喧嘩を売った相手
オレグ・エフゲニーエヴィッチ・トロゾフは煮え滾る怒りを抑え込む事に必死だった。
思い返すだけで腸が煮えくり返る……害獣の、それも没落貴族たるリガロフ家の庶子という貴族とも呼べぬ分際で、トロゾフ・ファミリーからの依頼を断るとは何様か。一応はトロゾフ・ファミリーを褒め称えるような言葉も添えていたが、そんなものが何になる?
第一、庶子など両親の不貞の証ではないか。教会で新郎新婦が互いに誓い合った愛を裏切り、妾に性欲をぶつけた結果として生まれた忌み子でしかない。そんな汚らわしい、しかもあんな害獣の獣人という分際で―――生きているだけでも汚らわしい存在でありながら、トロゾフ・ファミリーからの仕事を断るとは。
ファミリーの顔に泥を塗られた、なんてものではない。”泥を塗られた”という言葉では言い表せないほどの非礼を、あの害獣はやってしまったのだ。このボスの息子たるオレグ・エフゲニーエヴィッチ・トロゾフに。
「オレグ様」
火をつけた煙草を吸っていると、銃を手にしたスーツ姿の部下たちが攻撃準備を終えた事を報告する。
彼らの手には新型のレバーアクションライフルがあった。現在の単発式小銃や旧式のマスケットよりも遥かに優れた速射性を持つ、最新式の連発小銃だ。アメリア合衆国で発掘された物を銃職人が複製したものだが、如何せん構造が複雑である事、極めて高い工作精度が要求される事、そして部品点数の多さから値段は極めて高価で、趣味やステータスシンボルとして所有する富裕層は数多く在れど、兵隊用に数を揃えられる勢力は一握りしかいない。
トロゾフ・ファミリーも、その一握りの勢力の1つだ―――これだけの武力を供え、今の権力を手にするために使った金は数えきれない。強盗、殺人、街中からのみかじめ料、それから麻薬の密造、密輸に密売。どれもこれも憲兵隊が腐敗していなければ成し得なかった事だ。
「どの道消していた連中だ」
ふう、と煙を吐き出し、部下の方へと手を伸ばす。
スーツ姿の部下が深々と頭を下げながら、小さなケースを開けた。
中には派手な彫刻が施された、黄金のリボルバー拳銃が収まっている。見栄えは良く、それだけで彼の……正確には彼の父のファミリーがこれだけの財力を誇るのだという事を知らしめるに充分であったが、無論そんなものに戦術的優位性はない。
銃を手に取り、撃鉄を起こした。
どの道、血盟旅団は依頼を受けようが受けまいが消す予定だった。
元々血盟旅団は冒険者、それも各地を移動しながら仕事をこなす”ノマド”と呼ばれるスタイルの冒険者たちである。依頼で知り得た事は口外しないという鉄則があるが、しかしいつどこで、何の拍子に話してしまうか分からない以上、消えてもらうのが一番なのだ。
『死人に口なし』、確実さを求めるならばこれに尽きる。
しかし彼らはその仕事を受けず、あろう事かオレグを追い返した―――その事が赦せない。
「消せ、連中を1人残らず」
「はい、オレグ様」
ギャングの戦闘員たちが銃を構え、狙いを血盟旅団の列車に向ける。
ホームの向こうに停車している、血盟旅団の列車には未だ動きはない。
「―――やれ」
命じながら手を振るうや、ずらりと並んだ戦闘員たちが一斉に引き金を引いた。
客車の窓は少し大きめに作られている。
兵器という観点から見ると窓は強度低下の原因にしかならず何のメリットもないので塞ぐのが一番であるが、しかしそれは軍事兵器としてだけ見た場合の話。世界中を旅するための列車として見た場合、窓は外の景色を見るために必須で、長時間の移動のストレスを和らげるのに大変役に立つ。
そういう相反する要素を鑑み、兵器としての強度低下の許容ギリギリを攻めたサイズの窓なのだとパヴェルは言っていた。もちろん防弾性、12.7mm弾クラスまでならばなんとか耐えるレベルである、とも。
その窓に蜘蛛の巣状に亀裂が生じたのは、銃声が聞こえる一瞬前の事だった。
パパン、パパパン、と響いてくる銃声。咄嗟に窓の前から身を屈め、ホルスターに収まっているグロック17を引き抜いた。
《各員へ通達、各員へ通達。在来線2番ホームより攻撃を受けている》
スピーカーから聴こえるパヴェルの声。戦闘準備を終えた後、仲間たちにいち早く応戦準備を促すよう、放送用機材のある自室へと向かったのだろう。
「クラリス!」
ついて来てくれ、と彼女に大声で告げ、そのまま客車のドアのところまで走った。
昔の二階建て新幹線のような階段を降り、乗車用ドアのところにある壁面のパネルを手順に従い外す。小さなレバーを引いてロックを解除、取り外したパネルの中から姿を現したのはフレキシブル・アームに接続された防盾付きのラインメタルMG3汎用機関銃とその予備銃身、冷却用の耐熱シートと予備弾薬一式だった。
クラリスに手伝ってもらい機関銃を展開、耐熱シートと予備弾薬を素早く交換できる位置に置いてから、クラリスにドアを開けてもらう。
簡易装甲が施されたドアが解放され、クラリスが退避したのを確認してから、床に胡坐を掻いた状態でドアガンとして搭載していたMG3の引き金を引いた。
ダラララララッ、と凄まじい速度で弾丸が放たれていく。
MG3の原型となったのは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが採用したMG42である。それの使用弾薬を西側標準規格の7.62×51mmNATO弾に改めたのがこのMG3であり、戦後80年を経た今でも現代戦で通用する事を鑑みると、その完成度の高さが窺い知れるというものだ。
案の定、列車に向かって発砲しているのはスーツ姿の男たちだった。武器は何を持っているのかここからは見えないものの、発砲の後に右手を動かしてからすぐに発砲しているところを見るにレバーアクションライフルやそれに類するものなのだろう。なるほど、連中はなかなか金を持っていると見える。
「クラリス、今のうちに武器庫から武器を!」
「了解ですわ!」
息を吐き、ストックに頬をしっかりと当てながら引き金を引いた。
ガラマ駅にはレンタルホーム4つと在来線のホームが2つずつ存在する。在来線の線路は4本で、真ん中の2つは通過列車用のものだ。
こちらはレンタルホーム№1に停車しているが、発砲しているバカタレ共は2番ホームからのようだ。幸い停車中の列車も、列車の順番を待つ客もおらず非戦闘員を巻き込まずに済むのが救いだろうか。
さて、ここで攻守が逆転する。
こっちは簡易装甲が施された安全な客車の中から、防盾に守られた汎用機関銃で好きなだけ攻撃できる。それに対し向こうは在来線ホーム、それほ殆ど銃弾を防いでくれるような遮蔽物がない状況での応戦を強いられることになるわけだ。
逃げ遅れたギャングの戦闘員の1人が、曳光弾にこめかみを撃ち抜かれる。パンッ、と頭がポップコーンみたいに弾けるのがここからでも良く見えた。ピンク色の肉片と白い頭蓋骨の破片、それから紅い鮮血の飛沫……随分とグロテスクな人間ポップコーンである。
そういうのを見て嘔吐する事が無くなったのだから、俺もまあ慣れてしまったのだろう……殺しに。
機関銃を左から右へと薙いだ。慌てて休憩用の椅子の陰に飛び込むギャングの戦闘員もいたが、7.62mm弾の掃射はどこまでも無慈悲だった。木製の椅子を撃ち抜いてそのまま戦闘員の胸板と腹にこれでもかというほど牙を突き立て、物言わぬ死体に変えてしまう。
別の車両にあるドアガンでも攻撃が始まったようで、複数の弾丸がちょうどホームから連絡通路へ上がるための階段周りを掃射、ギャングの連中の逃げ場を塞いでいるようだった。
ちょうど弾薬箱を1つ使い潰した辺りで、敵の攻撃が弱まっている事に気付いた。
《ミカ、打って出ろ》
「はいよ」
戻ってきたクラリスからAK-19とマガジンをいくつか受け取り、フレキシブル・アームに接続されたMG3を横に退けてホームへと飛び出した。レンタルホームにある柱に隠れてから呼吸を整え、フルオートに切り替えたAK-19で在来線側のホームを掃射。まだしつこく狙ってくる馬鹿を1人黙らせてからクラリスにハンドサインを送る。
QBZ-97を装備したクラリスも側転で弾丸を回避するという離れ業を披露しながら空中でQBZ-97を連続射撃。2名くらいの戦闘員を射殺して先に連絡通路へと通じる階段へと向かうや、フルオート射撃で在来線ホーム側を掃射する。
敵が制圧射撃を喰らっている間にダッシュ、連絡通路への階段を駆け上がりつつマガジンを交換。セレクターレバーをセミオートに切り替えつつ、腰から抜いた黒塗りの三十年式銃剣(着剣装置を改造、AK-19でも装着できるようにしてある)を装着してそのまま通路を突っ走る。
通路の窓から、見覚えのある顔が見えた。
オレグだ。先ほど血盟旅団に依頼を持ち掛けてきたボスの息子―――ギャングの息子に手を出すのは全面的な報復を招きそうで嫌だが、そもそも相手から先に仕掛けてきたのだ。ならば徹底的にやるほかあるまい。
在来線のホームから、2名の護衛に連れられたオレグが上がってくるのが見え、走る速度を一気に上げながら銃口を向けた。
俺の存在に気付いたオレグがこっちを見て目を見開く。何でここにお前が、とでも言いたげな顔が実に滑稽だったが、しかしじっくり干渉しているほど俺はサイコパスではないし余裕もない。
ボスの息子だけでも逃がそうと、護衛の2人がこっちに向かって拳銃で応戦してくる。6連発のリボルバー拳銃だ。こっちの世界ではまだ希少で高価な代物の筈だが……。
がくん、と護衛の片割れの頭が大きく揺れた。眉間には5.56mm弾に穿たれたと思われる、随分と綺麗な風穴がある。
クラリスに撃たれたのだ―――さすが元テンプル騎士団、ヘッドショットは当たり前か。
片割れの唐突の戦死に驚いている間に、護衛に向かって銃剣突撃。姿勢を低くした状態から伸びあがる勢いを乗せ、スーツ姿の護衛の喉元に三十年式銃剣を思い切り突き立てた。
喉から脳へと下から突き上げるコースで刃が突き上げられる。それはまるでステーキにナイフを入れる時のようにほとんど抵抗を感じず、しかし確実に相手の命を奪っていた。
動かなくなった護衛の腹を思い切り蹴り飛ばして銃剣を引き抜き、リボルバーを撃ちながら逃げるオレグを追う。
磁界を前面に傘のように展開、弾丸を受け流して見せるとオレグは目を見開いた。微かに唇が動く―――「化け物め」、と言葉を紡いだように思え、失笑した。
自分の理解の及ばぬ領域になるとそれを知ろうともせず、化け物のレッテルを張って排除しようとする―――生涯消える事の無い人類の悪癖だな、と思いながらオレグの足を撃った。
「がぁっ!!」
左のアキレス腱を撃ち抜かれて転倒するオレグ。痛みに歯を食いしばりながらもこちらを振り向いてリボルバー拳銃(ごてごてと装飾の入った趣味の悪い拳銃だ)を向けてくるが、その前に左鵜の裏拳を振るって彼の手から拳銃を叩き落とす。
まだ抵抗する素振りを見せたので、右足で思い切り彼の傷口―――被弾したアキレス腱の辺りを踏みつけてやった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「……馬鹿だなお前」
AKを肩に担ぎ、泣き叫ぶオレグに顔を近づけながら告げた。
「溝の中でチョロチョロしてる悪人風情が、血盟旅団に勝てるわきゃあねえだろう?」
「て、てめ……っ! お、俺にこんな事して親父が黙ってると……!」
「ああ、思わんさ」
そうなるだろうな、とは思う。
ボスの息子をここまでボコボコにしたのだ。ファミリーからすれば十分すぎるほど報復する理由になるだろう。もはやトロゾフ・ファミリーとの全面戦争は回避できない段階にまで突入したが、それが何だというのか。
「―――だからファミリーごと潰す」
「……!」
オレグは怯えていた。
やっと気付いたのだろう―――喧嘩を売る相手を間違えたという事に。
「……ただまあ、必要以上の流血は望まない。交渉次第で戦争が回避できるならそれに越した事はないよ」
追い付いてきたクラリスが、オレグの手足を番線で縛り始めた。じたばたと暴れる彼の口にテープを貼り付けるや、ひょいっとそのままオレグを肩に担ぐクラリス。なんだろ、彼女テンプル騎士団時代にもしかして人を拉致する任務とかやってたんじゃないだろうか? そう思ってしまうくらい手馴れているように見えたのだが。
「それまでは生かしておく、交渉材料としてな。まあ願わくば、アンタの親父さんが話の分かる相手である事を願うよ」
とりあえず、交渉の準備はしておく。
だがもし交渉が決裂し、平和的解決の努力が水泡に帰したその時は―――。




