думали, что я поддамся такой угрозе? К сожалению, я не такой, как Олег(そんな脅しに屈すると思ったか? 残念だが、私はオレグとは違う)》
「Вы просто хотите драться?(戦いをお望みですか?)」
《приди и возьми(来りて取れ)》
やはりそうなるか。
流血は免れない……なるほど、相手の意思はよく分かった。
「……расстроен(残念です)」
受話器を戻し、外に出た。
本当に残念だ。
オレグとは違い、少しは話の出来る相手だと期待していたのだが……まあ、息子がアレなら親もアレなのが道理というもの。一度お灸を据えてからもう一度降伏を勧告するとしよう。
計画通りだ、残念ながら。
「―――やれ」
無線機で指示し、ケモミミと両耳を閉じて口を開けた直後だった。
火砲車に搭載されている120mm滑腔砲―――ヤタハーン砲塔の主砲が、ホテル・ガラマ目掛けて火を噴いた。




