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シャーロットの力


「ここって……」


 やっとの事で、あの子供のような人影がリジーナを連れていった場所へとたどり着いた。


 このツォルコフには廃工場が多い……旧市街地からの移転の最中で色々とゴタゴタがあった事や、農業から工業への強引な大転換で事業継続が困難になった企業は数多い。こうして市街地に工場が”稼働休止中”という名目で残っているのも、大貴族たちの言葉を信じるならばいつかやがて撤退した企業を再度誘致するという事であるが、その実態は工場を解体するコストも抽出できず持て余し、こうして先送りにしているだけというのが実態だった。


 『Бурёвский химический завод(ブルジョフ化学薬品製造工場)』と掠れた文字で記載されているこの廃工場が、どうやらリジーナを連れ去った連中の潜伏先らしい。クスリで身も心もボロボロになった彼女を何に使うつもりなのかは分からないが……まともな目的でない事は確かだ。


 息を呑み、背中に背負っていたマスケットを手に取り腰のホルダーから銃剣を抜き、銃口の右側面へと着剣してから敷地内へと足を踏み入れる。


 あの誘拐犯が何者かは不明だが……彼女に手を出すというならば、こちらも実力行使する必要がある。プロの犯罪集団である可能性もあるし、最悪の場合返り討ちに逢う可能性もあるが……その時は彼女が逃げ切るだけの時間でも稼いでやるさ。


 持ってきた弾丸は40発、それを使い切ったら銃剣で、それも折れたならば剣とメイス、そして魔術で応戦するつもりだ。これくらいの攻撃手段があれば大丈夫だろう。少なくとも、それなりには戦えるはずだ。


「……」


 しかし今日はやけに冷える。ノヴォシアの春は少し肌寒く、花の開花の季節が他国と比較して一ヵ月ほど遅れるのは周知の事実であるが……しかし今年はやけに冷える。()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて……。


「……え」


 ゆらゆらと揺らめきながら落ちてきた白い何かが視界の端に入り、目を見開いた。


 ―――雪だ。


 雪が降っている。


 そんな馬鹿な、と空を見上げた。灰色の雪雲がいつの間にか空を覆っていて、そこからちらほらと雪が降ってくるのである。やがてそれは強風を伴い、降雪量を一気に増して、1分と立たぬうちにちょっとした吹雪ブリザードへと変貌を遂げた。


 今日の天気予報は雨だった筈だ。降雪も完全に終わったと気象庁が公式に発表していたし、こんな季節外れの降雪なんてありえない。


 何だこれは、と予想外の降雪に身を震わせつつ、この現実離れした光景に身構えていたその時だった。


 吹雪く雪の中から、ゆらりと黒い人影のようなものが現れた。両目は爛々と紅色に輝き、さながら雪の中の幽霊のように残像を揺らめかせている。


 傍から見ると、それは”黒い甲冑に身を包んだ騎士”たちだった。


 黒く艶の無い、さながら闇を素材にそのまま鎧を形作ったような装備。その上から同じく黒い、ところどころに紅いアクセントの入ったコートを防具の上から羽織っている。とんでもない厚着だが、しかし防具の形状と体格から男性である事、そしてそれが筋骨隆々の鍛え上げられた巨漢である事がすぐに分かった。


 紅色の光は顔を覆うバイザーから漏れていた。傷一つない闇色のバイザーはすっかり閉じていて、スリットからはその赤い光が漏れているせいで内側を覗う事は出来ない。あの中に本当に人間が入っているのか、と疑わしく思ってしまうのは俺だけだろうか。


 そしてその”黒騎士”たちが不気味に思えた理由は、その出で立ちだけではない。


 手には同じく黒く、そして俺が手にしているマスケットよりも遥かに銃身の短い銃らしき武器を持っていた。他にも腰に剣を提げていたり、背中に大きな槍を背負っていたり、あるいは銃を携行せず最初から大型のメイスを肩に担いでいたりと、とにかく武装している。


 黒騎士の数は4体……どれも武装が違う。


「何だよ、お前ら」


 着剣したマスケットを向けながら問いかけるが、しかし答える様子はない。


 その問いかけが合図だったかのように、黒騎士の内の1体が動き始めた。武器を構え、バイザーから紅い光を覗かせながら、黒騎士たちがゆっくりとこっちに歩いてくる。


 こいつら、誘拐犯の仲間か?


「クソが……来いよ、返り討ちにしてやる」


 そう言い強がりながら、右手でマスケットの撃鉄を起こすが……正直、足は震えている。


 ―――怖い。


 この人間とは思えぬ4人の黒騎士、間違いなく強い。


 一歩、また一歩と連中が近付いてくる度に嫌でもそれを意識してしまう。ぐっ、ぐっ、と心臓を圧迫されるような、あるいは身体が押し潰されてしまうような―――無機質な殺意が迫ってくる感覚に、両足が動かなくなる。


 クソが、動け……こんなところでビビってる場合か?


 リジーナを助けに来たんだろ? こんなところでビビって立ち止まってる場合じゃない筈だ。動け、動けよ、と大事な時に金縛りになってしまう自分の身体に情けなさを覚え、苛立ちを覚えた次の瞬間だった。


 迫ってくるエンジン音とフェンスの倒れるような音。それからキュラキュラと、まるで工事現場の重機が発しているような特徴的な()()がしたと思ったその時、視界の端から巨大な鋼鉄の塊が迫ってきて、一番左側に居た黒騎士を轢き潰してしまう。


 グシャグシャゴシャ、と大重量の重機に踏み潰され、黒騎士があっという間に鉄屑と化す。


「え、え?」


 唐突に姿を現したそれは、奇妙な兵器だった。


 傍から見れば農業用のトラクターを大型化して装甲を貼り付け、大きな大砲を搭載した砲塔を車体に乗せたような、さながら移動砲台とでも言うべき巨大兵器。車体は緑と黒、茶色の斑模様で塗装されていて、車体側面には剣を口に咥えて翼を広げるエンブレムが描かれている。


 血盟旅団のロゴマークだ。


 ぱか、と車体後部のハッチが開き、中から刀を手にした第一世代型の獣人が飛び出してくる。それと時を同じくして、車体上部のハッチが開き、中から葉巻を口に咥えた筋骨隆々の大男が顔を出し、こっちにフランクな感じで手を振り始めた。


「アンタだな、ワレリーってクライアントは」


「え、ええ」


「全く無茶しやがる……お嬢ちゃんを助けに来たんだろ」


 お見通しだったらしい。


 クライアントが余計な事するんじゃねえ、と非難の言葉の一つでもあると思っていたが、しかしそれに続いた言葉は意外なものだった。


「ここは俺たちが守る。モニカ、クライアントの護衛ついでにミカたちの加勢に行ってこい。砲手は俺が」


「りょーかい」


 ひょこ、と彼の隣のハッチから白猫の獣人の女の子が顔を出す。一体どこに収納していたのか、車内から大きな銃を引っ張り出した彼女は車両から飛び降りると、俺の前で太陽のように眩しい笑顔を浮かべた。


「それじゃあ行きましょうか」


「あ、ああ……」


 ドガガガガガ、と血盟旅団の巨大兵器、その砲塔に搭載された機銃が火を噴き始める。もちろん狙いはさっきの黒騎士。その支援を受けて第一世代型の犬の獣人(なんだあれサムライか?)が刀を手に、奇声を発しながら突っ込んでいく。


 とにかく、彼等の加勢のおかげで黒騎士の注意は完全に向こうを向いた。突っ込むならば今しかない。


「ごめん……エスコート、頼んだ」


「任せなさいよ」


 白猫獣人の彼女はそう言い、大きな銃を抱えて施設へと突っ込んでいく。


 待っててくれ、リジーナ。


 今、助けに行く……!


















 最初は相手の反応速度や動体視力が優れているものと思いました。


 それもそのはず、クラリスはホムンクルス兵の中でも初期ロット―――特に個体ごとの能力差のばらつきが大きく、「アタリ5割、ハズレ5割」とまで言われた初期ロットの中でも『前期型』に分類されます。テンプル騎士団におけるホムンクルス製造においては黎明期に製造された個体、そのなかの1人なのです。


 それに対し、たった今こうして敵対している彼女は、彼女自身の申告を信じるのであればフライト138……細かい欠点を洗い出し、より戦闘に適したカタチにアップデートを繰り返した後期型。総合的な面ではクラリス以上の戦闘力を秘めていると言っても過言ではないでしょう。


 だから攻撃をひらりひらりと躱されるのはそういった生まれの差が起因しているのではないか。ご主人様をさっきまで散々吸った際の残り香(ご主人様の体臭はバニラの香りなのです)で自身を元気づけながら、ならばフェイントも交えて確実にヒットさせよう、と攻撃に変化をつけました。


 これが単なる相手の動体視力だとか、反応速度がホムンクルスの中でも高いから……などという理由ではないと悟ったのは、これならば当たると確信した攻撃が、フェイントもろとも見切られた時でした。


 左のボディブロー……それに隠すようにして左の膝蹴りを放ったのですが、しかしシャーロットと名乗ったこのホムンクルス兵はそれすらも見切り、膝蹴りに右のストレートを合わせてきたのです。


「……」


 単なる反応速度の問題ではありません。


 何か、秘密があるのでしょうか。


 テンプル騎士団時代、格闘術の教官だったホムンクルス兵から教わりました……曰く、『フェイントは反応の良い奴ほど引っかかる』、と。


 より敏感に、より早く反応するような相手は、こちらの一挙手一投足に常に気を配っています。だから何かアクションを起こせば嫌でも意識せざるを得ず、反応してしまうというわけです。攻撃を受け流されたり、躱されたりする場合はフェイントも交えて相手を騙せ―――教官からの言葉を思い出し実行したわけですが、それすらも躱されたとなると他の要因を疑う必要があります。


 色々と可能性を考えてみます。例えば相手が”未来を見る”能力を持っていたりとか、あるいは”クラリスの思考を読む”能力を持っていたりとか。


 あまり信じられませんが、考えられるのはこの2つの要因です。未来を見る能力を持っていた場合(そんな能力がホムンクルス兵に備わっているとは聞いた事がありません。これも最新ロットの特権なのでしょうか)、はっきり言ってできる事はありません。せいぜい未来を変えるべく足掻く程度ですが、では思考を読まれている可能性の場合はどうでしょうか。


 QBZ-97を構え、フルオートで銃撃します。やはり彼女はそれを見切り、両手を頭の前で交差させながら身体を瞬時に硬化、ドラゴンの外殻で覆い尽くしてしまいます。


 銃から手を放しました。保持をスリングに任せ、一気に距離を詰めながら右の拳を突き出します。


 ―――頭の中で、ご主人様とのえっちな妄想を思い浮かべながら。


「!?」


 ビクッ、とシャーロットの瞼が震えました。


 妄想を続けます。詳しく描写すると怒られてしまいますが、それはもうモザイク必須のR-18展開。えっちな薄い本にありがちな展開を次々に思い浮かべていきます。小さくて可愛いご主人様をベッドに押し倒したり、唇を重ねたり、舌を絡ませたり……もちろん()()()()


 ええ、ご主人様をベッドで抱きしめそのバニラみたいな香りの体臭を発するミニマムボディに顔を埋める度に何百何千何万何億回も繰り返してきたえっちな妄想。


 R-18度がヤバくなっていく度に、シャーロットは何故か生まれて初めて薄い本を目にするオタクのような、何とも言えぬ味わい深い顔をするようになりました。もちろんその間も推定300㎞/hくらいの速度のパンチやキックは容赦なく繰り出します。殴ります、蹴ります、躱されます。


 けれども明らかに、先ほどまでと比較すると回避の精度が落ちているように思えました。


 なるほど、これで確信に至りました―――シャーロットは、こちらの思考を読んでいます。だから先ほどまで攻撃が当たらなかったのです。


 だったらもっとえっちな妄想を、と、今度パヴェルさんに依頼して薄い本を描いてもらおうと温めていたネタを投下しようとしたその時でした。


 たまらず距離をとったシャーロットが、顔を真っ赤にしながら取り乱したのです。


「き、キミ! 神聖な戦いの最中に破廉恥な妄想をするのはやめたまえ!!」


「え、ハレンチ……?」


 状況がよく分かっていないご主人様も困惑しながらジト目でこっちを見てきますが、その視線が心地いい……あの、クラリスは全然大丈夫です。ご主人様からのそういう視線とか罵倒も全然ご褒美なので、ハイ。むしろ今度やってください。


 ふふ、と勝ち誇ったように笑みを浮かべ、シャーロットに言って差し上げました。


「あら、もしかしてあなた……()()は無いのですか? 新型個体なのに?」


「な……ぁ……っ!?」


 もちろんクラリスも()()経験はありません。いったい何度、ご主人様を押し倒して食べてしまおうと思った事でしょう。そのまま性欲を爆発させ、朝まで搾り取って差し上げようと暴走しかけた事は一度や二度ではありません。


 それでもクラリスはご主人様のメイド、とにかく清楚でなければなりません。メイドとしてのプライドが性欲を押さえつける枷として機能しているのです。つまりクラリスがメイドをやめる時は破廉恥につき以下略。


 とにかく、今の煽りで彼女もプライドを傷つけられたのでしょう。人生初の薄い本に抵抗を感じつつも興奮するオタクのような顔をしていたシャーロットは、段々と苛立ったように唇を震わせ始めました。


「そうかい……な、ならば、こっちにも考えがあるよっ」


 ぎり、と歯を食いしばるシャーロット。


 次の瞬間でした―――彼女が目を見開き、口を三日月形に吊り上げて笑みを浮かべたのは。


 血のように紅い目に幾何学模様が浮かびます。


 これは何か拙い予感がする―――そう思った頃には、もう全てが遅かったのです。





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― 新着の感想 ―
[一言] 旧型ロットの卑猥な妄想に振り回されているとか、これはスペックは高いけど経験が浅いポンコツですね間違いない。何か自分には技術面で絶対太刀打ちできない獣人を嬲って遊んでいるあたりも含め、本当に小…
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