洗礼を受けよう
「え、教会に行きたい?」
ミカエル君、13歳の誕生日。
唯一誕生日を祝ってくれたレギーナに頼んでみると、彼女はちょっとばかり困惑したように言った。
こんな事を頼み込んだのは他でもない、魔術を真剣に学びたいからである。
冒険者として登録できる17歳になったら、俺はこんな屋敷をとっとと出て行くつもりだ。自分の妻でもないメイドと”気持ち良い事”した結果5人目の子供を授かっておきながら、居ないものとして扱う父親には腸が煮えくり返る思いだが、それは後程”怨”返し(誤字じゃないからね)するとして、今のうちに自分の武器を用意しておく必要がある。
いくら現代兵器を召喚できる能力を与えられたとはいえ、他人から与えられた能力に頼りっきりというのは、以前にも述べた通り危ういと感じている。せめて「ヒャハハハ俺つえぇぇぇぇぇぇぇwww」みたいな感じにイキるなら自前の能力でイキりたいものだ。
というわけで魔術力学を独学で学びつつスラムに通い、喧嘩に自信がある同年代や年上の子供たちに相手をしてもらい近接格闘……というか、取っ組み合いの練習もしている。
前世の世界では空手とか柔道もやってた。柔道の方は中学生の頃に空手部と2年間掛け持ちしてた程度だけど、それでも身体はちゃんと覚えているもので、記憶の中に刻まれた技術はまだ使い物になるレベルだった。
後は身体に過度の負担をかけない程度の筋トレもやっている。
さすがに一流の剣術の師範をつけてもらっている姉弟たちと比較すると身体能力は劣るかもしれないが……それなりに”土台”はできた、という自負はある。
なので次に手を付けたいのが魔術だった。教本で魔術力学や魔力運用の基礎、理論を学んでも出来ない事は、実際の魔術の本格的な発動である。
これは前にも述べたが、この世界における魔術とは”神の力の一部”という定義がされている。教会で洗礼を受け、神や精霊、過去に活躍した英霊を信仰する事でやっと魔術が使えるのだ。
この特性上、原則として無神論者は魔術が使えない。無神論とは神の存在の否定であり、神の力の一部たる魔術もその例外ではないからだ。
というわけで、ダメ元でレギーナに頼んでみた。父上に言ってもどうせ相手にされないだろうし。
するとレギーナは少しばかり考えてから、分かりました、と言い残して部屋を出た。しばらく薄暗い自室の中で彼女の帰りを待っていると、先ほど部屋を出て行ったレギーナが、何かの入った小瓶と洗面器を持って戻ってきた。
「それは?」
「ミカエル様、洗礼を受けようとするのは結構でございますが、まず最初にご自身の”適性”を調べてからでも遅くはありませんわ」
「ああ……そっか」
教会で祀られている神を信仰すれば、強力な魔術を連発できるようになるというわけではない。
各地に様々な属性を司る神を信仰する教会がある、という話は前にしたと思う。忘れた? ここテストに出すからちゃんと覚えとけよ?
で、まあ色々属性があるんだが……洗礼を受ける側の人間、つまりは神の存在を肯定し、それを信仰する側の人間にも属性に対する適性というものが存在する。例えば炎属性に適性のある魔術師が炎属性の魔術を使えば恐ろしい威力を発揮するようになるが、適性がない魔術師が背伸びして炎属性の魔術を使おうとしても、どう頑張っても小火程度……という事だ。
なので、洗礼を受ける前にどの属性に適性があるのか、チェックしておくことが必須となる。
「こちらが水銀、こちらの小瓶が焼いた動物の骨を砕いたものになります」
「うん」
どろりとした水銀を洗面器の中に注ぎ、その上にぱらぱらと、まるでスパイスのように骨の粉末をふりかけていくレギーナ。これら2つは洗礼の時に使う素材でもあるとされ、水銀は大地を、骨を砕いたこの粉末は雪を意味しているらしい。
それを混ぜ合わせたレギーナは、にっこりと微笑みながら「さあ、手を」と促す。
言われた通りに、恐る恐る水銀の中に手を突っ込んだ。
「そのまま、ほんの少し魔力を流してくださいませ」
「……こう?」
手のひらから暖かい風が溢れるイメージ……教本通りにやってみると、やがて水銀に埋もれた右手に変化が現れた。
バチッ、とスパークが一瞬だけ閃き、水銀の表面に蒼い幾何学模様がうっすらと浮かんできたのである。
「これは……ミカエル様の場合、雷属性に適性があるようですわね」
「雷か……」
「おそらくランクはC相当……ああ、でも落ち込まないでくださいませ。中にはどの属性にも適性の無い方もいらっしゃると聞きますし、ランクは信仰心や装備で多少は前後するものですから」
適性は雷、ランクはC相当……属性が分かったのは大きいが、適性の方はいまいちパッとしない。可もなく不可もなく、といったところか。
適性によって、何を信仰できるかが変わってくる。
教会に祀られている存在にも順位があり、ヒトの身から神に認められた”英霊”、神によって生み出された”精霊”、そしてそれらの頂点に君臨する”神”の順番に、その順位は高くなる。
D、あるいはC程度の適性であれば英霊を信仰している教会に行って洗礼を受ける事が出来るが、精霊クラスは不可能だ。精霊を信仰している教会で洗礼を受け、その力の一部を得るには最低でもBランク程度の適性が必要になってくる。
ちなみに神はAランク以上。ここからは本当に生まれ持った素質がモノをいう世界になってくる。
もしかしたら俺には隠れた才能があって、Sランクとかまで届いたりして……などという甘い期待を抱いていたが、結果は可もなく不可もなく、いまいちパッとしない結果だった。
それでも―――自分の向いている属性が分かったというのは大きい。
「レギーナ、明日教会に連れて行ってほしい」
「かしこまりました。では明日の9時にお迎えに上がります」
「頼む」
いよいよだ。
新しいステップに進む時が、ついに来た。
キリウ市内にも教会はいくつか存在する。その中でも信仰の対象がハードルの低い英霊で、なおかつ属性が雷という条件を満たしているのは一ヵ所だけだった。
『キリウ・エミリア教会』。かつて獣人たちが生まれるよりも遥か昔、1本の剣と蒼い雷で戦い抜いた蒼雷の女騎士”エミリア”を祀る教会だとされている。伴侶も無く、イライナ公国のために戦い抜いた彼女は死後、神々によって認められ英霊となり、こうして各地で信仰を集めているというわけだ。
魔術を使うためのハードルが低いだけあって、洗礼の受付窓口にはそれなりに人が集まっていた。さすがに何時間も待たされる程ではないのだろうが、休日にもなればここを訪れる信者や魔術師見習いの数は一気に増えるらしい。
平日を選んだのは正解だったと思いながら列に並び、教会の壁にこれ見よがしに飾られている肖像画を眺めて時間を潰す。
エミリアのものとされる肖像画のようだった。蒼と白銀の鎧に身を包み、剣を杖代わりにして仁王立ちする女の騎士、エミリア。蒼い雷を自在に操り、侵略者たちをことごとく返り討ちにして行ったその勇猛さから、敵からは”雷竜”、味方からは”雷騎士”と称されたのだという。
「お次の方、どうぞ」
「あっはい」
窓口に居るシスターに促され、レギーナと一緒に窓口の前へ。いちいち手を繋がなくても良いと言ったんだけど、はぐれると大変だから、とレギーナは手を放してくれなかった。ママか。うん、ママだ。きっとそう。
「洗礼をお願いしたいのですが」
「かしこまりました。適性検査の方は……?」
「昨日済ませました。ランクはCです」
「なるほど、かしこまりました。それでは奥の部屋へどうぞ」
ネコミミのあるシスターに促され、窓口の向こうにある部屋へと案内される。レギーナと一緒に部屋の中に入ると、中でがっちりとした体格の神父が待っていた。
一瞬、獣人ではなく熊なのではないかと思ってしまう。そう勘違いしてしまうほど、顔つきは人間というよりは獣に近い。
獣人、といっても大きく分けて獣に近い”第一世代”、そこから動物の外見的特徴を残しつつもよりヒトに近くなった”第二世代”の二種類が存在する。俺やレギーナは第二世代だけど、どうやらここの神父様は第一世代の獣人のようだった。
ヒグマの獣人なのだろうか。
「ようこそいらっしゃいました。洗礼ですね?」
「ええ、この子にお願いしたいのですが」
「分かりました」
傍らに控えていたシスターからさっき窓口で記入した書類を手渡され、神父が目を丸くした。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ……ああ、ステファン様のところのお子様でしたか」
「え、ええ」
しまった、という顔をレギーナが浮かべたのを、俺は見てしまった。
没落したとはいえ、このキリウでのリガロフ家の影響力は強い。リガロフという名を耳にすれば、誰もがあのリガロフ家だと思い至るほどである。
偽名を使うべきだったか、と後悔しているのかもしれない。
すると、シスターが目の前にそっとダガーを置いた。黒ずんだ柄から、幾何学模様が彫り込まれた白銀の刀身が伸びている。戦闘用というよりは儀式用の、よく手入れされたダガーだった。
「では、手を」
言われた通りに恐る恐る手を出す。神父はダガーを握ると、その鋭利な切っ先を軽く俺の手の甲に押し当て、皮膚の表面を薄く切り裂く。鮮血と共に、じわりと鋭い痛みが滲み出してきて、真っ白な手の甲に紅い線が刻まれた。
シスターから小瓶を受け取り、その中に納まった銀色の液体―――どろりとした水銀をその傷口に垂らし始める神父。手の甲の上で鮮血と水銀が混ざり始めたかと思いきや、まるでそれは意思を持っているかのように蠢き始める。
うねうねと手の甲を這い回る感触に顔をしかめていると、やがてそれはぴたりと収まった。
左の手の甲に、六芒星を円で囲み、その内側に幾何学模様を散りばめたような形状の魔法陣が刻まれていた。
「……これで洗礼は完了です」
これで……終わり?
手の甲に刻まれた魔法陣にそっと指を這わせてみる。傷口はもう完全に塞がっていて、水銀のような重さも、どろりとした感触も無い。塗料がすっかり乾燥してしまったかのように、その魔法陣は手の甲に居座り続けている。
這わせた指先に、軽くではあるが痺れるような感触があった。静電気をかなーり、知覚できるか否かのギリギリくらいまで弱めたような感触だったけれど、確かに雷の力が宿っているのは感じられた。
「これで魔術が使えるようになりますが、まだ洗礼が済んだばかり。半日ほど、身体に馴染むまで魔術は使わせないように」
「分かりました。ありがとうございます、神父様」
ぺこり、と神父に頭を下げ、踵を返すレギーナ。俺も同じように頭を下げ、左手に刻まれた魔法陣をまじまじと見つめながら彼女と一緒に教会を後にした。
気のせいだろうか……壁に飾られている肖像画の中のエミリアが、微笑んでいるように見えたのは。
「良かったですわね、ミカエル様」
「うん! ……あ、でもレギーナ。父上には……」
「良いのです」
にっこりと微笑みながら、レギーナは言った。
「ミカエル様の幸福が、私の幸福ですから」
『聞いたぞレギーナ! ミカエルを教会に連れて行ったそうだな!?』
『申し訳ありません、お許しください旦那様……!』
レギーナが運んできてくれた夕食を平らげ、魔術力学の教本を読み漁っていた時に、その怒声は響いてきた。野太い中年男性の怒声と、それに怯えながらも許しを請う女性の声。今日の件はやはり父上の耳に入ったらしい。
『ミカエルを屋敷の外に出すなと言っている筈だ! いいか、あれはリガロフ家の恥部だ。薄暗い部屋の中で腐っていくのが一番なのだ! また同じことをしてみろ、奴隷商人に売り飛ばすからな!』
『以後、気を付けます……』
『ふんっ、害獣風情が。こうして仕事を与えてやってるだけありがたいと思え!』
怒声が聞こえてくる度に、まるで自分自身が矢面に立たされているかのように胸が締め付けられる。錐のようなものを打ち付けられ、亀裂が入っていくような……何とも言えない痛みが、胸中に走るのが良く分かった。
ああ、あの時と同じだ。
転生前……あれは小学生の頃だったか。酔っぱらって帰ってきたクソ親父が、母に暴力を振るっていた時と同じだ。あの時は怖くて、力の及ばない親の理不尽な暴力に割って入る勇気が無くて、部屋の中で丸くなりながらぶるぶる震えている事しかできなかった。
あの時は理不尽な理由で振るわれていた暴力。だが、今は違う……今回のは、完全に俺のせいだ。俺が教会に行って洗礼を受けたい、なんてレギーナに頼み込んでしまったから、こんな事に……。
手の甲にある、すっかり馴染んだ魔法陣を見た。初歩的な魔術くらいは使えるかもしれない……いや、試したことも無いが、やってみる価値はあるだろう。
そう思いながら、母を―――レギーナを救おうと部屋を飛び出そうとする自分を、理性が押し留める。
―――今出て行って何ができる?
魔術をぶっ放してレギーナを救う? たかが13歳のガキが、特に才能があるわけでもないガキが出て行ったところで何になるというのか?
それに、父上の周囲には護衛の兵士もいる筈だ……帝国の各地から引き抜いてきた選りすぐりのエリートたちである。太刀打ちできるわけがない。むしろ逆に取り押さえられ、レギーナを危険に晒すだけだ。
何もできない無力感にしばらく苛まれていると、怒号が消え―――コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえた。
『ご主人様、食器を下げに参りました』
「……どうぞ」
扉の向こうには、いつもと変わらぬレギーナの姿があった。真っ白な前髪の下から覗くネコ科の動物のような形状の瞳にはいつものような慈愛が浮かんでいるが、その目の周囲にはどれだけ拭い去っても消しきれぬ痕跡……涙を拭い去ったような痕があった。
「ごめんなさい、俺のせいであんなにひどい事を……」
「……聞いていたのですね」
作っていた笑みに、悲しみが混じったのが分かった。
ああ、やめてくれ……そんな顔を見せないでくれ。
食器を下げようとしていたレギーナは、微かに肩を震わせながら俺を抱きしめてくれた。
「レギーナ……?」
「いいですか、ミカエル様。現実というのは残酷です。平然と過酷な運命を、理不尽を突きつけてきます。私はあなたに、そういった理不尽に打ち勝つ強さを持ってほしいのです」
「……」
「どうか、ご自身の出生を呪わないでください。親が誰であれ、生まれてくるだけでもそれは幸福なのです。どうか、強く生きてください。良いですね?」
「……うん」
生まれてくるだけでも幸福、か。
それはそうだ。生まれてこなければ幸福も何もない。
ならば、精一杯生きてやろう。
レギーナの言う”強さ”を胸に―――この二度目の人生を、思い切り生きてやるのだ。
そのためには力をつけなければ。
理不尽な現実に、打ち勝つための力を。
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