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不思議なお薬の作り方


 ツォルコフの路地も、他の路地と変わらなかった。


 薄暗くて、ゴミの臭いがして、そこかしこに野良猫やネズミ、そして浮浪者がいる。足音に驚いた猫がゴミ箱から飛び降り、リンゴの芯をガリガリと齧っていたネズミたちも慌てて物陰へと逃げ出していった。


「ああ、くそっ」


 どこだよ……どこにいるんだ、リジーナ……!


 頭をガリガリと掻きながら彼女の身を案じた。せめて、せめて彼女には無事でいてほしい。何度もドジをかまして足を引っ張っられるのは懲り懲りだけど、彼女が遺体で見つかってニュースになるよりははるかにマシだ。


 彼女の捜索と救助は既に血盟旅団に依頼してある。報酬金は貯金を切り崩して用意、その半分となる80万ライブルは既に彼らに手渡した。今後、各地を飛び回る冒険者ノマドとしての活動資金にとコツコツ貯めてきた金だが、俺1人でその栄光を享受しようだなんて思わない。


 その時は……もし彼女が赦してくれるのであれば、リジーナにも一緒に居てほしい。


 あの時はあんなひどい事を言って喧嘩別れになってしまったけれど……自分勝手な話だが、出来ることならばもう一度やり直したい。


 血盟旅団に捜索を丸投げするなんて、俺にはできなかった。


 団長のミカエルっていう女の子には『凶悪な犯罪組織が絡んでいる可能性があるので、決して1人で捜索しないように』と釘を刺されているが、しかし居ても立ってもいられなかった。


 憲兵に賄賂を渡して聞き出した”薬物取引の名所”(よく違法薬物の取引が横行しているスポットなのだそうだ)は一通り周ったが、彼女と思われる人間は見られなかった。無論売人もだ……まあ、さすがに素人に見つかる程売人もアホではないと思うが。


 こうなったらホテル街でも探すか、と考えを改める。リジーナも冒険者ノマド、個人の列車は持っていないし車の免許もないので駅のレンタルホームではなく、居るとすれば宿だろう。


 彼女は最近活躍が目覚ましい……主に、何故か急に使えるようになった魔術によるものだが、かなりの金額を稼いでいる筈だ。


 しかしその金をあの変な薬の購入代金につぎ込んでいるのだとしたら、少しでも金銭を節約するために安い宿に宿泊している筈だ。この辺で一番の安宿といえば確か……。


 と、以前に宿泊を検討していたホテルの名を頭の中で列挙していた俺の視界に、奇妙なものが映った。


「なんだあれ……子供か?」


 ホテル街の屋根の上―――夜景に照らされ、ぽつぽつと雨が降り始めた夜の街の上を、小さな人影が大きな何かを抱えて走っているのが見える。


 走っているのは子供のようだ。目測だが身長はおよそ150㎝半ば、明らかにサイズの合っていない黒いコートのようなものを見に纏っている。マントのように揺れるコートはさながら悪魔の翼のようで、三日月を背景にしているせいなのかなおのこと禍々しく見えた。


 そしてその小さな人影が抱えているのは―――見覚えのある女性だった。


 雨で濡れた真っ白な髪に、ウサギの耳が見える。


「リジーナ……!?」


 まさか……彼女なのか!?


 リジーナらしき女性を抱えた小さな人影は、さながら泥棒のように軽快にホテルの屋根を飛び越えながら、ホテル街から離れていく。


 気が付くと俺は走り出していた。


 間違いない、彼女だ。


 リジーナだ。


 やっと見つけた……彼女だけは助けなければ。


 待ってろ……待ってろ、俺が必ず……!















 ずきり、と頭の奥底で生じたような痛みに頭蓋の内側を殴りつけられ、私は目を覚ました。


 ぼんやりする視界の中、私は何をしていたのだろう、と未だまどろみの中を揺蕩たゆたう記憶を手繰り寄せる。確か薬が切れて、新しいのを買いに行こうとしたらそこで……そう、そこで恐ろしいものを見た。


 あの薬―――紅いアンプルに依存した人間の末路を。


 人間のシルエットが崩れ、化け物になっていく一部始終。それが恐ろしくなって、そんな犠牲者を見ても平然としている蒼い子が怖くなって、私はホテルまで逃げた。けれども逃げることは叶わず、窓のカーテンを閉めようとした私の後ろにはあの子がいて……!


 そこでやっと意識がはっきりとした。


 過去の恐怖だけではない。それから必死に逃れようとする私に、新たな恐怖が立ち塞がる。


「え……何、なんなの……コレ……」


 自分がいる場所を見て、目を見開いた。


 私が居るのは大きなガラスの柱の中。分厚いガラスが円筒状になっていて、その中がちょうど空洞になっている。足元には灰色に塗装され、細かなスリットが刻まれた床が、そして頭上には何か液体を注入するためなのか、大きな水道管みたいな配管がぽっかりと口を開けた状態で佇んでいる。


 私が閉じ込められているガラスの柱の隣にも、全く同じものがあった。中にはあの時見た男の人が……いいえ、薬の買い手()()()()が相変わらずの化け物のような姿で強引に押し込められている。


 まだ生きているようで、肉体は膨張を続けていた。脇腹から人間の生首が生えて、肩からは赤ん坊の顔が浮き出てはぎゃあぎゃあと泣きわめいている。


 変貌していく自分の肉体への恐怖と耐えがたい苦痛に、彼の精神はもう滅茶苦茶だった。


 感情がバグったのか、それとも精神が崩壊したのかは専門家じゃないから分からないけれど、彼はゆっくりとこっちを見た。口の中には不規則に歯が生え、左の瞳は溶け崩れ、右の瞳は7つに分裂してビクビクと痙攣している。


 その口が確かにこう紡いだ。た、す、け、て……助けて、と。


 けれども、私にはどうしようもない。


『おやおや、お目覚めかい?』


 嗜虐的な少女の声が聴こえた。


 見ると、そこには例の”蒼い子”がいた。コートにあるフードを取り、蒼い髪を照明に晒す彼女。見間違いではないと思うけれど、その頭髪の中からはドラゴンの角を思わせるブレード状の突起が2つ、確かに伸びていた。


 獣人のケモミミなんかじゃない、あれは確かに角だ。


「ちょっと、開けて! 出してよ!!」


 バクバクと不規則な鼓動を刻む身体に鞭を打ち、右手の握り拳をガラスの柱の内側にガンガンと叩きつけながら叫んだ。もちろん、私なんかの力じゃびくともしない―――それこそ、ビルとかアパートを解体するのに使う重機でも持ってこない限り、たぶんこのガラスの柱は壊れない。


 そんな私の姿を滑稽に思ったのか、蒼い子は『くっくっくっくっ……』と笑い始めた。


『無駄だよ、そのガラスは厚さ1m。生身じゃあどうしようもない』


「私たちをどうするつもりよ!?」


『まあ、キミたちのおかげでかなりの資金が手に入った……その事には感謝しているよ』


 そう言いながら手を差し出す蒼い子。すると天井からするすると伸びてきたメカアームの細いマニピュレーターが、水の入ったコップと何か錠剤のようなものを彼女に手渡した。


 蒼い子はそれを受け取ると、錠剤を口に放り込んでからコップの水を一気に飲み干し、コップをメカアームに預ける。するとその機械の腕はするすると天井へと戻っていき、やがて薄暗い天井のどこかへと消えた。


『失礼、食事がまだでね……生まれつき味覚に障害があるんだ。だから栄養サプリメントで済ませている』


 ほんの少しだけ寂しそうに、けれどもそれほど気にしていないような口調で蒼い子はそう言ったけれど、私たちからすればそんな事はどうでもいい。味覚に障害があろうが何だろうが、一刻も早くここから出してほしい。


 しかしその願いは聞き届けてもらえない……それは確かだった。


 ガンガンッ、と隣の装置の中から激しく叩くような音が聞こえてくる。さっきの人だ。膨張を続けた肉体はもはや人体の面影を残しておらず、肥大化した肉塊にただ無造作に、老若男女の様々な人体のパーツを繋ぎ合わせたかのような、何とも醜悪極まる姿になっている。


 それに耐えられなくなったのだろう、のたうち回るようにガラスの柱の内側を殴りつけていた。既に拳の皮が裂け、その傷口から新たな指や骨が生え始めている。


『おやおや……参ったね、膨張のペースが想定外だ。このままじゃあ装置が壊れてしまう』


 困った困った、と続けながら、彼女は隣の装置に向かってポケットから取り出したリモコンのスイッチを押した。


 装置の上部に備え付けられた配管のバルブが自動で解放され、そこからピンク色の液体が迸る。


 半透明の塗料を思わせるそれは、瞬く間にガラスの柱の中で暴れていた男の肉体を呑み込んだ。


 それに連動したかのように、ガラスの柱の表面に幾何学模様が浮かび上がり始める。赤々と光を放ち始めるや、稼働を開始した装置が勢いよく蒸気を発しながら振動を始めた。


 鼻歌を口ずさむ彼女の視線の向こうでは、異形と化した男の身体に異変が生じていた。


 装置の中を満たす薬液の中、酸素を求めてばたつかせていた腕の指先―――それが唐突に、ずるり、と崩れたのだ。


「―――!!」


 思わず両手で口元を覆った。


 指先だけではない―――腕の肉も、足も、身体中から生えた人体のパーツも、頭も、顔も、何もかもが()()()()()


 やがて表皮が完全に溶け、ピンク色だった薬液が毒々しい紅色に変色し始める頃には、既に内臓や骨が覗いていた。やがてそれらも泡を発しながら薬液の中に溶けていき、隣の装置の中には人体の骨すらも残らなくなる。


 装置に浮かぶ幾何学模様が点滅を始めると、装置の下部から伸びるベルトコンベアが稼働を始めた。


 薄暗い装置の中から、真っ黒なゴム製のベルトコンベアに乗って姿を現したのは―――見覚えのある、紅いアンプルだった。


「あれって……!」


『そうさ、キミがボクから買ってた薬だよ』


 胃の中に詰まっていたものを全部、足元にぶちまけた。


 信じられない―――じゃあ、じゃあ私が今まで飲んでいた薬の原料は……あんなに高いお金を払ってまで、魔術を使うために買っていたあのアンプルの原料は……!


『魔術の適正を持たぬ者に疑似的な適性を与えるにはどうすればいいか。答えは単純、()()()()()()()()()()()()()()


 そう言いながら、蒼い子はベルトコンベアに乗ったアンプルの一つを手に取った。


『まあ、とはいえこれは副産物に過ぎない。ボクの目当てはこっちじゃないんだ』


 鼻歌を口ずさみ、目の前で1人の人間が溶けて死んだというのに気にもかけない蒼い子。サイコパス、という言葉をどこかで聞いた事があるけれど、まさに彼女の事を指し示す言葉なのかもしれない。


 彼女が装置を操作すると、ガラスの柱がゆっくりと上にスライドしていった。


 さっきまで1人の人間が収まっていたガラスの装置―――その中にはただ1つ、握り拳程度の紅い結晶のようなものだけが残されている。


 ルビーの原石のようにも見えるけれど、違う。


 あれは……あれはいったい……?


『わかるかい、【賢者の石】だよ』


「賢者の……石……」


 賢者の石―――多くの魔術師が欲する、魔力損失0%を誇る唯一の物質。


 その多くは隕石に乗って地球外から飛来した物質とされ、希少価値は非常に高い。中には自分の財産全てを投げ打ってまで買い求める魔術師もいるらしいけれど、魔術の適正もない私には無縁な存在だった。


 隕石が落下した場所でしか採取できないと言われていたそれを……まさか、人工的に作り出した……?


 その原材料はやはり―――人間。


『あのアンプルはあくまでも副産物、ボクの目的は最初からこれだった。まあ、これを”組織”に収めながら副産物を売り捌き、その金を活動資金にするというのがボクの任務だからね。売れ行き次第で研究のための費用も増減するから、キミたちが愚かで本当に助かったよ』


「あなた……こんな事をして、何とも思わないの!?」


 人を踏み躙り、追い込んで、富を搾れるだけ搾り取ってから後は賢者の石の材料にする―――それでいてあんな表情を浮かべられるのだ、彼女は人間なんかじゃない。姿かたちは人間のそれでも、その内面は悪魔のそれだった。


 けれども、彼女はその糾弾の言葉をものともしない。


『―――思わないよ、何も』


 ゾッとするほどドスの効いた声だった。


『自ら文明を生み出す事も知らず、旧文明の遺産に依存し縋る事しかできない劣等種―――キミたち愚かな獣人に存在意義を与えてあげているのさ、このボクは』


「存在……意義……?」


『そうさ』


 賢者の石をまたしても天井から伸びてきたメカアームに預け、彼女はさながら舞台俳優のような芝居がかった動作で両手を広げた。


『―――ボクたち”テンプル騎士団”に消費される、資源としての存在意義をね!』


 狂っている、というのが私の正直な感想だった。


 こんなにも倫理観を持ち合わせておらず、しかも傲慢な連中に―――好き勝手にされ、搾取されていた自分が悔しくてたまらない。


 叶う事ならこのガラスの柱をぶち破って、このクソガキの喉を締め上げてやりたい。獣人を舐めるなと、私たちを舐めるなとわからせてやりたい。


 けれども、それも叶わない。


『というわけで、キミの身体も有効活用させてもらおうか。どうせもうお金持ってないんでしょ?』


 そう言いながら、蒼い子はリモコンのボタンを押した。


 バルブの開く金属音―――頭上から、あのピンク色の薬液が落ちてくる。


 




 ―――ああ、ワレリー。






 ―――最期に、会いたかったな。

















 唐突に、ガラスの柱に亀裂が生じた。


 ビギッ、と放射状に広がる亀裂。それが強度不足だとかそんなものではなく―――その表面にめり込んだ一発の弾丸によるものだと思った次の瞬間だった。


 薄暗い天井から舞い降りた大きな人影―――フリルのついたメイド服を身に纏ったその人影が、その亀裂の生じた壁面を思い切り拳で殴打したのだ。


 ドゴンッ、とまるで砲弾が直撃したような、腹の奥底に響く轟音。


 それについに耐えられなくなり、ガラスの柱が勢いよく砕け散った。


「―――!」


「よう、無事?」


 ひょこっ、とメイドさんの後ろから顔を出す小さな人影。


 彼女には見覚えがある―――あの時、ビントロングの獣人の子を引き連れてヴォジャノーイと戦っていた異名付き(ネームド)の冒険者。


 ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ―――どうして彼女がここに?


 びっくりする私の手を掴み、装置の外へと引っ張り出すミカエル。見慣れない銃を身に着けた彼女は私が無事である事を確認すると、「ああよかった、これでクライアントも喜んでくれる」と優しそうな笑みを浮かべる。


 クライアント……誰かに頼まれたの?


「ワレリーとかいう冒険者の兄ちゃんから依頼されてね。”喧嘩別れしちまった手のかかる()()を助けてくれ”ってさ」


「……!」


 ワレリー……あなた……!


「さて、と」


 視線を蒼い子に向けるや、優しそうな雰囲気を発していたミカエルの様子が変わった。


 獣が戦闘態勢に入ったような……牙を剥き出しにし相手を威圧するような、そんな感じだ。






「―――んじゃあ、悪者退治と行きますか」





「はい、ご主人様」





 隣に控えていた色々でっかいメイドも、銃口を蒼い子へと向ける。


 2人に銃を向けられてもなお、蒼い子はケタケタと笑っていた。







 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 間一髪でしたか…少なくとも間に合いはしましたね。最初クライアントが単独行動を取り始めた時は、これ二重遭難で契約失敗かと思いましたが…ミカエルくん、すっかり頼もしくなりましたねえ。こんな彼に…
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