『血と鉄の時代』
1893年 6月17日
聖イーランド帝国
「ぱー、ぱーぱっ、ぱー♪」
「むぁ~」
丸くて小さな手に顔をもみくちゃにされながらも、まだまだ軽くて小さな我が子を抱き上げる。この子は本当に抱っこされるのが大好きで、出来る事なら両手で抱っこしてあげたかったが……今のところはまだ、片手で何とかなる程度ではある。
キャッキャと楽しそうに笑い声をあげる愛娘。そのまま愛娘を抱き抱えて走り回り「ほらほら鳥さんだぞ~」なんて言いながら部屋を駆け回る22歳新米パパ。まさか剣術一辺倒だったこの俺が子育てとは、本当に人生何があるか分からないものである。
愛娘―――『ラウラ・ペンドルトン』はエリスとの間に生まれた子だ。母親に似たようで獣人のタイプはライオン、第二世代型である。綺麗な金髪の中からはまだまだ小さくて丸い、可愛らしいライオンのケモミミが覗いており、こうやって遊んであげている時によくピコピコ動くのだがそれが本当に愛らしくてもうね、何でこんなにウチの子可愛いんだろうね。もう一生愛でてたい。パパもうお仕事行きたくない。ずっと娘の面倒見てたいもう可愛いなもう、もう、もう。
「ふふふっ、ほぉらラウラ、そろそろパパはお仕事行かなきゃいけないから、ママと遊びましょうねぇ~♪」
「ぶーっ」
不機嫌そうになるラウラを、ものすごく名残惜しいがエリスにパス。まだ遊び足りないのかこっちに手を伸ばしてくるラウラだが、ごめんねパパもうお仕事行かないといけないの。
ラウラの頭を撫でてから玄関へと向かった。
「あ、待ってあなた」
「え」
何か忘れ物でもしたかな、と後ろを振り向いた瞬間、柔らかくて暖かいエリスの唇で、唇を塞がれた。
エリスの奴、いつもこんな調子だ。公務に出かける時もこうやってキスで見送ってくれる。
「いってらっしゃい」
「ああ、行ってくるよ」
「ぱーぱっ」
「ふふっ、ラウラもね。パパ行ってくるね」
「ぱーっ♪」
左手でネクタイを直しながら玄関の外に出た。
あれから5年―――まあ色々あった。
エリスとエミリア、2人の女性との結婚式は大々的に行われたし、大々的に報じられた。新聞記事には『倭国から来たサムライ、ペンドルトン家の娘2人と結婚』だとか『隻腕のサムライが夫になる?』とか、いい意味でも悪い意味でもいろんな記事になり、イーランドでも倭国でも有名人になってしまった。
もちろん俺がペンドルトン家に婿入りした立場なので、今の俺は”速河力也”ではなく”リキヤ・ペンドルトン”。何だか奇妙な響きだが、これもそのうち慣れるだろう。
慣れと言えば、今まで耳に装着していた翻訳装置はもう外した。さすがにいつまでも機械に頼っているわけにはいかないし、機械を介さぬ妻たちの母語をそのまま見聞きし、自分の口で伝えたいという思いもあり、結婚後に猛勉強した。その甲斐あって少し倭国訛りは残るもののだいぶマシになった(※エリス談)との事だ。
自己紹介で『はろー。まいねーむいずりきや・はやかわ』とぎこちない倭国語で話していたあの頃が懐かしい。
外には既に車が待っていた。ペンドルトン家の車ではない。アンダーソン家―――ジョシュアの家の車だ。後部座席には白いスーツ姿のジョシュアが乗っていて、スモークがかかったガラス越しに小さく手を振っているのが見える。
「ちょっ、駄目ですエミリア様!」
「ええい放せチェルシー!」
「んぁ」
なんだかエミリアの声が聞こえるな、と視線をそっちに向けると、中庭へと通じる通路に向かうところでメイドのチェルシーとエミリアが何やら言い争っているのが見え、思わず頭を抱えた。
エミリアの手には剣があり、これから鍛錬に行くところなのだろうが……今の彼女はお腹がそれなりに大きく膨らんでいる。あのお腹に小さな命が、俺たちの未来が宿っているのだ。
「ちょっと旦那様、旦那様も止めてくださいまし!」
「なんだ力也、お前も私を止めるのか!」
「あのなエミリア、妊娠中なんだから少し剣術は自重してくれ……」
「し、しかしだな……」
「お腹の子に何かあったら大変だし、今は体調を崩しやすい時期でもある。最愛の妻に何かあったら嫌だぞ、俺」
「あうっ……お、お前がそう言うなら……」
むう、と少し不服そうに、しかしまんざらでもなさそうな笑みを微かに浮かべ、エミリアはやっと剣をチェルシーに明け渡す。
「ふう……まったく、エミリア様は旦那様にデレデレですわね」
「ちょっ、チェルシーお前っ……!」
「ははーん???」
「こ、こら力也! お前も悪ノリするんじゃない!」
ごめんごめん、と平謝りしていると、エミリアは少しびっくりした表情でお腹に手を当てた。
「……どうした?」
「ふふっ、今この子お腹を蹴ったぞ」
「随分元気だなぁ」
お母さんに似たのかな、とちょっと思った。俺にも少し似てほしい……いや、何でもない。俺に似たって何も良いところないと思うよ多分。剣術大好き刀ブンブン馬鹿がもう1人増えるとかペンドルトン家大変な事になる。
とは思ったが、今思ってみれば俺もエミリアも剣術大好き刀or剣ブンブン馬鹿なので、どっちに転んでも結局は同じ事になる。大変だなぁウチ。
「多分男の子だな」
「ん、検査したのか」
「いや直感だ。なんかそんな感じがする」
母の勘って奴か。
「それじゃ、俺公務あるから行ってくるよ」
「うむ、気を付けるのだぞ」
チュッ、とここでもキスされた。
いきなり目の前で夫婦のキスを見せつけられ、傍らにいたチェルシーが気まずそうに目を背けつつも何度かチラ見する。何だ気になるのかお前。
それじゃ、とエミリアに手を振り、玄関前で待っている車へと向かった。
どこからやってきたのか、菜緒葉が運転手に代わり後部座席のドアを開けてくれる。ありがと、と長年付き人をやってくれている彼女に礼を言い、後部座席に乗り込んだ。
「相変わらずお熱いねぇ」
「言ってろ。目を離すとすぐ素振りに行こうとするんだ」
後部座席に乗っていたジョシュアにそんな事を言われたので、溜息を添えて言い返してやった。
昔はひと悶着あったジョシュアとの関係だが、今ではもうすっかり友人と呼べる仲になっており、仕事でも技術交流などを積極的に行い、プライベートでもよく一緒に狩りに出かけたりパブで夜遅くまで酒を飲んだりと、まあ仲良くやっている。
これから向かうのは倭国大使館。そこに倭国の幕府から派遣されてきた役人がおり、そのお偉いさんとこれから軍事技術供与について話し合いに行くのだ。
そもそも俺がインディア洋と大西洋の向こうにあるこの聖イーランド帝国に送り込まれた理由は最新鋭の軍艦建造に関する技術供与を受けるため。その目的は既に達成されており、一昨年から技術供与のためペンドルトン・インダストリーのスタッフが数回にかけて倭国を訪れ、新型艦の建造のための指導を行っている。
新聞ではつい先週に戦艦『三笠』が就役したらしく、そろそろ倭国としても弩級戦艦の建造に着手する計画があるとの事だ。
最近はノヴォシア帝国の動きも活発になりつつある。幕府も危機感を抱き、計画を前倒しで進めているのだ。信也からの手紙によると『新造戦艦は”薩摩型戦艦”とされている』らしい。
戦艦薩摩、ねぇ。随分と俺に馴染みのある名前だ。
さて、その技術供与の話に何でジョシュアが同行するかというと、だ。
倭国の軍拡に、陸軍関係の軍需産業最大手である”アンダーソン・ファイアーアームズ社”も是非一枚噛ませろ、という事らしい。ジョシュアの実家のアンダーソン・ファイアーアームズ社はイーランド帝国軍の小銃開発を一手に引き受けており、本国軍や植民地駐留軍に幅広く販売している。
その販路を極東にも求めたという事だ。
まあ倭国から来た俺とジョシュアが今ではすっかり親友同士という事で話はすんなりと進み、今は少しでも軍拡に繋がる技術が欲しいというスタンスの幕府からも秒でOKが出て今に至る……というわけである。
100の結果を求められたらなんか200くらいの結果が出たと言ったところか。
イーランドと倭国の同盟も強化され、多くの技術がもたらされ、ついには『戦争になった暁にはこの聖イーランド帝国が全力でバックアップする』といった軍事同盟の締結にまで漕ぎつけたので、今頃幕府はお祭り騒ぎだろう。
まあ、一番は戦争になんかならない事だが……。
「そーいやジョシュア、聞いたぞ。結婚するんだって?」
「ああ。是非来てくれよな」
ジョシュアにも結婚相手ができたそうだ。相手はベイカー家の……確か、”フランシスカ”って名前の人だったか。
視線を窓の向こうに移した。
大西洋が見える。そのはるか向こうにインディア洋が、そしてその彼方に俺の祖国―――倭国がある。
来月の軍艦供与の際、俺も一時帰国する事になった。倭国海軍へと供与される戦艦『マジェスティック』に乗艦し、倭国の横須賀まで向かう予定となっている。
久しぶりに両親と信也の顔も見たいし、上様にも色々と報告しなければならない。もし都合が合うようだったら、その時にエリスとエミリア、それからラウラも連れていこう。みんな初の倭国だから喜ぶだろうし、ウチの両親も初孫を見たいだろうから。
久しぶりの帰国に胸を躍らせながら、しかし気を引き締める。
とにかく、今日は仕事をキッチリと済ませよう。
この仕事が祖国の命運を左右する事になるのだから。
さーて、今日も仕事するとしますかねぇ。
第二十三章『東の狼、西の花嫁』 完
第二十四章『泥濘の大地、鈍色の空』へ続く




