工業都市ガラマ
「ぁえ?」
オイルの臭いが充満する格納庫の中、Ⅰ号戦車に代わって新たに用意された兵器にブローニングM2重機関銃を搭載する作業をしていたパヴェルは、俺の言葉に目を丸くした。
「……ミカ、大丈夫か?」
「俺は大丈夫」
「……頭とか打ってないか?」
「打ってない……たぶん」
「ええとご主人様、その……え、え?」
一緒に格納庫を訪れたクラリスもこの有様だ。いつもは彼女に振り回されるミカエル君だが、今回ばかりはそれが逆。今は俺がクラリスを翻弄しているので、今の発言がどれだけヤバいのかは言うまでもあるまい。
第一、あのクラリスが一発で混乱するのだから相当なものだ。
「いやお前……【感電してみたい】ってお前」
先ほど兵器を整備するパヴェルに申し出たのは、この一言だった。
『魔術の実験で試したい事があるのでちょっと電気を浴びてみたい』―――うん、実際に文字にしてみるとなかなかアレな文言である。なぜ発現する前にそう思わなかったのか。もう少しオブラートに包むというか、アレだ。新手の変な性癖と受け取られかねない発言を回避する手段は無かったのか。時間が戻せるなら戻したい、穴があるなら入りたい。え、1人用塹壕? 半日かけて掘れと?
「アレか、もしかしてお前Mだったのか? いや、性癖にも色々あるし否定はしないが……」
「あのっ、ご主人様? そういうプレイがお好きならクラリスもお付き合いしますわ???」
「待て待て待て凄まじく待て」
「電撃ビリビリミカエル君えっち本……きたわコレ!」
「買いますわパヴェルさん! 保存用、観賞用、自慢用に3冊は確定で!」
「昔のオタクか!!」
何なのコレ、何なのコレ。
電撃ビリビリミカエル君えっち本ってなんだよ……どの層を狙ってるんだどの層を。あ、クラリスか。
「あのな、そうじゃなくて魔術の実験!」
「魔術の実験で感電えっちを!?」
「えっちから離れろ???」
いいかいクラリス、感電えっちをまず「感電」と「えっち」に分けよう。そしてえっちを消去しよう。消したくないならモザイクで覆っても黒海苔を貼り付けても良い。とりあえず青少年の健全育成の観点からすると大問題なので「とりあえず手は尽くしました」感を出しておこう。何の話をしてるんだ俺は。
「ええと、これ」
「何それエロ本?」
「分厚いですわね。どんな性癖が載ってますの?」
「張り倒すぞ」
「押し倒す!?!?!?!?」
ボクつかれた……。
「ああそんな、クラリスはついにご主人様に襲われてしまいますのね……ベッドに押し倒して唇を指でなぞりながらエロ同人のノリでジュテームって……」と1人で妄想の世界にどっぷり急速潜航していくクラリス(おーい戻ってこーい)をとりあえず放っておいて、その論文をパヴェルに見せた。
目を細めながら論文を読み進めるパヴェル。そこで俺はパヴェルが魔術については門外漢だった事を思い出してちょっと後悔した。
彼は何でもできる男だが、魔術だけは専門外なのだ……魔術の専門家はモニカとシスター・イルゼである。
しかしそれでも彼は元テンプル騎士団特殊部隊の隊長、意地とプライドが妥協を許さないのだろう。読んで、図解を見て、大まかに理解したらしいパヴェルはニヤリと笑いながらこっちに視線を向けた。
「はーん、なかなか面白い事を書いてるなコレ」
「だろ」
「なるほどなるほど、電撃を魔力に変換ねぇ……」
そう、論文に記載されている中で大事なのはそこだ。
通常、魔術は体内の魔力を自分が適性を持つ属性に変換して運用する。俺の場合は魔力を雷、あるいは磁力に変換する事で魔術を発動しているというわけだ。
つまり雷の斬撃やら雷の槍やら電撃やらは、元はといえば変換された俺の魔力そのもの、という事になる。
そこでこの論文の著者は考えたのだろう……【物質や自然現象を逆に魔力に変換し、体内に取り込む事で魔力の緊急補充が可能になるのではないか】と。
あくまでも、この本の中に記されているのは理論だけ。幼少の頃から魔術の勉強をしていたミカエル君ならばこの理論が正しいことは分かるが、しかし実際にやってみない事には分からない。理論だけで全てを語れるわけもなく、実証実験は常に必要になる。
なので実際に電撃を浴び、魔力への変換ができるかどうかをテストしてみたい……それがミカエル君のお願いだったのだが、しかし言い方が拙かったのか、それとも聞き手となったクラリスとパヴェルがヤバい奴らだったのか(多分どっちもだろう)は定かではないが、どこをどう間違ったのか”感電ビリビリえっち”とかいうパワーワードが爆誕する事になったの草生える。
だがもしこの理論が正しい事が実証されれば、適正に恵まれない魔術師でも魔力の緊急補充ができるようになり、少なくとも魔力量だけは優秀な魔術師に並ぶことになる……条件次第では無尽蔵の魔力供給源を得る事も出来る、画期的な発見になるだろう。
まあ、それが適正に恵まれない魔術師、いわゆる”持たざる者”だけの特権ではない事に留意するべきではあるのだが。
「じゃあやるか」
「え」
すっ、と無造作に足元のケーブルを拾い上げるパヴェル。何を思ったかそれを非常発電機に繋げると、ゴム製の被覆で覆われていない銅線の先端部でバチバチと蒼い輝きが踊った。
いや……え、いきなりそんなヤバそうなやつからいくの?
あの、初めてなんでもっと優しいやつでもいいのでは……?
「手、出せ」
「ひぇっ……あうぅ……」
これも実験のため、魔術の発展のため。
いやでも、身体張る必要ある……?
いやいや、ここで逃げちゃダメだ。頑張れミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。男の娘だろうお前は。
息を呑み、「い、いくよ?」と小声で言ってから、意を決してスパークしている銅線を両手でぎゅっと握った。
「ん゛ お゛ ほ ぉ゛ ぅ゛ っ゛ !゛ ?゛」
何だろ、出しちゃいけない声が出たような気がした。
「んー……ちょっと増えたか?」
指先から漏れ出る蒼いスパークを眺めながら、ぼんやりとした感覚を何とか言語化する。
率直に言って、実感がない。確かになんか、いつもと比べると魔力を垂れ流しても余裕ができたというか、疲れにくくなったというか……そんな感じが何となくするのだが、しかしはっきりと増えた、という感じは全くしない。
コレ本当にどうなのだろうか。増えているのか、変わらないのかすらはっきりとせず、何とももどかしい時間だけが過ぎていく。
増えているとしても、実感がないという事は雀の涙程度という事か? それとも俺が魔力変換をミスった? 仮に原因があるとしたら電撃から魔力への変換過程で問題が生じたという事になるわけだが……しかしどこを間違ったというのだろうか。
うーん分からん、難しい。
指先から小さなスパークを生じさせつつ、磁力魔術で空の薬莢を宙に浮かせて周囲を旋回させて遊んでいる(もちろん鍛錬の一環である)うちに、明るい曲調の車内チャイムが鳴り響いた。
《間もなくガラマです。サボイグジェフスク方面、ダリヤンディ方面はお乗り換えです。ガラマの次は”ブルファ”に停車します》
キィィ……とブレーキのかかる音が聞こえてきた。ジョイント音の間隔が段々と長くなっていき、列車が減速を始めている事が分かる。
窓から外を覗いてみると、列車はちょうど橋の上に差し掛かっているところだった。ヴォルガ川の支流……というより、途中で別れて下流で再度合流している流域、通称『ガラマ川』に架かる鉄橋の上だ。
朝の日差しが水面に反射して、ダイヤモンドみたいにキラキラと光っている。水面へ急降下した鳥が大きな魚を足に鷲掴みにして、水飛沫を撒き散らしながら舞い上がっていった。
ノヴォシアの国土は広い。ノヴォシア地方だけで見てもその面積は世界一である。かつてノヴォシア全土の制服を目論み帝政フランシスからはるばるやってきたナポロン将軍も、この広さを前に心を折られたに違いない。あるいはそれでこそ征服のし甲斐がある、と逆に闘争心を燃やしたのだろうか。
まあ、いずれにせよその目論見は徹底的な焦土戦術と苛酷な冬に打ち破られ、大量の凍死者を出しながら母国へ逃げ帰る事になったわけであるが。
ノヴォシアでは、この国土の広さも立派な武器になる。
反対側の線路を、重連運転の特急が通過していった。炭水車には『Новосия Экспресс(ノヴォシア・エクスプレス)』という記載がある。
特急は貴族が特に多く利用する列車で、ガラマはどちらかというと労働者が多く訪れる街だ。だから多分停車せずに通過してきたのだろうな……次の駅であるツォルコフにはさすがに停車するだろうが。
見張り台にいる誘導員の手旗信号に従い、チェルノボーグはレンタルホーム№1へと滑り込んでいった。
工場が多く、労働者の出入りが多いからなのだろう、冒険者の列車の姿はあまり見られなかった(№4のレンタルホームに客車を2両連結した小型蒸気機関車が停車している程度である)。
列車が完全に停車するなり、傍らに置いてある触媒の杖に手を伸ばした。革製のホルダーに収めて腰に提げ、グロック17の収まったホルスターも腰に提げておく。さすがにアサルトライフルやら、そういったガチでやり合うための武器は持って行かない。あくまでも護身用だ。
「参りましょう、ご主人様」
部屋にやってくるなり笑顔でそう言うクラリス。彼女は凛とした顔立ちで黙っていれば清楚、静かに微笑みかけるその優しそうな雰囲気には母性すら感じられるのだが、しかしなんだろうか、鼻に詰められた血まみれのティッシュがその全てを台無しにしている。
どうせアレだろ、さっきの”感電ビリビリえっち”とやらで変な妄想でもして鼻血ブーしたんだろミカエル君は何でも知ってるんだからな。
「いえ、これはフツーに棚に鼻をぶつけてしまいまして……」
「分かったけどナチュラルに心の中を読むな???」
プライバシーもクソもなくなるからやめな?
まったく、と呆れながらホームに降りた。既に自前のパンかごを持参したシスター・イルゼがレンタルホームに立っていて、俺たちの方へと手を振っている。
一緒に階段を上がり、連絡通路を歩いた。ごう、という空気を攪拌する音と共に、通路の窓が真っ黒になる。ああ、真下の線路を列車が通過していったんだな理解しながら窓に視線をやると、薄れていく黒煙の向こうへと去っていく特急列車の後ろ姿が見えた。
クラリスから買い物リストを見せてもらうが、今回はやけにコーヒーの購入量が多い。たぶんカーチャだろう。カーチャは紅茶派ではなく、血盟旅団では数少ないコーヒー派。それもミルクも砂糖も入れず、コーヒー豆本来の風味を楽しむブラックのガチ勢である。ウチのジノヴィおにーたまと仲良くなれそう。
なんかキリウの方からライオン獣人でイケメンなジノヴィおにーたまのくしゃみが聞こえてきたが聞かなかったことにしよう。ウチの顔の良い兄その1はイケメンなのでくしゃみなんかしない……あ、今第二射聞こえた。
階段を降り、改札口で冒険者バッジを駅員に提示した。改札口を通してもらい、駅の正面から外に出る。
「うわぁ」
普通、駅前にはホテルや飲食店といった、列車を利用してその駅までやってきた旅行者向けの施設が揃っているもんである。工業都市と言われたイライナのザリンツィクでもそうだったし、母さんの故郷であるアレーサでもシーフード系を提供する飲食店や宿屋が立ち並び、いかにも旅行者や冒険者大歓迎、といった感じのアットホームな雰囲気で迎え入れてくれたものだが、このガラマはどうだろうか。
右を見ても左を見ても、正面を見ても工場・工場・工場。巨人の槍の如くバチクソにでっかい煙突がこれ見よがしに屹立して、濛々と黒煙を吹き上げている。おかげで空は黒ずんで、スモークのかかったサングラス越しに風景を見ているかのよう。
旅行客お断り、とでも告げているような、そんな印象を受けた。
駅前には一応飲食店らしき店があるが、そこに並んでいるのは汗の染み付いた作業着を見に纏い、石炭や煤で顔が真っ黒になった労働者たち。この辺にある工場の従業員なのだろうが、よほど苛酷な労働を強いられているようで全員もれなく目が死んでいる。
オイオイ大丈夫かコレ……。
この街に観光客がやってくるのも珍しいようで、労働者たちの視線がこっちに向けられる。よく見ると通行人の服も煤で薄汚れていて、小綺麗な服装で外を歩いているのは俺たちだけだ。
おーう、これじゃあ余所者だってまるわかりじゃあないか。
まあいい、とっとと買い物を済ませよう。それから仕事を探して収入を得ないと。
結局金だ。金がなきゃ何も始まらない。
おまけ
ジノヴィ「びゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっくしょぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁいッ!?!?!?」
完




