ホムンクルス、シャーロット
さて、救出対象は無事に確保した……相変わらず脂汗が浮かび、苦しそうな様子ではあるが何とか生きている。
目の前にいる女―――おそらくはクラリスと同じホムンクルス兵(その割には体格が随分と違う、個体差か?)にAK-101の銃口を向けながら、周囲を軽く見渡した。
テンプル騎士団絡み、とパヴェルに忠告された時点で嫌な予感はしていた。人権だとか倫理観だとか、そういう今の当たり前の生活を保障する権利やモラル、そういった諸々をものの見事に踏み躙るようなおぞましい行いが、きっと繰り広げられているのではないだろうかという予測はあった。
そして、それは見事に現実となった……嫌な予感ばかり的中するのホントやめてもろて。
クラリスが右ストレートで粉砕した、リジーナの収まっていた何かの装置。キリウの地下でクラリスが収まっていたガラスの柱を思わせる装置だが、その下部には工場とかにあるベルトコンベアまで用意されている。
それと同型の装置が隣にあって、ガラスの内側には血のように紅い液体がべっとりと付着していた。ベルトコンベアの上には、例の紅い薬液が収まったアンプルがある。
そしてあのホムンクルス兵の右手には―――握り拳程度の大きさの、紅い結晶の塊があった。
ルビーの原石とも、着色された硝子細工のようにも見えるそれには見覚えがある。”賢者の石”だ。魔力損失率0%を誇る唯一の物質であり、多くの魔術師が喉から手が出るほど欲しがる素材。それで触媒を作れば物質ごとに定められた”魔力損失係数”による影響を受ける事無く、100%の力で魔術を発動する事ができるようになる。
しかし賢者の石は希少物質―――地球に落下した隕石からしか採取される事はなく、地球上には存在しない物質であるとされている事から、その入手難度は極めて高い(実際、全財産を投げ打って賢者の石を買い付けた魔術師もいたのだそうだ)。
パヴェルも加工済みのものを所有しているし、以前にテンプル騎士団の空中戦艦から鹵獲したBTMP-84の装甲材にも賢者の石が使用されていた事は記憶に新しい。賢者の石は軽く、尚且つ破壊が困難なほど頑丈であるため装甲材としてはうってつけなのだ(その代わり衝撃までは殺せないし軽すぎるので、別途衝撃吸収用の素材やカウンターウエイトが必要になるらしい)。
しかしあれが試作車両だったのならばともかく、量産型の戦闘車両の装甲材にまで賢者の石を使っていたとなると、それを維持するため大量生産する必要が出てくる―――希少物質である賢者の石、その天然モノでは賄いきれない。
パヴェルの解析ではあの装甲に使われていたものは人工的に生成されたものである可能性が高い、という結論が出ているが……ということは、ここは賢者の石の精製施設か何かか?
「アイツ……」
息を切らし、苦しそうに胸を押さえながら、培養液のようなピンク色の液体に塗れたリジーナは言った。
「アイツ、私と同じ中毒者を使って賢者の石を……」
「なんだって?」
「隣……ゴホッ、隣にも人が……その人、賢者の石の……ざ、材料、に」
ゾッとした。
人工的に生成した賢者の石―――その素材が、よりにもよって人間だと?
隣の空になっている装置に目を向けた。今となってはガラスの柱の内側にべっとりと付着した紅い液体(血なのか、それとも薬液の類なのか判別がつかない)程度しか残っておらず、その中に人間が入っていたという痕跡は何も残っていない。リジーナの証言のみが証拠だが、もし事実ならばこいつらは一線を越えている。
背筋を冷たい感触が滑り落ちて行くのを感じながら、再び視線をホムンクルス兵に向けた。
ドットサイト―――リューポルド社製のLCOのレティクルに映るホムンクルス兵はケタケタと笑っていた。
銃口を向けられても余裕の表情を崩さない……戦闘力にそれなりの自信があるのか、それとも俺たちを見くびっているだけか。仮にもホムンクルス兵、クラリスの同胞なのだから弱いなんて事はないのだろうが……。
「やあやあやあ、キミがミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ君だね? こうして会うのは初めてだねェ」
「お前、テンプル騎士団の兵士か」
「兵士……では、ないかな。ボクは”シャーロット”。科学者であり、錬金術師さ」
上着のサイズが合っていないのだろう……手首から先がすっぽりと袖の中に隠れ、さながら萌え袖のようになっている彼女は、大きなコートの袖をひらひらさせながら言った。
「キミの活躍は聞き及んでいるよ。我がテンプル騎士団内部でもキミは有名人さ……何せ、あのシェリルを退けたのだからね」
シェリル、という名前には聞き覚えがある。
一度目はアルミヤ半島で、二度目はウガンスカヤ山脈で立ちはだかったテンプル騎士団のホムンクルス兵―――クラリスを”初期ロット個体”と呼び、戦いの末に一度は血盟旅団の虜囚となった彼女の事であろう。あれ以来姿を見ていないが、元気にやっているだろうか。
「まあ、正直信じられないよ。シェリルはああ見えて最新ロットの”フライト141”、ボクにしたって少し古いけど”フライト138”だ。100年という長い年月の間に改良を繰り返され、初期ロットとは実にレシプロ機とジェット機ほどの違いがある筈なんだけどねぇ」
フライト、というのは軍事兵器における区分だ。複数製造していく中で設計変更や改良が施され、同じ仕様で製造されたタイプを『フライト1』だとか『フライト2』と呼んだりする。
フライト138に141……一体どれだけ製造されたのかは不明だが、かなり改良を繰り返している事が分かる。クラリスは初期ロットらしいからフライト1くらいなのだろうが(それであの強さなのか……)。
「クラリスじゃない、キミにも興味がある」
「……俺に?」
「その通り。リガロフ家の庶子として生まれ、魔術の適正にもあまり恵まれず、それでも力を求めて旅に出た……そしてこの活躍だ。中身が転生者だという事を差し引いても、それがキミの実力故か、それとも仲間に頼っているだけなのか……ボクは知りたい」
「そうかい」
だったら―――思い知ればいい。
時間停止を発動、引き金を引いた。
全てが凍り付き、静止した世界の中で、薬室の中の5.56mm弾が目を覚ます。撃針に雷管を殴打され、薬室の中で装薬が一気に燃焼。銃身のライフリングで回転を付与されながら十分な圧力を受け取った弾丸は、サプレッサー付きの銃口から躍り出るや静止した。
1秒経過―――時間停止が解除される。
シャーロットが目を見開いた。無理もない、あの停止した時間の中で引き金を引いた自覚があるのはこの俺だけ……一緒に静止していた他人からすれば、唐突に時間だけが吹き飛んだか、あるいは何の前触れもなく虚空に弾丸が出現してこっちに向かってくるようなものだろう。
どれだけ動体視力が優れていようとも、察知しようがない。
時間停止と同時に再び運動エネルギーがそっくりそのまま蘇り、一発の弾丸がシャーロットの眉間目掛けて飛んでいく。
彼女は慌てて外殻を生成し始めた。首回りや頬などの皮膚が人間のそれからドラゴンの外殻や鱗に覆われていく。展開が終わればそれこそ12.7mmや20mm、25mmクラスでも豆鉄砲と言えるほどの防御力を誇るホムンクルス兵の外殻だが―――展開前であれば、話は別だ。
がくんっ、とシャーロットが大きく頭を揺らした。
「―――これが答えだ、外道」
大きく仰け反ったまま、シャーロットは動かない。
眉間を撃ち抜いたつもりだったが―――これで終わりだなんて、そんな美味しい話なんかあるわけがなかった。
「……くっくっくっくっくっ」
ゆっくりと、シャーロットは身を起こした。
今しがた放った弾丸は、彼女の”歯”で止められていた。
人間のそれよりも鋭い、ドラゴンの牙。それで弾丸を上下から挟み込んで被弾を防いでいたのである。
ビギッ、と亀裂の生じる音と共に、5.56mm徹甲弾にヒビが入った。一体どんな咬合力なのか―――あの牙の硬度はどんなレベルなのか気になるところだ。
そのまま弾丸を噛み砕いたシャーロットは、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「良い―――実に良いよキミ! そうかなるほど、テンプル騎士団の脅威となり得るわけだ!」
「コイツ……!」
「猶更キミに興味が湧いたよ、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ! 面白い奴だ、ボクのモルモットにしてあげよう。生け捕りにして身体を機械に繋ぎ、生きたまま脳を解剖して薬漬けにしてあげよう……科学の進歩の礎にしてあげようじゃあないか!」
「―――あっ」
この馬鹿、とんでもねえ地雷を踏みやがった。
コイツ、よりにもよってクラリスの前でそんな事を。
微かな突風を頬に感じ、隣にいた筈のメイドさんが姿を消した直後、俺は銃の保持をスリングに任せながら後ろに隠れていたリジーナを突き飛ばし、そのまま賢者の石の製造装置の陰に押し込んだ。
いきなり突き飛ばされた彼女が抗議するような声を発したが、しかし俺の耳には聞こえない―――リジーナの声を、後方で生じた爆音がかき消したからだ。
さながら、最高速度で走行中のトラックが正面衝突を起こしたかのような、金属音を思わせる硬質な轟音。おまけと言わんばかりに衝撃波が生じて空気が震え、賢者の石の製造装置、そのガラスの柱に亀裂が広がった。
轟音に内臓を掻きまわされるような感触を覚えながら、視線をそちらに向ける。
今の轟音の発生源はクラリスとシャーロット―――彼女の言葉に激昂したクラリスが、外殻で防御態勢に入ったシャーロットを思い切り殴りつけた……ただのそれだけの事である。
何だアイツの右ストレートは。サーモバリック弾か何かか?
「え、ちょ、何……?」
「ここに隠れてろ」
「え、でも」
「巻き込まれると拙い」
クラリスがキレた、と続けながら、内ポケットからキャンディを取り出した。
彼女のブチギレスイッチは単純明快、『ミカエル君に危害が及ぶ』、もしくは『ミカエル君に危害を与えると宣言する、または侮辱する』事。
こうなったらクラリスは止まらない。俺が全力で宥めても制止できるかどうか……。
「はいコレ」
「え、なにこれ……」
「キャンディ、甘いよ」
イチゴ味のキャンディを彼女に渡して、俺もライフルを抱え装置の陰を飛び出した。
サポートは出来るし、今のクラリスは視野が狭くなっている。それが一対一の勝負であればまだしも、他に横槍が入る可能性が否定できない以上、常にサポートに入れるよう備えておくことが必要だ。
「うおっ」
ごう、と風が震えた。
クラリスの放った左のジャブだ。普通、ジャブってのは牽制……いわゆる”捨て技”として放つものなのだが、しかし彼女の放つそれは明らかに牽制レベルではない。あんなのに当たったら成人男性だろうと頭蓋が粉砕されかねない。
なんだろ、新幹線の通過みたいな音が聞こえるんだけど。何でただの左のジャブなのに通過する新幹線みたいな音出してるんですかクラリスさん。
だが、しかし。
左のジャブから一歩踏み込んでの右ストレート、そこから左のフック……と見せかけての左の回し蹴り、そして至近距離からのQBZ-97による銃撃。
そのいずれもが、躱されている。
そんな馬鹿な。
クラリスの右ストレートであんな音がするのだ、おそらくだがその速度は推定300㎞/h……下手したらそれ以上の速度でパンチやキックを放っているわけだが、相手はそれを今のところ全て躱すか、ガードしている。
今しがた放った左のジャブも首を傾けるだけで回避し、右のストレートも同じく身体を逸らす事で見事に受け流す。さながらプロボクサーのような反応速度に身体の動かし方で、ただの科学者ではないという事が窺い知れるが……しかし。
……アレ、見る前に動いてないか?
そう、クラリスがパンチやキックを繰り出す前に回避行動に入っているのだ。
一応、転生前に空手を習っていた身として言わせてもらうが、空手の熟練者にもなると微かな動きや相手の目線、それから雰囲気で「あ、コレ攻撃来るな」というのが分かるものだ。だから経験を積めば積むほど体力とパワーに任せた殴り合いというよりも、そういった駆け引きの要素が強くなっていく。
だがしかし―――あれは異様だ。
見る前にもう回避行動に入っている。それだけならばまだ格闘術を得意としていると説明はつくが……それならばとクラリスが仕掛けたフェイントにすらもあっさりと対応して全て紙一重で回避しているのはさすがにおかしい。
俺のような時間操作系の能力を持っているわけではないだろう……なんだ、未来でも見ているのか?
参ったな……コイツ、予想以上に腕が立つかもしれない。




