サルベージ
近くで見ると、それはどこか作り物のように見えた。
スプラッター映画に登場する死体の断面、そこから覗く人間の中身。本物にしては些か子供騙しに過ぎ、しかし作り物とも断言できない塩梅のそれ。映画の特殊メイクがリアルすぎたせい、というのも一因なのだろう。思ったほどの衝撃は無かった。
どちらかというと、そこに脳味噌があるという事に対しての衝撃よりも、その人間の中身が機械に繋がれている、という仕打ちに対しての衝撃の方が大きかった。本当ならば頭蓋骨の内側に鎮座し、身体へと神経を伸ばしている人体の司令塔。それが肉の器たる身体から取り外され、培養液付けにされて、こうして機械に繋がれているのには一種の恐怖を覚える。
倫理観という箍の外れた人間は、どこまでも残酷になれるのだ。俺たちが想像するよりもずっとどす黒く、底の無い深淵。人類は心の中にそんな悪魔を飼っているのである。
とはいえ、なんて残酷な事をと糾弾する事が出来ないのもまた事実だった。今のノヴォシア帝国の刑法で規定されている人権剥奪刑、合法的奴隷制度。それにおいては無期懲役や死刑を求刑するに相応しい罪人のみに下されるとされており、奴隷として売られれている連中は皆重罪人なのだ(もちろん無実の人間を奴隷とする事は違法であり、加害者側は身分にかかわらず死刑か奴隷となる)。
人権、という権利が消失し法律上は物品扱いとなった罪人は、道徳的観点からあまり声を大きくしては言えない事であるが、人権という盾がない人間はとにかく使いやすいのだ。重労働を強いても、戦争で危険な前線に突っ込ませ肉の盾同然に酷使しても、人体実験に使っても、だ。彼等は文句を言うだろうがそれを聞き届ける義務はないし、彼等は人間ではなく物品扱い。だから酷使して壊れたら予備と交換すればいい―――倫理観が欠如しているかもしれないが、それは彼らに人権がないからで、罪人だからだ。
だから実験には、少なくともノヴォシア帝国においては重罪人が使われる。実験用マウスの次くらいの頻度で、だ。
ここにある脳味噌も、そういう罪人のものなのだろう(むしろ、旧人類の文明と共に法律までそのまま引き継いでいるのだからその可能性は高い)。
この脳味噌の主は何をやらかしたのだろうか。強盗、殺人、詐欺、略奪……色々あるが、とにかくもしそうならとんでもないクソ野郎であるし、こうして脳味噌を培養液付けにされ電極棒で滅多刺しにされているのも笑顔でこう言える。『さまぁ』と。
まあ、この脳味噌が犯罪者のものなのか否か、そんな事はどうでもいい。
「んで、さ……コレどーするよ?」
胸に装着した小型カメラのレンズに脳味噌がはっきりと映るように身体の角度を調整しながら、無線のマイクに向かって問うた。パヴェルはこの映像と俺の声を聴いているのだろう。薄暗い部屋の中、商売道具と仕事道具、それから家族に戦友の写真くらいしか私物の無い寝室で、自作したノートパソコンの画面と向き合いながら、殺戮とアドレナリン、それからアルコールにどっぷり漬かった頭をフル回転させている筈だ。
紛れもなくこれは旧人類の遺産と見ていいだろう。機械に繋がれた脳味噌という特徴から何らかの制御ユニットの類であると考えてしまうのは、SF小説の読み過ぎだろうか。
機械の大樹、その幹に埋め込まれたオシロスコープは依然として変わらぬ波形を映し続けている。ああいうのは何を意味してるのかな、とぼんやり考えていると、《根元の部分を映せ》とパヴェルから指示が飛んできた。
言われた通りに脳味噌の収まったユニットの根元をカメラに映す。
分厚いガラスの容器はぴったりと台座に固定されている。ネジでも溶接でもない―――まるで最初から一体化しているような構造だが、どういう代物なのだろうか?
最悪の場合ガラスを割って脳味噌を取り出してもいいかな、と考えていると、《……取り外しは無理そうだな》というパヴェルの声がヘッドセットから聞こえてくる。可能であれば取り外し分析、というのを考えていたのだろう、俺もそうだ。もし仮にこれが制御ユニットの類なのだとしたら、中身は間違いなく有益な情報であるだろうし、後日ここに足を踏み入れるであろう他の冒険者の手に渡ったら厄介な事になりそうである。
さて、どうするか。我らが司令塔の指示を待ちながら装置を細かく観察して時間を潰す。
装置自体はまだ生きていた。少なくとも、培養液を循環させる小型ポンプは生きている模様で、装置の後方に取り付けられた小さなモーターは聞き取れないほどの高温を発しながら回転を続けている。
これもさっきの地下室で見た代物と同じタイプの動力装置なのだろう。約150年、1.5世紀も休まず動き続ける機械。それも人間の手によるメンテナンスが途絶えて久しいにもかかわらず、である。
いったいどんな技術を使っているのか……長時間稼働させていれば機械部品にも疲労は溜まり、最終的には破断したりするのが当たり前。そうじゃなくても摩耗したり、機械油の経年劣化で異常を生じさせたりと、考えられる機械関係のトラブルは山ほどある。
だから農作物がそうであるように、機械も人が手入れをしてやる必要があるのだ。整備不要など、夢のまた夢なのである。
しかし、ここにある機械類はどうだろうか。
主はテンプル騎士団との戦争で死に絶え、獣人たちはここが恒久汚染地域に指定されたここの存在も知らず誰も訪れない―――外の世界と完全に隔絶され、150年も経過しているというのに、ここの機械(特に重要なユニット類)には経年劣化の気配はない。
まさかとは思うが、部品単位でロストテクノロジーが使われているとでもいうのだろうか。長期間の稼働に耐える金属でネジやらボルトやらを作り、それらでこの機械を構成しているとでもいうのか。
《―――ミカ、そこのプラグが見えるか》
「ん」
脳味噌が収まっている容器の隣―――何か、ケーブルの類を接続するためのものなのだろう。金属製のプラグのようなものが確かにそこにある。
「これが何か?」
《お前のスマホのプラグと同規格かもしれん、見てみろ》
んなわけねーだろ、と半信半疑になりつつも、ポケットから取り出したケーブルをスマホに繋ぎ、もう片方の端子をプラグへと近付けてみた。
結果は、ミカエル君の予想を裏切るものだった。
まるで最初から同規格で作ったかのように、ケーブルの端子がぴったりとはまり込んだのである。
「……マジ?」
「どういうことネ?」
《……まあいい、アプリを立ち上げてくれ。情報はこっちで吸い上げる》
「了解した」
150年も昔の施設にあったプラグに、スマホのケーブルの端子がすっぽりはまる事なんてあるのか……しかも画面を見てみると、ばっちりスマホとこの脳味噌を使った制御ユニットが接続されており、内部にあるデータにアクセスできるようになっていた。
あり得るのか、こんな事が。
だってそんな……これじゃあまるで、パヴェルが旧人類の規格に合わせて造ったとしか思えない。
あるいは……。
困惑しながらも画面をタップし、アプリを立ち上げた。
アプリ名は『ハックだミカエル君』。アプリが起動するや、画面の中を二頭身のミカエル君がトコトコと歩く可愛らしいアニメーションが再生され始め、右下にはイライナ語で『Зараз завантажується……(読み込み中……)』と表示される。
それはいいのだが、いつからミカエル君はフリー素材になったのだろう……?
仲間が勝手に薄い本にしたり、抱き枕カバーにしたりと散々好き勝手に同人グッズ作られてるけど、ついにはハッキング用アプリのマスコット(?)にまでされてもうコレ……ハハハ……何コレ?
しばらくして読み込みが終わったらしく、画面の中の二頭身ミカエル君がリンゴをもぐもぐし始めるアニメーションに変化した。リンゴの次はバナナに、次はスイカに、次はメロンに……といった感じで、ハクビシンの好物でもある果物や野菜をもぐもぐし始める。
その可愛らしいアニメーションに連動し、画面中央にあるバーが少しずつ満たされていく……のだが、その進み具合はまさに牛歩と呼べるものだった。30秒近く待ってやっと1ドット、けれどもパーセンテージは0のままだ。1%にも満たない程度なのだろう。それほど膨大な量のデータがこの中にはあるという事だ。
長くなりそうだな……容量足りるかなコレ、と変なところで心配している俺の後ろで、リーファがジョンファ語の歌を口ずさみながら背負っていたバックパックを下ろした。
中から出てきたのは、ガソリンエンジンと制御ユニット、それから水冷式機関銃を組み合わせたような外見の兵器が分割された状態で収まっており、それらのモジュールをリーファは躊躇する事なく組み立てては三脚の上に乗せ、リコイルスターターを引っ張ってエンジンを起動させる。
非常発電機みたいな振動を響かせながら、彼女の手によって組み立てられた機関銃が目を覚ました。
パヴェルが有り合わせの資材と廃材に機関銃を組み合わせて造った自作の”セントリーガン”だ。完全な自立制御となっていて、血盟旅団のデータベースに登録されていない生命体及び兵器の全てを敵と認識してほぼ無差別に攻撃するようプログラムされている(この辺は発展途上なので仕方がないとパヴェルも反省していた)。
ちなみにスマホをケーブルで接続しアプリを使うと、スマホを介して操作する事も出来るらしい。スマホと連動できるセントリーガンとか変なところで先進的なのホント何なのだろうか。
機関銃として採用されているのはマキシム機関銃をベースに、ロシア帝国やソ連軍が採用した『PM1910』。モシンナガンの弾薬としても知られる7.62×54R弾を使用する代物で、第一次、第二次世界大戦を戦い抜いた老兵だ。ロシアやウクライナでは今でも使用される事があるらしい。
新型の機関銃ではなくPM1910が採用された理由は単純に在庫があった事と、空気ではなく水で銃身冷却を行うため継続的に弾幕を展開できる事が評価されて採用に至った……という言い訳だが多分パヴェルの趣味だろう、絶対そうだ。アイツ東側のミリオタだから絶対そうだ。隙あらばソビエトを捻じ込もうとする男だから絶対そうだ。うっすらと鎌と金槌が交差してる例の国旗が見えてくるが幻覚だ、絶対そうだ。
「ふー、重かったヨー」
「お疲れさま。これで帰りは軽くなるな」
「そうネ、コレ持って帰れ言われたら発狂ネ」
そりゃあガソリンエンジンに制御ユニット、それから冷却水込みの重機関銃合わせて重量はおよそ103.5㎏。そんなもん背負って戦闘人形を圧倒するこのパンダ本当に化け物なんだけど何だコイツ。
スマホの画面を見てみると、お腹いっぱいになったのかミカエル君がお布団に横になって寝息を立てていた。そしてそんな二頭身ミカエル君をスマホの鬼連写で撮影しまくる下心丸出しの二頭身クラリスまで出てきてなんかこう、芸が細かいというか再限度100%というかやたらと愛があるというか、パヴェルよお前何やってんのホントにさぁ。
これスタッフロールあったら全部名前パヴェルになってるやつだわ……間違いない。
しかしいつになったらダウンロード終わるのかね、と飽き始めたのと同時に、ミカエル君のケモミミがぴょこっと立った。リーファも顔を上げ、そしてセントリーガンが一番最初に実力行使という形で”それ”に応じる。
先ほど俺たちがやってきた通路の方へと、曳光弾を含んだ弾幕が伸びていった。ガギュ、と装甲を穿つような音が聞こえ、暗闇の中で蠢く”何か”のシルエットが跳弾時の火花で微かに浮かび上がる。
―――かなりの数の敵がいる。
ケモミミで拾った音からそう判断し、スマホを脳味噌のケースの隣に置いた。AKをセミオートに切り替え、銃口を通路側へと向ける。
《―――なるほど、制御システムの危機に駆け付けたらしいな》
「セキュリティの一部か」
《そういう事だ。気を付けろ、数が多い……フッ、随分と熱烈な歓迎だな》
「……ああ、おかげで涙が出そうだ」
嬉し涙……では、ない。
火を噴き続けるセントリーガンの弾幕すら押し退けて、”それ”は現れた。
一見すると、機械でできた昆虫を思わせた。円盤状の、あるいは底の浅いどんぶりをひっくり返したような機体の側面から6本の脚が伸びていて、背中にはフリントロックピストルのような武器が取り付けられている。
サイズは人間の膝くらいまでしかないが、しかし如何せん数が多い。床をびっしりと埋め尽くすほどの大群で、さながらゴキブリの幼虫のようだ。
塗装が剥げ落ち、あるいは錆び付いてもなお動く殺戮機械の大群……それらが制御ユニットを奪おうと、あるいは情報を吸い上げようとする俺たちを抹殺すべく大挙して襲い掛かってきたのである。
備えあれば患いなし―――弾薬をたっぷり持ってきたのは正解だったと自らの選択に安堵する一方で、それでもなお消し切れない不安が生じて気分が悪くなる。
―――弾薬足りるのか、これ。




