力を合わせて
一目惚れなんて言葉は、絵本や恋愛小説の中だけだと思っていた。
異性と結ばれるのであれば、相手がどのような人なのか、その人柄を見極めてこそ―――そんな現実的な僕の考えを打ち破ったのが、このエミリア・ペンドルトンという少女だった。
凛としていて、強く、故に美しい。迂闊に触れてはならないのではないかという距離感が、彼女の魅力をより一層引き立てているようにも思え、政略結婚の一環として父上から紹介されたその時から胸はずっと高鳴っていた。
一目惚れ……実在するじゃあないか。
アンダーソン家とペンドルトン家の婚姻は父上たちの思惑の上、僕たちは父上たちにとっては権力拡大のための駒なのかもしれない。もしかしたらエミリアは、僕との結婚なんて望んでいないかもしれないけれど……。
でも、何年かかってもいい。口を聞いてすら貰えなくてもいい。
せめて僕も、彼女に―――エミリア・ペンドルトンという女に相応しい夫になろうと、そう思っていた。
―――あの男が来るまでは。
突然言い渡された婚約破棄。それが信じられなくて、僕は彼女に問いかけた。
返答はいずれも拒絶だった。弱い僕ではダメだ、と―――僕よりも、極東からやってきた片腕のサムライの方がいいのだ、と。
分かってる。結局これは嫉妬、何とも醜い男の妬みなのだ。
―――でも。
想いは届かなくても、別にいい。
どうなろうと、それでも気持ちは変わらない。
先ほどまでの戦いで消耗し、動こうにも動けない力也と目が合った。やめろ、とその視線が訴えかけているようだったけど、返答している時間はない。
憎たらしいけれど―――これ以上ないほど悔しいけれど。
お前の勝ちだよ、余所者。
「やめろ―――」
歯を食いしばり、剣を握った。
エミリアと、あの女―――シェリルが乗る機械の騎士の間に立ちはだかり、飛来するガトリング砲の弾丸を片っ端から弾いた。振り払い、薙ぎ払い、受け流し、とにかく両腕が千切れてしまいそうなほど剣を振り回した。一発でも多く弾き飛ばし、彼女を、想いを寄せている彼女を守り抜く事ができると信じて。
身体が揺れる。
剣で何発弾いても、相手は凄まじい速度で弾丸を連射してくるガトリング砲。捌ききれなかった弾丸が腹を、肩を、足を射抜き、お気に入りの服に穴が開いて血が滲んでいくのが分かった。
「ジョシュア!」
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
喉の奥から鉄臭い何かが込み上げてくる。ごぼごぼと溺れているような音になりながらも、とにかく叫んだ。叫びながら剣を振るった。
痛みもやがて感じなくなった。
あの世が―――天国からのお迎えが近いのだと、そう思った。
何も感じなくなり、もはや気迫と執念だけで振るっていた剣がぴたりと止まる。
立ち昇る土埃の向こうには、キュルキュルとガトリング砲の砲身を回転させながら佇む機械の騎士の姿があった。今の掃射で終わらせるつもりだったのだろうが、しかし予想外の離反で唖然としているのだろう。
連中は計画を邪魔される事を何よりも嫌う―――さしずめ、俺は計画という名のプログラムの中に生じた一片のバグ、レコードのノイズのようなものだ。せっかくの思いで組んだ完璧なプログラムが、たった一片のバグで台無しにされるのはどんな気分だろうか。
ごふっ、と血を吐きながら、にんまりと笑ってやった。
「エミ……リ……」
「ジョシュア……お前……!」
振り向くと、やっぱりそこにはエミリアがいた。
けれどもなんだ、その顔は。
自分にはふさわしくないと、一度は切り捨てた男が死にかけているだけなのに―――何でそんなにも泣きそうな顔をしているんだ、君は。
「は、ははは……よかっ……た……ぶじ……」
それ以上はもう、無理だった。
がくん、と身体が揺れる。足がついに言う事を聞かなくなり、僕はその場に崩れ落ちた。
何とも間抜けで、みっともない人生だったけれど―――けれども最期は、最期くらいは、僕の勝ちだ。
こうして想い人を守る事が出来たのだから。
あまりにも小さいけれど、僕にとっては大きな勝利だった。
「ああクソ、あのバカ死に急ぎやがって!」
俺も他人の事は言えたもんじゃないが―――それにしたって、あんまりだ。
刀を鞘に納め、腰のホルスターからリボルバーを引き抜いた。倭国を発つ前、信也が譲ってくれた速河重工製のシングルアクション式6連発リボルバー、光景は44口径。
走りながら、今しがたガトリング砲をぶっ放しやがった機械の騎士に向かってリボルバーを撃ち込む。44口径もあれば並の人間どころか第一世代型の獣人でさえも制止できるほどの威力がある筈なのだが、しかしそれはあくまでも対人戦、そして狩猟の時の話だ。あんないかにも硬そうな機械兵器との戦闘は考慮していない筈である。
このサイズの拳銃でも豆鉄砲にしかならないとは、と驚愕しながらも、とにかく6発きっちり撃ち込んだ。ガァンッ、と跳弾する音が聞こえ、機械の騎士の頭にある紅い目(恐らくセンサーの類だ)がこちらを睨む。
リボルバーをホルスターに収め、血塗れになってぶっ倒れているジョシュアの襟を掴んだ。
「力也!」
「敵の前で看病するわけにもいかんだろ!」
こっちだ、とエミリアと菜緒葉を連れ、ぜえぜえと今にも途切れそうな呼吸を続けるジョシュアをコンテナの陰に引きずり込んだ。またあのガトリング砲みたいな飛び道具を出されたら、こんなコンテナなど簡単に蜂の巣にされてしまいそうだが……ないよりはマシだ。
連れ込んだジョシュアは、まだ生きているのが奇跡と言ってもいいほどに衰弱していた。太腿や肩、腹に血だまりが出来ていて、引き摺った痕には血痕が生々しく刻まれている。
「ジョシュア、ジョシュア! しっかりしろ!」
両手が血まみれになるのも厭わず、エミリアは彼の身体を揺すりながら必死に呼びかける。
声が届いたのか、今にも閉じようとしていた蒼い瞳が、そっとエミリアの方を向いた。
「ああ……エミリ……ア……」
「大丈夫だ、早くここを出よう! 絶対に助けてやる」
「はは……は……うれしい……ねぇ……」
ごほっ、と咳き込んだ。溢れ出た血がまた彼の白い上着に紅い斑模様を描き出す。
機械の騎士を魔術で牽制しながらも、エリスもこっちに戻ってきた。氷の槍をこれでもかというほど何度も投げつけてからこちらに滑り込んできたエリスは、ジョシュアの傷を見て目を見開く。
どう見ても助かる見込みはない―――けれども。
何とか助けてやりたい、という思いは一致していた。
戦闘中、ジョシュアはどこか様子がおかしかった。うまく説明は出来ないが、人1人が発する憎しみの濃さには思えなかったのだ。
確証はないが、おそらくあの女に操られたか、催眠術のようなものでもかけられていたのではないだろうか。
確かに此度のエミリア誘拐事件の片棒を担いだのはコイツだ。しかし、操られて協力を強いられていたとなるならば、話は別である。
それにコイツは、エミリアを守ってくれた。俺の未来の妻を。
がしっ、とジョシュアは血まみれの手で、俺の右の袖を掴んだ。
「……力也……エミリアを……彼女を……どうか、どうか……」
初めて名前で呼ばれた―――力也、と。黄色い猿ではなく、余所者でもなく、力也、と。
「お前は強い……だから、どうか……」
「……任せろよ」
彼の手を握り返し、誓う。
エミリアの事なら幸せにしてやる。
だからお前も死ぬな、ジョシュア。
お前だって十分強い―――戦ってて楽しかった。またいつか、機会があったら全力で戦いたい。
だから死ぬな、生きろ。
彼への思いを込めて、左手でぎゅっと握り返す。
想いが通じたのかは定かではないが、あんなに怒り狂い、憎悪を剥き出しにして戦っていたジョシュアはここに来て初めて安らいだような、そんな表情を浮かべた。
「エミリア」
そっと、手にしていた剣をエミリアに差し出すジョシュア。
血にまみれ、刀身には細かい傷が幾重にも刻まれていたが―――それでも使い手と共にエミリアを守り抜いた剣だ、鋭さが違う。触れるもの全てを切り裂くというよりは、大切なものを守るための鋭さと思えるような、そんな輝きを放っていた。
丸腰だったエミリアが、それを受け取って頷く。
「……勝てよ……君、強いんだからさ……」
「……ああ、勝つさ」
にっ、と笑みを浮かべ、エミリアも立ち上がる。
手にはジョシュアから受け取った剣が、しっかりと握られていた。
「―――やるぞ、力也」
「おうよ」
「姉上、ナオハ、すまないがジョシュアを」
「任せて」
「かしこまりました、エミリア様」
死にかけのジョシュアをエリスと菜緒葉に託し、エミリアと視線を交わして頷いてから―――コンテナの陰を飛び出した。
さあ、やるぞエミリア。
ちらりと視線を向けたエミリアが、壁を蹴って大きく跳躍。地を駆けるばかりの俺よりも跳躍したエミリアを始末しようと、機械の騎士がガトリング砲の照準を彼女へと向ける。
その隙を突けというのか―――いいだろう。
足に力を込め、床を蹴った。
左足が床にめり込み、コンクリートの床が派手に抉れる。ドガンッ、と爆発するような豪快な音を響かせて身体が急加速。当然そんな無茶をするものだから、内臓にぶっ刺さった肋骨の破片がさらに深く刺さり、両足の毛細血管が断裂して凄まじい痛みが走る。
でもな―――もう止まらんのよ!
『!!』
「いぇあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
喉が吹き飛ぶほどの咆哮と共に、朱桜を右から左へと思い切り振り上げた。ヒュゴォッ、とすぐ脇をスポーツカーが通過するような轟音を響かせ、放たれた俊足の斬撃に刀身が朱色に染まる。断熱圧縮を受けて熱を帯びているのだ。
こちとら父上が自ら鎚を手に、最高の素材と最高の技術で鍛えてくれた文句なしの名刀。そしてそれを振るう剣士の技は、一撃の威力を重んじる倭国最強の剣術―――薩摩式剣術。
斬れぬものなどある筈がないのだ。
ヂッ、と一瞬ばかり嫌な音を響かせて、刀身がガトリング砲の機関部にめり込んだ。一瞬ばかりの火花が芽吹き、次の瞬間にはずるりとガトリング砲の機関部が左右にズレる。
給弾用のベルトもろともぶった切った一撃に、あれに乗っているであろうエミリアにそっくりな蒼髪の女が驚いているのが何となく雰囲気で感じられた。
しかし、こっちばかり見ていていいのだろうか?
頭上にはこれ以上ないほど手強い女が1人、迫っているぞ?
「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
『!!』
落下の勢いを乗せ、ついには縦に一回転し勢いを増したエミリアの斬撃は、さながら砲弾の落下にも等しい迫力があった。ドン、と腹の底に響くような轟音。機械の騎士は咄嗟に飛び退いて直撃だけは免れたようだが、しかし完全回避とはならなかったようで、胸元の装甲が大きく切り裂かれている。
その裂け目からは、機械の騎士に乗る蒼髪の女の顔が見えた。
愛も変わらずパンツスーツ姿、顔にはあの淡々とした無表情でも貼り付けているのかと思いきや、どうやら違うらしい。
何か彼女にも計画があったのかもしれないが、ここまで計画を滅茶苦茶にされさすがに堪忍袋の緒が切れたのだろう。怒髪天を衝く、とはよく言ったもので、今の彼女の顔には鬼の形相だけがあった。
『おのれ……文明の間借り人の分際で……!』
「……じゃあ、その文明の間借り人とやらに劣勢に立たされている貴様は何だ」
剣の切っ先を向けながら、エミリアが煽る。
「間借り人以下か。満足なヒトにすらなれぬとは、笑わせる」
『ッ!』
両断されたガトリング砲を投げ捨てた機械の騎士。これで奴も丸腰だ―――と思ったが、向こうにも執念とやらはあるらしい。
唐突に壁に右手を突っ込んだかと思いきや、コンクリート製の壁面をベリベリと引き剥がし、あろう事かコンクリートに覆われた鉄筋をそのまま引っこ抜き、巨大なハンマーのように肩に担いで応戦する構えを見せたのである。
ボロボロのコンクリートで覆われた鉄筋コンクリートの柱。しかしそんなものを扱う事は想定外らしく、機械の騎士の腕にある関節からは火花が散っていた。
胸部装甲の裂け目から覗くコクピットの中でも、紅い警告メッセージのような文字が躍っている。明らかに本来のスペックを無視した挙動に、彼女の乗る機械もまた悲鳴を上げているのだ。
『歴史に残らぬ弱者共よ―――消え去れッ!!』
ずん、と機械の騎士が前に出た。
鉄筋コンクリートを巨大なハンマーの如く振り上げ、そのまま勢いよく振り下ろしてくる。
「合わせろ!」
「はいさ」
振り下ろされる鉄筋コンクリートの一撃を、俺とエミリアで左右に避けた。
そのまま床を蹴り急加速、左右から角度をつけて機械の騎士に斬りかかる。
腰にあったチューブと装甲の一部を切り裂き、股の下を滑りながら行き掛けの駄賃とばかりに右足の脹脛、いわゆるアキレス腱に相当する部位に刀を叩きつける。ギュンッ、と硬質な音を響かせ、機械の騎士がぐらりと機体を揺らした。
そして少し遅れて突入したエミリアが同じく腰の装甲と電力給電用パイプを切断、同じようにアキレス腱を切り裂いて股の下をスライディングで通過する。
『貴様らぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
怒り狂い、鉄筋コンクリートを薙ぎ払う機械の騎士。回避―――は間に合いそうもなく、やむを得ず俺はそのまま刀を構えてその一撃を真っ向から受け止めた。
たぶん、今までの人生で一番強烈な衝撃だったと思う。下手をしなくとも意識を持っていかれそうな衝撃に、身体中の内臓が悲鳴を上げた。
そんな一撃を受け止めても壊れなかったのだから、こんな壊れにくい頑丈な身体に生んでくれた母に感謝する他あるまい。
思い切り足を踏ん張り、全身に力を込める。内臓に食い込んだ肋骨の破片が更にめり込み、口から血を吐いたがそれでもお構いなしに抗った。
背後から迫る軽い足音。誰なのかは言うまでもないだろう。
とんっ、と軽快に飛んだエミリアが空中で回転、勢いを乗せた斬撃を機械の騎士の右腕、ちょうど肘の裏側へと叩きつける。堅牢な装甲に覆われているわけでもない脆弱な関節部を狙い撃ちにした絶妙な剣技に脱帽したくなるが、それはコイツをぶちのめしてからだ。
「力也ぁ!」
「いいかげん決めんぞッ!!」
俺も思い切り跳躍、空中で一回転し刀を振り上げる。
エミリアはと言うと、手にした剣を何を思ったか力任せに投擲。さながら捕鯨船の銛のように鋭く重い一撃がついには機械の騎士の顔面を捉え、その視界を完全に潰した。
落下する俺に合わせ、エミリアもジャンプ。
剣を振るおうとする俺のちょうど隣にやってきたエミリアが、片手で刀を握る俺と共に刀の柄をぎゅっと握った。
一瞬だけ視界を交わした後は、やるべき事はもう分かりきっていた。
今ある力の全てを動員し―――コイツを斬る。
断熱圧縮を受け朱色に焼けた刀身が、エミリアの蒼い電撃を纏う。
2人の力を合わせた一撃が、機械の騎士を捉えた。
装甲の断たれる音に、鋼鉄の溶ける臭い。
ギギギ……と軋む音を立て、機械の騎士はそれっきり動かなくなった。
ケーキ入刀




