「悪魔」と「悪魔」
正直、あのアンプルの成分が何なのか―――どんな材料で作られた化学物質なのか、それは依然として不明である。
現時点で判明しているのは、それは服用した人間に一時的に魔術の適正を付与し、才能の無い者でも魔術の発動を可能とする事。これは魔術の適正を持たずに生まれてきた人々にとっては大変魅力的に映るだろう―――生まれつきの素質で魔術師になれるか否かが概ね決定づけられ、後天的な要素でそれを覆す方法は存在しない事になっていたからだ。宗教と魔術、両者の歴史が始まった30万年前から例外なく、だ。
それをこんな、指先程の大きさのアンプル一つで覆す事ができるとなれば、多くの”持たざる者たち”が群がるだろう。これで今まで散々見下してきた魔術師たちを見返してやれる、やり返してやれる。散々自分たちを見下し、あるいは虐げ、いないものとして扱ってきた連中への劣等感は尋常ではなく、彼等と同じ土俵に立ち力を見せつけることができると知れば、喉から手が出るほどそれを欲するであろう事は想像に難くない。
しかしそれも、”中毒作用”を知らなければの話。
この薬を売り捌いているバカタレは、それについては伏せていた。
意気揚々と薬を服用し、段々と調子がおかしくなっていく自らの肉体、その異変に気付いた頃には既に後の祭り。定期的に同様の薬を服用しなければ耐えがたいほどの苦痛を味わう身体に作り変えられ、そのバカタレに金を貢ぐだけの傀儡と成り果てる。
そしてそれは、永遠に終わる事はない。やがて肉体が薬の負荷に耐えられなくなり、ボロボロになって、苦痛の果てに自壊していくその日まで、搾取する側とされる側の関係は変わらないのだ。
まったくもって胸糞の悪い話である。
S&W M986を上着の内ポケットに収め、予備のスピードローダーをポケットの中にいくつか忍ばせた。後は折り畳み式のナイフと触媒の仕込み杖、それだけを得物とし、クラリスを引き連れ列車の外に出る。
「どうなさるおつもりです、ご主人様」
「決まってる」
目つきを鋭くしながら、確かな意思を滲ませ告げた。
「……犯人を捕まえる」
「どうやって」
「まずリジーナ・カミンスキーを探す。彼女もやがて薬の在庫が切れる筈だ……そうなったら、犯人と薬の取引に赴くに違いない」
「そこを押さえるというわけですわね」
「そういうことだ。クライアントには悪いが、彼女を餌に使わせてもらう」
結局のところ、それしか手はない。
相手の正体が不明、薬の流通経路もその犯人が直接販売しているであろうもののみとなれば調べようがない。一応、パヴェルとカーチャが全力で調査してくれているが……パヴェル曰く「収穫には期待してくれるな」との事だった。あのパヴェルが珍しく弱気な発言をしている事も、今回の問題解決の難しさを物語っている。
あくまでも俺は冒険者、裏の顔は泥棒。だが奪うのは金であって命ではない。泥棒であって殺し屋ではなく、故に信条は”盗み”であって”殺し”であってはならないのだ。
だが、相手が法で裁けないような相手であった場合は―――その時は、代わりに俺が裁きを下す。
列車にはパヴェルとカーチャ、シスター・イルゼ、それからルカとノンナの5人を残す。ルカとノンナについては単純にこの作戦に戦闘要員として出すのは危険すぎるからで、カーチャとパヴェルには諜報面での活躍を期待している。シスター・イルゼは2人のサポート兼即応要員として列車で待機していてもらう。
俺、クラリス、モニカ、リーファ、範三の5人で市内を捜索。リジーナを発見したら彼女を見張り、犯人のところまで案内してもらう。もし仮に先に犯人を発見した場合はそいつを確保、締め上げて色々と吐いてもらう事になる……聞きたい事が山ほどあるからな。
情報が殆どなく、そのせいで薬の製造拠点などの場所も不明だ。もし何か手掛かりが掴めれば製造拠点を叩き、薬品の流通を止められるのだが……。
改札口を抜けたところで、ポケットの中のスマホが震えた。取り出して画面を見てみると、そこにはウシャンカを被ってAKを担いだヒグマのアイコンが表示されている。パヴェルが『自画像』だと公言している彼作のイラストだった。
「もしもし」
《ミカ、一つ忠告がある》
「なんだ」
いつにもなく慎重な声だった。
《例のアンプルの中身……この世界のあらゆる薬物と比較してみたが、どれも成分が一致しない》
「……どういうことだ」
《分からん。薬の成分も技術と同じだ、必ず何かしら似通った部分が出てくる。成分の配合が違ったりとか、比率に差異があったりとかな。だがこのアンプルの中身は違う……他の薬品との技術的類似点、成分、配合の頻度……どれをとっても一致しないんだ。まるでこの世界の存在じゃあないみたいに》
「まさか」
嫌な予感はしていた。
適性の無い人間に魔術の適正を与える―――多くの科学者が挑戦し、夢半ばで頓挫していった計画。魔術の適正、生まれながらの才能、それを後天的な要素で何とか覆せないかと科学の力を借りたアプローチは大昔からあった。それこそ、旧人類の時代からだ。
しかしそれが実を結ぶ事はついになく、いずれも科学研究の歴史の闇へと埋もれていったのである。
そんな成功する見込みのない発明品をあっさりと形にする―――とんでもねえ副作用があるが、それでも当たり前のようにブレイクスルーを引き起こしてしまう科学力、その持ち主には1つだけ心当たりがある。
《気をつけろ。今回の件、テンプル騎士団が絡んでいるかもしれん》
「何のために」
《色々あるだろ。被験者を使った薬の実験とか、データ収集とかな……あるいは》
そこまで言ったパヴェルは、何度か咳払いをしてから言葉を紡いだ。
《……案外、連中も資金繰りに苦労しているのかもしれん》
そこまで告げたところで、電話が切れた。
資金繰りに苦労している―――テンプル騎士団が?
あの、闇の中からいきなり現れるホラー映画の殺人鬼みたいな連中が?
得体の知れない連中が、よりにもよって資金繰りに苦労している……信じられない話だが、あり得ないというわけではないのかもしれない。連中がどれだけ優れた技術力を持っていると言っても、その先進的な兵器を作り出すには資材が必要になるだろうし、部品の調達にも金がかかる事は想像に難くない(無論兵器の維持費もだ)。
組織の実情が見えない以上は推測するしかないが、可能性の一つに加えておいてもいいだろう。
第一、連中の資金源は過去に何度か潰している。ザリンツィクでの赤化病や特効薬転売の件は記憶に新しい。
いずれにせよ、この薬物事件を放置しておくわけにはいかない。
終わらせる―――絶対に。
いつからだろうか。
酒を飲むか、AKをぶっ放すか、こうして研究をしていないと気が済まない身体になってしまったのは。
ソファに横になって安物のスナック菓子をパクつき、ピザのデリバリーを頼みながら炭酸の抜けた飲み物で喉の渇きを癒して、カーテンを閉め切った部屋の中で一昔前のB級映画を垂れ流す―――そんな堕落した日曜日には、以前までであればそれなりの魅力を感じていた。身体中から力を抜き、やるべき事を全て放り出して、”何もしない”事に専念する時間。
あるいは映画の代わりにラジオを聴いても良い。その辺で山積みになっている成人向け雑誌に手を伸ばしてもいい。やる気がないなら好きなだけ眠ってもいい。
そんな堕落しきった休日に、しかし今となっては何の魅力も感じない。
意識の変化を自覚して、どうやら自分は誰かに頼られていないとやる気が起きない人間なのだと気付かされる。
ミカと出会う前はといえば、Sランク冒険者の資格を持っておきながら本業を蔑ろにし、スクラップのレストアで生計を立てながらだらりと過ごしていた。酒場でウォッカを浴びるように飲み、べろんべろんに酔っぱらって、けれどもそれなりに仕事はする―――そしてその裏でやるべき事はきっちりやる、そんな毎日だった。
けれども今は違う。ミカに頼られてる。
それがたまらなく嬉しくて、今はこうして勤勉に働いているというわけだ。労働者の鑑? 結構、勲章は後にしてくれ。
山のような書類に目を通し、市内を巡回させているドローンがピックアップしてくる情報をPCに片っ端からダウンロードしてチェックしていると、自然とあくびが出た。
身体のおよそ7割を機械部品に置き換えたというのに、人間としての生理現象とは無縁ではいられないらしい。つくづく非合理的で、扱い辛い身体だ―――機械化が中途半端であるが故に両方の悪いところばかりを受け継いでしまっている。
勘違いしてほしくないのは、俺はロボットになりたかったわけではない。あくまでも戦うため―――復讐のために、身体の機能を失った部位を機械に置き換えただけだ。
「パヴェル、そろそろ休憩したら?」
棒付きのキャンディを煙草みたいに口に咥え、カラー写真片手に猫の足跡が描かれたマグカップを拾い上げたカーチャが言う。
コーヒーの香り―――ミルクも砂糖も入らない、混じりっ気なし、雑味無しの純粋な無糖。紅茶派が多数を占める血盟旅団の中にありながら、カーチャはコーヒーの無糖ガチ勢だった。特にどの銘柄のコーヒー豆が良いだとか、そこまではしては来ないもののこだわりはあるらしい。
とはいえ、カーチャも無理をしているのは明白だった。
彼女が口に咥えているキャンディはパヴェルさん特性の『徹夜キャンディ』―――24時間不眠不休で戦うため、カフェインを許容量ギリギリまで配合した代物だ。労働基準法に中指を立てる勢いのブラックさであるが、ちゃんとキャンディ自体もブラックなので許してもらえるだろう(?)。
PCのキーボードを叩きながら、振り向かずに俺も言った。
「お前こそ仮眠を摂れ」
「なんでよ」
「目の下のクマが酷い」
カタカタとキーボードを叩き、マウスをダブルクリックしてデータファイルにアクセスしながらストレートに言った。
「寝不足は美容の天敵だぞ」
「へえ、気遣ってくれるの。嬉しい事言うじゃない」
「俺はマネージャーだからな」
それに、ミカが心配する。
口には出さなかったが、きっとミカも心配するだろう。
転生者殺しの一件で連中の復讐の片棒を担いでいたカーチャ。事実上、敵から寝返った形で加入した血盟旅団の新たな仲間だが、当初はなかなか仲間の輪に溶け込めず孤立気味だった。
そんな彼女を気に掛け、よく絡みに行っていたのがミカだったのだ(あとノンナもよく懐いていた)。
「仲間に倒れられたら困る、少し仮眠を摂れ」
「……わかった。ただしパヴェルも無茶はしない事」
「はいさ」
無茶、ねぇ。
あの頃と比べりゃあ天国さ……いつ砲弾が降ってくるかもしれない塹壕で戦い、飯を食い、仲間と語らい、眠り……次の日に目を覚ましたら隣の奴が砲弾の破片でやられてた、なんてことが当たり前だったあの頃と比べれば。
俺もちょっと休憩するかな、と肩を回した。右の鎖骨がゴキリと音を立て、肉の中で義手のコネクターが軋む音を立てる。
ふぃー、と息を吐きながらマグカップの中に忌々しいコーヒーを注いだ。それにウォッカと卵黄をぶち込んで混ぜ合わせ、口へと運ぶ。
とにかく酒だ、それからカフェイン。
マグカップを一旦置き、研究室にある顕微鏡へと向かった。プレパラートには既に紅い結晶のようなものが乗っている。
―――賢者の石だ。
俺が持っている天然モノではない。ウガンスカヤ山脈で鹵獲したテンプル騎士団のBTMP-84、その装甲材に使われていた代物だ。
一息つくため、情報収集を一旦ストップして研究をする……なかなか狂っているとは思うが、これがストレス解消だったりする。常に何かやっていないと気が済まない。誰かに頼られていないとやる気が出ない。
こりゃあ引退して独り身になったらどうなるんだろうな。生活習慣の悪化が祟って早死にしそうだ、なんて最悪の老後を想像しながら顕微鏡を覗き込んだ。
手持ちの賢者の石とテンプル騎士団から鹵獲した賢者の石―――両者の比較試験を最近では行っている。
賢者の石は希少な物質で、隕石が落ちた場所でしか採掘ができない。最規模な鉱脈も無く、その希少性の高さと魔力損失0%という性質から多くの魔術師が欲する触媒の素材として高値で取引されており、隕石の落ちた場所でしか採掘できないという点から、隕石と共に地球外から飛来した物質なのではないかとされている。
さて、そんな希少な物質だが……テンプル騎士団はそれを魔術の触媒にではなく、戦車の装甲に使っていた。
なぜか?
答えは単純明快、”軽くて硬い”からだ。
テストの結果、厚さ1mmのプレート状の賢者の石であれば12.7×99mmの直撃を受けても傷一つ受けず、変形もない―――こんな防御力の素材が、今までに存在しただろうか。
軽さと防御力を兼ね備えたそれは、兵器設計者にとっては夢のような素材と言えた。
兵器の設計には必ずと言っていいほど重量制限が生じる。そしてその制限重量内で収めるため、真っ先に妥協として切り捨てられるのは装甲だ。防御力を高めればそれだけ重くなるのが道理だが、しかし賢者の石を使えばその限りではない。
防御を高め、なおかつ制限重量に余裕を持たせられるのだから。
テンプル騎士団は魔術の触媒としてより、装甲材としての用途に価値を見出したのだろう。
が、しかし。
「……?」
プレパラートの上の鹵獲した賢者の石を見ていた俺は、違和感を覚えた。
まさかなと思い、顕微鏡の側面にあるダイヤルを弄って倍率を変更―――さらに拡大し、賢者の石を見る。
そこで、その……賢者の石を見た俺は、ビビってしまった。
”ウェーダンの悪魔”だなんて異名を欲しいがままにしたこの俺が、凍り付いてしまったのだ。
「おいおい、これって……」
まさかとは思うが……。
テンプル騎士団から鹵獲した賢者の石。
戦車の装甲材として湯水のように使っていたテンプル騎士団の連中であるが、当然ながら賢者の石の埋蔵量はそう多くない―――あまりにも贅沢すぎる使い方だ。
いったいどこからそれだけの量を集めてきたのか。
その理由が―――もし、俺の推測通りだというのならば。
「奴ら……本物の悪魔じゃあねえか」




