結局は金で得た力
廃工場なんて、この街にはいくつもある。
元々ノヴォシア帝国は農業大国だった。けれどもイーランド帝国での産業革命を皮切りに、世界各国で工業化へのシフトの流れになると、イーランドと肩を並べる大国ノヴォシアも遅れてはならぬと、皇帝陛下が息巻いて強引に政策を転換。結果としてノヴォシアもイーランドに一歩遅れる形で産業革命を迎え、今に至る。
けれども政策の強引な転換は社会に混乱をもたらした……お母さんから聞いた話だけど、農村部では大量の餓死者が出たり、都市部でも事業の失敗から廃業に追い込まれて大量の失業者が出るといった大惨事になったんだって。
そうして廃業となり、稼働を停止したまま捨て置かれた工場はこの国には多い。
私が”あの子”に指定された場所もまた、そんな不気味な場所だった。
まるで当時から時間が止まってしまったような、そんな空間だった。今と比較して古い機械たちが埃をかぶっていて、剥がれかけの壁には『働け、冬に打ち勝つために』なんてスローガンの書かれた色褪せたポスターが貼り付けられている。
どうやらここは、車のエンジンを組み立てる工場のようだった。産業革命当時、多くのメーカーが設立されては熾烈なシェアの奪い合いに参戦していったらしいけれど、その中で力のないメーカーは次々に淘汰されていって、今では力を持つ大手メーカーだけが跋扈している。
たぶん、ここもそのシェアの奪い合いに負けたのだ―――けれども、今はそんな事はどうでも良かった。
この、鼓動の度に張り裂けそうになる胸をどうにかしてほしい。
今にも血管が破裂してしまいそうな、そんな痛みを発する頭を何とかしてほしい。
この苦痛を取り除いてほしい―――その一心で、私は悪魔に魂を売る事にした。
財布の中には大金がある―――Cランクへの昇進も夢ではない、なんて言われる程に仕事をこなし、死ぬ気で貯めたお金がある。
ふーっ、ふーっ、と息を切らしながら辛うじて階段を上ると、二階から音楽が聴こえてきた。
美しいピアノの旋律―――”月の光”とかいう、異国から持ち込まれた音楽だ。ピアノの儚い旋律と崩れた壁から差し込む月明かりが音楽にマッチしていて、実に幻想な風景に思えたけれども、そんなものでこの苦痛を取り除けるわけがない。
息を乱れさせ、顔中に脂汗を浮かべながら音の聞こえる場所へと向かう。
工場の二階にあった応接室だった部屋の中―――扉を開けると、そこに確かに”彼女”はいた。
サイズの合っていない大きな大人用(しかも男性用と思われる)の黒く、そして紅いアクセントの入ったコートと灰色のワイシャツ、紅色のネクタイに同じく黒を基調に紅いアクセントの入ったスカート。健康的な両足はタイツに覆われていて、両手はサイズの合っていないコートの袖に隠れていわゆる”萌え袖”みたいになっている。
月明かりに照らされた頭髪は海原のように蒼く、やや外側に跳ねる癖のついた特徴的な頭髪は彼女の攻撃的で、嗜虐的な一面を現しているかのよう。短い頭髪の下から覗く相貌は血のように紅く、瞳の形状はドラゴンなどの爬虫類を思わせる。
衣服から露出している数少ない肌は雪のように真っ白で、あの嗜虐的な一面さえなく静かに佇んでいるだけならば、お人形さんのような儚さと美しさがあった。
けれども私は知っている。この”蒼い子”は悪魔なのだ、と。
きっと悪魔の使いなのだ、と。
「やあ、時間通りに来たねぇ。感心、感心」
「……薬を渡して」
「まあ、そう焦らないでくれたまえよ」
そう言いながら、彼女は私に向かって手を差し出した。払うものを先に払え、という事なのだろう。その態度には腹が立つけれど、けれどもこの苦痛を取り除けるのはあの薬だけ。彼女がくれた、あの紅いアンプルだけ。
背に腹は代えられない。財布を取り出し、中にあったライブル紙幣を全部彼女に渡した。合計20万ライブル―――大金だった。ワレリーと一緒に仕事をしていた時ですら、こんなに稼いだことはない。
札束をわざとらしく指で弾いて数えた蒼い子は、口元ににんまりと、それこそ三日月のような笑みを浮かべながら札束を上着のポケットに押し込んだ。その代わりに別のポケットから紅いアンプルを2つ取り出し、私に差し出してくる。
これが欲しかった。
私に力を与えてくれる薬―――半ば奪うようにそれを受け取ると、片方のキャップを外して中身を口へと運んだ。
このいかにも身体に悪そうなケミカル臭とひりつく喉の感触。最初は拒否感しかなかったけれど、今となっては愛おしい。まるで身体に必要なものが戻ってきたかのような感覚すら覚えて、身体中の全細胞がこれを歓迎しているようにも思えてくる。
「良い飲みっぷりだねぇ……クックックッ」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
薬を飲み干すと、身体中の苦痛が嘘のように消えていった。あんなに張り裂けそうなほど高鳴り、不規則だった鼓動が元通りのリズムを刻むようになり、弾けてしまいそうなほど痛んでいた頭の激痛もすっかり消え失せてしまう。
全ての苦痛から解放されたような、そんな開放感すら覚えた。
「じゃあまた、薬が切れたら呼んでくれたまえ。もちろんそれ相応の代金も忘れずにね」
それじゃ、と言い残し、蒼い子は部屋を出ていった。
苦痛から解放された安堵とは別に、心の奥底から、まるで泥濘のように不安が滲み出す。
今のままでいいのか、と。
あの薬のおかげで力が手に入った。それはいい。
けれども、あの薬を飲み続けなければこの苦痛を延々と味わう事になるし、その購入代金はかなり高くつく。このままでは私は彼女に、あの少女の姿をした悪魔に延々と搾取され続けることになってしまう。
何とかならないものか。
力に覚えれていたあの頃とは打って変わって、私は後悔していた。
あの時―――あの時、弱みに付け込んで薬を差し出してきた彼女を拒絶しておけば、と。
一度足を踏み入れたら二度と這い出す事の出来ない底なし沼に、膝の下までずぶずぶと沈んでいるかのような現状に、私はただただ後悔する事しかできなかった。
窓の向こうの風景は、ツォルコフ市街地のものからすっかり郊外の風景に変わっていた。
平原と農村部。のどかなそこを更に車で離れること30分、都市部からはなれたところにぽつぽつと廃屋が見え始める。
廃村だ。ノヴォシアがかつて、農業国から工業国への強引な転換を行った際に生じた大飢饉で実に国民の3割が餓死した事があったそうだが……当時の爪痕は農業にも、そして工業にもくっきりと刻まれている。
農村部では食糧生産がままならなくなったことで餓死者が多発、都市部では熾烈なシェアの奪い合いから落伍し失業者が大量発生……この苛酷な環境が帝室への不信感と、ノヴォシア共産党結成の下地を作ったとされている。
今回の仕事はそんな廃村に住み着いた魔物の駆除―――懐かしい事に、相手はヴォジャノーイだ。
イライナ南部に生息する、人型のカエルみたいな魔物たち。幼体の頃から人間を襲い、泥の中を好んで泳ぎ回る事から”泥濘の捕食者”とも呼ばれている存在であるが、成体に限られるものの両足の肉は珍味として重宝されており、中にはわざわざイライナまでその珍味を食べにくる美食家も居るのだそうだ。
さて、そんな珍味としての需要があるヴォジャノーイをイライナ南部でしか食べられないなんて……と思う業者はさぞ数多く存在すると思う。そしてそれを養殖し、ノヴォシアの地で販売すれば一儲けできるのではないか、とも。
それは別に良いのだ……逃げないよう適切に管理してくれさえすれば。
しかし今回の依頼主は盛大にやらかした。
檻の鍵を閉め忘れたのか、それともヴォジャノーイの凶暴さが想定以上だったのかは分からない。とにかく養殖のためにイライナ側から買い取ったヴォジャノーイが檻から脱走、警備員の男性2名を食い殺しこの廃村に逃げ込んだのだそうだ。
それが当局側にバレたら大事になるので、そうなる前に内密に始末してほしい……なんともまあアレな仕事だが、提示された金額は80万ライブル。悪い金額ではないので引き受けることにした。なお、クライアントはヴォジャノーイの肉が良好な状態で回収できた場合は報酬も上乗せすると通告しているので、足への射撃は厳禁となる。
マーリンM1895ダークの機関部右側面にあるローディング・ゲートへ、.45-70ガバメント弾を次々に滑り込ませていった。5発装填したところで一度コッキング、そっこからさらに1発装填し5+1発の状態にしておく。
再装填に時間がかかり、弾数もそう多くないレバーアクションライフルでは、1発でも弾が増えるのは極めて大きい。
機関部の上にはいつものリューポルド社製ドットサイトのLCOと固定倍率スコープのD-EVO。特徴的なM-LOKハンドガードにはハンドストップのみを装着し、極めて軽量に仕上げてある。
「そういえばさミカ姉、知ってる?」
「何が?」
ヴェロキラプター6×6の車体後部で揺られながら、AK-102を肩に担いだままキャンディを舐めていたルカが言った。
「最近、”リジーナ・カミンスキー”っていう冒険者が凄い勢いで実績を積み重ねてきてるって」
「ああ、なんか聞いた事あるな」
リジーナ・カミンスキー……以前までは冴えない、というよりミスが目立ちパーティーメンバーからも見放された哀れな冒険者だったというが、しかし一体何がきっかけとなったのか単独になってから頭角を現し、瞬く間にDランクへと昇進。近々Cランクへの昇級審査も控えているという大物新人だ。
一部では「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフを追い抜くのではないか」という少し癪に障る噂話も聞こえてくるが、そんな事よりも、だ。
そのリジーナ・カミンスキーという冒険者だが……”魔術への適正が一切なかった”という噂がある。もちろん、本人に直接聞いたわけではなく単なる噂話の可能性もあるが。
しかし、彼女は炎属性の魔術を使って頭角を現したという話だそうで、最近になって頻発している事件となにか関連があるのではないか、という疑念が俺の頭の中には常にあった。
まあいい、仕事の時間だ。
ヴェロキラプター6×6が停車、それを合図に後部座席からルカを連れて降りる。
今回の仕事はルカの実戦経験のためでもある。彼は冒険者見習いなので仕事をするためには実務経験3年以上の冒険者が同伴でなければならないと法令で定められているが、それに関してはパヴェルが車の運転席で待機しているからセーフだ。
とはいえパヴェルと、助手席で薄い本を読み漁っているクラリスが出てきてしまうと2人で無双してしまいルカのための練習にならないので、今回は2人には車で待機してもらう事となった。
『ヴォロロロロロ!!』
「ルカ!」
「了解!」
早速、廃屋の中からヴォジャノーイの成体が飛び出してきた。カエルと人を組み合わせたような外見で、大きな口の中には不揃いな牙が不規則に並んでいる。さながらワームの口のようでグロテスクだが、次の瞬間には5.56mm弾を射かけられ、頭を大きく揺らしながら地に落ちる羽目になった。
それを皮切りに、次々にヴォジャノーイたちが廃屋から飛び出してきた。
ヴォジャノーイの体表には水分を保持するための独特な”ぬめり”がある。その粘液で水分を簡単に失わぬよう保湿しているわけなのだが、しかしだからと言って晴れた日に外を堂々と歩くほど彼らも間抜けではない。日陰や湿った場所でじっとして余計な水分を失わないように息を潜め、狩りをする際にだけこうやって飛び出してくるのだ。
飛び出してくるヴォジャノーイを撃ち抜くルカの腕はなかなかのものだった。眉間に一撃叩きこんで確実に仕留めるや、すぐに次のヴォジャノーイに素早く反応しヘッドショットを撃ち込んでいる。
成長したな、と思う。
最初の頃なんか、魔物を見るだけで叫びながら銃を乱射していたものだが……今はまだ肩に余計な力が入っているものの、それでも最初の頃と比較するとずっとマシだ。”戦士の目”になってきている。
負けられないな、と思いながら、俺も背後から飛び出してきたヴォジャノーイの眉間に.45-70ガバメント弾をお見舞いした。ズガンッ、と5.56mm弾とはまた違う重々しい銃声が響き、背後から喰らおうとしていたヴォジャノーイの上顎から上が粉々に吹き飛んだ。
さすがアメリカ製の大口径レバーアクションライフル、狩猟用として重宝されるわけだ……鹿から大熊、果てにはT-REXまで撃ち殺せるその威力は、異世界でも健在らしい。
レバーを下げてコッキング。機関部側面のエジェクション・ポートから薬莢が踊り、次弾が装填される。
が、その時だった。
微かな熱気―――何か来る、と直感した次の瞬間には、俺はルカの襟を掴んで強引に地面に組み伏せていた。
「み、ミカ姉!?」
「伏せろッ!!」
その直後―――ごう、と熱風が薙いだ。
「うぉぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」と叫ぶルカの上に覆いかぶさり、熱から彼を守る。
熱線だ―――いや、炎の奔流だ。圧倒的魔力量で放たれる紅蓮の炎はさながら太陽から立ち昇るプロミネンスのようで、周囲には空間へと捻じ込まれる奔流の勢いについて行けず剥離してしまったのだろう、フレアのような炎が踊る。
周囲の大気をプラズマ化させながら突き抜けていったそれ。恐る恐る顔を上げてみると、周囲に居たヴォジャノーイたちの姿はもう無かった。
廃屋は燃え、さっきの炎に触れずとも水分を奪われ干からびたヴォジャノーイの死体がいたるところに転がっている。
「い、今のはいったい……!?」
「分からん、魔術っぽいが……」
すまん、と謝りつつルカの上から退き、周囲を見渡した。
いったい誰がこんな事を……?
「だ、大丈夫ですか?」
「え?」
廃屋の陰からやってきた女の冒険者に声をかけられ、顔を上げる。
そこに居たのは……いかにも気の弱そうなウサギの冒険者だった。
「わ、私、リジーナ・カミンスキーって言います。その、ヴォジャノーイに襲われてたみたいで……」
リジーナ・カミンスキー。
最近急激に活躍し始めた大物新人……こいつが?




