『同志』
10年前
異世界 クレイデリア連邦 首都『アルカディウス』
テンプル騎士団本部 医療区画
空中に投影された立体映像の中では、ホムンクルスの子供たちが元気に走り回っている様子が映し出されている。
クレイデリアのニュース番組だ。テンプル騎士団が、慈善事業の一環として国内の幼稚園や小学校におもちゃや本、教科書を配布している様子がニュース番組で伝えられていて、おもちゃを受け取った子供たちが大喜びではしゃぎまわっていたり、「だんちょーさんありがとー!」と幼い声でカメラに向かって言っている姿が放映されている。
あの子たちにとって―――そう、普通の人間として造ってもらえたホムンクルスたちにとっては、喜ばしい事なのかもしれない。
けれどもそんな彼女たちの姿を見る度に、ボクは恨めしい気持ちになる。
長さ2m、幅1.5mほどの医療用ベッドの置かれた、少しばかり手狭な病室。花瓶に飾られているカトレアの香りと薬品の臭いが入り混じったこの一室が、ボクにとっては世界の総てだった。
嫌になり、リモコンを立体映像に向けてボタンを押した。子供たちが大喜びする様子を伝えていた立体映像がぶつんと途切れ、病室の中が静寂に包まれる。
『シャーロットちゃん、気分はどう?』
『……普通です』
『そう。具合が悪かったらいつでもナースコールを押してね』
病室を覗き込み、ナース服姿のホムンクルスがベッドの上のボクにそう言った。
眩しい笑顔と優し気な声。
けれどもボクには、彼女の本音が分かる。分かってしまう。
【なんでこんな子を生かしてるんだろう】
【可哀想に。いっそ死なせてあげた方が……】
【エラーで生まれた子とは聞いてたけど、まるで障害の塊ね……お世話するのも大変だわ】
「……」
そんな思考が、頭の中に流れ込んでくる。
これは全て他人のものだ。今しがた病室を覗き込み、容体を確認して次の部屋に向かったナースのものだ。
ボク―――シャーロットなんて綺麗な名前を与えてもらえられたホムンクルスは、現行では最新ロットのフライト138に属する。既存のホムンクルスをベースに、より戦闘に適した精神構造への調整と遺伝子の調整、可能な限りの寿命の延伸、そして”特殊能力の付与”を目玉として生み出された代物らしい。
ただ、この”特殊能力の付与”が拙かった。
ホムンクルスというのは、オリジナルの遺伝子をベースに生み出された人造人間だ。またの名を”クローン人間”とも呼ぶらしいが、名前が違うだけで何だというのか。
原則として、ホムンクルスはオリジナルの遺伝子をベースとして製造されるけれど、胎児の段階で錬金術を用いた”調整”を行う事で、オリジナルには無い能力や身体能力の向上などを付与できる。その代わり調整を施し、本来の生命の在り様―――つまりオリジナルとの遺伝子的差異が大きくなればなるほど不安定になり、生まれてくる子の中には障害を抱えていたり、他との個体差が大きな子が生まれてくる可能性が高くなる。
ボクの属するフライト138は、以前にクレイデリア連邦で可決した法案―――『ホムンクルス製造基本法』、つまりは基本的人権に配慮し、ホムンクルスを戦闘を前提とした調整を行って生み出してはならないという法律を改正、施行を待って生み出された、テンプル騎士団史上初の『戦闘用ホムンクルス』として生み出された。
量産体制確立の暁には全体の戦闘力の大幅な引き上げが期待されていた―――曰く、『伝説の剣を手にした勇者を大量生産するようなものである』と。
憎きナチス・ヴァルツ帝国との戦争も終わり、フィオナ博士の反乱も鎮圧して冷戦が新たな局面を迎えた現代においては軍事力の再編が必要不可欠であり、戦闘用ホムンクルスの量産は先の戦闘での損害を穴埋めするものである。来たるべき新たな世界情勢、その嚆矢となる……それが、セシリア政権下のテンプル騎士団の謳っていた事だった。
けれども実態はどうか。
オリジナルにはない要素をてんこ盛りにした事で遺伝子のバランスは崩壊。12%は期待通りのスペックを持って生まれてきた子だけど、残りの88%はボクのように障害を抱えた子ばかりとなり、生産は早々に打ち切りとなった。噂では箝口令が敷かれ徹底的な事実の隠蔽を実施、更には責任者の粛清にまで発展したというのだから笑えない。これが生命を弄り回した咎だというのだろうか。
今では技術的冒険はせず、堅実な要素ばかりを強化したフライト139へと製造が移行している。おまけに今は軍縮ムードで各所の予算が縮小されていて、同志団長の息子―――次期団長の有力候補、”リキヤ・ハヤカワⅡ世”は平和路線に舵を切ろうとしている事もあって、冷戦中のように西側諸国との全面戦争を想定した過剰な能力を持つホムンクルス兵は早々にお役御免となりつつあった。
そういうわけで、ボクはナースに陰で『障害の塊』だなんて揶揄される程の障害を抱えて生まれ、見捨てられてきた。
下半身不随のせいで自力では歩けず、消化器官も脆弱で口にできる食べ物にもおおきな制限がある(最近はお粥しか食べていない)。味覚にも障害があるせいで”味”というものが分からず、視力も悪いのでここからでは何もかもがぼやけて見える。ベッドの傍ら、小さなテーブルの上に置いてあるクマのぬいぐるみ(テンプル騎士団の高官が厚意で送ってくれたものだ)でさえもぼんやりとしていて、辛うじて輪郭が見える程度だ。
おまけに色盲ときた……本当、この身体が嫌になる。
SFアニメに出てくるロボットになれたらな、と最近は思う。機械の身体だったらこんな障害とも無縁だっただろうに。
けれども幸い、頭の出来は良い方だった。現時点でボクは8歳、クレイデリアでは初等教育の段階だけど既に大学で習う難問も普通に解けるようになったし、魔術の論文だって3つくらい完成させている。
肉体がこのザマである以上、頭脳で戦うしかない―――ボクはそう結論付けていた。
戦闘には向かない身体。けれども、頭脳は他よりも秀でている。
ならばボクは学者になろう。錬金術師になろう。科学者になろう。そうして他人を見下してやるのだ。ボクを障害の塊だの、エラー個体だの何だのと蔑んだ連中を。
そしていつかは自分で機械の身体を作り上げ、こんな脆弱極まりない肉体を脱ぎ捨てるのだ。
『―――君がシャーロットちゃんだね』
『え』
いつの間にか、病室の入り口に1人のホムンクルスがいた。
みんな同じ顔。他の種族の人たちは見分けがつかないとか言うけれど、ボクたちホムンクルス兵は別だ。声や微かな身体的特徴から、それが見知っている人間なのか、それとも知らない人なのかを見分ける事が出来る。
少なくともその声は知らない人のものだった。男性にしてはやや高く、女性にしては低い―――男性と女性の中間、というべきか。これが中性的な声というやつなのだろうか?
ぼんやりとしか見えなかったその輪郭も、しかし彼が近くにやってくるにつれて段々とはっきり見えるようになってきた。やはり顔立ちはホムンクルス兵のそれで、女性のようにも見える。けれども首から下、テンプル騎士団の制服に包まれた肉体は筋骨隆々でこそ無いけれど引き締まっていて、まさに”戦うための肉体”と表現すべき仕上がりだった。
肩にはAK-47を抱えた竜のエンブレムがある。テンプル騎士団の”異世界遠征軍”を意味するエンブレムだった。テンプル騎士団は次元の壁を超え、既に複数の世界に進出しその世界の技術を持ち帰っている。今のテンプル騎士団が先進的な技術を数多く抱えているのも、そういった異世界で生み出された技術を盗用した結果なのだ。
そして異世界への侵略を担うのが、この異世界遠征軍―――緊張緩和の中、軍縮の影響を受けている部署でもあった。
『あなたは?』
『私は”ボグダン”。君の理解者だ』
思考と言葉に嘘偽りはなかった。
この思考を読む能力も、フライト138として生み出されたボクに付与された”特殊能力”、まあいわゆる超能力の1つだ。これのせいで他人の口にする言葉と本音の乖離に困惑し、人間を信じられないような、疑い深い人格になってしまったのでこの能力を付与した連中にはぜひ呪いをかけたいものである。
『まったく、みんなは酷いものだな。こんな天才をこのような狭い病室に押し込めるなんて』
『そう……ですね』
言っている事にも、思考にも嘘はない。相変わらず本音をそのまま口にしているようだ。
『君、お金が欲しいだろう?』
『……え』
確かに金は必要だった。
結局のところ、研究するにもそのための資金が必要で、学会から高評価されているとはいえ今の僕にはお金を稼ぐ手段がない。テンプル騎士団には再三に渡って研究費の申請をしているのだけど、正式に入隊すらしておらず病室から出られぬ身ともなれば組織も財布の紐を堅くするものである。未だに予算は出してもらえていない。
『私なら君に、研究開発に必要な資金を好きなだけ提供できる。何なら手始めに、君の口座にその身体を機械に置き換えるための費用を送金したっていい』
『本当……ですか?』
『ああ。その代わり、君のその頭脳を私のために使ってほしい。私の”計画”のために』
『計画……?』
『ああ、そうだ』
ボグダン、と名乗った男性のホムンクルス兵は、笑みを浮かべながら頷いた。
『君の力が必要なんだ』
生まれて初めてだった―――こんなにも、ボクの事を必要としてくれる人に会ったのは。
嘘偽りのない、真っ直ぐな人に会ったのは。
それだけでボクの冷え切った心は動いていた。ああ、この人のために奉仕しよう―――この人の計画を成就させるために力になろう、と。
『わかりました』
答えはもう、決まっていた。
『あなたの力になります、同志』
「……やったか?」
縁起でもないリアクションをする範三を視線で咎め、AK-101を構えながらゆっくりと前に進んだ。
本当にホムンクルス兵というのは脅威だ。アサルトライフル2丁、汎用機関銃1丁、更には手榴弾まで叩き込んでも全くダメージを受け付けず猛追してくる―――こんな兵士が量産されているのだ、旧人類が滅ぶ理由も頷ける。
結果的に120mm滑腔砲まで叩き込んだわけだが、その効果の程はどうだろうか。
金属が焼ける悪臭と熱気が立ち込める中、そこにシャーロットはいた。
腹にAPFSDSの直撃を受けたシャーロットは、しかし信じがたい事にまだ息があった。土煙が舞う中でまだ息をしている……その生命力の強さには驚かされる。戦車の装甲すら撃ち抜く徹甲弾の直撃を受け、生きている人間なんて信じられるだろうか?
しかし、彼女にもう戦闘力がない事は火を見るよりも明らかだった。
大の字になって倒れているシャーロット―――その肉体の腹から下は、木っ端微塵に吹き飛んでいたからだ。
残っているのは胸から上、しかも右腕は着弾の衝撃で肘から先が断裂している。常人ならばとっくに息絶えていてもおかしくない重症で、手の施しようがないものであるが、しかしそれでもシャーロットは生きていた。彼女の紅い瞳が弱々しく、けれども確かな敵意を抱いたままこちらを睨む。
息を呑んだ。
彼女の損傷した肉体、その断面から覗くのは、人体に詰まっている筈の臓物でも肉でもなかった。
―――機械だ。
外殻で覆われた人工皮膚の下には、金属製の骨格やファイバー状の人工筋肉、人体の臓器を模した機械の内臓が埋め込まれていて、傷口からはあの忌まわしい機械人間を思わせる人工血液が、本来の鮮血の代わりに溢れ出ている。
まるで機械で人体を模倣したようにも見える……その光景に違和感を覚えた。
「は、ははは……醜いだろう?」
口から人工血液を吐きながら、シャーロットはノイズ交じりの声(声帯も機械なのだろうか)で言った。
「この身体は機械の身体……生身の部位は、首から上だけさ」
よく見ると、彼女の紅い瞳にもブロック状のノイズが生じていた。もしかしてだが、この目も機械なのだろうか。生身の部位は首から上だけだと言ったが、その生身の部位にも手が入っていると見るべきだろう。
「さあ、殺せよ」
「……」
AKを構えた。
彼女はとても生け捕りにできる状況ではない―――苦しみを終わらせてやることしか、今の俺にはできないのかもしれない。
仮に彼女を生かし生け捕りにできたところで、テンプル騎士団は間違いなくシャーロットの奪還に動く筈だ。そうなれば仲間たちにも危害が及ぶ。列車にいるルカやノンナにも例外なく、だ。
ならば殺すしかあるまい。テンプル騎士団の戦力を削ぐためにも。
頭では分かっている。
だが―――引き金はあまりにも重かった。
相手は無抵抗だ。放っておけば死ぬような相手を手にかけろと?
「……ご主人様、お辛いのでしたらクラリスが」
「……いや」
俺がやるよ、と小さな声で言った。
「ふ、ふふ……屈辱の極み、だよ……キミたちのような……原始人に、このボクが……」
「……そうやって見下すから負けるんだ」
今楽にしてやる。
重い引き金を引こうと指先に力を込めた、その時だった。
「―――やめてくれ」
ぽん、と肩に大きな手が置かれた。
クラリスでも、パヴェルでもない―――すらりとしていて引き締まった手に、中性的な声。
ハッとしながら振り向くと、傍らには蒼い髪のホムンクルス兵がいた。長い髪をポニーテールにし、紅いアクセントの入った黒い制服を身に纏っている。
肩にあるのはAK-47を抱えたドラゴンが描かれたワッペンと、テンプル騎士団のエンブレム―――ソ連と中国の国旗を足したようなデザインの赤いエンブレムだった。
テンプル騎士団―――もう1人のホムンクルス兵!?
こいつ、いつの間に……?
「同志……指揮官……」
ホムンクルス兵を見るなり、虫の息だったシャーロットは目に涙を浮かべた。
「ごめん、なさい……負けちゃった……」
「……気にしなくていい」
さあ、帰ろう―――そう言い、そのホムンクルス兵は随分と小さくなったシャーロットの身体を抱き抱え、こちらを振り向いた。
シェリルでもシャーロットでもない、新しいホムンクルス兵。
しかしそれは、明らかに今まで戦ったホムンクルス兵とは別格だ―――その視線が発する威圧感が違う。
こいつ、ただ者じゃない……!




