ジャコウネコだってコタツで丸くなりたい
「うっっっっっっま!!」
安心安定のモニカの魂の叫び。最近、飯の時間に生まれて初めて口にする食べ物が出てくると毎回発しているような気がする。異世界人が生まれて初めて口にする食べ物で未知の美味しさを体感している姿は大変微笑ましく、見ているこっちもなんだか胃袋が満たされる感覚を覚えるのだが、そろそろモニカの声帯が心配になってくる。女子が発していい声じゃないと思うのは気のせいか。
というわけで、今日の夕飯はパヴェル特製の豚骨ラーメン。白っぽいスープには脂が浮かび、最初はモニカも「え、こんな脂っぽいの食べれるの?」みたいな顔をしていたのだが、一口麵を啜っただけでアレである。最近では我がギルドの風物詩として定着しつつあるモニカの叫び、バリエーション豊富で聴いてるこっちも楽しい。のだが、声帯が不安になるのよマジで。
喉にポリープ出来ても知らんぞと思いながら、クッソ分厚いチャーシューを口の中へ。うーん、この満足感よ……適度に柔らかく、しかし肉としての質感も維持していて、それでいて味が隅々まで染み渡ったチャーシュー。この幸せのためなら365日くらい戦える。
もしかしてと思って、ちらりと隣のクラリスの方を見た。
「パヴェルさん、おかわりは……?」
「へいおまち」
案の定、クラリスの目の前にあるどんぶりはすっからかん。さっきまでめっちゃ湯気を発していた豚骨ラーメンはスープまで姿を消していて……オイちょっと待て、あの熱さのラーメンを早食いしたら喉が、喉が!
マジでノーダメージなのか、何事もなかったかのようにおかわりの入ったどんぶりを受け取るクラリス。湯気でメガネを曇らせながら麺を啜る彼女から一旦視線を逸らし、俺も麺を啜った。
細めの麺にはしっかりとしたコシがあり、スープの香りの中に麺の風味も生きている。毎回思うんだが、パヴェルの奴冒険者じゃなくてラーメン屋でも開いた方が金になるんじゃなかろうか。極寒のノヴォシアでは温かいスープ料理が人気なので、ラーメンも大人気になりそうだ。
後でビジネスの一環として提案してみようかなと思いながら視線をクラリスの方に戻すと、やっぱり彼女の分のどんぶりはもうすっからかん。視線を外していたのは僅か2秒ほど。たった2秒の間に大盛りの豚骨ラーメン(しかも出来たてアツアツのやつである)を完食するってどんな裏技を使ったのだろうか。いつかカメラに収めてみたいものである。
「というかさ、パヴェル」
「あん?」
自分の分のラーメンをカウンターの向こうで啜っていたパヴェルに問いかける。
「食料、大丈夫なのか? 毎日大盤振る舞いみたいだけど」
何度も言うが、冬のノヴォシア帝国ではあらゆる物流がストップする。前世の世界では考えられないレベルの積雪で除雪作業が追い付かず、道も線路も雪で完全に閉ざされてしまうためだ。
こっちの世界で17年生きてきた俺から言わせてもらうと、北海道の雪がかわいく思えるレベルである。いや、北海道から見れば岩手の雪なんて無いようなもんかもしれないが、そんな感じだ。
だからノヴォシアの家庭の玄関は二重になっているのが当たり前。中には三重になっている変な玄関もある。五重になってる玄関を見た時はさすがにギャグだと思いたかったが。
そんなレベルの極寒地獄なので、冬になれば食料の調達も容易ではなくなる。遠方から商人がやって来なくなり、列車も止まるから、店頭に並ぶ食料も11月中旬には完全に姿を消す。だから年が明けて雪解けの季節になるまでは、短い秋の内に買い込んだ食料や保存食で何とか生活しなければならない。
こんな感じに、チーズバーガーやらラーメンやら毎日食べている余裕は無いのではないか。ちょっとそれが心配になったので質問したのだが、パヴェルはあまり気にしていないようだった。
「大丈夫、備蓄はまだある。食料の消費はちゃんと計画してるし、隙を見て食料調達に行ったりしてるから」
「え、マジ?」
「ああ。知ってるか、ザリンツィクの南方居住区にあるスーパーは14時からタイムセールをやってる。何と全食品2割引きになるんだ」
「お前それに行ってきたのか」
「元特殊部隊なめんな」
麺を啜りながらちょっと想像してみる。タイムセールに殺到するおばちゃんたちの群れ。荒波の如きそれに全力で抗い突破口を見出す元特殊部隊員……なんだそれ。
タイムセールで商品の奪い合いをするノヴォシアのおばちゃんたちはブチギレしたバッファロー並みの獰猛さだと言われている。彼女たちも家計を支えるために必死なのだ。
それをどこかの軍隊で磨いた技で強引に突破するパヴェル氏。技能の無駄遣いというか、何というか。
「大人げないな!?」
「俺は男女平等主義者だからな。相手が男だろうと女だろうと全力で行く、手加減はしない」
「正しい男女平等の例を見た」
「相手が女だからと手を抜くのは相手に失礼。全力で殺るのが戦場の紳士というもの」
やだ、素敵。抱いて……いや、やっぱやめて。
麺を啜り終え、スープを飲み干す。ちょっとしょっぱい気もするが、多少味が濃い方が食べ応えがある。特にこってり系のラーメンは濃い目の味付けが丁度いいのだ。ミカちゃんはそう思う。
「ごちそうさまでした」
「はいよ。飯食ったらとっととシャワー浴びちまいな」
「へーい」
さて、明日も多分仕事があるだろうし……今日は早めにシャワー済ませて寝よう。
早寝早起き、これ大事。睡眠時間を削って夜遅くまでオンラインゲームに興じてる若人諸君も気を付けるように……あ、でも週末は許す。金曜日の夜とか楽しみだよね。
俺も夜食スタンバイして夜遅くまでFPSやり込んだわ。深夜になると相手のプレイヤーのレベルが上がる法則、みんな結局夜行性なのよ……。
何度ヘッドショット貰って煽られたか―――あーやだやだ、とっととシャワー浴びて来よう。
冬と言えばみんなは何を思い浮かべるだろうか?
雪? 雪だるま? クリスマス?
まあ、何でもいい。
二段ベッドとテーブルが置かれた2人用の寝室。多少はゆったりしている部屋の中に、前世の世界で見慣れた―――しかしこっちの世界ではそう言えば一度も目にした事の無い代物が置かれていて、ああ、冬だなって実感せずにはいられなくなる。
お茶の間の英雄―――コタツである。
そう、アレだ。ドチャクソあったかいアレだ。一度入り込むと二度と外に出られなくなる、異世界のダンジョンもびっくりな魔境。一度その快楽を身体が覚えてしまえば、もう二度と消えることは無い。幻肢痛の如く、いつまでもいつまでも(寒い時期限定で)身体を苛み続ける……。
とまあ中二病全開の表現をしてみたが、デデンと寝室のど真ん中にコタツが置かれていただけの話だ。ああ、冬ですねぇ。
「コタツじゃん」
「俺が作った」
やってやりましたよと言わんばかりの得意気な顔で、後ろで見ていたパヴェルが胸を張りながら言った。
「作った」
「こないだ使ったバンを分解して、使えそうな部品を流用しやした。足りないものはその辺のスクラップの山から拾ってきたり、買ったりして組み立てやしたー」
「おー!」
「ちなみに動力は空気中の魔力を使ってるので実質無限です」
「おー!」
電気代を気にしなくていいコタツとか最強か? 気持ち良いし環境にも優しいし言う事無しじゃないかコレ。環境保護団体もニッコリなパヴェルクオリティ、さすがである。
というわけで早速、ミカエル君とクラリスの部屋に置かれたコタツにはクラリスが入っており、反対側ではモニカが丸くなっていた。白猫の獣人がコタツで丸くなってるんだが?
「あ、ご主人様。これすごく暖かくて気持ちいいですよー」
「はー……最高……貴族辞めてよかった」
貴族辞めてよかったは強すぎる。
「んじゃ、俺は機関車の修理があるんでごゆっくり」
「まだ修理あるのか」
「まーた蒸気配管に穴が。道理で圧力が上がりにくいと思ったら……」
た、大変だなアイツ……というか何でこんな不具合連発の蒸気機関車を採用したんだパヴェルは。自分の改造で改善できると思っていたのか、それともロマンを優先したのか。
でもまあ、デカい機械ががっちゃんがっちゃん動くのは男のロマンだからね、それは仕方ない。メカが嫌いな男なんていない筈だ、たぶん。
というわけで俺もコタツにお邪魔する事に。その前にコタツに入りながら読む漫画を何冊か本棚から拝借して、両足をそっとコタツに突っ込んだ。
あー、コレだよコレ……一度入ったら二度と出たく無くなるやつ。トイレに行くのも億劫になるレベルの温かさ。容赦なく人間を冷凍保存しようとしてくるノヴォシアの冬に立ち向かうには欠かせない逸品である。
「ご主人様、みかんの皮を剥きましたわ」
「ああ、ありがと―――」
「はい、あーん」
「え゛」
そのまま渡してくれるのかと思いきや、一つずつ食べさせようとしてくれるクラリス。ちょっと待って、何? 何なの君? 今までこんなことあったっけ?
親密度上がってる? これクラリスルート入っちゃった? 分岐点過ぎた? ん? ん???
「あーん♪」
「……あ、あーん」
ぱくり、とみかんを食べさせてもらうミカエル君。クラリスは狙ってるのか、それとも別に意識していないのか。もしかして男女でこんな事をするのに特別な意味があるってご存じない? これもうあれよ、付き合ってるカップルがやるようなあれよ? 童貞にはまさに夢物語なあれよ?
コラそこ、飼育員がハクビシンに餌付けしてるとか言うな。確かにサイズ差の関係でそんな感じにも見えるけど……餌付けか……。
「おいしいですか?」
「うん」
「それではもう一つ♪」
「あーん」
なにこれ。
とりあえずみかんは美味しい。ハクビシンの獣人として転生してからフルーツがより一層美味しく感じるようになった。これはたぶんハクビシンの好物が反映されてるんだと思う。まあ、転生する前からミカエル君甘党ですけどね。いちごパフェとか見ると笑顔になっちゃう系男子なのでその辺よろしく。
そんなノリでみかん1つ分丸々餌付けされてから、ごろりと横になって漫画を開いた。昨日どの辺まで読んだっけ……くそ、栞でも挟んでおけば良かった。
「あ゛ぁ~……ミカミカぁ」
「んー」
「これの新刊取ってー」
「お前の方が本棚に近いだろ」
「無理ぃー……こんなん逃げられるわけないにゃん……」
語尾。
とりあえず、こちとらコタツの出入りには慣れた元岩手県民。この温もりとの束の間の別れなど何度も経験してきた事。スッとコタツから出て本棚へと向かい、モニカが読んでいた漫画の新刊を彼女の傍らに置いて定位置へ帰還。
猫がコタツで丸くなるようにね、ジャコウネコだってコタツで丸くなりたいんですよ。
真冬のコタツ気持ち良すぎだろ!
……結局、この日眠りについたのは日付が変わった後だった。
早寝早起きとは。
「っし……これでラストか」
蒸気配管の溶接作業を終え、アセチレンガスのボンベからホースを外す。同様の手順で酸素ボンベのホースも外し、溶けた鉄の臭いが充満する機関車から外に出た。
後は溶接に使った道具を工房に戻すだけ……もうひと働きする前に、ちょっと遅めの一服くらいは許されるだろう。そう思いながら雪の降り積もるレンタルホームに出て、懐から取り出した葉巻に火をつけた。
肺の奥へ奥へと染み渡るニコチン。身体に悪いだの何だの言われているが、知った事か。こちとらいつ死ぬか分かるかも分からぬ戦場に身を置いていたのだ、束の間の至福を求めて何が悪いというのか。ああいう現場の事情も分からず、安全な後方で声高に叫ぶ連中を見ると顔面に右ストレートをぶちかましたくなるのは俺だけではあるまい。
こうして見上げる月が最期に目にする光景になるかもしれない。この一服が人生最期の一服かもしれない。兵士という仕事は危険と隣り合わせで、故にいつも刹那的なのだ。
葉巻が3分の2ほどの短さになった辺りだったか。ジリリリン、と、レンタルホームに備え付けられている公衆電話が鳴った。レンタルホームを使用している冒険者が外部との連絡を円滑に行えるように、という管理局の厚意で設置されている公衆電話。こっち側からかける事はあっても、公衆電話に電話がかかってくる事など普通はまずない。
そっと葉巻の火を消し、携帯灰皿の中に押し込んだ。喫煙するのは良いし、俺は止めるつもりもない。吸いたいなら肺がニコチンで真っ黒になるまで吸えばいい。ただしマナーは守れ、と言うのが俺の意見。マナーを守れないバカチンのせいで、真面目な愛煙家が馬鹿を見るのだ。吸殻をポイ捨てするような奴を見つけたら、火のついた葉巻を眼球に押し込んでやる。
真冬のホームに自分の足跡を刻み、公衆電話のボックスを開けた。相手を待ち懸命に鳴り続けるそれの受話器を手に取り、もしもし、といつもの声で電話に出る。
《―――久しいな、大佐》
大佐……その名で俺を呼ぶ連中は、数えるくらいしかいない。
《今の名前は確か、”パヴェル”だったか》
「……何の用だ」
《随分冷たいな。貴様の仲間がやらかした強盗の盗品、その資金洗浄に協力してやったというのに》
「その件については感謝しているさ。そっちだって手数料でいい思いしたろ」
《金など……”教団”の大義の前には無意味。活動資金にはさせてもらうが、私は貴様ほどの金への執着は無い》
受話器の向こうで話す女の声は、ただただどこまでも冷たい。底の無い、真冬の海を思わせる。この声をいつまでも聞いていると体温を奪われ、やがては凍えて沈んでしまうのではないか―――そんなおかしなことすら、本当に有り得そうだと思ってしまうような得体の知れない恐ろしさが、その声にはあった。
「んで、何の用だよ。要件がないなら切る」
《我らが教祖様のお言葉だ。【たまには会議に顔を出せ】、と。いつまでも教団の会議で空席が目立つのも、信者たちに示しがつかない》
「教祖様には言ったはずだ、俺はそこまで深入りするつもりはない、と」
《昨日の議題を聞けば、そうも言っていられない》
「……なに?」
まさか、と背中に冷たい何かが奔るのが分かった。こういう時の嫌な予感と言うのは、大概は当たるものだ。
《”魔王の遺産”が発掘された。120年前の地層からだ》
「……」
120年前―――この世界で、人間たちが姿を消した時代。
やはり、やはりか―――聞きたくはなかった。認めたくはなかった。嘘であれと、単なる何かの間違いであれとずっと祈り続けていた事が、最悪の状態で実体を持ってしまった。
「……そうかい、情報どうも」
《おそらく、同様の遺産はノヴォシア全土に埋もれている事だろう。貴様とて、それが何も知らぬ者の手に渡るのは面白くあるまい?》
「……」
《大佐よ、我らは協力し合える。今一度教団に尽くせ。さすれば我らの教えが、貴様を更なる高みへ導くだろう》
言いたいだけ言って、相手は電話を切った。
女狐め、と誰も居ないホームで悪態をつき、受話器を元に戻す。
電話ボックスを出てから、首に下げている結婚指輪にそっと触れた。
嘘であれ、間違いであれ―――ずっと祈り続けていたことがこうして裏切られたというのに、崇高な教えもクソもあるものか。
最愛の妻の顔を思い浮かべながら、夜空を見上げた。
真っ黒な雲の向こう、白銀の三日月はただただ冷徹に、銀色の光を放っていた。




