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技術的ルーツ


 『湯水のように』という表現が、日本語にはある。


 それは日本では水はいくらでも豊富に採れ、あまり困る事はなかったという先人たちの経験に由来するものなのだが、それは日本だから成立する言葉であって、国や地域によっては真水はこれ以上ないほど貴重な存在にもなり得る。


 日本に居た頃はあまり意識しなかった。平気で水を出しっぱなしにしたり、コップに残った水を流し台に捨てたりとか、それこそ水が貴重な地域の人が見たら卒倒しそうな事を平然とやっていた。


 転生し、キリウの屋敷に居た頃はというと、その辺りまではあまり水には困らなかった。雪解け水を濾過して生活用水にする設備も屋敷にはあったし、そうじゃなくてもキリウは他の都市と比較すると水道設備が充実していたので、少なくとも水に関しては前世の日本とそう変わらぬ水準を堅持していた(でも水道の水をそのまま飲むのはやめた方がいいと母さんに言われた事がある)。


 そして今はというと……まあ、今になって水の大切さを痛感している。


 Ⅰ号戦車の履帯にホースで水をかけ、清掃用のブラシでわしゃわしゃと汚れを落としていく。いつもであればもっとバッシャバッシャと水をぶっかけて洗い落とすのだが、今日に限ってそれはご法度。恒久汚染地域を抜け、新ツォルコフ市に到着するまでは極力水の無駄な浪費は避けるように、という通達が団員全員に出ているので、あまり水を無駄には出来ない。


 転生前や屋敷に居た頃は、いつでもっ蛇口をひねれば清潔な水が出てきたものだが今は違う。車両内に据え付けられた真水タンクの許容量内で何とかやりくりしなければならず、使い過ぎて枯渇するような事になればとにかく大変な事になる。


 水は重要な資源だ。洗濯にも、料理にも、そして列車の運航にも使う。電気を使う機関車ならば重要度は下がるが、この列車を牽引しているのはディーゼル機関車でなければ最新型の機関車でもなく、古めかしい蒸気機関車―――それも何をトチ狂ったか、史実においてはソ連の線路をぶっ壊しまくった失敗作として悪名高いAA20である。


 とにかく、今は水の無駄遣いは避けなければならなかった。


 それはいいのだが―――しかし、こうして整備の仕事を手伝う度につくづく整備担当のルカの苦労を思い知らされるというものだ。


「ふえぇ……肉片とれないよう……」


 Ⅰ号戦車の反対側から、声変わりしたばかりの、しかしまだ幼さを残すルカの嘆く声が聴こえてきたが、しかし嘆きたいのはこっちも同じだ。


 何だこれは。履帯にみっちり詰まった泥や凹凸にがっちり噛み込んだコンクリート片。まあ、そういう輩はブラシで掻き出すなり工具を使ったり、何か棒のようなものを差し込んでてこの原理で取り除けばいい。


 しかし今回はその、止むを得ないとはいえクラリスが色々とやらかしてくれた。


 駐屯地までの道中、そして地下でのデータ収集から列車に戻るまでの帰路の最中、それはそれはもう大量のゾンビを履帯で轢き潰してくれたのだ。おかげでⅠ号戦車の通った後は挽肉か、あるいはビーフジャーキーをバラバラにほぐしたような肉片ばかりが連なるプチ地獄と化し、こりゃあ帰ってから履帯の掃除するの大変そうだなと思ってはいたけど案の定だった。


 履帯の凹凸にカッサカサの肉片がギッチギチに詰まっていて、正直言って触れたくない。でも水を無駄にはしたくないし、かといってこのまま放置してたら問題になる(部品の腐食や劣化の一因になりかねないし、何より悪臭が酷い)ので取らねばならず、昼食にと胃袋に詰め込んだチキンヌードルスープをオロロロロロロする覚悟でとりあえずマイナスドライバーを使って肉片を掻き出した。


 とにかく臭いが凄い、本当に凄い。肉の腐った臭いというストレート極まりない言葉でしか表現できないが、それ以外に表現できる語彙力がミカエル君には無い……というよりも、悪臭のせいで正常な思考が働かなくなるレベルの悪臭である。一日中履いてて蒸れた安全靴の中の靴下がまだラベンダーの良い香りに思える程であるおえっぷ。


「……ルカ、吐くならそこのバケツに」


「うぷっ―――」


 うん、これは仕方ないね……。


 香水吹きかければ少しはマシになるだろうか、なんて考えながら淡々と、臭いを気にしないように意識こそするものの無駄な努力で終わる事を強いられながらとにかく肉片を掻き出し、洗い落としていく。こういう事もあるから戦車で敵を轢き殺すのはなるべくやめてほしいと言われるのだが、しかし戦車の重量とパワーはそのまま立派な武器にもなるわけで……生半可な家屋や倒木を薙ぎ倒して突き進む戦車は、陸地における戦争の皇帝と言ってもいいだろう。


 だから戦車不要論なんてもってのほか。戦場にはこのイカれた鋼鉄の怪物が必要なのだ。


 とりあえず左側の履帯の掃除が終わり、まだ終わっていないルカ君担当の右側へ回り込んだところで、格納庫の扉が開く音が聴こえてきた。


 車輪の音に紛れた足音で誰がやってきたのかは想像がついた。クラリスだろう。履帯をこんな、腐肉まみれにした張本人だ。


「ご主人様」


「にゃ」


「パヴェルさんがお呼びです。例の技術の解析が部分的に完了した、と」


「……早いな」


 廃品回収スカベンジングを終えてまだ2時間……もう2時間もすれば恒久汚染地域を抜ける予定ではあるのだが、本格的な技術の解明はツォルコフに到着するまで持ち越しになるものとばかり思っていた。


 簡単な技術でも使われていたのだろうか、と考えながらハンカチで手を拭き、まだバケツに向かって昼飯のチキンヌードルスープをぶちまけているルカに呆れながら「ちょっとパヴェルのところ行ってくるから、キツいなら休んでな」と告げ、クラリスと一緒に格納庫を後にした。


 軽車両の格納されている第一格納庫を抜け、遠方の地で売る予定の商品やら何やら、仕入れた品を格納しておく倉庫を通過して、ヤタハーン砲塔が2基も据え付けられた火砲車を通り抜けると、やっと3号車に辿り着く。


 3号車は居住用の客車ではない。外見こそ二階建ての客車(客車は全部こんな感じで、外見とか内部は一昔前まで現役だった二階建ての新幹線をイメージしてほしい)ではあるが、1階には前半分が武器の製造を行う工房、後ろ半分がパヴェルの研究室ラボとなっており、ここで技術の解析や新技術の開発などを行っている。2階は射撃訓練場となっており、とにかく部外者には見せたくない設備が集中しているので、そういう都合で3号車には窓がない。


 連結部を飛び越えて3号車の扉を開け、研究室ラボに入った。


 パヴェルの研究室ラボはいつも薄暗い。ヤバさレベル100の理科室といった感じのおもむきで、部屋の中にあるしっかりと固定された棚には、同じく耐衝撃ケースに収められたうえで固定された、何やら黄緑色の液体が充填されたアンプルが並ぶ。何かの薬品である事は分かるが、少なくとも人体に有害な物質である事は確かなようで、棚には分かりやすいよう黄色の背景に黒い髑髏が描かれ、『Небезпечно, не чіпай!(危険、触るな!)』、『Опасно, не трогайте!(危険、触るな!)』、『危險,請勿觸摸!(危険、触るな!)』とご丁寧にイライナ語とノヴォシア語、ジョンファ語の三ヵ国後で記載されている。


 別の棚にはホルマリン漬けになったヴォジャノーイ亜種の脳味噌が2つ並んでおり、片方には電極棒が突き刺さっていて、配線は傍らにあるオシロスコープに繋がれているようだった。


 他にも何を意味するのかよく分からない図面や魔物の解剖図が壁に貼り付けられているが、ここを訪れた目的はマッドサイエンティストに会うためではない。この部屋に運び込まれ、技術を丸裸にされつつある前文明の兵器―――その解析の経過を聞きに来たのだ。


 部屋の奥、壁際には手術台のようなものが置かれていた。天井からは可動式アームに繋がれたリボルバーのシリンダーを思わせる照明がぶら下がっていて、手術台の傍らにはツナギの上からソ連軍の将校用コートを羽織り、ウシャンカを被ったパヴェルがいた。


 すぐ隣にある作業台の上には、駐屯地地下のデータベースから脱出する際に持ち帰った例の無人機が1機、稼働を停止した状態で置かれている。既に武装と6つの足は取り外され、背中の装甲を外されて中身を彼の前に晒しているところだった。


 しかしこの部屋の主が熱を向けているのは、小ぶりな無人機などではない。


 俺とリーファの連携により撃破されて機能を停止した黒騎士の方だった。


 手術台に寝かされた黒騎士に工具を差し込み、頭部に内蔵されていた制御ユニットをそっと取り外していくパヴェル。場数を重ねただけあって手馴れており、こっちが本職なんじゃないかと思ってしまうほどである。


「おう、座れ」


 近くにあった椅子を指し示しながら、彼は制御ユニットから流れ出てくる電解液を近くにあったビーカーで受け止めた。


「で、進展は」


 単刀直入に用件を問うと、待ってましたと言わんばかりにパヴェルはポケットから取り出したスマホを操作し始めた。近くにあるプロジェクターに接続されていたようで、プロジェクターから投じられた光が壁際のスクリーンに映し出される。


 最初に表示されたのは、幾度も戦ったテンプル騎士団の黒騎士たちだった。俺たちの行く先に現れては妨害してくる機械の兵士たち―――連中が現れる前には周囲の気温が急激に低下、雪が降るという予兆があるのは記憶に新しい。


「―――テンプル騎士団の黒騎士とお前らが地下で遭遇したこの黒騎士、技術的な繋がりがある事が確認された」


 やはりか、と思う。


 以前、運良くテンプル騎士団の黒騎士を1機だけ鹵獲する事が出来たのだが、その解析の際にパヴェルはこう言った。『こいつらの技術的ルーツが分からない。この世界のどの技術とも系統が異なる』と。


 つまりそれは、この世界とは全く異なる技術体系―――異世界の技術で造り出された存在だからに他ならない。その時点では俺はそう結論付けていた。


 しかし、この結果はその仮説を覆す事になる。


「制御ユニットや駆動方式、それから装甲の材質……何から何まで似た者同士だ。まるで盗作みたいにな」


「盗作、ねぇ……」


 これ以上ない表現かもしれない。


 両者を比較し、考える。


 おそらくだが、原形となったのは地下で遭遇した方の黒騎士だろう。テンプル騎士団の黒騎士と比較すると設計(人の手のような五本指のマニピュレータで武器を保持するのではなく腕自体が武器になっている点など)の部分で未成熟さが見受けられる。


 それに対し、テンプル騎士団が保有、量産している黒騎士は高度な技術がふんだんに用いられている。細かい点も改善されており、機械というよりは人間のような柔軟な動きを実現しているのがこちらだ。当然ながら兵器としての完成度もこちらの方が高い。


「原型はこっちか」


「おそらくはな。そしてそっちの小型無人機」


 視線を作業台の上にある、分解バラされかけの無人機に向けた。お椀を逆さまにして6本の脚を生やし、背中にペッパーボックスを乗せたような見た目のそれにも見覚えがある。


「覚えてるか、ウガンスカヤ山脈で遭遇した……」


「ああ、あの採掘作業中に襲ってきたやつだな」


 ウガンスカヤ山脈の地層からT-55が出てきたという情報を元に、真相を確かめるべく発掘調査をしていた最中に襲ってきた小型兵器……あちらも今思えば、小型化したBTRの砲塔にPKT機関銃と4本の脚を生やしたような簡素な造りだった。


 構造が異なる全く別種の兵器ですら、これだけの類似点が見受けられる……これはどういうことなのか。


「これは推測だが」


 ズズズ、とビーカーに入ったオレンジジュース(オイ普通のマグカップ使え)を飲んでから、パヴェルは仮説を話し始める。


「テンプル騎士団の連中、この世界の技術の多くを接収して自分のものにしてやがるな」


「……」


 クラリスの証言では、テンプル騎士団がこの世界にやってきた目的は旧人類が保有していたという【対消滅エネルギー】なる代物を手に入れるためだという。テンプル騎士団はまず対話によるエネルギーの譲渡を試み、相手が渋ると先進的な技術の供与やインフラ整備への協力で信頼を勝ち取ろうとした。


 彼等とて、戦争がしたくてやったわけではないのだ。


 クラリスはその第一陣、工兵隊としてインフラ整備作業に従事していたが、しかし旧人類が戦争を仕掛けたせいで計画は破綻、両者は止むを得ず全面戦争へ突入してしまう。


 その結果がこの世界だ。


 旧人類を完全に抹消し、この世界を獣人たちに預けて一度は姿を消したテンプル騎士団。その際、彼等はこの旧人類の技術を持ち去り、自らのものとしたのだろう。


 つまり、テンプル騎士団の―――少なくともあの黒騎士や無人兵器の技術的ルーツの起源は、この世界のものだったという事だ。


 そしてもう一つ、恐ろしい事がある。


 クラリスの証言によると、【テンプル騎士団が技術獲得のためあらゆる世界に部隊を派遣していた】のだという。


 つまりクラリスの所属していた工兵隊は、無数に存在する異世界へと派遣された部隊のうちの1つに過ぎない、という事。


 テンプル騎士団はまだ、本気を出していない。


 底の知れぬ相手が、ただただ不気味だった。





 

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