アウトローの心得
礼拝堂の奥に、真っ白な石膏像があった。
雪のように白く、しかしそこに儚さはない。むしろ今にも動き出し、その凛々しい気迫で皆を導いてくれそうな、そんな力強ささえ感じられる。
エミリア教において崇拝の対象とされている英霊、エミリア。雷属性の魔術を操り、生涯をその剣と騎士の誇りに捧げた英雄であり、死後になって英霊に認定、こうして今のエミリア教という宗派に成長するに至った。
剣を手に仁王立ちする彼女の前には大きな水瓶が置かれている。中は聖水で満たされているようで、水瓶の底には金銀に輝くコインがあった。最近の10ライブル硬貨から古びた10ライブル硬貨、それに一体どこから持ってきたというのか、今となっては発行すらされていない20ライブル硬貨(日本でいう2000円札のようなものか?)まで沈んでいるのが見て取れる。ご利益がありますようにと思って投じたのか、それとも信仰心を示そうとしたのかは定かではない。
ポケットから10ライブル硬貨を取り出し、水瓶の中へと投げ入れた。
波紋を生じ、そのまま水瓶の底へとコインが沈んでいく。
ステンドグラス越しに光が差し込む中、石膏像の前でそっと手を合わせた。
宗派によって祈り方は様々で、キリスト教のように十字を切る宗派もあればイスラム教のように祈りを捧げる際の手順が厳格に決められた宗派もある。もちろんエミリア教にもそういう”祈り方”は存在するけれど、この宗派は他の宗派と比較するとシンプルなものだ。
仏教のように、両手を目の前で合わせるというものである。教会は西洋風なのに祈り方は仏教を彷彿とさせるものという何ともミスマッチな感じがするのだが、これがエミリア教の祈り方なのだ。
ツォルコフにもエミリア教の教会があると聞いて訪れたわけだが、やはり冬季封鎖明けという事もあってか、礼拝堂の中には多くのエミリア教徒が訪れている。市内からやってきた信者から遠方の地より訪れた旅人、それに冒険者と思われる信者もいて、英霊エミリアを模った石膏像の前には長蛇の列ができている。
礼拝を終え、シスターに会釈してから教会を後にした。
この世界の魔術は宗教と密接な繋がりがある。魔術はあくまでも『英霊、精霊、あるいは神の力の一部を借りて発動する奇跡』という位置付けで、自分がどのクラスの魔術を使用できるのかは生まれ持った素質、”適正”に大きく左右される。
適性が高ければ強力な魔術を使え、逆に適性がなければどれだけ特訓しようと何も使えないという、非常にシビアな代物である。それゆえに適性の無い者は無神論者となり、酷い場合はそのまま無神論者たちで構成される反宗教の過激派テロリスト『ウロボロス』の構成員となってしまう事も多い。
ミカエル君の場合は適性はCランク、属性は雷属性……可もなく不可もなく、これといった特徴もない平凡なものだ。個人的に、異世界転生モノによくありがちな「実は隠れたチート級の才能が……!?」というのを期待していたし、皆にちやほやされたかったものだが、残念な事にそう甘い話は無かった。現実は非情である。
けれどもまあ、足りないところは訓練や独自の理論で補っているし、個人的に魔術はあくまでも銃を用いた戦闘の補助と位置付けている(それでも鍛錬は続けるが)。
確かに生まれ持った素質が最も大きな要素である事は否定しようがないが、効率的な魔力の運用と作戦次第では適正に恵まれぬ者でも活躍する機会はある筈なのだ。
教会の外に出ると、外で待っていてくれたクラリスがスカートの裾を摘まみ上げながら一礼して出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
忘れている人もいると思うので言っておくけど……どういうわけかは知らないが、ミカエル君が教会を訪れると毎回と言っていいほど反宗教テロリスト『ウロボロス』の襲撃がある。何かフラグを踏んでいるのか、それとも向こうがミカエル君に合わせてくれているのかは定かではない(要らねえわそんなイベント)。
なのでツォルコフにエミリア教の教会があると知り祈りに行くと決めた時、クラリスには外で待機して不審者をぶちのめす役目を頼んでいたのである。ウロボロスっぽい不審者が教会に入ろうとしたら月の裏側まで吹っ飛ばしてやりなさい、と命じていたのだが、銀行のクッッッツツツソ分厚い金庫の扉を素手でぶち破ったクラリスの右ストレートが火を噴く事はなかった。
今回が初なのではないだろうか、ウロボロスに襲われずに礼拝を済ませる事が出来たのは。
「ずいぶんと凄い人でしたわね」
「冬季封鎖明けだからね」
各地の往来が解禁されたし、遠方の信者も訪れているのだからそれはもう混むだろう。水瓶にコインを投じて祈るだけで1時間30分待ちである……ミニマムサイズのミカエル君、他の信者にもみくちゃにされたけれどとにかく耐えた、頑張った。よくやったミカエル君。
すんすん、とクラリスが犬みたいに鼻を鳴らす。通りの反対側から漂ってくるバターの香りに反応したのだろう、確かに美味しそうな香りがここまで漂ってくる。
視線を向けると、ポンチキの露店があった。ノヴォシアでは一般的なドーナツのようなお菓子で、砂糖をたっぷりかけて食べると大変美味い。母さんがキリウの屋敷で3時のおやつに持ってきてくれるお菓子の1つだった。
「じゅる」
「買ってく?」
「じゅる!」
まったく、よく食べるメイドさんだ……まあ、あんな身体能力なのでカロリー消費もその分凄まじいのだろう(実際クラリスの体温は常人より高く、38℃で平熱なのだ)。
まあいいさ、ティータイムのお菓子にはちょうどいい。
ついでだ、紅茶とジャムも買っていこう。たまにはお菓子と紅茶を静かに楽しむ時間があってもいいだろう。
「あなたが”雷獣のミカエル”ですか。お会いできて光栄です」
今回のクライアントもまた、第一印象は最悪だった。
表情を表に出さないよう気をつけつつ、目の前でパヴェルに向かって挨拶しながら握手する憲兵隊の隊員を見つめる。
やはりというかなんというか、『人は見た目じゃない』っていう言葉はつくづく嘘なんだなぁと思う。少なくとも第一印象に関しては嘘なんだろう。誰だろうか、最初にこんな事を言い始めたのは。大噓じゃないか。真っ赤な嘘じゃあないか。
まあ、こんな身長150㎝のキュートなハクビシン獣人男の娘よりも、いかにもベテランの軍人でっせといった感じの風格があるパヴェルを”雷獣”の異名付きと勘違いするのも無理のない話だ。彼の中ではせいぜい俺はマスコット、あるいは冒険者見習いといった感じの印象なのだろう。
初手からの無礼極まりない振る舞い(とはいえこれはまあ仕方ない、初見殺しである)に憤りを隠せないクラリスが大きく咳払いすると、クライアントはこっちに視線を向けた。
「そちらの方は当ギルドのマネージャーです」
「……え」
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ様はこちらのお方ですわ。お間違えの無いよう」
「あはは……どうも」
「……ぇ゛」
こんなちんちくりんが、と呟いた気がしたのだが聴こえなかった事にしておこう。ミカエル君の耳は都合の良い事はしっかりと聴き、都合の悪い事はシャットアウトするシステムになっているのだ。
「あ……あぁ、これはこれは! あなたが雷獣でしたか! いやぁご活躍は聞いていますよ!」
「ええ、ありがとうございます。それであの、依頼の件についてですが」
「ああ、そうですね。早速ですが本題に入らせていただきます」
憲兵隊の男は咳払いすると、持っていた鞄から白黒の写真を何枚かと、それから依頼内容について記載された書類を取り出した。
空き部屋を改装して用意した応接室の中、テーブルの上に並べられた写真の内の1枚を手に取り、目を細める。
写っているのは何の変哲もない市街地の一角だ。近くには『Цолковский металлургический завод(ツォルコフ製鉄所)』と記載された看板があり、写っている街はツォルコフである事が分かる。
「数日前、部下がこの街に巣食うウロボロス共のアジトを突き止めました」
ウロボロス―――無神論者たちが結成した、反宗教を掲げるテロ集団だ。神や精霊、英霊を「まやかしの存在」と断じ、それを崇拝する行為を徹底的に弾圧、排除しようとしている過激派連中だ。
ノヴォシア共産党がこれを支援し、帝国の統治に楔を打ち込もうとしている事は既に周知の事実である。
「それで」
「すぐにも摘発に動きたいところですが、しかし……連中はかなり慎重に立ち回っているようで、令状を取るための犯罪行為の証拠がないのです」
”疑わしきは罰せず”という法的概念がある。
いくら怪しい連中がいるからといっても、「何となく怪しいから」という理由だけでは捜査令状は取れない。犯罪に関与していると思われる確たる証拠がなければ憲兵隊としては手が出せないのだろう。
「他のテロネットワークへの幇助行為や武器の横流しなど、そういった行為に及んだ証拠がなく摘発に動けないのです。しかも連中、なかなか尻尾を出さず……しかしツォルコフには多くの教会や寺院がある。いつ被害が出るか分からない以上、早く手を打つしかないのです」
「……それで、我々に奴らを潰せ、と」
「……その通りです」
直接契約は、冒険者管理局を介さない形で仕事が持ち込まれる。
手数料を取られないため冒険者にとっては報酬が割高となる旨みがあるし、クライアントからしてみても第三者の検閲が入らないため、こういった他言できないような仕事を持ち掛けやすいというメリットがある。
だからこの手の仕事は基本的に汚れ仕事が多いのだと覚悟をしていたが、よもや警察組織から汚れ仕事を任されるとは。
正義感の強さは憲兵として模範的ではあるが、これは些か早計が過ぎるというものではないのか。本当にやってもいいのか、と疑念を滲ませながら彼の目を直視すると、憲兵の男はやるせない表情で言葉を絞り出す。
「責任は私が取ります。最悪の場合、職を辞する覚悟です」
「……なるほど」
契約書にも明記されている―――もしこの一件が”空振り”だった場合、全責任はクライアントのものであり、血盟旅団は知らぬ存ぜぬを決め込んで結構、と。
この手の仕事には全責任をこっちに押し付け知らぬ存ぜぬを決め込む不届き者が多い印象なのだが、彼はなかなかに誠実そうだ。明文化してあるから何かあった時の証拠にもなる。
どうする、とパヴェルが視線を向けてきた。
「……悪い話ではないですね」
報酬金額の50万ライブルはなかなか美味しい金額だ。前払いで20万、依頼達成後に後払いで30万が支払われる事になる。
受けてみようと思う―――そうクラリスとパヴェルに目配せすると、2人は静かに頷いた。
「受けましょう、この仕事」
「ありがとうございます」
「ただし、こちらで襲撃前に事前偵察を行います。ですが万一、彼らがウロボロスではないという確たる証拠がその段階で発見された場合は襲撃を中止。前払い金の20万ライブルは払い戻しという形になりますが……よろしいですね」
「……はい」
「分かりました。ではそのように」
契約書にお互いの署名を交わし、契約が結ばれた。
話を終え、クラリスがクライアントを列車の外まで案内していく。ドアの閉まる音と遠ざかっていく足音、それから窓の外から聞こえてくる他の列車の音や駅のチャイムが入り混じる中、腕を組みながら葉巻を吹かしていたパヴェルはニヤリと笑った。
「汚れ仕事に慣れてきたようだな、ミカ」
「……そうだね」
「まあいい……この業界、真っ白で居られる事の方が稀なんだ」
だからキッチリ稼いで来い……パヴェルは後輩を見守る先輩のような優しい口調でそう言った。
真っ白ではいられない、か。
それは冒険者になると決めた時、覚悟していた事だ。冒険者はダンジョンを調査し、魔物と戦うだけが全てではない。時にはこうして裏社会の一面を垣間見、国家の腐敗を目の当たりにしながらも淡々と金を稼ぐ……そういうアウトローな一面もある仕事なのだ、と。
枷の外れた正義もまた脅威だが―――相手が本当にテロリストの一味ならば、それこそ重大な脅威だ。
取り除こう。ただし、事前偵察はしっかりと。
「参加メンバーを募る。3、4人は欲しい」
「OK、希望を取っておく。誰かオファーをかけたい奴はいるか」
「カーチャは欲しい」
「わかった」
カーチャは狙撃の他に、偵察や諜報活動を得意とする。既に諜報活動の面に関してはパヴェルから一部の仕事を任されているほどで、その能力には俺としても大きな期待を寄せている。
残りのメンバーの選抜は、仲間の得意不得意をよく見極めたうえで行おう。
今回の仕事は、それこそ”石橋を叩いて渡る”ような仕事になるのだから。




