大人気ない一撃
「さあ、立って。皆のところに帰ろう」
製造装置の陰に隠れていたリジーナに手を差し伸べ、彼女を立たせた。
幸い戦闘には巻き込まれておらず無傷だが、しかし禁断症状の影響か汗でびっしょりと濡れていた。唇も紫色になっていて、顔色もあまり良いとは言えない。身体も小刻みに震えているし、片手では常に心臓の辺りを押さえている。
「大丈夫、君は助かる」
俺にできる事といえば、彼女を安全にクライアントのところへ送り届ける事と、こうして優しい言葉をかけて安心させてあげる事くらい。薬物の禁断症状についての知識はないが、もしかしたらパヴェルならば対策を考えてくれるかもしれない。
彼に頼りっぱなしなのも申し訳ないが、しかし彼ならば何かいい方法を思いついてくれるかもしれない……。
「ご主人様」
「脱出しよう。皆は?」
「無線によると既に地上に」
「よし、合流してここを離れよう」
よろしいのですか、と問いかけてくるクラリスに、壁に穿たれた人型の大穴を見ながら答えた。
「できる事なら生け捕りにして色々と吐かせたいところだけど……目的はあくまでもリジーナの救出だ」
仮にシャーロットを捕えて虜囚とする事が出来れば、何かしら情報を得る事も出来るだろう。場合によっては脅すなり何なりして、禁断症状を治療、あるいは抑制するための薬を作らせることだってできるかもしれない。
が、リスクは高い。思考を読む彼女の事だ、迂闊に捉えて血盟旅団側の機密を知られる事になるかもしれないし、賢者の石の製造と活動資金の調達を担っていた彼女の事をテンプル騎士団は放っておかないだろう。それこそ、どんな手を使ってでも奪還に動く事は想像に難くなく、新たな戦いの呼び水と化すことは明白である。
列車にはルカやノンナといった子供もいるのだ。あの2人を危険にさらす事は是が非でも避けたい。
この場で尋問しても良いが、テンプル騎士団側の増援が来ないとも限らない。いずれにせよ、長居は無用だ。リジーナの身柄をクライアントに引き渡して、それから薬物中毒のアフターケアの手配を……。
と、リジーナを連れて地下空間の外へ出ようとしたその時だった。
ゴゴゴゴゴ、と空間が振動した。地震の前の地鳴りを思わせる振動。まさかな、と思いながら再び視線を壁に穿たれた大穴へと向けると、その奥に爛々と輝く2つの紅い光が見えた。
確かな怒りを滾らせて輝くそれ。段々と大きくなってきたかと思いきや、人型の穴が勢いよく吹き飛んで―――中からズタボロになったシャーロットが、息を切らしながら姿を現した。
憤怒が限界に達したのだろう。最初はあからさまに相手を見下すような言動をとり、あんなにも嘲笑を浮かべていた彼女だが、今はもうそんなものはどこにもない。
今までは他者に見上げられるだけだった自分に対し、こうも屈辱的な仕打ちをしてきた俺たちに対する怒り。短めの髪は乱れ、血のように紅い瞳からは同じく紅い残像が生じている。
「―――殺す」
短くそう言った次の瞬間だった。
ドン、と空間が震えた。
威圧感だとかオーラだとか、そんなものではない。
魔力だ。特定の属性に変換する前の、言うなれば”無属性”の状態の魔力をただただ周囲に放射しているのだ。
何かを意図しての行動ではない―――怒りという感情に、彼女の肉体が応えた結果なのだろう。既に理性は機能しておらず、後は本能のまま暴れ回るのみ。先ほどまでは知的なマッドサイエンティストといった感じの彼女だが、しかし今ではバーサーカーのそれだ。
これは拙い、第二形態があるなんて聞いてない……せめてセーブポイントくらいの救済措置は欲しいものだが、人生にそんなものなど存在しない。
どうする、と頭の中に2つの選択肢を提示する。
このままここで戦い彼女を打ち破る―――ダメだ。
テンプル騎士団の事だ、この戦いがシャーロットの劣勢で推移している事は既に把握しているだろう。彼女が本気を出したという事はつまり、それほどにまで追い詰められているという事であり、万一ここで彼女を失うような事があれば賢者の石の供給と資金調達に大きな影響が生じる事を意味する。
秘密組織としての一面もあるテンプル騎士団としては、それを是が非でも防ごうとするはずだ。
増援部隊の派遣もゼロではない……というか、可能性は高いだろう。それにテンプル騎士団には少なくとももう1人、ホムンクルス兵がいる。彼女たちの言葉が正しいのであればフライト141、現行最新モデルのホムンクルス兵、シェリルが。
そう、テンプル騎士団には未だ余力があるのだ。こんなところで、それもクラリスと2人だけで、護衛対象を守りながら2体のホムンクルス兵と戦うなんて正直言ってぞっとしない。
そうなると消去法で逃げるのが一番最善という事になるが、これもまた困難な道になる。本気を出したホムンクルス兵がどれだけ恐ろしいのかは、一緒に行動しているクラリスのこれまでの戦闘力を見れば一目瞭然だ。
そんな存在からリジーナを連れて逃げ切れるかと問われると、はっきり言って疑問符がつく。逃げ切れる、という確証はない。ただしかし可能性はある。逃げ切れるかもしれない、もしかしたら助かるかもしれないという微かな可能性が。
だが、それはその結果に行き着くまでに多少の犠牲が生じる事も意味している。
どちらを選ぶか―――何がベストなのか。仲間を犠牲にせず、依頼も達成するためには何が必要なのか。どうすれば最善の結果に行き着くのか。
こうしている間にも、シャーロットはじりじりと近付いてくる。さながらゾンビのように身体を揺らし、猛烈な魔力を放射しながら、だ。
クソッタレが、と歯を食いしばったその時だった。
「リジーナ!」
「ワレリー……!?」
地上へと続く通路の奥―――聞き覚えのある声と、人間2人分の足音が迫ってくるのが聞こえ、ハッとしながら振り向いた。
そこに居たのはワレリーとモニカだった。何でクライアントがこんなところに、と思ったが、何となく分かる。おそらくだがリジーナが危険な目に逢っているのに自分は何もできないという無力感に耐えかねたのだろう。
モニカはその護衛なのだろうが……アイツ何でMG3なんか抱えてるんだろうか。少なくとも護衛に持っていく火力の武器ではないと思うのだが、今ばかりはそんな事も言ってられない。今この瞬間はまさに火力が必要なのだ。
「うわ、ミカ何よソイツ!?」
「敵だ!」
「じゃあ撃てばいいのね!!!!!」
腰だめでMG3を構えたモニカが、景気良く7.62×51mmNATO弾をぶちまけ始めた。5発に1発くらいの割合で曳光弾を装填したそれが、通路を駆け抜け俺たちの脇を掠めて、集中豪雨の如くシャーロットに牙を剥く。
が、しかし。
弾丸は着弾こそしている。着弾の度に彼女の身に纏うコートが敗れ、ネクタイが千切れ、灰色のワイシャツは滅茶苦茶になった。
その衣服の下から覗く蒼い外殻―――クラリスと同じ、ドラゴンの外殻だ。聞くところによるとテンプル騎士団のホムンクルスはヒトと竜の混血、人の身でありながらサラマンダーの遺伝子を宿す”キメラ”という種族を雛形にしているのだという。
その外殻は堅牢で、打ち破るには対戦車兵器クラスの武器を持ってこなければ撃破は難しく、クラリス曰く『人間サイズの戦車』なのだそうだ。
だからいくら”ヒトラーの電動ノコギリ”とまで呼ばれたMG42をベースにした汎用機関銃でも、はっきり言って豆鉄砲でしかないのだが……俺が驚いたのはそこではない。
―――弾丸が、外殻の表面を滑っている。
”弾く”ではない、”滑って”いるのだ。
見てみると、弾丸の表面は融解している事が分かる。
「”ライデンフロスト効果”か……」
常温の物体と、その物体を余裕で蒸発させるほどの熱量を帯びた物体が接触した際、その間に気泡が生る事で瞬間的な蒸発を阻害する事がある。それが”ライデンフロスト効果”である。
よりにもよってそれが、弾丸に対して生じているのだ―――シャーロットの今の体表の温度は、弾丸を瞬時に融解させてしまうほどの熱量を帯びている!
なるほど、着弾した弾丸の先端部は瞬時に融解、その際に外殻と融解部の間に生じた気泡によって弾丸が外殻表面を”滑って”いるように見える、という寸法か。
理屈が分かったところで何とかなるものではない……が、そんなライデンフロスト効果も彼女の魔力で賄われているのだとしたら、限界は必ずある筈だ。弾丸を撃ちこみ続けていればやがて枯渇する。
「クラリス、リジーナを!」
「ご主人様は!?」
「もうちょい悪足掻きしてから行く!」
AK-101を構え、引き金を引いた。
とにかくフルオート射撃で弾幕を張り、シャーロットに魔力の消耗を強いる。5.56mm弾の弾雨はやはり、シャーロットの身に纏う外殻に着弾するや滑るようにして受け流されていった。着弾の衝撃も特に感じていないようで、シャーロットが歩みを止める様子もない。
無造作に右手を突き出すシャーロット。小さな手のひらに蒼い光が充填されていくのを見て、咄嗟に俺はスタングレネードを掴み取っていた。
あの魔術だ―――ホムンクルス兵たちが使う異世界の魔術、蒼いビームみたいなやつで攻撃するつもりなのだろう。先ほど一度目にしたが、その破壊力はとにかく恐ろしいものだった……大気がプラズマ化するほどで、直撃せずとも掠めれば人体なんぞ簡単に発火、あるいは蒸発してしまうだろう。
そんな大威力の魔術を、こんな進路が制限される通路でぶっ放されればたまったものではない。
回避不可能な環境で、防御不可能な大技をぶっ放される事ほど恐ろしいものはないが、今がまさにその時だ。
安全ピンを抜き、それをシャーロットのすぐ目の前に投擲した。
カッ、と猛烈な閃光が通路で生じた。背を向けていたおかげで直視せずに済んだが、しかし魔術を放つためにこっちを睨んでいたシャーロットはその閃光をもろに見る羽目になったのだからたまったもんじゃない。おまけに轟音まで受け、平衡感覚が見事に狂わされる。
今だ。
AKを抱え、とにかく走った。クラリスやモニカたちが射撃で援護してくれている。
リジーナを連れ、モニカの元へ。
「リジーナ!」
「ワレリー……ありがとう……!」
「俺こそごめん、あんなひどい事を……!」
「2人とも、悪いが感動の再開は後だ! 来るぞ!」
その直後だった。
激昂したシャーロットが、咆哮と共に魔術を放ったのだ。目が見えない状態で放たれたそれは見事に狙いを外れ、通路の壁面を抉りながらも融解させ大穴を穿つ。地下通路が瞬く間にサウナ……いや、そんな生易しいもんじゃない。ちょっとした焼却炉のような温度になり、一瞬火傷したのではないかと疑ってしまいそうになる。
今の一撃は防いだが、しかし次はない。シャーロットも対策して次は当てに来るだろう。
「クラリス!」
マガジンを交換し、フルオート射撃をぶちまけた。弾丸がシャーロットを立て続けに打ち据え、彼女の動きが一瞬止まる。それはそうだ、あんな出力の魔術をぶっ放し、更に常時魔力を垂れ流しにしているのだ。魔力の消耗は尋常じゃないレベルに達しているに違いない。
俺の援護を受け、クラリスも後退してきた。彼女が無事に後方へ下がったのに合わせ、モニカもクライアントとリジーナを連れて後退。MG3の濃密極まりない弾幕がシャーロットを釘付けにする。
「ミカ!」
「了解!」
彼女の援護を受け、今度は俺が後退。手土産にとシャーロットに手榴弾を投げつけ、そのまま地上へと繋がる階段まで走った。
ズンッ、と重々しい爆音。手榴弾が炸裂したのだろう……人間の兵士であれば容易く引き裂く一撃ではあるが、ホムンクルス兵を相手にするのであればはっきり言って火力不足だ。最低でC4やRPG-7、贅沢を言うならばジャベリンやTOW、120mm滑腔砲あるいはそれに準ずる大口径火砲が必要になる。
それでやっと釣り合うホムンクルス兵というのは本当に化け物なのだと痛感する。こんなものを量産する組織が相手とはね……。
呼吸を整えながら待っていると、クラリスがワレリーとリジーナを連れて階段を上がってきた。遅れてモニカが、MG3を重そうに肩に担ぎながら(そんな重火器持ってくるから……)俺の隣を通り過ぎていく。
仲間が全員後方に下がったのを確認し、手榴弾の安全ピンを抜いた。そのまま階段の下に転がしてやり、俺も仲間たちの背中を追って全力で突っ走る。
後はもう逃げるだけだ。
後方で響く爆音、怒りのあまり迸るシャーロットの絶叫。
背後から熱が迫ってくる。魔術ではない、シャーロットが迫っているのだ。少し距離を詰められただけで、まるで背中にアイロンでも押し当てられているかのような熱を感じる。こんなのと接近戦をやる羽目になったらハクビシンの丸焼きにされてしまう……それだけは嫌だ。
夜景が見えた。夜の冷たい風が先ほどまでの埃の臭いを吹き飛ばしてくれる。
シャーロットはもうすぐそこだ。振り向かなくとも分かる―――推定10m、彼女は間違いなくそこまで迫っている。
クソが、追い付かれるか……貧乏くじを引いたのが俺とはな、と呆れていたその時だった。
「ご主人様!」
「!!」
クラリスの叫び。
それが何を意味しているのか、俺には瞬時に理解できた。
ミカエル君は愛国者なので咄嗟に右へと飛んだ。両足にあらん限りの力を込め、ミニマムサイズの身体を右側へと思い切り躍らせる。
無線機の向こうからパヴェルの雄叫びに近い号令が迸ったのは、その直後だった。
《発射!!》
バムンッ、と120mm滑腔砲―――BTMP-84-120(待て待てこんなもの持ち出したのか)が吼える。
どうやら装填されていたのは対戦車用のAPFSDSらしい。飛来した砲弾が、俺のすぐ隣で空気抵抗を受けてサボットから分離、さながら捕鯨船の船員がクジラに投げ放つ銛を思わせる鋭利な形状の砲弾が露になる瞬間がはっきりと見えた。
背後から、怒りに任せて猛追してきたシャーロットにその攻撃を回避する暇も、そして思考を読む余裕すらも残されていなかった。
目を見開く彼女と目が合った。そんな、このボクが……そう言っているように思え、ほんの少しだけ、1ミクロンくらいは哀れに思った。
けれどもそれも一瞬の出来事。次の瞬間にはAPFSDSがシャーロットの腹を直撃し、轟音を轟かせていた。




