ズメイの焼け跡
『人の営みが消え失せるだけで、世界はこんなにも静かになる』。
恒久汚染地域に踏み込んで真っ先に感じたのは、ついこの前読んだSF小説の一節だった。突如として自分以外の人間が消え、たった1人だけ世界に取り残された男の心理描写に、確かそんな一節があった。建前もなく、忖度もせずに人間の本性をストレートに表現していてなかなか火力強めの作品だったのをよく覚えている。
聞こえてくるのは風の音と、足音と、それからノイズ交じりのラジオの音楽だけ。
ラジオからは恋する乙女の心境を歌ったラブソングが流れてきているんだけど、まずこの目の前に広がる人類滅亡後の世界みたいな光景にはミスマッチだし、ノイズ交じりというのもなかなか不気味だった。まるで壊れかけの機械が、いつまでもいつまでも音楽を奏でていて、しかしその音楽を楽しむべき人間はもうどこにもいないというような、そんな気味の悪さがある。
ブーッ、とスマホが振動しキャニスターの寿命を教えてくれた。周囲の安全を確認してからハンドサインでキャニスターを交換する旨をクラリスに伝え、右手をホースの先のバルブへと伸ばす。バルブの閉止と同時に息苦しくなるが、それに我慢しながらもキャニスターを取り外した。くるくると回して外したキャニスターをダンプポーチへとぶち込んで、ポーチから予備のキャニスターを取り出す。
ホース先端の金属製カップにしっかりとキャニスターをはめ込んで捻じ込み、接続を確認してからバルブを2回転と少しだけ解放。途端に息苦しさは消え、イライナハーブを思わせる香りが流れ込んでくる。
交換が終わった旨のハンドサインをし、彼女と共に先へと進んだ。
元々は大通りだったであろう場所はすっかりと抉れていた。石畳は焼け、掘り返され、しかし路肩には乗り捨てられた車が残っている事からここが大きな道路であったことが分かる。交差点の周囲にさながら飴細工のようにぐにゃりと曲がった物体があるが、おそらくは旧人類たちが使っていた信号機なのだろう。
建物はどれも跡形もなく吹き飛んでいて、コンクリートの基礎と微かに残った燃え残りにその名残を見出すばかりだ。
何か拾えそうな資材はないものか……試しに乗り捨てられた車のボンネットにバールを差し込んで強引にこじ開けてみると、焼き付いて変色したエンジンがそこにはあった。しかしさすがに150年も野晒しにされていれば錆も酷いなんてものではない。元々どんな形状だったのか、どこが固定用ボルトなのかすら分からないほど朱色に変色していて、軽く指で押すだけでボロボロと崩れてしまう有様だ。こんなんじゃあ資材としては使えない。
やれやれ、と後ろを振り向くと、クラリスは黙々と空き缶を拾っているところだった。表面はすっかり剥がれ、錆び付いた表面が覗くばかりの空き缶の山。その中から使えそうなものを選んではバックパックにぶち込んでいる。
拾えそうなものは拾いながら先へと進むと、住宅がいくつか見えてきた。
記録によるとこの辺はズメイ襲撃の際、一番最初にブレス攻撃を受けた地点だそうだ。ズメイのブレスは他の飛竜のそれと一線を画しており、特に本気の一撃は着弾地点に巨大なキノコ雲を作り出すほどだったとされている。
そんな一撃を受けよく残っていたものだ……爆心地から程よく離れていたからか、それとも他の建物が遮ってくれたからなのかは定かではないが、しかしそこにある住宅の廃墟は原形を保ったまま腐敗の瘴気の中で佇んでいた。
人が入った形跡はない。ガレージらしき場所には錆び付いた車が捨て置かれ、傍らには工具箱らしきものもある。ここなら期待できそうだ。
「……」
止まってください、とクラリスが片手を上げてハンドサインを出す。何かの気配を感じ取ったのだろう……そう思い臨戦態勢に入る俺のケモミミにも、イヤーな音が聞こえてくる。
足音、それから肉を食い散らかすような湿った音。しかしそれでいて呼吸音は聞こえてこない。
足音を立てないようひっそりと家に近付き、割れた窓から中を覗き込んだ。
いつもだったら、ここで血の臭いを感じ取っていただろう。錆び付いた金属にも似た血の臭いと生物特有の生臭さ。しかし今はマスクをしているせいで嗅覚は死んでいるし、そうじゃなくても風向きの関係もあって嗅覚による索敵は意味を成さなかった。
家の中にはゾンビがいた。
片方は自分と肉体の壊死が進み、痩せ細り干からびた姿をしている。腕も骨の周りにカラッカラの肉と皮が貼り付いているだけといった有様で、さながらごぼうのようだった。
もう片方のゾンビは比較的フレッシュな個体らしい。任務中に腐敗の瘴気でも吸ってしまったのか、騎士団の制服に身を包んでいる。顔の右半分は腐敗して崩れ落ちており、右の歯茎が奥歯の辺りまで丸見えだった。
当たり前だが、恒久汚染地域内の定期巡回を行う騎士団や憲兵隊には常に大きな危険が伴う。何も無ければいいのだが、もしゾンビに襲われたりしたら殲滅しなければならないし、噛まれたり腐敗の瘴気を吸ってゾンビ化の兆候が見られた場合は帰還が許されない。
仲間の手で始末されるのはまだいい方で、場合によってはそのまま恒久汚染地域に置き去りにされてしまう事もあるのだそうだ。そして遺族はその亡骸を目にする事も出来ない。
おそらくは置き去りにされてしまった騎士の成れの果てなのだろう。そう思うと哀れでしかなく引き金も重くなるものだが、しかし対話ができず肉を貪る事しかなくなったゾンビ相手に情けは不要である。
一度ゾンビになってしまったら、もう二度と元には戻せないのだ。ビーフステーキがどう頑張っても元の牛に戻る事など無いように。
それに、情けを見せたら最期、あそこで貪られている冒険者と同じ運命を辿る事になる。
おそらくは先ほど発見した列車の持ち主の1人なのだろう。革製の防具に身を包んでおり、傍らには銃剣付きのマスケットとフリントロック式のピストルがある。一攫千金を夢見て恒久汚染地域に踏み込んだはいいが、何らかのトラブルで列車を放棄する羽目になり今に至る……そんなところだろう。
いずれにせよ、あのゾンビは片付けなければならない。
タイミングを合わせてくれ、とハンドサインを送り、同時に踏み込んだ。
顔の削げ落ちたゾンビたちが口に腸やら肉片やらを咥えながら振り向くが、次の瞬間にはその眉間に5.56mm弾がめり込んで、乾燥しスカスカになった脳味噌を室内に撒き散らす羽目になっていた。上顎から上を吹き飛ばされたゾンビたちが仰向けに崩れ落ち、本来あるべき姿に……死者へと戻っていく。
ゾンビの排除を確認してから、彼等の餌食になっていた被害者の眉間に1発、それから心臓周りに2発ほど弾丸を撃ちこんだ。理想は死体を火葬する事だが、間に合わない場合は応急的な処置としてこうして脳と心臓をあらかじめ破壊しておく事でゾンビ化は防ぐ事が出来る(※それでも疫病の温床となるので火葬が望ましい事に変わりはないが)。
家の中を捜索しゾンビがいない事を確認してから、廃品回収に取り掛かる。
キッチンに放置された鍋やリビングにあるランプ、それから旧人類が使っていたラジオの残骸もとにかく片っ端からバックパックへと収めていく。こういったスクラップに”取り過ぎ”はない。使う分は使い、余剰となったら市場で売るなり何なりすればいいのだ。特に電気部品は高値で売れるから、冒険者はそういう高価なスクラップを狙い撃ちにする傾向がある。
それすらも手つかずで置いてあるという事は、この汚染地域は相当ヤバいという事だ。実際、こうして廃品回収に入った冒険者がゾンビの餌食になっているわけだし……。
「ご主人様」
「?」
リビングの奥にある個室を調べていたクラリスに呼ばれ、彼女の方へと足を進めた。
寝室だろうか。今ではすっかり焼け焦げたベッドの下に、何やら地下へと続くハッチのようなものが見える。
彼女にベッドを退けてもらうが、当然ながらハッチにはロックがかかっていた。もちろん合鍵なんて持ち合わせていないし、家の中に鍵が残っているとも思えない。
となれば力尽くでこじ開けるしかなさそうだ。
ポーチの中から針金を取り出し、少し折り曲げてから鍵穴の中へと差し込んだ。
「ご主人様、必要とあらばクラリスが拳で」
「それは最終手段ね」
あまり大きな音を立ててゾンビが寄ってきたら大変だ。極力静かに済ませるのが一番である。
さて、ミカエル君の得意分野の一つにピッキングがある。キリウに住んでいた頃、屋敷の鍵やらスラムにある立ち入り禁止区域などの鍵穴で何度も練習したので、簡単なやつであれば針金で何とかできるのだ(さすがにガチの奴は無理)。
ガチャ、と鍵が外れる音が聞こえ、針金を引っこ抜いてハッチを開ける。
立ち入ろうとするクラリスを手で制し、入る前にポーチから取り出した酸素濃度計をスマホの端子に接続。検知部をハッチの下へと続く地下室らしき空間へと垂らしていく。
それと同時に画面をタップしてアプリを起動、酸素濃度計と連携すると画面に地下の酸素濃度が表示され始める。
酸素濃度6%……マスクをしていてよかった、と心の底から思う。
こんな低濃度の酸素では、地下に入った途端に意識を失ってしまうからだ。
少しハッチを開けたまま換気しておこう。その間、部屋の中を物色して待つとしようか。
部屋の中にあるランプやラジオ、それから本棚を捜索する。本棚に並ぶ分厚い本の大半は既に焼けていたが、一部は辛うじて読める状態で保尊されているようだった。カビの臭いが染み付いた本を捲ってみると、どうやらそれは魔術関連の書籍らしく、『魔術の適正に恵まれない魔術師でも魔力の効率的運用を行えば活躍する機会はあるのではないか』という仮説が提唱されていた。
もしその通りならありがたい話だ。このミカエル君も、あまり適正には恵まれていない方なのである。自分なりにその”効率的運用”とやらは模索しているつもりではあるが……やっぱり魔術は生まれつきの素質が左右する世界、そう簡単に行かないのではないかと諦観している自分が居るのもまた事実だ。
とりあえず、この本は貰っていこう。何かヒントが得られるかも。
「ご主人様、そろそろ換気は十分かと」
「ん、そうだね」
スマホの画面をチェックすると、酸素濃度は19%程度まで回復していた。とはいえ中に何があるか分からない状態なので、異変を感じたらすぐ脱出しよう。
錆び付いたタラップに手をかけ、穴の中へと滑り降りていく。
どうやらこれはこの家が建てられた時から用意された、しっかりとした地下室ではなく、あとになってこの家の住人が追加したもののようだった。壁面には木製のフレームがはめ込まれ崩落防止の対策が成されているようで、緩やかな勾配の先には穴が掘られて、非常用の発電機と排水ポンプが据え付けられている。
地下室の中には棚と椅子、テーブルにソファ、それからベッドにラジオが持ち込まれているようだった。棚にはずらりと保存食が並んでいるが、しかし如何せん150年も昔のものだ、賞味期限はとっくの昔に切れているだろう(実際ガスが溜まってパンパンに膨らんだ缶がいくつもある)。
そしてベッドには、3人分の白骨死体があった。
ズメイの襲撃から逃れるために地下室に退避していたのだろう。大きな白骨死体が2つ、それからカビだらけのクマのぬいぐるみを抱えた小さな白骨が1つ……親子なのだろうか。
頭部や骨盤周りの骨格から判断するに、獣人ではなく旧人類―――つまるところ、”人間”なのだろう。
「……」
ごめんなさい、色々と持って行きます。
そっと手を合わせている俺の後ろでは、ポンプに据え付けられた非常発電機が稼働しているところだった。
150年間も動いていたのかという驚きと共に振り向き、発電機を調べた。確かに振動しながらも動いている。一体どんな燃料を使っているのかと思ったが、しかし燃料計の類は見当たらない。給油口もだ。
「……」
これは地味に……というか間違いなく、旧人類の技術が使われているのではないか?
予想外の発見に、ただただ驚愕していた。
燃料を使わずに発電できる非常用発電機なんて聞いた事がない。
「クラリス」
「はい、ご主人様」
「これ、持って帰ろう。大発見だ」
息を飲んでから、そう言った。
なるほど―――旧人類の遺構が宝の山と言われるわけだ。




