反転攻勢
『ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは矮小で、臆病で、弱い英雄だった』
『故に強く在ろうとし、大きな意志を小さな身体に宿した。そうしてミカエルは本当の英雄になったのだ』
ダニール・チャバネンコ著『小さな英雄の話』より抜粋
1889年 5月15日
ノヴォシア帝国 南西部 ガラマ郊外
旧ヴァイヌイ化学工場 廃墟
5.56mm弾の反動には、もう慣れた。
アイアンサイトの向こう側で、自分の放った弾丸が相手を直撃する光景を目にするのにも、もう慣れた。
円形のフロントサイトの向こう側、地下へと続く入り口を守らんと撃ち返してくる黒騎士のバイザーに、5.56mm弾が飛び込んだ。ガギュゥンッ、と甲高い音を響かせて、格子状のバイザーの隙間へと飛び込んだ弾丸が破壊の限りを尽くす。
バイザーの奥で、さながら鬼火のように揺らめいていた紅い光が砕け散る。それと同時に黒騎士の身体から力が抜け、そのままうつ伏せに崩れ落ちていった。
テンプル騎士団が保有する黒騎士は脅威だ。奴らが出現すると天候が変わり、周囲には雪が舞い散り始める。出現の予兆が分かるのはありがたいが、しかしその戦闘力は帝国騎士団の精鋭部隊と遜色ないか、あるいは手玉にとる程だと言わざるを得ない。
しかし弱点もある。頭部にあるバイザーで防護された部位―――あの奥が制御ユニットだかなんだかわからんが、まあ大事なものが詰まっているらしい。そこを何でも良いからぶち込んで破壊してやると、あの通り糸の切れた人形みたいに動かなくなる。
今しがたヘッドショットを受けて動かなくなった黒騎士が、とりあえずはここを守る最後の敵だったらしい。抵抗勢力を完全に排除した事を確認して遮蔽物の陰を飛び出し、地下へと続く階段をゆっくりと降りていった。
後続のモニカもセトメ・アメリを抱えて後をついてくる。
息を吐き、高鳴る心臓の鼓動を押さえながら階段を降りた。こういう薄暗く、視界の悪い場所はブービートラップを仕掛けるのに絶好の場所だ。クレイモアでもSマインでも、とにかく不審なワイヤーの類があったら触らない事だ……天使を見てみたい、あるいは閻魔様に用事があるというならば話は別だが。
「ヒュッ」
案の定、L字に曲がった階段の踊り場から少し降りたところに不審なワイヤーがあった。見てみると円筒状の缶詰みたいな形状の物体から壁際へとワイヤーが伸びている。
おそらくだが、昔のドイツで運用されていた対人地雷の類だろう。”Sマイン”に類似しているが、それを参考にテンプル騎士団が改良を重ねたものだと思われる。
従来の対人地雷は地面に設置され、あるいは埋設されて踏んだ人間に対し牙を剥く。上面180度が加害範囲となるわけだが、Sマインは違う。
炸薬、あるいはバネの力でその場からジャンプして、360度全方位に爆風と破片、それから小型のベアリングをばら撒いて周囲の兵士を殺傷するのだ。加害範囲が広く、敵に少しでも手傷を負わせるという意味では極悪極まりない兵器である。
こんな閉鎖空間でそんなものが動作したらひとたまりもない。逃げ場がないので、俺たちにできるのは少しでも苦しまずに楽に死ねるよう祈る事だけだ。
この工場が稼働していた頃は、地下にある広間は製品の倉庫に使っていたのだろう。金属製の棚にずらりと化学薬品が保管されている光景が目に浮かぶが、しかし今となってはここはテンプル騎士団の拠点であり、忌むべき科学技術の隠匿先となっている。
地下空間の扉を蹴破り、広間の中を見渡して息を呑んだ。
「……やっぱりか」
「ひどい……」
銃剣付きのライフルを下ろし、唇を噛み締めた。
学校の体育館くらいの広さがある、コンクリートで覆われた地下の広間。かつては倉庫として使っていたであろうそこには、あの時見た機械が―――リジーナの一件で目にした、あの賢者の石の製造装置が所狭しと並んでいる。
装置の中には既に、溶けかけの人間が収まっていた。肉体の大半が融解してもなお息がある者、完全に白骨化してしまった者、すっかり融解し紅い液体と化している者……思わず目を覆いたくなる。あるいは、メインアームとして持ってきた”88式自動歩槍”のフルオート射撃をぶちまけてやりたくなる。
案の定、テンプル騎士団はここでも同じことをやっていた。
どこから連れて来た人間たちなのか、あるいはどんな身分の人間たちなのかは分からない。もしかしたら機械人間を人間社会に紛れ込ませるため、邪魔になる本物を連れ去ってこんな事をしているのかもしれないが、そんな事はどうでもいい。
これ以上こんな事をさせるわけにはいかない。
《やっぱりか》
「……パヴェル、どうする」
《作戦計画に変更はない。予定通り賢者の石を回収、あとはC4爆弾を設置して離脱しろ》
「まだ息がある奴がいるが」
《……ミカ、ありゃあ生きてるって言うのかい》
俺たちが目にしている光景は、チェストリグに装着したカメラを介してパヴェルも見ている。きっと今頃、列車にある彼の部屋、そこに設置されたPCに映像と音声が転送されているのだろう。
人間を材料にした、人工タイプの賢者の石。
その原材料として用意したのだろう、獣人たちが詰め込まれた檻がある。
まるでサーカスの舞台裏、火の輪潜りとか、そういう曲芸をやらせるために連れてきた猛獣が押し込められているような、そういう檻だ。少なくとも囚人たちが収監されている牢屋のような、あんな上等なものではない。
子供ですら身を曲げなければ収まらないようなサイズの檻に、大人の男女が身を屈めた状態で押し込まれている。
そしてその中に、正気を保っている者は誰もいない。
例の『紅い薬』の犠牲者なのか、それとも他の実験に使われていた被験者たちなのかは定かではない。白目を剥いたまま泡を吹いて微動だにしない者、生きたまま解剖され放置されていると思われる、腹が大きく裂けた者、そして一体何があったのか、人体が不自然なほど膨張し、ありえない部位から人間の手足を生やした異形。
生きているのか、死んでいるのか、確かに判別がつきにくい者ばかりがそこに居た。
ただ確かな事は、あそこにいる人々は残りカスなのだ、という事だ。テンプル騎士団の実験に用いられ用済みになったか、あるいはリジーナや他の被害者のように搾取するだけ搾取され、用済みになった人々―――人間としての尊厳もクソもない、全てを踏み躙る外道の所業がそこにあった。
《生かして連れ帰るだけが優しさじゃねえ。覚えとけ、ミカ。時には介錯してやるのも優しさたり得るってもんだ》
「……こんな事を俺にやらせるとは」
《それは申し訳ないと思ってる》
「……了解、作戦通りにやる」
背中に背負ったバックパック―――ノンナがハクビシンを模して作ってくれた大きなバックパックの中から、持ってきたC4爆弾を取り出した。レンガみたいな形状のそれに信管をセットして、破壊目標である製造装置と、それから檻の中で不可解な呻き声や狂った笑い声をあげる人々のところに爆弾を設置していく。
感情を押し殺し、淡々と爆弾を設置していた俺の手を、檻の中から伸びてきた手が掴んだ。
爪は伸びきり、皮膚には垢が付着した異臭を発する手。それの持ち主は身体が達磨みたいに膨張し、背中から小さな手を何本も生やした、男なのか女なのかも分からない獣人だった。
掠れ切った声で『забей мяне(殺してくれ)』と繰り返している。訛りから察するにベラシア語のようだ……。
そこで我慢できなくなり、俺を掴んだ手をそっと握り返した。
「ごめん……なさい……」
助けてあげられなくてごめんなさい。
こうする事しかできない……今の俺たちには、貴方たちをここで殺してあげる事しか、苦痛から解放してあげる手段がない。
リジーナのように、中毒症状の初期段階であればまだ救いようはあった。シスター・イルゼに薬を用意してもらい、それを服用して徐々にリハビリしていけば元通りの生活を送れるのだ。
けれども、”紅い薬”の過剰投与で肉体が変形・膨張した終末段階ともなればもう手遅れだ。どれだけ治療薬を投与しても苦痛は消えず、仮に何らかの手段で苦痛を克服したとしても、その姿で生活していくのは難しいだろう。
「なるべく、苦しくないようにするから……っ」
そっと手を離した。
イライナ訛りのある俺の言葉が、ベラシア語で育ってきたであろう彼らに伝わったかどうかは分からない。
けれども血涙を流し、白濁していたその瞳に少しばかり安らぎが宿ったような気がして、それが尚の事辛く、哀しかった。
こんな事が救いであっていい筈がない。
死は救いなどではないのだ。死とは生命の可能性を摘み取ってしまう、最も忌むべき結末なのだ。しかし人間は絶望し、全ての希望を摘み取られると死に行き着く。この苦痛を終わらせることこそが希望である、と錯覚して。
けれどもそれ以外に、彼等を苦痛から解放してあげる手段がないのもまた事実だった。
「ミカ……」
「……行こう、モニカ」
C4の設置を終え、既に完成していた賢者の石の回収も済ませて心配そうにこっちを見る彼女を連れ、地下倉庫を後にした。
犠牲者たちの呻き声がすっかり消え失せる。
さっき仕掛けてあった地雷のワイヤーの上を飛び越え、地上へと駆け上がっていくところで、瞳から頬を伝う熱い雫の存在にやっと気付いた。
テンプル騎士団―――奴らには、人の心が無いのか。
階段を駆け上がり、倒壊に巻き込まれる心配がなくなったところで、ポケットからスマホを取り出した。
血盟旅団のC4爆弾は特殊で、パヴェルが自作したあの信管をセットする事で、スマホから起爆の操作を行う事が出来るようになっている。電話の連絡先の中から起爆用の電話番号を選択してタップ、通話開始と表示されているアイコンをタップ……する前に、祈った。
―――どうか、安らかに。
アイコンをタップした。
ズズン、と腹の奥底を揺るがすような重苦しい炸裂音がここにまで響いてきた。
地下に設置されたC4爆弾が一斉に起爆したのだ。あんな閉鎖空間で、合計20個ものC4爆弾を一挙に起爆されたのだからたまったものではあるまい。中にあった製造装置は破壊され、材料として消費されるばかりだった被害者たちも一瞬で木っ端微塵になったに違いない。
ゴゴゴ、と重々しい音を響かせて、化学薬品工場の建物が倒壊を始める。元々老朽化が著しい建物だったから、この程度の衝撃でも倒壊のリスクは常にあった(むしろ突入時の戦闘でよく崩れずにいたものである)。
「モニカ、発煙筒を」
「ええ」
バックパックから発煙筒を取り出し、かつては駐車場であったであろう場所へ放り投げるモニカ。紅い光と煙が立ち上り、遠くにいる仲間たちに作戦の完了と回収地点を声高に告げ始める。
バババ、とヘリのローターの音が聴こえてきた。
遠雷の音を背に、1機のリトルバードが降下してくる。ブラウンとオリーブドラブの迷彩塗装が施された、血盟旅団の機体だった。
パヴェルの操縦と比較すると些か乱暴に降り立ったそれに乗り込む。モニカはキャビンに乗り込んでドアガンをスタンバイし、俺は助手席に乗ってシートベルトを締めた。
「お疲れ様です、ご主人様」
「……帰ろう」
「……ええ」
お辛いでしょうに、と言いながら、クラリスはヘリを飛ばした。
倒壊した廃墟がどんどん小さくなっていく。
旧世代の遺物―――そして、被害者たちの墓標。
願わくば、犠牲になった人々の魂が少しでも安らかに眠ってくれますように。
「……任務、ご苦労だった」
「……ああ」
パヴェルから報酬を受け取り、その代わりに工場で回収した賢者の石の入ったケースを彼の机の上に置いた。
人工型の賢者の石は人間を材料とする。生きた人間1人で1個、そしてあのリジーナを、そして多くの人々を薬物中毒に追いやっている紅い薬はその副産物でしかないのだ。
彼はケースの中身を検めた。中には握り拳程度のサイズからバスケットボールくらいの大きさまで、さまざまな大きさの賢者の石が収まっている。
「辛い思いをさせてすまないな」
「いいって」
労いの言葉にそう返す。
他に言葉が思い浮かばなかった。彼の優しさをそのまま受け取ってしまったら、涙があふれてしまいそうだった。
「で、それはどうする? 供養でもするのか?」
「いや、資材として有効活用させてもらう」
「アンタ正気?」
声を挙げながら詰め寄ったのはモニカだった。
「これ、人間が材料だったんでしょ?」
「そうだ」
「じゃあ―――」
「どうしろってんだ。供養しろってか」
「それは……」
「お前も分かってるとは思うが、テンプル騎士団に対する反転攻勢は既に始まっている。旅をしながら、道中にあるテンプル騎士団絡みの拠点を虱潰しにぶっ潰して連中を弱体化させるんだ。そのためには資材がいる。兵器の補修をするのにも、売って金にするのにもだ」
「でも……」
「モニカ、分かってくれ」
認めたくはないし、受け入れたくはない。
けれどもそうしなければ、テンプル騎士団との戦闘には勝てない。
「調理済みのハムが元の豚に戻ると思うか?」
「……」
「そういう事だ。賢者の石にされた人間も、もう二度と元には戻らない。犠牲者には申し訳ないが、有効活用させてもらうしかない。ミカもそれでいいな?」
「……ああ」
「……話は以上だ。辛かっただろう、戻って休め」
そうするよ、と言い残し、モニカを連れて彼の部屋を後にした。
結局のところ、戦争という極限状態ではまともな人から壊れていくんだ。
俺もモニカも、そして他の仲間たちも―――あまりにもまとも過ぎたのかもしれない。




