※血盟旅団はクリーンな運営を心がけています。
「おおう、マジか」
工場から濛々と黒煙が立ち上り、まだ朝だというのに常に空が暗い街、ガラマ。
飲食店も宿泊施設も観光客向けではなく、労働者たちでひしめき合う工業都市―――そんな街をぐるりと一周してやっと見つけた食料品店に入った俺たちは、棚に並んでいる食品類を見るなり絶句した。
棚に並んでいるのはボトルに入った飲料水と保存の利く黒パン、ジャガイモと缶詰だけ。
他にも野菜とか果物とか、あと調味料に香辛料も必要なんだが、この店で確保できるのはこれくらいのものだった。
「どうします、ミカエルさん?」
「うーん……とりあえず、確保できる分を買っていこう。不足分はパヴェルが取り寄せたりしてくれる筈だ」
とはいえ、取り寄せるとなると購入代金も割高になってしまうので可能ならば俺たちが必要な食料や水、日用品を購入しなければならない。もちろん購入代金はギルドの運営資金から出るのでポケットマネーを消費する事にはならないが、しかしあまり使い過ぎるとギルドの運営が厳しくなるので浪費は慎まなければならない。
すみません、と標準ノヴォシア語の発音(意識しないとイライナ訛りが出てしまう)に気をつけながら店主を呼ぶと、店の奥から腰の曲がった老人が顔を出した。
「Я хотел бы купить черный хлеб, питьевую воду и 3 мешка картофеля, которые лежат на этой полке?(この棚にある黒パンと飲料水、それからジャガイモを3袋買いたいのですが?)」
「А, тогда это 30 000 ливров(ああ、それなら3万ライブルじゃよ)」
「Тоже 30 000 ливров?(3万ライブルも?)」
嘘やろ、と目を丸くして口を半開きにしながらシスター・イルゼの方を見た。
普通、これくらいであれば2万ライブルちょっとくらいが相場だ。3万ライブルはあまりにも高い……と言いたいところだが、なにか事情があるんだろう。労働者に優先的に行き渡るようにしているとか、どっかのバカが買い占めたとか。
「Путешественники, простите меня. В этом городе это лучшее, что я могу сделать(旅のお方、どうか許してくだされ。この街ではこれが精一杯なんじゃ)」
「Что ты имеешь в виду?(どういう事です?)」
問いかけると、老人は困ったような顔で言った。
「В этом городе две банды постоянно борются за власть(この街ではな、2つのギャングが支配権をめぐって争っているんじゃ)」
「банда?(ギャング?)」
「Военная полиция коррумпирована и находится в сговоре с бандами, и эти банды контролируют этот город……Из-за них я вынужден жить тяжелой жизнью(憲兵は腐敗しきってギャングと癒着しているし、そのギャングがこの街を支配している……おかげで苦しい生活を強いられているのじゃよ)」
おーう、マジか。
ギャングが街を牛耳っている……なるほど、そういう事か。
もしかしてだけど、パンとか食料の数が少なかったり、値段も割高になってるのはその辺が原因なのかもしれない。街を支配している、というのは食料や日用品の価格を操作するのも自由自在という事だろうから。
とりあえず、食料品を購入する。店主は「Мне жаль, что я продал его по такой высокой цене(すまないね、こんな高値で売りつけてしまって)」と言いながら申し訳なさそうに、買い物袋に入ったパンや水、ジャガイモを渡してくれた。
店主に礼を言ってから外に出て、腰に提げたポーチに手を伸ばす。
ノンナが作ってくれた、パームシベットを模したポーチだ。口のところがチャックになっていて、傍から見るとデフォルメされたパームシベットの子供がしがみついているようにも見える。他にもビントロングを模したポーチとか、ハクビシンを模したバックパック(しかも尻尾付き)もあって、ハクビシンのバックパックに関しては既に実戦投入している。
ポーチの中からスマホを引っ張り出し、連絡先一覧の中からパヴェルをタップ。AKを担いだヒグマのイラストが描かれたアイコンをタップすると、呼び出し音が鳴り始める。
《はい、もしもし?》
「この街やべえ」
《だろうな》
だろうな、ってパヴェルの方でも何か掴んでいるのだろうか。
《それよりミカ、お前にお客さんだ》
「え、お客さん?」
仕事の話かな、と思いながら「ああ、すぐ戻るよ」と伝え、電話を切った。
「パヴェルさんは何て?」
「……お客さんだって」
「お客さん?」
九分九厘仕事の話だろう。何も無ければ買い物の後、仕事にでも行こうと思っていたのだが……。
しかしギャングが支配する街というだけあって、こんな街にやってくるクライアントなんて絶対ロクなやつじゃない。というよりもむしろ、絶対にギャングの関係者だ。そうに決まっている。
冒険者は汚れ仕事にも手を染めるアウトローな仕事だが、しかし反社会的勢力と関係を持つのはあまり好ましい事ではないのだ……実績を作りクライアントを呼び込むためには社会的イメージも重要なのである。実績を積み上げるだけではなく、この冒険者なら信用できる、安心して仕事を任せられるというイメージを醸成して初めて”稼げる冒険者”になるというわけだ。
さすがにギャングからの仕事だったら断ろう。飼い犬を殺されたら戦争しよう、これは確定だ。いやウチ飼い犬いないけども。
やだなぁ、と思いながら駅に戻る。買い物袋をクラリスに持ってもらい改札口で冒険者バッジを提示、連絡通路を通ってレンタルホームへと向かう。特徴的な二階建ての客車(昔走ってた二階建ての新幹線みたいな感じだ)のドアから車内に入り、応接室として使っている空き部屋に向かうと、ドアの前には何やらスーツ姿の男性と私服姿のカーチャが立っていて、一触即発というか、なんというか……まあ、危ない雰囲気を醸し出していた。
「おかえりミカ」
「ただいま。クライアントは?」
「中でお待ちです」
カーチャに問うと、隣に立っていたスーツ姿の男が応えた。腰にはチェーンで吊るした黄金のナックルダスターがある。
コンコン、とノックして中に入る。スペースに余裕のある寝室だった空き部屋に来客用のソファとテーブルを運び入れた即席の応接室の中には、既にパヴェルが待っていた。
彼の向かい側のソファには灰色のスーツを身に纏った、20代後半くらいの若い獣人男性が座っていた。狼の獣人なのだろうか。顔つきは細面で体格もすらりとしているが、しかし何より目つきが鋭い。親し気な笑みを浮かべているが、その人間の本質は隠し切れていないのだ。
まあつまり、そういう類の人種だという事なのだろう。
「やあやあ、君がミカエル・ステファノヴァ・リガロヴァだね?」
この野郎、ド初っ端から地雷を踏み抜きやがった。
前世の世界のロシアやウクライナでもそうだが、男性と女性で姓が異なる場合がある。例えばウチの場合、男性であるジノヴィやマカール、そしてミカエル君は”リガロフ”という姓を名乗っているが、女性となるアナスタシア姉さんやエカテリーナ姉さんは”リガロヴァ”という姓になっているのだ。
男性の姓と女性の姓で異なる場合がある、という事である。
さてさてこの男、今俺を何と呼んだ?
ミカエル・ステファノヴァ……リガロヴァ?
「初めまして、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです」
ピク、と後ろに控えていたクマの獣人(多分コイツの護衛なのだろう)が瞼を動かした。
「ああ、そいつは失敬。男性だったんだね」
「いえいえ、この容姿のせいで色々間違われるのには慣れていますので。ところでその、仕事の話をお聞かせ願えますか?」
「それもそうだ、そうしよう……おい」
「はい」
狼の獣人男性が言うと、付き添いのヒグマの獣人男性はファイルを取り出した。テーブルの上に置かれたそれを見てみると、中年男性の映った白黒写真が添付され、個人情報が事細かに記されている。
「そういや自己紹介が遅れたねぇ。俺は”オレグ・エフゲニーエヴィッチ・トロゾフ”。この街で活動している”トロゾフ・ファミリー”のボスの息子さ」
なるほど、例の二大ギャングの片割れか。ボスにしては若いと思ったが、ボスの息子という立場ならばこの年齢も納得である。
「さて、そのボスの息子から君たちに仕事を依頼したい。この男……隣の街に住んでいる弁護士なんだが、最近ウチの事業を嗅ぎまわっているようでね……不慮の事故に遭ってそのまま永い眠りについてくれたら非常に助かる」
いやあこれは草も生えない。
クラリスが入れてきてくれた紅茶に小皿の上のジャムをぶち込み、マドラーでかき混ぜてから口へと運んだ。
これは要するにアレだ、この弁護士がギャングの事業(何をやっているのかなんて知りたくもない)を色々と探っており、バレたら不都合なのでそろそろ消してほしいというアレである。俗にいう暗殺の仕事である。
冗談じゃない。
確かに俺たち冒険者は汚れ仕事も請け負うが、反社会的勢力と関係を持つだけでもイメージ的にアレだし、ましてやそこから暗殺の仕事まで請け負ったとなれば周囲から「血盟旅団は金さえ出せば何でもやるやべー奴ら」の烙印を押される事になる。
それだけじゃない。庶子とはいえ、一応は”リガロフ”の姓を名乗る事を許されている身としては、ここで反社会的勢力とパイプを築くだけで実家に甚大な社会的ダメージを与える事になりかねない。クソ親父の顔に泥を塗る事になるのはまあ別にいいとして、姉上や兄上たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
ここは丁重にお断りするべきだろうな、とパヴェルに目配せすると、その方がいいよ的なノリでウインクされたので俺は仕事を断る事にした。
「もちろん報酬はいくらでも―――」
「……トロゾフさん、申し訳ないがこの仕事は引き受けられない」
「なに?」
不機嫌そうに言ったのは護衛の方だった。黙ってろ、と言った感じで視線で黙らせたオレグは指を組みながらこちらを見る。
「……理由をお聞かせ願おうか」
「確かにこの街は絶妙なバランスで成り立っていると感じました。それもあなた方トロゾフ・ファミリーの尽力によるものだと思います……この案件は確かに、そのバランスを崩しかねない危険なものであると推察できますが、我々血盟旅団にも事情があるのです。特に私、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフも”リガロフ”の姓を名乗る事を許されている身としましては……」
一応は相手を上げる言葉も入れた。ぴしゃりと断るのではギャングを敵に回しかねないので、出来る限り穏便に済ませようという配慮である。まあ、それがどこまで効果があるのかは分からないが。
その言葉を聞くと、オレグは「ああ、なるほど」と笑みを浮かべながら言った。
「これはこれは、こちらこそ大変失礼を。聞くところによるとリガロフ家はイライナの大貴族の家系、君もその血筋に連なる人なんでしょう? ならその実家の名に泥を塗るわけにはいかないね」
「依頼を断る形になってしまった事は大変申し訳なく思っています」
「いいや、大丈夫さ。こちらこそ無茶ぶりをしてすまなかった……さ、帰ろうか」
「はい」
それじゃあ失礼するよ、と言ってオレグは部屋を後にした。外で待機していた部下も連れて、3人でレンタルホームに降りていく姿を客車の二階の窓から見送る。
いやー、とりあえず第一関門は越えたか。
ここでギャングと関係を持ってしまい、これ以降反社会的勢力からの依頼が舞い込んでくるようになったら拙い事になる。裏社会にまでリガロフの名が浸透してしまったら、兄上や姉上まで厄介事に巻き込んでしまう事になる。さすがにそれは避けたい……クソ親父はアレだ、別にどうでもいい。あと兄姉たちにお見合いの話ばっかり持ち掛けているあのBBA、あの2名は別に死んでいい。
「やけにすんなり帰っていきましたわね」
「……クラリス、武器庫から俺のAKを」
「え?」
「それと団員全員にB装備で待機するよう通達を」
言うよりも早く、パヴェルは自室から取ってきたAK-15(なんかM203ついてる)の準備をしているところだった。
「は、はい……ええと、なぜです?」
「……暗殺計画をバラした相手をギャングが生かしてると思うか?」
彼等からすれば、弁護士の暗殺計画を俺たち部外者にバラすリスクを冒して依頼してきたのだ。それを断った俺たちが相手に、あるいは当局にこの件を密告しないとも限らない。
裏社会では好ましくない情報を知る相手の口は封じておくのが得策なのだ。そしてその最たるものが『死人に口なし』である。
そう、ここからが第二関門。
その直後だった―――ホームの向こうから、銃声が響いてきたのは。




