机上の空論
「っ!!」
目を見開きながら、銃剣付きの88式自動歩槍を突き出した。
着剣装置を改造、中国製のアサルトライフル(56式自動歩槍を改造、5.56mm弾仕様とした輸出モデルだ)に日本軍の三十年式銃剣を装着したそれは、しかし標的としたパヴェルの肉体を刺し穿つ事は無かった。ガッ、と銃身を発生源とする下からの振動を感じたかと思った頃には、短刀を思わせる三十年式銃剣の切っ先はものの見事に上へと逸れてしまう。
あっ死んだ、と己の死を悟るよりも先に、ひんやりと冷たく、少しでも動けば首が斬れてしまいそうなほど鋭い刃が喉元に突き付けられる。
もしこれが実戦だったならば、己の身に何が起こったかすら悟る事もなく動脈をバッサリと切り裂かれ、そのまま出血を止める事も叶わずこの世を去っていたに違いない。
「……参った」
「攻撃前に力み過ぎだ。もう少し余分な力を抜け」
「了解」
これで本日57回目の戦死判定だ。
参ったね、と唇を噛み締めながら肩をすくめる。
今日の訓練は白兵戦の訓練だ。手の空いた団員……まあ俺と範三なのだが、パヴェルに稽古をつけてもらっている。
白兵戦の得物は何でも良い。ナイフでも自作の棍棒でも、刀でもメイスでも何でも良い。腕に自信があるならば徒手空拳でも良い―――とにかく至近距離まで迫った敵を殺せればそれで良い、それが白兵戦である。
第一次世界大戦の頃は頻発し、第二次世界大戦でもそれなりに発生した白兵戦であるが、現代の戦闘ではほとんど発生する事はない……かもしれない、たぶん。
とはいえ重要度が低下したからといって全く訓練しないというわけにもいかない。格闘戦は全てにおいて基本となるし、こっちの世界では接近戦になるケースも多いのだ。基礎が出来ていなければ応用も出来ない。土台はしっかりと作っておいてしかるべきであろう。
そういうわけで、パヴェルを相手に俺は88式自動歩槍に三十年式銃剣を装着したもので挑んだ。扱いに慣れたAK系列の小銃である事、そして少し長めの三十年式銃剣であればミカエル君とパヴェルの体格差から来るリーチの差を埋めてくれるのではないかと期待してこの装備にしたわけだが、しかしその程度の工夫で百戦錬磨の特殊部隊指揮官をぶっ倒せれば苦労しない。
今回なんか模擬戦開始から5秒でこれである。
こっちが銃剣付きのAKライフルなのに対し、向こうはたった1本のカランビットナイフだけだ。
カランビットナイフ―――猛獣の爪、あるいは鎌を思わせる形状の独特なナイフである。凄まじい切れ味を誇り、グリップにあるリングに指を通す事で瞬時に構え方を変えたり、トリッキーな動きで斬りつけたりと様々な使い方ができるが、しかしその扱いは困難を極める。
だがパヴェルの場合はそうじゃないようだった。長年使い込んでいるのだろう、カランビットナイフを手足のように扱っている。
秒殺されて落胆しながら、範三とバトンタッチした。
「ようし、今度こそ某が勝つ」
「はっはっは、面白い。勝てたら今夜はステーキ定食だ」
「じゅる……ふふふ、パヴェル殿。男に二言は無いぞ?」
「ああ、いいよ。勝てたらな」
そう言いながらナイフをくるりと回して構え、踵を浮かせるパヴェル。
それに対する範三の得物はというと、三十年式銃剣を着剣した九九式小銃という、背景に旭日旗が見えてきそうな日本軍装備だった。範三曰く「なんだか手に馴染む」そうだが、アレじゃないかな……武士道と大和魂が化学反応起こしてない? 混ぜるな危険。
着剣した九九式小銃を腰の高さに構え、切っ先をパヴェルに乗せたままそっと腰を落とす範三。先ほどまでの笑顔を見せていた彼から一転、獲物を眼前に捉えた猟犬のような目つきに変わっていくのを見て、背筋にゾッとした感触が走った。
こっちに向けられたものではない殺気。あんな威圧感を向けられたら、並みの使い手ではその時点で心が折れるだろう。だが、パヴェルはどうだろうか。顔色一つ変えず、それどころか今度の相手は楽しめそうだと言わんばかりにナイフを構え、そっと踵を浮かせ腰を落とす。
先に動いたのは範三だった。ドパンッ、と破裂するような音を発しながら前に出る。今のは思い切り床を蹴った音なのだろうが、少なくとも普通の人間に出せる音ではない。
「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!!」
独特な猿叫を轟かせ、前に出る勢いを乗せて銃剣を突き出す範三。パヴェルはその直線的な攻撃を見切っていたようで、右半身を後ろに下げて紙一重で刺突を回避する。
俺の時のように片手で攻撃を受け流すような事はしない―――さすがのパヴェルも攻撃を弾いたり、受け流す余裕はなかったという事か。範三相手に手を抜く筈もない、パヴェルもそれなりに本気を出している筈だ。
最初の一撃が空振りに終わっても範三はめげない。そのまま銃剣を右へと翻して薙ぎ払うが、しかし首の高さに合わせて薙いだその一撃はパヴェルの首を刎ねるよりも先にカランビットナイフで止められたようで、甲高い金属音が響いた。
さて、みなさんお気付きかもしれないが、今あの2人が訓練で使っているナイフと銃剣は紛れもない本物である。訓練用の刃がついていない紛い物ではない、本物だ。だから斬れば普通に斬れるし、刺せば普通に刺さる。
何でこんな危ない訓練をやっているのかと言うと、パヴェル曰く『テンプル騎士団式だ』との事だ。どうも彼が現役のテンプル騎士団兵士だった頃、訓練は常に本物を使用していたらしい(その方がより実践に近い緊張感と感触を体験できるから、という理由なのだそうだ)。
実際、訓練用のナイフを実戦用のものに持ち替えた時に「これが本物か」というギャップを感じる事はある。そこから連想ゲーム的に「ああ、俺はこれから人を殺すのだ」と考えてしまい、士気の面で悪影響を生じさせてしまう。
だから訓練段階から本物に慣れさせ、本番への免疫をつけさせるのだ。それが本物の武器を訓練で使う理由であるという。
ギャリッ、と銃剣の刃のところにナイフを滑らせながら前に出るパヴェル。獲物を狩る獣のような動きに意表を突かれ、範三の対応が遅れた。
結局のところ、ライフルに装着された銃剣は槍のようにして扱うのが基本だ。なので昔のボルトアクションライフルなんかは接近戦の際に槍の要領で使われた(実際、第一次世界大戦までの頃の銃剣は騎兵をぶっ刺す事を想定し刀身が長いものが多い)。
白兵戦におけるリーチはあるが、しかし距離を詰められればそれも関係なくなる。
そのまま範三の喉元目掛けてナイフを振るうパヴェル。だが、範三も黙ってやられる相手ではない。咄嗟にライフルのストックを鈍器のように突き出してパヴェルの前進を阻むや、その隙に距離を取って再び銃剣の切っ先をパヴェルへと向けた。
一進一退の攻防……のように見えるが、しかし両者の様子を見ればどっちが優勢なのかは一目瞭然だ。
涼しい顔をしているパヴェルに対し、範三の方はすこし息が上がっている。疲労ではない、一歩間違えれば首を持っていかれていたという現実がそのままプレッシャーになっているのだ。
数秒間の睨み合いの後、またしても範三が先に仕掛けた。
彼の雄叫びが訓練場の中に響き―――そして背負い投げからの戦死判定という確殺コンボを喰らう事になったのは、その1分後の事だった。
「いやーエグいわアレ」
「全くでござる、勝てる気がせん」
クラリスの膝の上でケモミミを吸われながら魔術の論文を読む俺と、しゃもじから以前に貰った満鉄刀を打ち粉(よく刀をポンポンしてるアレだ)で手入れする範三。どちらも本日パヴェル氏より戦死判定を65回も頂き、結果として66回目のコンティニューをエンジョイ中である。
「ねえミカ、これの続きないの?」
「今度買っておく」
「こらモニカさん、お菓子を食べながらマンガを読むなんて行儀が悪いですよ」
「ふぇーい」
「あれ、コーヒー豆切れてる……」
「じゃあ中華茶飲むネ!」
部屋が随分と手狭に思えるのは、きっと気のせいではないだろう。
血盟旅団の客車にある部屋は2人部屋。車体のサイズそのものが日本の鉄道のものよりも遥かに大きい(同規格の格納庫には戦車がすっぽり収まるほどだ)ので、日本の寝台列車と比較するとスペースにはかなり余裕がある。しかしそれでも家具やら二段ベッドやらがあるので人数が増えると窮屈になるのは当たり前である。
そんなクッソ手狭な部屋の中に7人も集まってくつろぎ出せば手狭……いやちょ、待っ……これ狭……ひゃん!? 誰だ今お尻触ったの!?
「ギュボボボボボボボ」
「掃除機かな???」
なんだろ、ジャコウネコ吸いしてるクラリスの鼻からしちゃいけない音がしてるんだけど……何この人、掃除機? バキュームカーの擬人化か何か?
「いやー、しかし似ている」
「何が?」
打ち粉で刀をポンポンしていた範三がポツリと言った。
「いや、パヴェル殿の事だ……ミカエル殿、以前に倭国で某が”手も足も出なかった”と言った剣士の話をしたであろう?」
「うん、した」
「ギュボボ」
クラリス、吸う音で返事をするんじゃない。
「その剣士に似ているのだ」
「似てるって、戦い方が?」
「それもそうだが、その……顔とか雰囲気が」
「何だそれ」
倭国にパヴェルのそっくりさんがいるって事か?
え、量産型パヴェル? やめて何それ怖い。
「うむ……その剣士の名は”速河力也”と申すのだがな」
『ブフォッ!?』
剣士の名を告げた途端、部屋の外から何かを吹き出す音が聞こえてきた。
何だ何だと視線をドアにある窓に向けてみると、たまたま廊下を歩いていたと思われる一般通過パヴェル氏が口に含んだタンプルソーダ(飲酒してないのえらい)を盛大に吹き出して、廊下の一角をびっしょびしょにしているところだった。
「ちょっと、何吹き出してるの? 今の笑うとこ?」
ガラッ、とドアを開けてそう言いながら、これで拭きなさいと雑巾を差し出すカーチャ。ゲホゲホと咳き込みながらそれを受け取ったパヴェルは何故か、これ以上ないほど気まずそうな顔をしながら床を綺麗に拭き、そのままどこかへと立ち去った。
「あ、ちょっとパヴェル? コーヒー豆切れてるんだけど? ……聞いてないわねアレ」
「ガラマに到着したら補充しよう」
紅茶過激派のパヴェルもさすがにコーヒーの排斥は本意ではない筈だ。冒険者ギルドは団結が命、つまらん事でチームに軋轢を生むような真似は厳に慎まなければならない。それを考慮すると今のところ仲間とみんなで仲良くやってるウチはかなーりマシな方なのだろう。仲間割れを起こしギルドが分裂または解体、最悪の場合はそのまま内紛に……という事例は後を絶たないからだ。
俺もそういうの気をつけよう。仲間の個性は尊重すべし。
肝に銘じながら魔術の論文を読み進めていると、マンガを読むのに飽きたのか、肉球をぷにぷにし始めたモニカがミカエル君の方の上に顎を乗せ、論文を覗き込み始めた。
「うわ、アンタ難しいの読んでるわね」
「うん、すっげえ難しいコレ」
以前に恒久汚染地域で拾ってきた魔術の論文だ。大まかに内容を説明すると、『魔術の適正に恵まれなくても、魔力の効率的な運用や他の魔術との組み合わせ次第では高適正の魔術師にも匹敵する実力を発揮できるかもしれない』というもので、まさに俺みたいなパッとしない適性のヘタレ魔術師に向けた論文である。
まあ、今読んでいる部分でも『魔力の一点集中』とか『極力魔力損失の小さい触媒を使う』といったミカエル君でもやっている事が書かれていて、コレはちょっとハズレなんじゃないかなー……と思いつつあるのだが。
しかし学びがゼロだったと言えばそうでもない。今まさに読んでいる項目に、興味深い一文がある。
―――【外部からの魔力補給について】。
さて、ここで魔力がどこで生み出されるかという話になるわけだが、この世界の人類は自分の魔力を心臓で生成している。魔力生成に特化した異世界人類特有の臓器があるわけではなく、心臓で血液を送り出すついでに魔力も精製、共に全身へと供給しているのだ。
なので魔力の枯渇が深刻化した際の症状に脈の乱れだとか動悸といった症状が含まれているのである。
そして生成できる魔力の量は、これも生まれつき持っている適正と連動して概ね決まる。適性が高ければ高いほどそれに見合う魔力を体内に持ち、低ければ低いほど魔力の量も少なくなる……といった感じだ。
ごく稀に『適性は高いのに魔力は低い』とか、逆に『適性は低いのに魔力量は膨大』といった適正と魔力量の不一致が起こる事があるのだが、そういう魔術師の事は【クロスドミナンス】と呼ばれる。
ちなみにミカエル君はクロスドミナンス……というわけではなく、身の丈に合った魔力量となっている。そんな都合の良い事など無いのだ。
しかし―――この論文の記載が正しいのならば。
適性の方は何ともならないが、魔力量の方は何とかなるかもしれない。
鼻で笑われるかもしれないが、実践してみる価値はありそうだ。
前回の話と今回の話で温度差凄くて作者ヒートショック起こしそう。




