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新ツォルコフ市


 一度、『ツォルコフ』という地名はノヴォシア帝国の地図から消えた事がある。


 今からおよそ150年前―――多くのノヴォシア人、そしてイライナ人の記憶に強く刻まれた惨劇によって、多くのものが灰と化した。街も、文化も、そして多くの生命いのちもだ。


 それがズメイ(ズミー)の襲来である。


 ノヴォシア語でズメイ、イライナ語でズミーと呼ばれるその化け物は、生命の起源とされるエンシェントドラゴンの中でも特に古い部類のドラゴンであり、特に再生や革新に至るための破壊を司る存在として記録されている。


 新しい世界を創るために古い世界を一度破壊する―――いわば”リセット”の役目を担う存在である、と。


 そしてそれは、有事の際には外敵に立ち向かう守護者でもあるとされている。


 しかし、ズメイ(ズミー)は獣人たちに牙を剥いた。


 まず最初にツォルコフ市を焼き払い、次にキリウへと飛んで、当時のキリウ大公の娘を連れ去ったのである。


 これに怒り狂ったキリウ大公は、当時名を馳せていたドブルィニャ・ニキーティチと、優秀な剣士でありリガロフ家の始祖であるイリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフの2名に娘の奪還を依頼。多くの苦難を乗り越えノヴォシアのアラル山脈にある古城へとズメイ(ズミー)を追い詰めた2人はそこでズメイ(ズミー)の3つある首の1つを切り落とし本体を封印、娘を奪還し帝国に平和をもたらした。


 これが英雄イリヤーとニキーティチの物語の顛末で、多くの演劇や小説の題材になっている。


 そしてその物語において真っ先に焼き払われたのが、先ほどまで俺たちがいた恒久汚染地域―――ツォルコフ市の旧市街地である。


 ズメイ(ズミー)の襲撃によって街が壊滅、遺体の処理が追い付かず汚染地域と化すことが不可避であると悟った当時の当局はツォルコフ市の移転と旧市街地の恒久閉鎖を発表。市街地は新たにヴォルガ川の畔に移され、そこで新たな歴史を刻む事となった。


 そういう経緯があるから、新ツォルコフ市の建物はどれも新しいものばかりだった。他の市街地はというと、古い市街地をそのまま発展させていったような感じなので真新しい建物に紛れて古い建物が残っていたり、郊外に歴史的建造物があったり、あるいは古い建物が連なる旧市街地と新市街地が隔てられていたりと、新旧うまく共存できているような雰囲気があったのだが、ツォルコフにはそれがない。どれもこれも比較的新しく、歴史的建造物、と呼べるものが全く残っていないのだ。


 過去を、歴史を奪われるとはそういう事なのだろう。今まで積み上げてきた成果が全て拭い去られる―――そんなに悔しい事は他にあるまい。


 けれども人間というのは存外しぶといものだ。


 どれだけ全てを燃やされ灰になっても、なおも生きようとする。


 案内板に表示された指示に従い、列車がレンタルホーム19番に滑り込んでいく。他のレンタルホームには他の冒険者ノマドの列車も数多く停車していて、冬季封鎖解除後という事もあって新ツォルコフ駅は賑わいを見せていた。


 こちらの列車を見るなり、別のホームを歩いていた冒険者たちが手を振ってきたので、俺も彼等に手を振り返す。血盟旅団の知名度も最近は右肩上がりで、血盟旅団と名乗るだけで相手がざわめくほどだ。


 これだけ知名度があり実績も伴っているとなれば、直接契約の仕事も舞い込んでくるだろう。


 イーランドの冒険者『ロバート・J・デュークス』の言葉には【冒険者界隈で最終的に成功するのは強き者ではなく、金を稼ぐ環境を整えた者だ】というものがあるが、まさにその通りだろう。金を稼ぐのに適した環境を構築する事が出来れば、後は上に上り詰めるのみ。栄光への直通エレベーターが出来上がるというわけだ。


 もちろん、実力も伴っている必要があるが……今の俺たちでも十分その資格はある筈である。


 列車がゆっくりと、滑らかに19番レンタルホームに停車する。さすがにここまで機関車の運転を担当していればルカも熟練の運転手……とまではいかないがかなり慣れているようで、車体の揺れも少なくブレーキ音も気にならない、水面に降り立つ白鳥のような静かな停車だった。


《18番レンタルホームに列車が参ります。危険ですので、白い線の内側にお下がりください》


 降りるために荷物を部屋まで取りに行き、クラリスと一緒に降りようとしたその時だった。ホームにノイズ交じりの放送が響くや、ボロシビルスク方面からやってきた列車が俺たちの列車の反対側、18番ホームに滑り込んできた。


 血盟旅団の静かな停車と打って変わって、向こうの列車の停車は豪快だった。ブレーキ音を響かせ、機関車から蒸気を濛々と吐き出しながら停車したのである。あまりにもの大きなブレーキ音にホームの放送が聴こえなくなるほどで、せっかくの民謡や最近流行りのポップスをアレンジしたチャイムが見事に掻き消された。


 大型蒸気機関車の重連運転でやってきたその列車は、随分と重装備だった。客車らしき二階建ての車両は見えるものの1両のみで、他は火砲車だったり機関銃を搭載した武装車両だったりと、冒険者の列車というよりは軍用の装甲車のような感じだった。


 え、何? ボロシビルスク方面行くのあんな重装備ガチ勢じゃなきゃダメなん?


「さ、参りましょうかご主人様」


「お、おう」


「あ、待って。私も行くわ」


 そう言いながら後ろからやってきたのは私服姿のカーチャだった。ジーンズにジャケット、それからウシャンカを身に纏った彼女だが、絶対懐に拳銃隠してるよね……まあ俺も護身用にグロック持ってきてるけども。


 メイド服姿のクラリスに私服姿の俺とカーチャ。この3人組だとクラリスだけが目立ってしまう。2人組なら「ああ、あの小さい子のメイドさんなのね」的な雰囲気は出るのだが……まあいいか。


 ちなみに、クラリスの私服姿というのは結構レアだったりする。何故ならば彼女はパジャマと強盗装束以外ではほとんどをメイド服姿で過ごすからだ。


 2人を連れてホームに出ると、機関車からパヴェルがやってきた。ニッコニコで駆け寄ってきた彼の手にはいつもの通り、お買い物リストのメモ用紙がある。


「これ買ってきて☆」


「はいはい」


「領収書貰ってきてね。かかった費用は運営費から出すから」


「分かった。他に何かあるか?」


「うーん、水と燃料はこっちで買い付けておくし、足回りの総点検もするから少しここに滞在する事になる。暇なら仕事に行ってきてもいい」


「りょーかい」


 そうするか。まずは街を見て回りながら買い物をして、用が済んだら仕事……これでいいだろう。


 買い物リストを懐に仕舞い込み、レンタルホームを後にした。


 オフシーズン明けだからなのだろう、線路やホームの上を跨ぐ通路は他の冒険者たちで少しばかり混雑していた。新天地にやってきてはしゃぐ者やこれからの仕事に緊張感を滲ませる者などその反応は多種多様で、在来線のホームから改札口へと向かう通路に合流するとその人口密度は一気に増した。


 ボロシビルスク方面やマズコフ・ラ・ドヌー方面から在来線や特急に乗ってやってきた乗客も合流して通路はすし詰め状態に。ちょっとずつ進んでいくが、しかし前後左右から圧をかけてくる人混みにもみくちゃにされ、うっかりするとクラリスたちとはぐれてしまいそうだ。


「ああ、いけませんわご主人様」


「あっ」


 ひょいっ、とクラリスに持ち上げられ、そのまま抱っこされてしまう。


 身長差とこの体格のせいで、傍から見れば親子にも見えるのかもしれない。他の冒険者たちが「え、親子で冒険者?」とか「でも似てないよね……」とか「メイドさん?」なんて話声が聞こえてきてちょっと恥ずかしくなる。


 そして抱っこしているクラリスはというと、先ほどから俺の尻尾をハスハスクンカクンカしているところだった。ハクビシン特有の長い尻尾はもっふもふの体毛で覆われていて、尻尾の手入れにはケモミミ同様にかなり気を使っているのだ。害獣だの何だの言われているハクビシンだが、仮にもリガロフ家の末席に名を連ねる1人として生まれた以上は貴族らしく身だしなみには気を遣わなければならない。生まれが卑しい害獣だろうとなんだろうと、だ。


 なので風呂上りにはちゃんと乾かしているし毛並みもしっかり手入れしているのだがそんな事はどうでもいい。公衆の面前で何ジャコウネコ吸いをキメているのだろうかこの女は。


 改札口で駅員……ではなく認証システムに冒険者バッジを提示し、改札口を通過した。さすがにあれだけの人が押し寄せる駅なのだ、駅員が1人ずつ対応していたらもっと改札口を抜けるのに時間を要していたに違いない。


 駅の外に出てまず目についたのが、半円形のタクシー乗り場とそこに乗り付け客を待つタクシーの車列、そしてその中央に置かれた台座の上で剣を掲げる戦士の銅像だ。


 ホッキョクオオカミの獣人にして、ノヴォシア帝国を滅亡の縁から救った二大英雄の片割れ―――『ドブルィニャ・ニキーティチ』。


 リガロフの始祖、英雄イリヤーと共に3つの頭を持つズメイ(ズミー)に戦いを挑み、キリウ大公の娘を救い出しズメイ(ズミー)封印に貢献した大英雄。その際彼はズメイ(ズミー)の身体から流れ出た竜の血がアラル山脈を焼き尽くし、近隣の村や街を呑み込むのを防ぐため、身を挺して竜の血を正面から受けたのだそうだ。


 結果、高濃度の呪いである竜の血を全身に浴びる羽目になったわけであるが……彼のその後についての記述があらゆる書物に記載されていないため、彼が今どうなったのかというのは歴史家や研究者の間でもよく議論となっている。


 『呪いが元で命を落とした』、『旧人類と運命を共にした』という死亡説が主流だが、中には『今もなお存命中で、呪いを洗い流しこの世界のどこかで静かに暮らしている』という驚くべき説まで出ており、まあ議論はなかなか混乱を極めている。さすがに150年前の大英雄が存命中というのは信じられないが……。


 でもクラリスは、テンプル騎士団侵攻の際に当時のテンプル騎士団団長が、英雄イリヤーとニキーティチと思われる人物と交戦しているのを見た(しかも初代団長は2対1であるにも関わらず優勢だったらしい)という。少なくとも130年前までは存命中だったというのは確かなのだろう。


 そういう結末も含めて謎が多く、ミステリアスな印象を与える大英雄ドブルィニャ・ニキーティチ。それも人気の秘訣なのだろう。彼の結末は作家に委ねられているわけだが、哀しい物語を好む国民性故か、多くの物語において彼の物語は悲劇に終わる。


 二大英雄の片割れ、英雄イリヤーの子孫として鼻が高いが、残念な事にミカエル君はリガロフ姉弟の中で一番英雄の血が薄いのだ……。


「スンスンスンスン」


「ところでクラリスや」


「もふぅ?」


「……いつまで抱っこしてるつもりだい?」


「それはもう、クラリスの気が済むまでです♪」


「……そう」


 ああ、こりゃあもう下ろしてもらえないね。


 しばらく抱っこされたままだ、間違いない。


 哀れむような顔でこっちを見てくるカーチャに視線で助けを求めるけれど、カーチャは苦笑いを浮かべながら小さく手を振るのみだった。ああ神様、こんな非常な行いが許されていいのでしょうか。このままミカエル君はジャコウネコ吸いされ続けながら公衆の面前で183㎝体重85kg、Gカップのメイドさんに抱っこされ続けるという尊厳破壊を続けなければならないのでしょうか。


 という感じで嘆いていても神様は助けてくれる筈もなく、彼女の気が済む瞬間を待つしかなさそうだった。

















「はい、合計で5860ライブルね」


「どうも」


 ハクビシン獣人の店主から領収書を貰い、店を後にした。


 紙袋の中身には黒パンにニシンの缶詰、それから瓶詰になったマヨネーズが3つとリンゴ5つ。あとはグリンピースの塩茹でが入った缶詰にイワシの油漬けの缶詰もある。


 冬が明け、雪解けになったとはいえ食料がそんなに素早く流通するわけもない。そりゃあ各地で運送関係者が急ピッチで物資を運んでいるので、5月にでもなれば少しは食料も豊富になってくるのだろうが、それまではもう少し缶詰や黒パンを中心とした保存食、それから保存の利く野菜ジャガイモなどで我慢するしかない。


 またザリガニ捕まえに行こうかな、と思っていると、隣を歩いていたカーチャがショーウィンドーの前で唐突に歩みを止めた。


「……カーチャ?」


 さっき雑貨店で買ったキャンディをペロペロしながら振り向くと、カーチャはショーウィンドーの中のマネキンをじっと見つめているようだった。マネキン人形は暖かくなってきた(とはいえ依然と肌寒い)春に向けた比較的薄着の服を身に纏っていて、傍らに据え付けられたパネルには『Новый сезон уже здесь!(新シーズン到来!)』『Не пропустите эту весну!(この春の風に乗り遅れるな!)』といった謳い文句がポップな文体と共に踊っている。


 洋服店なのだろう。そういや、俺もそろそろ新しい服買おうかなと思ってたのよね……。


「ねえクラリス」


「もふ?」


 人の尻尾を吸いながら答えるんじゃない。


「あなた、私服持ってたっけ?」


「少しは」


「でもメイド服よね?」


「ええ。クラリスはご主人様だけのメイドですので」


「ふーん……でもさ、たまには私服姿のクラリスが見たいなぁ、なんて思ってるんじゃないのミカは」


「え?」


「たまには変化をつけてミカの目を楽しませてあげるのもメイドの務めと言えるんじゃない?」


「そうなのですかご主人様??????」


 圧、圧が。


「……う、うん」


「では早速参りましょうご主人様」


「お、おう」


 ふんす、と鼻息を荒くしながら店の中に入っていくクラリス。無論、抱っこされているミカエル君も強制連行だった。


 でもまあ、最近は戦闘が多かったし、たまにはこういう買い物も悪くない……かな?




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