ジャコウネコ竜を噛む
まったく、こんなにコケにされたのはいつぶりか。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……腕の立つ転生者であり血盟旅団の頭目ともなれば、もう少し紳士的な奴だと期待していたのだが。
―――このボクに『使えない』だって?
聞き流せ、と理性が声高に叫ぶ一方で、けれども感情はマグマの如く煮え滾っていた。
―――このボクの苦労を何も知らないくせに!
生まれた時から他のホムンクルス兵には見下されていた。看護師に世話をしてもらわなければ満足に生きていく事も出来ず、テンプル騎士団やクレイデリア国防軍の軍人、それから施設の看護師の連中は陰でボクの事をこう言っていた。
『失敗作』、『エラー個体』、『最新ロットの面汚し』と。
ふざけるんじゃあない。
ボクだって生まれたいと望んで生まれてきたわけじゃあない。組織のため、祖国の恒久的安寧のため、そして世界の恒久平和のため―――そのために必要な武力、暴力装置。テンプル騎士団の兵士の1人として【ハヤカワ家100年の理想】成就のために生み出しておいて、いざ生まれて期待外れだったらそうやって存在しなかったことにするのか。生まれてきた存在を否定するというのか。
それが悔しかった。
だから努力した。あまりにも障害を抱え過ぎ、弱かった身体の代わりに頭脳で戦った。
結果を出したら周りは変わったさ。エラー個体だの失敗作だの言ってた連中は手のひらを返し『天才』、『フィオナ博士の再来』、『クレイデリアの国宝』だの何だの持て囃してきた。
散々人を劣等扱いし、いざ自分たちが逆に劣等の立場に立たされただけでこれだ。ゴマをすりながら寄ってくる連中の姿は実に滑稽で、この頃から嘲笑が癖になった。
テンプル騎士団の兵器の改良から始まり、錬金術によるホムンクルス兵の改良(つまりフライト139から現行モデルまではボクの理論に基づいて改良された個体というわけだ)、異世界から奪取した技術の解析及び軍事転用。ありとあらゆる分野で組織に貢献し、取った特許の数は実に500を数える。
結果で周りを黙らせのし上がってきたのだ。この頭脳で。
それを―――それを、言うに事欠いて『使えない』だと?
ぎり、と奥歯を噛み締めた。
思考の読み取りを封じ、逆手にとって攪乱させてきた程度でもう勝った気になっているのか、このハクビシン獣人は。
手札の一つを打ち破っただけで鼻が伸びるとは、実に劣等種族たる獣人らしい。自ら文明を生み出せない”文明の間借り人”の分際で……。
「思い知るがいいさ! 自分たちの無力さをね!!」
「!!」
目を見開き、魔力を放射。
紅いルビーのような瞳に幾何学模様が浮かぶ。
ボクたちテンプル騎士団―――”クレイデリア人”が用いる魔術は、この世界の魔術とは根本的に仕組みが異なる。
こちらの世界では宗教や信仰心、そして生まれつき持つ適性が物を言うそうだが、ボクたちの魔術にそんなものは関係ない。確かに昔は生まれつき持った素質で優秀な魔術師か否かが決まっていたらしいが、今ではフィオナ博士とステラ博士が開発した魔力増幅装置を用いることで、生まれつき素質に恵まれぬ者でもある程度までは魔術を使えるよう魔術の平均化がなされている。
では、生まれつき素質に恵まれている者が増幅装置を用いるとどうなるか?
旧人類の遺産を発掘、修復し転用する事しか能のない獣人連中など、ボクたちテンプル騎士団からすればやっと石器と火の扱いを覚えた原始人も同然。
ならば見せてあげよう―――!
「思い知れ、これこそが文明だッ!!」
ドン、と大気中で魔力が膨れ上がった。
ボクの視線に乗った魔力が、AKを連射しながら回避行動に入ったミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフの猫みたいな瞳と結びつく。
するとミカエルの瞳にも、ボクの瞳に浮かぶ模様と同じデザインの幾何学模様が浮かび上がった。
よし……”入った”。
これでアイツもクラリスとかいうやけに色々とデカい(ちょっと羨ましい)初期ロットの個体と同じ状態になる。過去の嫌な記憶や辛い記憶、トラウマが際限なく溢れ出し、自分自身の過去の経験そのものが精神と心を破壊していく。
まあ、これは催眠術に分類できる代物だろうね。確立したのはもちろんこのボク、今のところボク以外にこの魔術を使っている人は見た事がない。
独学で確立したが故に知名度は低く、だから対策もされない。
聞くところによると、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフは幼少の頃から庶子として生まれ、リガロフ家の5番目の子でありながら父親の恥部として扱われた忌み子だというじゃあないか。そして部屋で軟禁された状態で育ってきた……正式な子として数えられ、優秀な素質を持つ兄姉たちへの劣等感を沈殿させながら。
だから心に抱えている闇も相当深いはずだ。
さあ苦しめ、自らの過去に!
「……え?」
いつの間にか、目の前からミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフが消えていた。
というか、ここはどこだ? ボクは化学薬品の製造工場の地下であいつらと戦っていた筈なのに……なぜ、ボクはどこかの民家みたいなところに居るのか?
なんだ、幻覚か? 催眠術に対してのカウンターか何かを隠していたのか、ミカエルは?
ええいなんと小賢しい……だがまあ、ミカエルの魔術適性はそう高くないと聞いている。所詮は付け焼き刃、ボクなら簡単に撃ち破
『ミカー?』
「えっ、ちょ、なんだお前」
いつの間にか変な生物がボクの後ろに居た。ぽん、と肩に手を置きながら笑みを浮かべ、くいっ、と親指で向こうにあるちゃぶ台を指し示す。
実に奇妙な生物だった。見た目はあのミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフに非常にそっくりなのだが、なんというか……こう、見た事ないだろうか。アニメのキャラクターがデフォルメされた二頭身のイラストとかを。
そう、まさにそんな感じだった。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフをデフォルメしたような、”二頭身ミカエル”とでも言うべき変な生き物がボクをちゃぶ台へと誘う。なかなかに可愛らしいのだが、しかし二頭身とはいえサイズが180㎝くらいあるのでまるでクマのような威圧感がある。なにこれ怖い。
『ミカ、ミカミカ』
「……舐めてるのかい?」
こんなふざけた幻術で!
ポケットからマカロフ拳銃を引き抜いた。銃口を二頭身のミカエルに向けたけど、次の瞬間には頭に拳骨が落ちてきた。痛い。
「~ッ!」
『ミカァ?』
「すいませんごめんなさいもうしません」
『ミカミカ』
何だコイツら。
また拳骨されたら嫌なので、マカロフを仕舞いとりあえずちゃぶ台の方へと向かう。
奥の方はキッチンなのか、別の二頭身ミカエル(え、何アレ別個体? なんか小さいんだけど)がカレーライスの乗ったお皿を持ってきてくれた。さっきこのボクに、テンプル騎士団が誇る頭脳の詰まった頭に拳骨をかましやがった二頭身ミカエルが『ミカミカ』とジェスチャーを交えながら話しかけてくる。
食べろって事なのかな……まあ、拳骨されたら嫌だしとりあえず……。
「い、いただきます」
でもボク、生まれつき味覚に障害あるんだよねぇ……食べたところで美味しいとか不味いとか、そんな感想は言えないよ?
ぱく、とスプーンで一口食べたその時だった。
「~~~ッ!?」
口の中に、マグマを流し込まれたような激痛が走った。
何だこのカレー、辛すぎる……!?
舌が……いやっ、口の中が焼ける。一体どんなスパイスを使っているのかは定かじゃないけれど、これは濃厚な味わいとかコクとかスパイスで美味しいと感じさせるようなカレーではない。明らかに人を殺しにきているような、そんなカレーだ。
水、水!
「み、水っ、水を!」
『ミカミカ』
ダメダメ、と首を横に振るスモールサイズの二頭身ミカエル。周りではいつの間にかミニマムサイズの二頭身ミカエルたちがミカミカ言いながらはしゃいでるけど何アレ腹立つ。
くそ、なんて事だ……辛みは味覚じゃないからバッチリ感じている。まるで世界中の辛いものを鍋にぶち込んで煮詰めたような、何というか食べるだけで生命の危険を感じてしまうようなカレーだった。何だいこれは化学兵器かい?
無理無理、と首を横に振ると、でっかい二頭身ミカエルが指をパキパキ鳴らしながら拳骨のスタンバイを始めた。ごめんなさい食べます、食べるから勘弁して。
『ミカァ?』
『ミカミカ』
『ミカー』
「あっ、ちょ、なんだお前ら放せ! 放したまえ!!」
『ミーカ、ミーカ』
後ろに回り込んで羽交い絞めにしてくるラージサイズ二頭身ミカエル。そして前方からはスモールサイズとミニマムサイズの二頭身ミカエルが、ちゃぶ台の上によじ登ってカレーをスプーンに乗せて口へと近付けてくる。
何だこれ、新手の精神攻撃か!? ボクがミカエルに精神攻撃をかけた筈なのに、何故かカウンターを受けている!?
まさか狙ったか、狙ったのかミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ!?
おのれ、とあのミニマムサイズのクッソ腹立つ害獣を呪っている間に、ひょい、と口の中にドチャクソ激辛カレーを放り込まれてボクは死んだ。
「に゛ぇ゛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!??」
「ファッ!?」
え、何? 何が起きたん?
思わずAKを構える手を下げ、唐突に奇声を上げたシャーロットの方を凝視した。
いきなり目が紅く光ったかと思ったら、急に頭を抱えて叫び始めたのである。何か魔術でも発動しようとしたが失敗したのか?
いや、何が起きてるのか分からん……何故か脳内では二頭身ミカエル君ズがすっげえ誇らしげな顔をしながらちゃぶ台でカレー食べてるけど君ら何かした?
まあいい……なんか知らんがチャンスだ!
今ならば思考を読み取る余裕もあるまい。
AKから手を離し、保持をスリングに任せた。そのまま大きく跳躍、空中で一回転しながら両手に雷の槍を生成、そのまま穂先をシャーロット目掛けて飛びかかっていく。
雷属性魔術”雷撃”―――雷の槍を相手に投げ放つ技だけど、俺の適正では射程距離が短く使い物にならない(無理に遠くに飛ばそうとすると飛んでいるうちに魔力が減衰、威力が落ちてしまう)事もあり、ミカエル君はこうやって相手に直接叩き込むようにしている。この方が無駄な魔力のロスがないからだ。
はっとしたシャーロットが顔を上げ、回避しようとする素振りを見せた。思考を読まれそうになったので慌てて『あっこれフェイントね?』と頭の中で思い浮かべる。
シャーロットはその思考をキッチリと呼んでいたようで、びっくりしたように目を見開いて回避を断念、横をちらっと見たが本命の攻撃なのでフェイントもクソもあるわけがなく……。
結果、彼女は回避できる攻撃をいらん警戒心のせいで回避し損ねる事になった。
「ぎにゃ!?」
「負けちゃえ! 負けちゃえ!!」
立て続けに二発、強烈な電撃を至近距離で叩き込まれるシャーロット。彼女の身体を蒼い電撃が這い回り、嘲笑を浮かべていた顔が一転して苦痛に歪んだ。
今まで踏み躙ってきた人たちの苦しみに比べれば屁でもないだろうが……少しは思い知ったか?
調子に乗ってもう一発、と右手を振り上げ雷の槍を生成したところで、その腕が何かにがっちりと掴まれたような感触を覚えた。
「―――!」
―――天井から、簡易的なメカアームが伸びている。
3本のマニピュレータで物体を保持する事が可能な、おそらくは作業用と思われるそれが、今まさにシャーロットにトドメの一撃を振り下ろそうとしているミカエル君の小さな手を掴んでいるのだ。
しかし、ここでミニマムサイズであったことが功を奏する。
掴み方がアカンかったのか、それとも構造的に欠陥があったのかは定かではないが―――3つのマニピュレータの隙間をするりと抜けるミカエル君の右手。どうやら小さすぎてちゃんと掴めていなかったらしいがふざけんなぶち転がすぞこの野郎。
怒りを込めて、もう一発。泣きを入れたらもう一発なのだ。
「ぎぇ!」
バヂンッ、と蒼い電撃が踊った。
目を見開き、口からよだれを垂らしながらも何とか反撃しようとするシャーロット。蒼い外殻で覆われたホムンクルス兵の腕が振るわれ、その握り拳がミカエル君の頬へと向かって突っ込んでくるが―――しかし、忘れないでもらいたい。
―――果たして俺は”1人で相手する”なんて言っただろうか?
なぜ最初に彼女を思い切り挑発して、その憎悪を俺1人に向けるよう仕向けたのか?
答えは単純明快―――視野が狭くなり、意識の外からの攻撃ともなれば回避のしようが無くなるからだ。
「―――クラリス、いきまぁぁぁぁぁす!」
「ファッ!?」
製造装置の陰から弾丸のような勢いで飛び出したクラリスが、もうすぐそこまで迫っていた。
走る勢いを乗せ、更には外殻で拳を完全に覆ったクラリス。後はもうその渾身の一撃を相手にぶち当てるだけという距離まで詰めていたのだ、今更思考を読んだところで何になるというのか。
時間停止を発動、シャーロットからバックジャンプで距離を取る。
時間停止の効果が切れたのと、クラリスの右ストレートが彼女の頬にめり込んだのは同時だった。
「ぶ!!!!!!!!」
ごしゃあっ、とこれ以上ないほど綺麗に右の拳が頬に突っ込んだ。
推定350㎞/h、更に12.7mm弾すら豆鉄砲同然に弾いてしまうホムンクルス兵の外殻で覆われ、更にはそれを放つクラリスも身長183㎝、体重85kgと、破壊力を出すにはこれ以上ないほどの条件がそろった一撃だ。その気になればエイブラムスもワンパンできるのではないだろうか。
そんな事を考えている間に、シャーロットはギャグマンガの如く吹っ飛んでいた。錐揉み回転しながら床に激突しバウンド、そのまま跳ね上がって天井に激突するや、さっきミカエル君の腕を掴もうと伸びていたメカアームに激突しそれをぶち折り、壁に深々とめり込んだ。
壁面に穿たれたクレーターと人型の大穴。こんなん昔のギャグマンガでしか見た事ないわ、と思いながら、クラリスに向かって親指を立てた。
彼女も誇らしげに胸を張り、親指を立てるクラリス。
なんだろう……勝ったっぽいんだけど、この申し訳なさはマジで何なんだろうか。




