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リジーナ・カミンスキー


 リジーナ・カミンスキー。


 以前まではEランク冒険者だった女だ。ミスが多く、戦闘が得意というわけでもなく、魔術の適正もない。彼女には失礼だが劣等の二文字に手足を生やしたような、そんな感じの冒険者だったという。


 つい数日前までは他の冒険者と組んで……というより、腕の立つ他の冒険者に寄生パラサイトするかのように一緒に行動していたらしいが、しかし彼女に足を引っ張られ続けた相方もさすがに嫌気が差したのだろう。最近ではパーティを解散、お互い単独ソロで別の道を歩んでいるようだ。


 そんな冒険者の底辺とも言える彼女が……今の魔術を?


 キョトンとした顔でこっちを見ているリジーナを尻目に、俺は視線をもう一度さっきの魔術―――炎の奔流が駆け抜けた燃え跡に向けた。確かに地面には燻る痕がいくつも残り、直撃を受けずとも掠めただけで発火したり、熱気で水分を奪われ干からびたヴォジャノーイの死体がいくつか転がっている。


 魔術が飛んできた時なんか大気がプラズマ化していて、もしかしたら俺の身体も発火してしまうのではないかという恐怖があった。もしそうなったらコイツを未来永劫呪う事になっていただろうが……まあ、そんな事にはならなかったのだ。それでいいではないか。


「お姉ちゃんさぁ、なんて事してくれたんだ」


 服に付着した土を払い除けながら、ルカがそんな抗議の声を挙げた。


 まるで遊び道具を取り上げられた子供のような、というか楽しみにしていた遊園地が親の都合でお預けになった事を抗議する子供を思わせる表情で不満を言葉にするルカ。彼の気持ちは分からんでもないけれど、一番困惑するのは間違いなくリジーナであろう。


 こちらを助けたつもりだったのに、その助けた相手に抗議の声を向けられたとなっては混乱もする。案の定、先ほどまで親しげな笑みを浮かべていた彼女は困惑していて、視線は右へ左へと泳いでいた。


「え、なんてこと……って」


「あれは俺たちの獲物だぞ? それに俺は冒険者見習い、こうやって実戦を経験できるのは良い機会だったんだ。それなのに……こんな、一撃で全滅させちゃうなんて」


「あっ……ご、ごめ……」


「あーあ、みんな燃えちゃった……コイツらの足、無事に剥ぎ取れたら追加報酬ももらえる筈だったのに……」


「ルカ、よさないか」


「だってミカ姉!」


「彼女はこちらの状況を知らなかったんだ。確かにお前の気持ちも分かるが、助けてあげようという彼女の厚意を無下にしちゃあいけないよ」


 銃を背負い、彼女に軽く頭を下げた。


「こちらの連れが失礼した。支援、感謝する」


「あっ、いえ、こちらこそ……ごめんなさい、なんだか横取りしちゃったみたいで」


「いやいや、おかげでこっちも無事に仕事が終わったんだ。追加報酬は望めないけど、手っ取り早く終わったし俺も彼も無事だ。それでいいじゃないか」


 命あってこそのなんとやらだからな、と言葉を続けると、先ほどまで申し訳なさそうだった彼女も少しだけ表情が和らいだ。


「……ところであなたも見習いさん?」


 再びキョトンとしながら問いかけてくるリジーナ。視線はルカ……ではなく、俺に向けられているようだ。


 まあ無理もないだろう……この容姿だから。


 冒険者登録できるのは17歳からだ。しかし特例として、15歳以上であれば冒険者見習いとしての仮登録ができ、実務経験3年以上の冒険者が同伴した場合に限り、仕事に行ったりダンジョン内の調査に参加したりできる。


 他の冒険者よりも下積み機関が2年伸びるという事で本登録時には即戦力となりうる事もあり、各ギルド間で見習い希望者の勧誘や奪い合いが激化していたりするのだそうだ……俺には無縁な話だが。


 そしてミカエル君の容姿は身長150㎝、ミニマムサイズの男の娘。傍から見れば見習いにも見えるだろう……たぶん。


 というか解せないのが異名に名前負けしているように思われる点だ。”雷獣ライジュウ”なんて立派な名前がついているけれど、傍から見ればただの幼女である。誰だって俺の他に誰か仲間がいれば、そっちが”雷獣のミカエル”だと思うはずだ(実際に何故かパヴェルが何度か間違われている)。


 やんわり否定しようとしていると、隣で憤慨したルカが声を張り上げた。


「失礼だな、この人はマジの冒険者だよ!」


「えっ!?」


「しかも異名付き(ネームド)だ、あの”雷獣ライジュウのミカエル”だぞ!!」


 雷獣、という異名を耳にした瞬間に彼女の目が変わった。


 先ほどまでの小さい子を見る大人のような目から、まるで肉食獣を見る草食動物を思わせる、弱々しく怯えるかのような目つきに変わったのである。


「雷獣の……ミカエル……け、血盟旅団の……!?」


「ああそうだよ、ミカ姉はとっても強いんだぞ! お前なんか一瞬で」


「ルカ、やめなさい」


「……はぁい」


 気持ちは分かるがそんなに攻撃的にならなくても……と弟分を宥めていると、急にリジーナが咳き込み始めた。風邪かな、と思いながら見ていると今度は苦しそうに胸を押さえ始める。


 なんだ、何かの発作か?


「だ、大丈夫?」


「だいじょうぶ……ゴホゴホッ、大丈夫っ、だからっ……!」


 顔にはびっしりと脂汗が浮かんでいた。


 何か持病でもあるのか……彼女は慌てるように廃屋の陰へと走っていった。


「大丈夫かな?」


「さあ……?」


 万一これでぶっ倒れた、なんて事になったら大変だ。冒険者には仕事中に他の冒険者を可能な限り救出しなければならないという規定もある(もちろん多くの冒険者がこれを蔑ろにしている)が、そうじゃなくても人道的にとにかく救いの手は差し伸べなければならない。


 もし何かの持病があって、あれがその発作なのだとしたら病院や然るべき医療機関に連れていく必要がある。こっちには車があるのだ、いざとなったら彼女を乗せてツォルコフまで戻ればいい。


 大丈夫か、と声をかけながら廃屋の陰を覗き込むと、リジーナはぜえぜえと息を切らしながら必死に呼吸を整えていた。ハンカチで脂汗を拭い去る余裕があるところを見ると、どうやら発作は収まったようだけど……。


「……大丈夫?」


「ふぇ? あ、ああ……大丈夫、大丈夫よ」


「何か病気でも? 良ければ病院まで乗せていこうか?」


「い、いえ、大丈夫。お気遣いありがとう……私はこれで」


「あ、ちょっと」


 早口でそう言うなり、リジーナはぺこりと頭を下げてからどこかへと走り去っていった。


「……何なんだあの女」


「さあ」


 うーん色々と謎の多い女だ。


 まあいいや、こっちも仕事が終わってしまったし帰ろうか……とルカに帰還を促そうとしたその時だった。


「……ん?」


「どうしたのさミカ姉」


「お前コレ……」


 先ほどまで彼女が苦しんでいた、廃屋の陰。


 朝露で湿った草むらの中に、キラリと光る何かがあった。雑草の葉に残った朝露などではない……ガラスだ。ガラスでできた何かが日光を受けて反射しているのだ。


 恐る恐るそれに手を伸ばし、摘まみ上げる。


 光の正体は……見覚えのあるアンプルだった。


 指先ほどの大きさで、中にはうっすらと紅い薬液が残っているのが分かる。血のようにも見えるが、よく見ると安物の塗料を思わせる半透明の液体だ……思い出したくないが、テンプル騎士団の機械人間、その人工血液を思わせる色合いである。


 そう、例の銀行強盗が所持していたアンプルと全く同じものなのだ。


「コイツは……いったい……?」


 そこで思い出す―――元々、リジーナ・カミンスキーという冒険者に魔術の適正は無かった、という事を。


 洗礼無しに魔術を使ってきた強盗にテロリスト、そして適性が無かったはずなのにあんな魔術をぶっ放したリジーナ・カミンスキー。


 パヴェルの解析で判明した、この薬品には中毒作用がある事。


 なんだろうな……嫌な事ばかりが、最悪な現実ばかりが断片的に、しかしお互いに繋がりを持っているように思えてくるのは、決して俺の考え過ぎなどではないだろう。


 全ては繋がっている。


 それも、全て悪い方向に……だ。

















 

「はぁ~、なるほどなるほど。件のリジーナ・カミンスキーがこれを所持していた、と」


 葉巻を咥え、もう片方の手でビーカーに入った薬品をシャカシャカしながらパヴェルは言った(オイそれ危険物じゃないだろうな???)


「……リジーナ・カミンスキーには魔術の適正は無かったらしい」


「だが、お前の目の前で魔術を使いヴォジャノーイの群れを焼き払った……おかしいな、偶然かな? 最近こういう事例多いよな?」


「偶然だったらどれだけ気が楽か……」


 でも偶然じゃあない……リジーナがあの強盗と同じアンプルを所持していた時点で、これは偶然などではないのだ。断片的に見えた事件が水面下で繋がっている―――つまりはそういう事である。


「なあミカ、お前ならこう考えてるよな? この中毒作用のあるアンプルを、裏でばら撒いているバカタレがいると」


「……ああ」


 パヴェルには見透かされていた。


 確かにその通りだ、俺はそう考えている。何者かがこのアンプルを裏でばら撒き、巨額の富を得ているのではないか、と。そして販売の対象になるのはいずれも魔術の適正がない、あるいは適正に恵まれなかった者たち。


「おそらくだが、コイツの効果は【一時的に魔術の適正を服用者に与える】という類のものだろ、明らかに」


「……だろうな」


「まあ、成分解析は結局できなかった。コイツを調合した奴は紛れもない天才だが、ここまでの事例を見ればその可能性は高い」


「適性がない連中からすると、まさに救いの手のように見えるだろうな」


 そのような”持たざる者”たちからすると、薬を服用するだけで魔術が使えるようになるというのはこれ以上ないほど魅力的に思えることだろう。特に冒険者界隈では上位に食い込んでいるのは殆どが魔術の適正に恵まれた者ばかりで、単純な戦闘力においてもその差は歴然である。実質的に”魔術適性の高さが戦闘の結果を左右する”と言っても過言ではない環境となっているのだ。


 そうなれば、範三のように腕の立つ剣士でもない限りは底辺へと追いやられる。生まれつきの素質だけでどこまで行けるか、どこまで上り詰めることができるかという事が概ね決定されてしまうのだ。


 そんな底辺に押し込まれ、見下され続けてきた者たちにとって、その垣根を取っ払う薬品があるというならば喜んで手を伸ばす筈だ。これを飲めばアイツに追い付ける、連中を見下してやれる……そんな劣等感コンプレックスがそのまま行動原理となるわけだが、しかしそこには大きな落とし穴がある。


 調合上必要となるからか、それとも意図的かは定かではないが……この薬には中毒作用があるのだ。


 一度飲んだだけではだめで、定期的に飲み続けなければならない。そうじゃなければ身体が満足しない。薬の成分が薄れた事に、その状態になれた肉体が誤動作エラーを起こす。


 あの時、廃屋の陰でリジーナが苦しんでいたのもそれならば辻褄は合う。あれは持病の発作などではなく、この薬を服用していた事による中毒……禁断症状だったのだとしたら。


「売る側は楽な商売だ。一度買い手がつけば嫌でもソイツはリピーターになる。頭ではいけない、離れなければと理解していても、身体が薬を求める……一度手を出せば、二度と離れられない」


「随分と詳しいな、パヴェル?」


「そりゃあな……現役時代、そういう商売の片棒を担いだ事もある。真っ黒な事はたくさんやった」


 だから俺が死んだら地獄に落ちるだろうな、とパヴェルは自嘲気味に笑って煙を吐き出した。


 地獄は恐ろしい場所だ。血の池があり、火の海があり、針の山があって、生前に罪を犯した者はそこで永遠の責め苦を味わう。それが嫌だから、怖いから、恐ろしいから人は悪の道には進まないようにする。善くあろうとする……けれども結局のところ、罪を犯す者はいるし、どれだけ死後恐ろしい目に逢うぞと喧伝しても悪人というのは生まれるものだ。


 人間の業の深さというのは、こういうところから来ているのかもしれない。


「さて、機関車の修理は既に済んでる。石炭も買い付けたし重油も補充OK、真水も確保したが……どうするね、団長?」


「……この一件、片付けてから出発したい」


「ハッ、そう言うと思った」


 短くなった葉巻を携帯灰皿に押し込んで、パヴェルは楽しそうに笑った。


 コンコン、と研究室ラボをノックする音が聴こえてきたのは、その時だった。


「なんだ」


「失礼します、ご主人様。お客様がお見えです」


 研究室ラボに入ってくるなり、礼儀正しくロングスカートの裾を摘まみ上げながら一礼したクラリスが簡潔に用件を述べる。「既にお客様は応接室にお通ししております」と続けた彼女に返事を返し、俺は研究室ラボを後にした。


 どうせアレだろう、直接契約の話だろう。


 いつぞやの冷凍加工会社の一件で実績を積み上げてからというもの、「この仕事はぜひ血盟旅団に」というクライアントが増えた。俺たちの名は富裕層にすっかり知れ渡っているらしい。


 おかげで高額な収入が安定して手に入る環境が整っているのだが、しかしこんな時に誰だろうか。列車に「CLOSED」とでも看板を掲げておけばよかったな、と半ば冗談でそう思いながら、クラリスに案内され応接室のドアをノックした。


 失礼します、と声をかけて中に入ると、部屋の中では赤毛の狼の獣人が1人、ポツンと座って待っていた。付き人はおらず、服装から冒険者である事が分かる。


「……あんたが、”雷獣のミカエル”?」


「ええ。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです」


「初めまして……俺はワレリー、冒険者やってます」


 席に着くと、クラリスがすぐに紅茶を持ってきてくれた。紅茶と小匙と、それから小皿に盛り付けたジャム。血盟旅団では紅茶派が多い事もあって、こういう客人をもてなす場では必ず紅茶が出てくるのだ。


 まあ、紅茶過激派のパヴェルの圧が感じられるが気のせいだろう(あいつコーヒーを泥水呼ばわりしてたぞ)。


「それで、用件は」


「その……前に組んでた相方の事でお願いが。リジーナっていうんですが」


 リジーナ・カミンスキー……ちょうどこっちでも話題に挙がっていたところだ。


 というか、一連の事件の渦中に居るのは間違いないだろう。


「彼女とは喧嘩別れみたいな感じになっちまったんですが、その……なんか最近のアイツ、変なんです」


「適性がないのに魔術を使った……とか」


「そ、そうです! それからアイツ、前に管理局の酒場でものすごく苦しそうにしてて……心配になって声をかけても反応がないし、なんか変な薬を飲み出すしで……俺、心配になっちまって」


 一見すると気の強そうなワレリーの目には、かつての仲間の変わり果てた姿を嘆くような雰囲気があった。一緒に滲んでいるのは後悔だろうか。


「あの時、パーティー解消なんてしなければ……俺が近くで見守ってやってたら、アイツこんな事には……!」


「……」


「……お願いです、報酬ならいくらでも用意します。アイツを……リジーナを助けてやってはくれませんか」


 ワレリーはそう言いながら、深々と頭を下げた。


 ガツン、と応接用のテーブルに、彼の眉間が軽く当たる。テーブルの揺れにつられてティーカップもカチャカチャと音を立て、紅茶の表面には波紋が浮かんだ。


「―――分かりました、善処します」


「ほ、本当ですか!?」


「ええ」


 元々、彼女が巻き込まれているであろう事件を調査するつもりだったところだ。


 裏で糸を引いてるのが何者か分からないが……引きずり出してやる、必ず。




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― 新着の感想 ―
[良い点] クライアントのワレリー氏が罪悪感を覚える程度の良心を持っていて、相談を受けたのがミカエルくんだったのが不幸中の幸いでしょうか…人為的な薬物中毒は厄介ですねえ。まあ、こう言うときのための汎用…
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