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異世界にも転売ヤーが居るなんて聞いてない


 白い大地、白い空、白い街。


 それが真冬のノヴォシア帝国の全てだった。凍てついた大地に冷たい鉄。それがこの国を構成しているといっても過言ではない。農業大国から工業大国への急激な転換は国内に大混乱をもたらし、それはまだ終息に至っていない。


 結局、指導者の命じる方針転換で真っ先に潰されるのは末端の人々だ。財力も権力もなく、明日の生活さえ危うい貧しい人々なのだ。


 スラムを見る度にそう思う。権力闘争に敗れた元権力者、どこからか脱走してきた囚人、何もかも搾取され、残りカスみたいにされた人々……そこに流れ着くのはいつもそう言った弱い人々だ。


 そしてもう一つ、ザリンツィク特有の事情もある。


「ゴホッ、ゴホッ……」


「誰か……誰か薬を……」


「水……水……」


 苦しそうに咳き込む者や、薬、水を欲しがる者たち。その身体を覆うボロボロの布の切れ目から覗く皮膚には毒々しい赤黒い斑点が浮かび、彼らの身体を苛んでいるのが窺い知れる。


 ザリンツィクで流行している、”赤化病”の症状らしかった。


 街中には赤化病の症状についての簡単な説明や予防方法、街中にある薬局で特効薬が販売されている事などが記載されたポスターが掲示されていて、しかもそれが数メートル間隔で壁に貼られているものだから嫌でも視界に入る。大通りをちょっと歩いて買い物に行くだけで、内容を暗記できるほどだ。これを指示した担当者の、この疫病の恐ろしさをみんなに知らせようという熱心な姿勢がうかがえる。


 感染源は不明……ザリンツィク議会では『工場から流れ出る廃液に含まれる毒性物質が原因である』と発表しているが、実際はどうなのか。声高にそんな主張をされれば工場側はそれを認めて謝罪する声明文を掲示するか、反論するような声明を出すのが当たり前だが、ザリンツィク市内の工業区ではそういった動きは見られない。不思議である。


 それ以外にも、市民の間で『貴族が意図的にウイルスをばら撒いている』だとか、『ネズミがウイルスを広めた』だとか、『敵国の工作員がウイルスを持ち込んだ』だとか、いかにもIQの低い陰謀論者が好きそうなネタが街中を飛び交っており真偽は不明だ。


 議会の公式発表は公害扱いだが、信憑性がちょっとイタリアの手榴弾(赤い悪魔)並みなので、ミカエル君の中では”不明”という事にしておく。貴族の言う事は鵜呑みにしない方が良い。貴族と共産主義者アカは平気で真実を覆い隠す。


 マスクを付けながら、スラムの奥へと進んだ。ルカとノンナは無事だろうか、とちょっと心配になったのだ。赤化病の魔の手があの2人に伸びていなければいいのだが。


 ゴミの浮いた水路にかかる、いつ落ちてもおかしくないくらい腐食した橋を通過して左折すると、見覚えのある小屋が見えてきた。ボロボロの木材で組み立てられた、小屋というよりは物置みたいな建物。けれどもそこは、あの2人の兄妹にとってはまさしく家だった。


「ルカ、いるか?」


 コンコン、と玄関のドアをノックしながら問いかける。


 留守だろうか……ならまた日を改めよう、と踵を返そうとすると、家の中からどたどたと足音が聞こえてきた。


 ガラッ、とドアが軋みながら開き、ビントロングの獣人―――ルカが顔を出す。


 俺の顔を見るといつも笑みを浮かべる彼だったが、今日は様子が違っていた。困惑しているような、助けを求めているような……何か、自分1人の手には余るような何かが起こっていると訴えかけるような、必死さの込もった目だった。


「どうした?」


「ミカ姉、助けて……ノンナが、ノンナが……!」


「まさか」


「すごい熱なんだ、昨日の夜から咳も止まらなくて……!」


 慌てて家の中に飛び込んだ。食べ終わった空の缶詰が散乱する家の中、床に敷かれたボロボロの絨毯の上に、首の下まで毛布をかぶったノンナが横になっているのがすぐに目についた。額の上には濡れた布が置かれていて、頬や額には汗が浮かんでいた。


 近付くと、その浅い呼吸音も聴こえてくる。


「ノンナ!」


「あ……ミカ姉……」


 弱々しく、だがしっかりと笑みを浮かべるノンナ。毛布の中から伸ばしてきたその小さな手をぎゅっと握った俺は、その皮膚の表面を見て絶句する。


 うっすらとではあるが―――彼女の手には、赤い斑点が浮かび上がりつつあった。


 赤化病。


 斑点の小ささを見るに、まだ初期症状のレベルだ。今すぐに特効薬を投与すれば、彼女の命は助かるかもしれない。


「大丈夫、すぐ薬を買ってきてやる」


「ごめんなさい、ミカ姉……ゴホゴホッ、迷惑ばっかり……」


「んな事ねえよ。待ってろ」


「ミカ姉、俺も行く!」


 家を出ようとすると、ルカも一緒に来ようと声をかけてきた。


 血は繋がっていない―――あの時、ルカは確かにそう言っていた。ノンナとルカは実の兄妹ではないのかもしれない。だが、血の繋がりはなくとも兄妹の結束はそれ以上に強固だ。そこに血縁関係などは関係ない。


 病に苦しむ妹を救おうとする兄、その兄妹愛の強さには脱帽だが、俺は首を横に振るしかなかった。


「どうして?」


「ノンナを1人にするつもりか? 薬は俺に任せて、お前はノンナと一緒に居てやれ」


「でも!」


「何かあった時、誰がノンナを守るんだ? お前、兄貴だろ?」


「……わかった」


「素直でよろしい。待ってろ、マッハで戻ってくる」


 確かここに来るまでに薬局があった筈だ。そこなら赤化病の特効薬も売っているに違いない……売り切れていないことを祈りたいものだ。


 スラムを全力で突っ走り、廃材で造られた小屋の壁を蹴って跳躍。天井に着地すると同時に走り出し、大きくジャンプして路地を飛び越える。病人たちでひしめく路地よりも、屋根の上の方が走りやすい―――キリウに居た頃に学んだ事だ。天井で出会う”友人”といえば野良猫やカラスくらい。けれども冬になってからそれらと鉢合わせになる機会はめっきり減って、ちょっぴり寂しい気分になる。


 電線を足場にして車道を渡り、電柱を蹴って跳躍。雪の降り積もった石畳の上に着地し顔を上げると、目の前には薬局の看板があった。


 いきなり空から降ってきたハクビシンの獣人に、店の店主が目を丸くしている。アライグマの獣人だった。


「すいません、赤化病の特効薬が欲しいんですが」


「あー……ごめんなさいねぇお客さん、売り切れちゃって」


「売り切れ? そんな……さ、再入荷は……!?」


「それが、再入荷の見通しが立ってないんだ」


「そんな……」


 待て、待て、落ち着け……ザリンツィクは大きな街だ、他にも薬局くらいあるさ。


 後ろに並んでいる客のためにもカウンターの前から離れ、薬草や薬剤が陳列されている棚の脇を通過して店の外へ。外に出た途端に猛烈な寒さが牙を剥いたが、その程度でこの思考は断ち切れない。


 こうなったら、ザリンツィク中の薬局を総当たりで周るしかない。


 頑張って生きてるあの2人のためだ、一肌脱いでやるさ。













 ごめんなさい、特効薬は品切れなんです。


 薬局の店舗の数だけ聞いた言葉だ。売り切れです、品切れです、もう置いてないんです。その言葉の度に希望には亀裂が生じ、希釈され、絶望の彼方へと消えていった。現実はどこまでも残酷だ。もしそれが人間だとしたら、どんな奴からも忌み嫌われるくらい捻くれた野郎なのだろう。それくらいしつこく、嫌らしく、人間に絶望を突きつけてくる。


 どこもかしこも病人ばかり。工場の機械の音、モーターの音、鉄を打ち付ける音。それに病人たちの咳き込む苦しそうな声が混ざり合い、随分と退廃的なオーケストラと化している。

 

 ちらりと大通りの向こうを見た。とある民家の玄関の前には規制線が貼られていて、その向こうには防護服に身を包んだ憲兵たちが立って、野次馬への対応をしたり、その民家の中へと入って行っている。何か事件でもあったのか、と他人事のように眺めていると、やがて担架に乗せられた女性が防護服姿の憲兵に担がれ、家の外へと運び出されてきた。


 アンナ、アンナ、と泣き叫びながらその担架を追う男性を、他の憲兵たちが必死に押さえつける。だらん、と担架から力なく垂れ下がる腕には、やはり赤い斑点がじわりと浮かんでいた。ノンナの腕にあったそれよりも遥かに色が濃く、まるで硫酸でも皮膚に垂らされたかのよう。


 あんな無残な姿になって死んでいくのか、と少しばかり恐怖を覚えた。


「可哀想に……」


「あそこの旦那さん、奥さんのために頑張って働いてたんだそうだ……それでも薬が手に入らなかったらしくて」


「……」


 おかしい。


 ちらり、と後ろにある薬局の商品棚に目を向けた。”赤化病特効薬”と書かれたコーナーに相変わらず薬は無く、がらんとしているが、値段の表示だけならば残っている。瓶1つで400ライブル……冒険者管理局の売店で売っている回復アイテムとだいたい同じ値段だった。


 価格はお手頃で、スラムに住んでいるような人間だろうと収入さえあれば手が届くような値段。今の噂話を聞く限りでは、あの民家に住んでいる男性はちゃんとした仕事があるようだから、少なくとも薬代で困っているという事はなさそうだった。


 では、どうして薬が手に入らなかったのか?


 たった400ライブル……日本で言うと100円とちょっとで購入できる飲み物程度の値段の薬が、何故?


 踵を返し、再び薬局の店内へ。カウンターの向こうでごそごそと何かを整理していたコツメカワウソの獣人の店主が顔を上げ、丸っこい目で俺を見つめながら問いかけてきた。


「何かお探し物ですか? 特効薬でしたら在庫がもう……」


「その特効薬、いつ売れたんです?」


「今朝ですよ。開店と同時に、狼の獣人の男性が来ましてね……そこの棚にある特効薬を全部買い占めていったんです」


「買い占めていった」


「ええ。いや、私はね、『他にもその薬を必要としている人がいるからやめてくれ』って止めようとしたんですが、胸倉をつかまれて脅されまして……仕方がなかったんです」


 特効薬の買い占め……いや、まさか。


 ありがとうございます、と礼を言ってから、近くの棚から風邪薬や解熱剤をいくつか掴み取り、カウンターへと持っていった。ほんのちょっとだけど、情報代のつもりだ。それにこれから寒くなるし、風邪をひいたら大変だからね……。


 店を出て、買い物袋を片手に歩道を歩く。


 さっきの店でザリンツィクの薬局は全部コンプリートしたのだが……どうやら、もう一回全店舗を周る必要がありそうだ。


 もしこの直感が事実なのだとしたら……。












「特効薬の買い占めだって?」


「ああ」


 解熱剤を服用して眠りにつくノンナを見下ろしながら、俺はルカに調べてきた事のありのままを話した。どの薬局でも特効薬が品切れとなっていた事、その原因は開店と同時にやってきたガラの悪い客が買い占めていった事。


 ただ、どうやら買い占めていった奴は同一犯というわけではないらしい。最初に店主に聞き込みを行った店では狼の獣人、その次はツキノワグマの獣人、その次ではゴールデンレトリバーの獣人……共通点といえばガラが悪い、いかにもごろつきといった感じの客だった、という点くらいである。


「何考えてんだよそいつら! ノンナがこんなに苦しんでるっていうのに……!」


「もう少し調べてみる必要がありそうだ。とりあえず、それまでノンナに解熱剤を飲ませて何とか持ちこたえてくれ。効果は薄いが、無いよりはマシだろうから」


「ありがとう。何から何までごめん、ミカ姉」


「気にすんな」


 ぽんっ、とルカのふわふわの頭に手を置いてわしゃわしゃと撫でた。ハクビシンよりビントロングの方がもふもふしているからなのか、髪は彼の方がもふもふしている。寝癖とかすごそうだ。


 それにしても……。


 買い占めてる連中、一体何者だ? 一体何が目的でそんな事を?


 疫病の感染を広げるため? それとも特効薬の高額転売? いずれにせよ、まともな目的のための所業とは思えない。疫病の感染速度を加速させる事は、連中にとってもリスクが大き過ぎる。


 となると目的は―――特効薬の高額転売、これの可能性がある。


 ちょっとばかり、調査が必要だ。


 ポケットから端末を取り出した。パヴェルお手製のスマホっぽい端末。スマホより一回り大きく、収めるポケットを選びそうな代物だが、意外にも機能は充実している。通話に暇つぶし用のゲーム、支援要請リクエストに偵察要請リクエスト。メールまでできるんだが、一体どんな仕組みになってるんだろうか。この世界には人工衛星も電波の中継局も無いというのに。


「なんだよそれ?」


 首を傾げながら興味深そうに端末を覗き込んでくるルカ。魔法の道具だよ、とだけ答え、通話アプリをタップして連絡先を呼び出す。血盟旅団のメンバー全員を呼び出してから、スピーカーを耳に近付けて相手が応答するのを待った。


《お、早速使ったか》


《何のご用でしょう、ご主人様?》


《あ、ミカじゃん。なになにー?》


「ちょっとばかり手伝ってほしい事がある。ザリンツィクで流行している赤化病の特効薬、これを買い占めてるアホタレがいる。こいつを突き止めたい」


《特効薬の買い占め? それで俺たちに何の得があるんだよ?》


「もし高額転売目的で買い占めしてるとしたらどうだ? そしてそれがそれなりに利益を得ているとしたら?」


《え、つまりお金になる話って事?》


《それは酷い、許せませんね》


《何だよ異世界にも転売ヤーが居るってか? そりゃぶちのめさなアカンな》


「そういうわけだ、困ってる人がたくさんいる。手を貸してくれ」


 仲間たちの返事を聞いてから、作戦会議を列車で1時間後に開く旨を伝え、電話を切った。


 不安そうにこっちを見つめてくるルカに向かってウインクしながら、安心させるように言った。


「心配すんな。すぐ特効薬が手に入るようになるさ」



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