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月下急襲


 イリヤーの時計の針は、午後10時を指し示していた。


 辺りはすっかり夜のとばりが降り、規則的に並んだ街灯が道路を無意味に照らしている。


 日が沈み、夜が深まれば少しは静かになるだろうかと思ったがそういうわけではないようで、遠くからは車のエンジン音やクラクションの喧騒が響いてくる。


 暗闇の中、スマホを取り出し画面をタップした。パヴェルが用意してくれたアプリをタップするとロード画面が表示され、バーが右端まで伸びるや画面に上空のドローンからの映像が映し出される。


《―――建物内には少なくとも8人の構成員を確認。軽装だけど油断しないで、拳銃くらいは持ってる》


「―――奴らはクロ、か」


《ええ、残念ながら》


 カーチャに先行偵察を依頼し張り込んでいてもらったのだが、どうやら彼女も連中をウロボロスの構成員であると判断するに足る”確たる証拠”を入手したようだ。


 決め手となったのは電話の盗聴だ。連中の1人が備え付けの電話で誰かと話をしていたのをカーチャがドローンで盗聴していたわけなのだが、その会話の内容が近いうちに宗教施設を襲撃するように、という指示だったのである。


 尻尾を出さず、当局も捜査令状を取れないほど慎重な連中である事は疑いようもなかったが、よもや夜闇に紛れてやってきたドローンに空から監視と盗聴までされているとは思うまい。安全だと思って尻尾を出したところはバッチリ見られていたし、聴かれていたのだ。


 襲撃を決行するには十分すぎる情報だった。


 せめてこれが空振りならばな……と思わずにはいられないが、こうなってしまった以上は仕方がない。


「手早く終わらせるぞ」


 MP5Kにサプレッサーを装着しながら、待機しているクラリスとモニカに言った。


 今回の襲撃作戦は素早く、静かに終わらせる必要がある。近隣には製鉄所があるし、アパート群もそれほど離れていない。もし派手な銃撃戦を繰り広げる羽目になったら問題だ。第三者を巻き込むかもしれないし、当局が介入してきたら面倒な事になる。


 今回の仕事は汚れ仕事……公にはできない。


 武装はとにかく軽装だ。メインアームはMP5K、ドットサイトとサプレッサー、フォアグリップ、それからPDWストックを装着している。短く、尚且つ軽く。室内戦で重要な要素は全てコイツに詰め込んだつもりだ。


 サイドアームはS&W M986。普段はターシャリウェポンとして携行しているが、今回はサイドアームとして携行した。サプレッサーはないがコンパクトで持ち運びやすい。いざという時には頼りになってくれる筈だ。


 手榴弾はスタングレネードのみ、爆発するフラググレネードの類はない。


「いいか、最長でも5分だ。5分以内に拠点を制圧、証拠を確保し離脱する。可能であれば指揮官クラスの身柄を拘束、クライアントに引き渡す。何か質問は」


「なし」


「ありませんわ」


《こっちはいつでも準備OK、向かいのアパート屋上から見張ってるわ》


 ちらりと視線を屋根の上に向けた。


 ああ、確かにいる―――はっきりとは見えないが、たぶんアレだろう。明かりの消えたアパートの上、気配を消し闇に紛れている狙撃手が1人、そこに居る……ような気がする。


 いや分からねえわ。カーチャどこ???


 まあいい、仕事の時間だ。


 MP5Kの安全装置セーフティを外し、2人を連れて行動を開始した。


 襲撃対象は一軒家……にしては少し大きい2階建ての建物だ。シェアハウスか何かなのだろうか。貴族の屋敷からすれば小さいし地味だが、庶民の基準でいえば裕福な一家が住んでそうな、そんな感じの家である。


 とはいえ連中もテロリスト、ノックして誘い出すなんて論外だし施錠もしっかりとやっている事だろう。さて、どうやって侵入するか……壁を登って2階からよじ登ろうかと家を眺めていたところで、モニカが工具を片手に裏手へと進んでいった。


 彼女の考えはすぐに分かった。建物の裏手でガタガタと騒音を発している非常発電機がその進路の先にある。灯油で動き発電する、一般的なモデルだった。


 冒険者の仕事をやってるうちに機械に強くなったのだろう、携行していた工具ホルダーから工具を取り出すや、電力を供給している非常発電機に何か細工をするモニカ。ガギュ、と機械が何かを噛み込んだような音を発して動きを止め、家の中の照明が全部消えた。


 隠れて、という彼女のハンドサインを見るよりも先に俺とクラリスは物陰に隠れた。モニカも足音を立てないよう、猫の獣人らしいしなやかな動きで物置の陰に隠れる。


 彼女の作戦は見事に成功したようだ。


 ガチャ、と扉が開き中から1人の男がランタン片手に姿を現す。傍から見るとごく普通の冴えない労働者、安月給で酷使される典型的な庶民のようにも見えるが、しかしそのポケットの中には無造作に突っ込まれたペッパーボックス・ピストル(しかも銃身をより短く切り詰めてある)がある。


「チッ、何だよこんな時間に……」


『どうだ?』


「発電機がすげえ音出してる。故障か?」


 モニカが破壊工作した発電機を見に行った男が、ランタン片手に発電機の近くでしゃがみ込む。


 足音を立てないように、そっと背後から近づいた。


 抜き足差し足忍び足。ハクビシンの獣人として生まれた事による生まれつきの身体能力もあるだろうが、キリウの屋敷をこっそり抜け出す際に身に着けた隠密行動スニーキングのスキルは今も健在だ。気配を殺し、音もたてずに背後から忍び寄る……ジャコウネコ科獣人の面目躍如というやつだろう。


 忍び寄るや、俺はそっと右手をソイツの背中に押し当てた。唐突の来訪者からの接触に男はびくりと背中を震わせるが、しかし彼にはピストルを引き抜き応戦するどころか、叫び声をあげる猶予すら与えられなかった。


 行動を起こそうと思った次の瞬間には、手のひらを介して瞬間的に放出された電撃が全身を駆け巡り筋肉が硬直、それなりに加減した電撃が彼の意識を完全に刈り取っていたのだから。


 ずるり、と崩れ落ちる彼の身体を支え、そっと発電機の陰に押し込んでおいた。ピストルは没収、ランタンも明かりを消し、不審に思って調べに来るかもしれない他の構成員に発見される確率を少しでも下げる努力をする。


 さて、すぐに戻る事を想定していたのか、それとも外敵の破壊工作である可能性を想定していなかったのかは定かではないが、迂闊にも裏口のドアは開きっぱなしだった。


 俺が無力化した構成員を隠している間に、クラリスが先陣を切って室内へと突入。一気呵成に切り込んだクラリスを、ドラムマガジン装備のMP5を装備したモニカが背後からカバーしつつ屋内へ突入していく。


「2階のベランダから突入する」


《了解》


『了解ですわ』


 クラリスの無線と共に、低い呻き声のような音も聞こえたような気がした。ウロボロスの構成員を仕留めたのだろうか……容赦がない。


 さて、俺は2階から行こうか。


 雨樋あまどいに手をかけ、そのままよじ登っていく。ハクビシンの手のひらには独特なデザインの肉球があり、これが滑り止めの役割を果たすうえ、手の形状が木の枝を掴みやすくなっているので、ハクビシンを始めとするジャコウネコ科の動物は木登りを得意としている。


 そしてその身体的特徴は、ミカエル君にもしっかりと反映されている。


 手のひらにある肉球のおかげで滑りにくいし、幼少の頃から屋敷を抜け出していた経験のおかげでこういう雨樋や壁をよじ登るのは朝飯前だった。ちょっとでも凹凸があれば命綱なしでどこまでもよじ登って行けるような、そんな感覚すら覚える。


《ミカ、ちょっと待って。ベランダに人影》


「了解」


 やるか、と懐から投げナイフを1つ取り出す準備をするが、しかし手を下すまでもなかった。


 トッ、と何かが命中する音。温かく、鉄臭くて、ぬるりとした飛沫が周囲に飛び散ったかと思いきや、ベランダで煙草でも吸おうとしていたのであろう男は、安物の煙草と廃品同然のライターを手に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


 ベランダの柵を乗り越え、視線を男へと向ける。


 中年で痩せ気味の男のこめかみには、小さくも鋭い何かで射抜かれたような風穴がある。反対側は突き破られたような傷口になっていて、着弾した弾丸が頭蓋を突き破り体内で横転、脳やら何やらをズタズタに引き裂いたのだと推察しながら、そっと男の見開いたままの目を閉じさせる。


 反対側の建物からステアー・スカウトで狙撃したカーチャに手を振って礼を告げ、扉を開けて室内へと入った。


「クラリス、モニカ、どこにいる」


『こちらは階段の踊り場に。1階は制圧しましたわ』


「了解、仕事が早くて何よりだ……こっちは2階のベランダから侵入した」


《ミカ、指揮官はおそらく2階の寝室に》


「了解。クラリス、モニカ、部屋の前で合流しよう」


『了解ですわ』


 MP5Kを構え、足音を立てないよう細心の注意を払いながら進んだ。


 家の中には物が散乱していた。成人向け雑誌が乱雑にソファの上に捨て置かれ、ガラス製の灰皿は短くなったシケモクが山のように積み上がっている。そこら中に染み付いたニコチンの悪臭に顔をしかめながらも寝室の方へと進んだその時、廊下の方から足音が聞こえ咄嗟に身を隠した。


 クラリスたちではない。彼女たちは階段の踊り場に居ると言った。という事はこれは敵だ……おそらく、さっきのベランダでカーチャの狙撃を受けて倒れた際の物音を調べようというのだろう。


 案の定、暗闇の中から姿を現したのはサーベルタイガーの獣人だった。第一世代型のようで、体格は筋骨隆々。ヘビー級ボクサーみたいな剛腕にはラッパ銃(ブランダーバス)が握られていて、その名の通りラッパ状に広がった銃口が月明かりを受けて鈍く輝いている。


「サーシャ?」


 さっきベランダで煙草を吸おうとしていた男の名前だろう。しかし、残念ながら彼はもうこの世に居ない―――こめかみに5.56mm弾を受け、一足先に天国へと旅立った。あるいは地獄かもしれないが。


 無関係の人々を巻き込むテロリストにかける慈悲はない。サーベルタイガーの獣人が俺の隠れている棚の前を素通りしたと見るや、すぐさまMP5Kを構えて後頭部に9×19mmパラベラム弾を射かけた。


 第一世代型の獣人は骨格が人間よりも獣に近い。「二足歩行の獣」と評される容姿に偽りはなく、故に身体能力や肉体の頑丈さは第二世代型獣人のそれを大きく上回る。


 だから少しばかり不安はあった―――拳銃弾で第一世代型獣人を効率よく仕留める事は出来るのか、と。


 けれどもその心配は杞憂に終わった。9×19mmパラベラム弾、サプレッサーに適合するよう装薬や重量を調節した亜音速サブソニック弾は狙った通りに標的の後頭部を殴打すると、期待通りに一撃でその命を刈り取ってくれる。


 がくん、とサーベルタイガーの獣人が身体を揺らして崩れ落ちていったが―――しかし、ここで別の問題が生じる。


 偶然か、それとも最期の執念か―――ラッパ銃の引き金にかけていた指に力が込められたかと思うと、次の瞬間には天井を向いたラッパ銃が盛大に火を噴いていたのである。


 ありったけの黒色火薬と散弾を詰め込んだ暴力の化身たるそれに、当然ながらサプレッサーなどといった文明の利器は取り付けられていない。夜の帳を引き裂かんばかりの耳を聾する銃声が響き、詰め込まれていた散弾(資金がなく弾丸を調達できなかったようで、撃ち出されたのは鉄屑や釘といった粗末なものだった)が天井をズタズタに食い破る。


 今の一撃で敵襲を悟らない間抜けがいる筈もない。銃声で敵にこちらの襲撃が露見したと悟るや、クラリスとモニカもペースを上げて俺の方へと合流してきた。


「すまん、ミスった」


「仕方ありませんわ」


 これは今後気をつけないとな……と己の失態を恥じつつ、スタングレネードをポーチから引っ張り出す。後ろでクラリスも同じようにスタングレネードを取り出したのを確認するや、モニカが思い切り部屋の扉を蹴破り、素早く横へと飛び退いた。


 間髪入れず、クラリスと共にスタングレネードを投擲。


 冬季封鎖の間、パヴェルが借りてきた空き家や廃倉庫を改装して即席のキルハウスを作り上げ、そこで俺たちは死ぬほどCQBの訓練を繰り返してきた。室内での索敵クリアリング、標的の無力化、室内への突入―――何度相手役のパヴェルにペイント弾を撃ち返され”死亡判定”を受けたかは定かではないが、しかし遥か格上の相手との模擬戦を経て、どうすれば最適なのか、どうするのが最も効率的なのかという判断は瞬時に下せるようになっていた。


 パパパンッ、と室内でスタングレネードが弾ける。マグネシウムの燃焼による閃光が相手の視力を一時的に奪い、猛烈な閃光が聴力をも殺す。


 ここぞとばかりに室内へと踏み込んだ。


 次の瞬間だった―――ベッドの中に誰もいない事を察知したのと、ベッドの陰から指揮官と思われる男が飛び出してきたのは同時だった。


 丸腰だ―――そんな状態で何ができる、という俺の思いを、しかし男の手のひらに生じた風の刃らしき代物が見事に覆してくれる。


 あれは……まさか。


 咄嗟に横へと飛んだ。その直後、突き出した男の手のひらから射出された衝撃波―――無数の斬撃を伴った暴風の塊が砲弾の如く放たれ、部屋の壁に大穴を穿つ。


 今のは間違いない……魔術だ。


 風属性の魔術のようだが、しかし。


 ―――ウロボロスの構成員が魔術を使う?


 考えられない事だが、それについて詳しく考えるのはとにかく後回しだ。


 攻撃を空振りした男の左足に、プツッ、と小さな風穴が開く。俺の後ろに控えていたクラリスが、サプレッサー付きのJS9mmで狙撃し、足を射抜いたのだ。


 がくん、と膝をつくウロボロスの指揮官。大きな隙を晒したそいつの顔面に向かって、ミカエル君は思い切り飛びかかる。


 全力疾走の勢いと、ミニマムボディの全体重を乗せた渾身のドロップキック。みしぃっ、とブーツの底が男の顔面に深々とめり込み、「ぶへあっ」という情けない声が聴こえてきた。


 ベッドの上に着地し、倒れ込んだ男に銃を突きつける。


「……」


 今の一撃ですっかり気を失っているようだった。白目を剥き、顔にブーツの底の痕をくっきりと刻まれた男は、指先を痙攣させながら意識を失っている。


「……クリア」


「クリア……ですわね」


 生存者は身柄を拘束し憲兵に突き出すとしよう。


 あとはアジト内の証拠品を片っ端から回収し、とっとと離脱するべきだ。


 さっきの銃声を受け、周辺住民が憲兵隊に通報してもおかしくない―――当局に介入されたら面倒な事になる。




ジャコウネコキック

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― 新着の感想 ―
[良い点] ミカエルくんや血盟旅団は割と奇襲、夜襲を好む印象がありましたが、今回は特に鮮やかでしたね。仕事人シリーズの闇夜に仕掛けるがよくBGMに似合いそうだなあ…と。ミカエルくんは差し詰め飾り職人の…
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